79. 侍女は諮問する
「お待ちしておりました、シャーロット様」
カーナモン辺境伯が治めるその領地にて、一つの話し合いの場が設けられていた。
出席するのはその場を取り仕切るキャロルに、キャロル達とは異なる意匠の侍女服を纏う侍女。そして……捨てた名を持つ女性。
「その名は捨てたものになります。今の私は地位など持たぬ身故に敬称は不要です」
「いえ、この場において欲しいのは“貴族としての”貴女様ですので」
「………」
ソファーに腰掛けるシャーロットは乾いた口を紅茶で湿らせて、その場の空気に必死で喰らいつこうと頭を回す。
捨てた身分に名前。今それを求める理由は何だ?
自らを保護した侍女とは異なる空気を纏う目の前の侍女に、シャーロットは目を光らせた。
「そう身構えられずともシャーロット様を捕らえに参った者では御座いませんのでご安心を」
「……そう、ですか」
元貴族としての警鐘がうるさく響く。目の前の女性は、魑魅魍魎が闊歩する貴族社会においても一線を画す存在だと。
「わたくし共がお尋ねしたいのはただ一つ」
「…それは?」
「シャーロット様が何故この場に居らっしゃるのかをお教え願えますか?」
「………」
直接的な単語を避け、明言をせず、しかしそれでいて核心を突くその質問の仕方は、シャーロットにとって警戒心を引き上げるのに十分なものだった。
「…それはわたくしに関して? それとも…」
◆ ◆ ◆
「ふぅ…」
シャーロットが去った室内。二人しか居ないその場に様々な含みを持つ息が零れる。
「それで? ミーシャの欲しい情報は手に入ったのかしら?」
「……半分、といったところかしらね」
「半分?」
キャロルが二人分の紅茶を用意してミーシャの隣へと腰掛ける。そして続きを促すも、ミーシャは黙って紅茶を口に含んだ。
「…キャルのお茶は美味しいわね」
「それはどうも。で? 要件は?」
「相変わらずね」
ミーシャが苦笑を浮かべる。だがキャロルからすれば、わざわざシャーロットと話す為だけにミーシャが辺境の地まで足を運ぶとは思えなかったので、端から疑いしか無かった。
「……ヨルは大丈夫?」
「私の娘を疑うの?」
「疑ってなどいないわ。でも…」
ミーシャが言葉を濁す。その先の言葉は、例え義理とはいえ母親であるキャロルに話すには憚られる物だった。
「……ヨルを、向かわせるの?」
「……」
「貴方は私の友人だけれど、私の…ヨルの上官でもある。命令するのであれば」
「それをすれば、ヨルちゃんは断れない。そうでしょ?」
「………」
ミーシャもまた、ヨルの事は知っている。だからこそ、ヨルにとっての“命令”がどういう意味を持つのかも良く理解していた。
「よく言うわ。ヨルを囮にしたくせに」
「元より期待はしていなかったし、実際こうして“奴ら”の動きがあったのは結果論でしかないわ」
ヨルという特異点を学園へと入り込ませる事によって、何かしらの動きを察知出来れば御の字。その程度の認識でミーシャはヨルを学園へと入学させる事を提案した。それこそが、“囮”という言葉に込められた真意だ。
「私が忠誠を誓うのはあの方だけ。貴方の事も、勿論義理の娘であるヨルも大切ではあるけれど、私にとって優先するのはあの方だけ。それは分かって欲しいわ」
「……」
キャロルが溜息を吐き、少し冷めた紅茶を口に運ぶ。その時、ミーシャが持ち歩いている通信機が反応を示した。
「はい。…そう、分かったわ」
手短に通信を終えたミーシャにキャロルが目線で続きを促す。
「ヨルが目を覚ましたそうよ」
「…良かった…」
意識不明である事以外の情報が伝えられていなかったキャロルにとって、その報告は何よりも待ち望んだものだった。
「一応身体検査はさせるけれど…」
「まぁ無駄でしょうね」
「……はぁ」
シャーロットから聞いた情報にヨルの事、そして現状。その全てにおいて大立ち回りをする事が確定しているのだから、溜息の一つも吐きたくなる。
「カーナモンは貴方に任せるわ。お願いね」
「ヨルが居ないのはちょっと痛手だけれど…まぁ出来るだけの事はするわよ」
「ヨルは…そうね、皇都周辺の殲滅戦を担当する事になるかしら」
「それが妥当な判断ね。どこまで食い込まれているのやら…」
狭い部屋。二人分の溜息が響く。
「……あら、もう時間ね」
ふと壁に掛けられた時計に目線を投げ、その針が指定の時間に迫っている事に気付く。
今回カーナモンの地に向かう為にミーシャが用いたのは転移陣だ。これは到着する場所が決まっている為、指定の時間以外で起動する事が禁止されている。
「ヨルやティアラ様が戻ってこられるのは何時になる?」
「現状断言する事が出来ないから答えられないわね。でもそう時間は掛からないと思うわ。他の貴族からの圧力もあるでしょうし」
家に帰して欲しいと願うのは、カーナモン家だけでは無いのだ。現在は状況も状況である為に静かではあるが、時間を掛け過ぎれば不安や不満は膨れ上がるだろう。
一刻も早い事態の収束。それがミーシャ達に課せられた使命だった。
「【黒鳥】にも協力を仰ぐから、人手は何とかなる手筈になっているわ」
「そうだといいけれど…ヨルとティアラ様の事、頼むわよ」
「まぁ出来るだけの事をするだけよ」




