71. 化物侍女は思い出す
「なに、あれ……」
真っ直ぐ階段へと向かう道を進んでいたところで、周辺を警戒していたティアラが何かを見付けた。
それはこの【森のダンジョン】では見る事の無い、黒い球体で────
「───っ!?」
その正体に気が付いたティアラの顔が一瞬で青く染まる。声を出そうにもはくはくと息が出るだけで音にならない。
「……アラ様、ティアラ様っ!」
「っ!」
強いヨルの呼び掛けに漸く正気を取り戻したティアラは、まるで泣きそうな眼差しをヨルへと向けた。
「あ、あれ…」
震える指先が、黒い球体を───人の頭を、指し示す。その短い言葉に、ヨルは頷くだけに留めた。
「……急ぎましょう」
有機物などが吸収されるダンジョンにおいて、死体が残っているという事は死んで間も無いという事を示す。
───つまりは、それを殺した存在がまだ近くに居る可能性がある。
初心者向けのダンジョンでの死亡は皆無に等しい。ならば人の死体が発見されるという事は、明らかな異常でしかない。
最早一刻の猶予すらない。
願わくば遠くに離れていて欲しいと思いつつ、ヨルが未だに顔を青くするティアラの手を取って走り出す。その突然の行動に、ティアラ以外の二人は反応出来ない。
だがヨルにとって護るべき存在はティアラのみであり、それ以上の面倒を見るつもりも無かった。
「っ、待ってヨル!」
「しかし」
「命令よ、私を含めた皆を護りなさいっ」
「…かしこまりました」
命令されては従う他無い。危うく置いてきぼりになる所だったフェリシアとエセルを加え、先程よりも足早に階段へと向かう。
「───あっ。あったわっ!」
何時何が襲い来るか分からない状態では、当然気の休まる瞬間も無い。故に階段を見付けた時のティアラの歓喜の声は至極当然で────同時に、酷く迂闊であった。
それに気付いたのはたった一人だけで────
「───ティアラ様っ!!」
ヨルが左手でティアラを突き飛ばすのと、その手が鮮血を撒き散らして切り飛ばされたのは、ほぼ同時の事。
「──っ」
肘上から切り飛ばされた腕が宙を舞い、その刹那にヨルが右手に残ったナイフを投げ飛ばす。
───カンッ!
しかしその後に響いたのは悲鳴でも、肉を穿つ音でも無い無機質な金属音。そしてそれは、ヨルにとって最近聞いたばかりの音だった。
「ヨルっ!」
「ティアラ様。お下がりください」
失った左腕の切り傷からはもう血は流れない。だが持っていた銃と袖に仕込んだナイフを失った。
冷静にヨルはこの状況を切り抜ける手段を模索する。
残されたのは右腕。左腕の再生には時間が掛かる上、体力を著しく消耗する。今すべき事では無い。
黒いナイフはもう無い。だが投げナイフでは威力も強度も足り得ない。
銃は吹き飛んだ一丁だけ。狙撃銃もあるが、取り出すには時間が掛かり、取り回しも悪い。
「……嫌な、相手です」
以前戦った時には暗闇かつ鬱蒼とした森の中であった為に、視認出来なかった敵を睨む。
鈍い光を放つ身体。四足歩行の生き物のような見た目をしながらも、その顔にあたる部分には目も鼻も無い。
ヨルは、ソレを知っている。
「何故まだ動いているのかは知りませんが……敵ならば、排除するまでです」
仕込んだナイフを抜き取り、一気にヨルが敵へと迫る。それを何かしらの手段で知覚したのか、敵が前足にあたる部分を振り上げる。
その行動の先にある攻撃に見当が付いていたヨルは、振り下ろされたと同時に身体を捩り、不可視の風の刃を躱した。
そのままナイフを敵の装甲の隙間を狙って振り下ろすが、元より小さな隙間は敵が軽く動いただけで外してしまう。
装甲に負けたナイフが砕け散り、ヨルが敵の身体を蹴って離脱する。
「…今の私では難しいですか…」
もう一本ナイフを取り出して構えると、ふとヨルの後ろから風が吹いた。
「《風槍》!」
ティアラがありったけの魔力を込めた風の槍を放つ。敵の身体が硬いのはヨルの攻防を見て理解出来た。だからこそ、今自分が使える中で最も貫通力の高い魔術を選んだ。
その選択は決して間違いなどでは無い。
───それが、常識の範疇に収まる敵であったのならば、だ。
敵は明らかに自身を狙う攻撃であったのにも関わらず、回避行動を取る素振りを見せなかった。
そしてそのまま狙い済まされた《風槍》が直撃し───全てが、無に帰した。
「えっ!?」
確かに魔術は発現し、命中した。その自覚があるからこそ、ティアラには目の前で起きた事が理解出来なかった。
「…やはり『魔拡装甲』ですか。道理で硬い訳です」
その理由に心当たりのあったヨルの口から、そんな言葉が零れる。
その言葉の意味を真に理解出来る存在は、もう居ない。
「ティアラ様。アレに魔力を用いた攻撃は通用しません」
「なにそれ…」
「更に付け加えるならば、魔力を用いた攻撃を与える程アレの装甲が硬くなります」
ヨルの全力の攻撃が大した効果を得られなかった理由。それは他の人間からの魔力攻撃を受けたのだろう敵が、もう既に堅牢な鎧を着込んだ状態だったからという訳だ。
「魔術師殺し…」
「そうですね。その為のモノですから」
「……え?」
今なにかヨルから聞き捨てならない事が聞こえた気がしたが、この状況で問い質す事は叶わなかった。
「私が引き付ける内に撤退を。ティアラ様方では相性が悪いです」
その言葉を最後に、ヨルが駆け出す。ヨルがティアラに告げた言葉は、ティアラから下された『残る事は許さない』という命令に矛盾してしまう。だがヨルは、“ある特例”として命令を無視する事を許される事を覚えていた。
「それは、私の勝手ですから」
45.




