75. 侍女の苦悩は絶えない
彼女が言った直すという言葉は、それを裏付けるかのようにして確かに果たされた。
「これ、は…」
ティアラの目の前で、ヨルの身体がみるみる癒えていく。それはまるで、時間が巻き戻っていくかの様で────
「おし、まい…」
彼女がそう口にすると、グラりと身体が傾く。それを目撃した瞬間、ティアラの身体は反射的に動いていた。
「〜っ…」
倒れる彼女の下へと身体を滑り込ませれば、そのままゴンッと鈍く頭を地面に打ち付けてしまった。その痛みを耐えながらも、彼女を無事庇えた事にふぅ…と安堵の息を吐く。
「……ありがとう。お疲れ様」
倒れた彼女の顔を至近距離から改めて拝めば、その顔立ちはとてもヨルに似ていた。というより、ヨルそのものの様に思えた。
「双子…でいいのかしら」
そもそも本当にヨルの血縁者かどうかも定かでは無い。だがそれでも、今更ティアラに疑う気持ちは微塵も無かった。
自らのブレザーを脱いで畳み、それを枕にして彼女を寝かせる。その後彼女が寝ている間に腕の処置をしておこうと思ったのだが、目線を向けたその腕には傷痕一つ残っていなかった。
「……ヨルと、同じね」
思い返せば、ヨルも同じ様に瞬時に傷口が塞がっていたと気付く。
それが人間として有り得ない事である事は分かる。しかしそれで見る目を変えるつもりも無い。
どの様な存在であれ、自分の知り合いで大切な人である事に変わりは無いのだから。
「ヨル…」
ベットに横たわるヨルへと近付く。その頬を撫でても、そこに火傷の痕は無い。
「……髪飾り、壊れちゃったわね」
ついこの前にヨルへと誕生日の贈り物として買った花の髪飾りは、熱によって溶けてその原型を留めていなかった。それがどうにも、今の自分とヨルの関係を表しているように思えて仕方が無い。
寝やすいようにと髪飾りを外し、頭を撫でる。
「…認めない、かぁ」
思わず零れたのは、ティアラの頭にこびり付く彼女の言葉。その言葉に今の自分は反論する事が出来そうにないと自嘲する。
「貴方の本当の主には、まだなれそうにないわね」
まだ。でも、いつか必ず。
◆ ◆ ◆
時は少し遡り、彼女が隔離治療室を襲撃した頃。緊急用にと現場に居た【黒蝶】へ貸し与えていた通信機からその報告を受けた侍女は、顔を顰めていた。
「襲撃…それも今動けないヨルを狙って?」
もしかすると正体を未だ掴めていない敵の本当の目的は、ヨルの身柄だったのかもしれないと焦りが浮かぶ。
「その他に連絡は?」
「それが…襲撃を仕掛けたのは、子供のようだった、と」
「子供?」
侍女の主である女性が首を傾げる。ここまで大規模な事件を起こしておきながら、捕まる危険性もある襲撃に子供を使う理由を端倪する事が出来ない。
「具に述べなさい」
「……現状判明しているのは、隔離治療室を襲撃したのはヨルと同じ背丈の、恐らく女子である事。髪色は白く、魔術の類いを使用した形跡は無い事です」
通信機から伝わった言葉をそのままに、少し順番を整理して主へと告げる。
「ヨルちゃんは?」
「不明です。警備に当たっていた【黒蝶】にも幾らか負傷者が出ています」
「……」
隔離治療室は未知の病原を隔離し、調べる為の施設だ。それ故にもし外壁を破壊され病原体を街へと持ち出されれば、被害は想像出来ない。敵の狙いはそこかと女性は考えるも、すぐに否定する。
その様な回りくどい方法を取らずとも、あの謎の魔物を街に放てば同じ、いやそれ以上の被害を出す事が出来るだろう。であるならば、後者を選ぶのが至極当然に思える。
「…相手がもし保管されている病原体を持ち出した場合に備えて、負傷した【黒蝶】と近隣住民を避難させなさい」
「かしこまりました」
趨勢など予想する事など出来はしない。ならば現時点で予想可能な範囲を、確実に対処出来るように動くしかない。
「動ける残った【黒蝶】は隔離治療室の周囲を固めて。他の護衛には【黒鳥】を割り当てます」
「生徒をミレーナから退避させますか?」
「……いえ。状況が混乱している中で動くのは悪手だわ」
情報は一度錯綜すれば、沈静化するまでかなりの時間が必要となる。満足に護衛も割り当てられない中で、未熟な生徒を街の外に出す方が危険だ。
「ヨルちゃんの事が分かったら急いで報告を頂戴。わたくしはこれから会議があるから」
「かしこまりました」
女性が席を立つ。本来であれば侍女はその女性に付き従う立場だが、今回は目的地が共に居る事が許されない場所であるが故にその女性を部屋で頭を下げて見送る。
パタンと扉が閉まれば、侍女は頭を上げてふぅ…と息を一つ吐く。けれども休息する時間など彼女にはない。
「敵は一体何が目的…?」
実際の所、鋼鉄…『魔拡装甲』に覆われた魔物の発見事例はヨル以外の【黒蝶】も何名か接触している。しかしその場所は規則性が無く、目的を図る事が出来ないでいた。
「……そういえば、“彼女”が此方へ来てから全て動き始めているような…」
以前親友からの報告にあった人物のことを思い出し、その点が線で繋がる可能性に思い至る。
「……経緯を調べてみる価値はありそうね」
今手元に居る動かせる【黒蝶】は誰だったかを頭の中で調べていた所で、手にしていた通信機から連絡が入った。
「…そう、分かったわ。引き続き警戒をお願い。隔離治療室には誰も近寄らせないで」
ミレーナにいる【黒蝶】からヨルが無事である事の報告を受け、侍女は人知れず安堵する。
「味方…という認識でいいのかしらね」
隔離治療室を襲撃した少女はヨルの怪我を治療し、現在は気を失っているという。ヨル本人の口から正体を聞き出さない限り確証を得る事は出来そうにないが、一先ずは警戒するに越したことはないだろうと結論付ける。
「はぁ…後手に回っているわね」
何もかもが後手に回っている感覚がどうにも歯痒い。
取り敢えず事態は収拾したと考え、侍女は我が主へと報告に向かう為に歩みを進めた。




