第8話 ありきたりな河原のよくある着信音
「逃げて来ちゃった」
え? どゆこと? あの家の前に詰めかけたマスコミから?
愛依さんが普通に僕に話しかけてくれたから、忘れてたけど。暗闇でニアミスしてからお互い気まずくなってたんだよ。
まずはそれを何とかしなきゃ。
「あ、あの、‥‥ごめん。この前は、あの」
思うように言葉が出なかった。一応謝りかたは脳内で練習してきたのに。
「あ、えっと。わたしこそごめんなさい」
ぺこりと頭を下げられた。
え? やっぱりそんな大事じゃなかったのかな? 僕が気にしすぎたのかな?
よくわからんけど、結果オーライとしよう。
「それでね、家に来てるマスコミの件なんだけどね。今、国からお達しがあったの。梅園一族はご当主様と若様以外取材禁止だって。当然、結婚とかプライベートも取材しちゃダメ。国の安全保障にかかわるから。箝口令が敷かれるよ。今親がマスコミに説明してるから」
そうか。さっきインターホン越しに家の人が伝えていたのは、このことか。
記者さん達みんな険しい表情だったもんな。
「国家の、なんて大袈裟だね。でも僕らにはそのほうがいいか」
「そうよ。マスコミへの対応は今後、ご当主様と若様が引き受ける」
「すごい人だね。若様。僕には真似できないや」
愛依さんの横顔を見つめる。彼女は川面をずっと見たあと。長いため息をついた。
「今大変よ? ミーティングの内容は当然外にはオフレコなのに、重婚のお話や会話内容がマスコミに知られちゃって。こんなに早く」
重婚。やっぱりそうなんだ。それで逢初家に押しかけた、と。
気重そうな表情の横顔。
「ご当主様がすごい怒ってるって。マスコミにリークしたのは誰だ!? って」
「うちの親じゃないことを祈るよ」
「‥‥うちでもないわ。だってマスコミが押しかけて迷惑してるもん」
予想がついてきた。ご当主様が動いたんだ。大方「これでは退魔に支障がでる」とか言って、国は僕らを取材攻勢から守る処置をすることになったんだ。それで箝口令。
これで逢初家に押し掛けたマスコミの騒ぎも収まるか。でもやっぱり彼女の家に来たのは、この情報がニュースになるから。
「若様、話題だからなあ。その結婚相手の話題‥‥となると」
「はあ」
かくん、と愛依さんの首が折れた。
「若様はすごい人よ。退魔のチカラもすごくて、周りに気づかいもできて、そういう対外的なことまでそつなくこなす人、なの」
さっきは自分で「若様すごい」って言ったけど。
あらためて愛依さんの口から聞くと、胸がぎゅっとなる。
ああ、そうか。そうだよね。そういう風に思ってるんだ。
コンクリの石段の上、きれいに並んだ愛依さんのひざ、その上に花をあしらったフリルのハンカチが置かれて。
そこに愛依さんの顔がうずめられていた。その見えない表情の奥から、さっきの言葉が漏れてくる。
「そんなすごい人と重婚できるんなら、良いお話だったのかなあ」
‥‥当然どう僕が答えていいのかなんてわからない。
ただ、大きくこの胸がざわめく。
ちょうど、川風に吹かれる足下の、揺れる雑草みたいな気分だった。
「あ、あのさ。僕も聞いたよ。僕と麻妃との結婚話が出てるって。あの麻妃だよ。‥‥びっくりだよ?」
「麻妃ちゃん。知ってるよ。でもそれは両家のお母さん同士でけっこう前から想定してたお話」
えっ? そうなの?
そういえば僕の母親と麻妃の親は親友同士だ。だからなのか、僕は麻妃と幼馴染みとして育った。
逢初家や他の家とは疎遠なのに。同じ一族でも対照的だ。
「急に降って湧いたお話じゃないの。一族の血脈再統合は。ただ今回魔物がたくさん出て、そうする必要が浮き彫りになったから、国も本家も急ぎ足になって」
「‥‥‥‥じゃ、愛依さんの結婚も?」
「別にわたしじゃなくて、次の代だったかもだけど、そういうお話はあったんだって。ただ今回若様がわたしを見て『重婚を』ってなったみたい」
「見て」? 「見染めて」、じゃないのかよ?
「『第二夫人というのが問題なら、序列は無くしてもいい』って言われちゃった。どうしよう。許嫁の方がもういるのに、それやったらたぶんぐちゃぐちゃになるよね色々‥‥‥‥?」
困惑の極み、みたいな視線が僕に向けられた。
当然、というか、僕はどう答えたらいいのかすらわからない。
というか「もうそれって嫁ぐ前提じゃ‥‥?」ってセリフが脳内を駆け巡って、思考がまとまらない。
搔きむしられる。
ただ、ただ激しく。
「どうしよう。わたしは、どうしたらいいの?」
彼女は悄然としていた。かわいそうなくらいに戸惑ってるのが伝わってくる。
僕に訊かれても本当は困る。慰める? 背中を押す? いやえっと。
気がついたら逢いにきてたけど、何してんだろ自分。
川面を見つめる濡れた横顔が、ただ遠かった。
「‥‥あ‥‥あの‥‥」
声をかけようとしていた。
脳に負荷をかけて、それでも何とか言語を操ろうとした刹那、スマホが鳴った。
僕と、愛依さんのが同時に。この着信音は‥‥!
「「魔物だ」」