38. 化物侍女は遭遇する
気を取り直してボードへと向かったティアラであったが、貼られているアイアンランク向けの依頼の少なさに打ちひしがれていた。
「採取依頼や清掃依頼とは聞いていたけれど、それすら無いなんて…」
「時間帯の問題かも知れませんね」
ヨルの言葉は正しい。依頼は朝一番に貼り出される為、基本的に割のいい依頼は早い者勝ちの世界だ。現在の時刻はお昼前なので、良さげな依頼はまず残っていなかった。
「常設依頼も採取依頼なのね。今日は仕方が無いからそれを受けましょうか」
「はい」
常設依頼は受注する必要が無いと聞いたので、そのまま冒険者ギルドを後にして皇都の外へと続く門へと向かう。
その道中活気溢れる市場を通りかかり、ヨルはそろそろ寮の食材が切れかかっている事を思い出した。
食材自体は学園内で注文する事が可能だが、実物を見て買う事が出来ない為一種のギャンブルでもあった。そう悪い物は届かないだろうが、主には常に最高の物を提供したいと思うのが従者というものだ。
「ティアラ様。帰りに市場に寄ってもよろしいでしょうか」
「ん? 別に構わないけれど…持って帰るのは大変ではないの?」
食材という物は物にもよるが大抵は重い。それに量もあるので、学園から程々離れた市場で買うのは持ち帰る事を考えると得策ではないとティアラは思う。
「問題ありません。その為に日々鍛えておりますので」
「絶対その為じゃないと思うけど…まぁヨルがそう言うならいいわよ。私も手伝うし」
「ティアラ様がお手を煩わせる必要は御座いません。これは私の仕事ですので、ティアラ様もティアラ様の為すべき事を」
「私がしたい事はヨルを手伝う事だから問題無いわね」
「……」
実際は主にやらせるべきではない仕事なのだろうが、ティアラは一度言い出したら聞かない人間だという事をヨルは嫌という程知っているので、渋々諦める事にした。
皇都は防衛の観点から高い外壁を擁しており、その出入りは東西南北に設置された門から行われている。今回ティアラ達が向かったのは冒険者ギルドから程近い西門で、それ故に出入りする人間が多い門だ。
出る際は自らの身分を証明する物の提示が必要で、今回ティアラ達が手に入れたギルドカード等がそれに該当する。それらを提示する必要があるのは、身分証を没収された者、つまり犯罪者等を外に出さない為だ。
門番の兵士にギルドカードを見せて無事外に出たティアラが、気持ち良さげに伸びをして息を吐いた。
「いい天気で気持ちがいいわね…」
「晴れて良かったですね」
「ええ。じゃあ行きましょ!」
意気揚々とティアラが歩き出す……が。
「ところで何処に行けばいいの?」
「…知らずに外に出たのですね」
「あ、はは…」
ヨルの呆れたような眼差しにティアラが乾いた笑いを零す。元より冒険者になる事自体が目的で、それ以降の事は何も考えていなかった。
「ヨ、ヨルは何処に何があるか知ってる?」
「一応全ての地形は地図上で把握はしていますが、向かうべき場所というのが良く分かりません」
ヨルが知っているのはあくまで地形だけ。今回の依頼を達成する為に向かうべき場所に関しては一切分からなかった。
それを聞いてティアラが依頼内容を思い出しながら口を開いた。
「えっとね…多分目的は採取だから、向かうべきなのは森だと思うの」
「それでしたら…この近くに比較的大きな森林地帯があったはずです。…近いどころか目の前に見えている場所ですね」
そう言ってヨルが指差した先には、青々とした森林が見える。よくよく考えれば採取依頼は初心者向けの依頼であるのだから、目的地はそう遠くない場所になる筈だとティアラは気付いた。
ヨルの指差す森へと歩みを進めれば、何人かの人間とすれ違う。その年齢は凡そティアラ達と同じくらいだろうか。
服装としては一般的な庶民の軽い服装で、皮鎧やナイフと言った装備は見当たらない。
「比較的安全な森なのかしら」
「皇都近くの魔物は冒険者や騎士によって常に駆除されていますので、これだけ皇都に近い森だと見掛けることすら無いのかもしれません」
魔物は人間にとって害でしかない生物だ。なので安全の観点から皇都近くや街道沿いは定期的な見回りが行われており、余程深い場所に足を踏み入れない限りアイアンランクの冒険者が魔物に遭遇する事は無い。
まともな武装を持たないアイアンランクの冒険者達からすれば有難い話だが、戦いに飢えるティアラにとってはあまり嬉しくない状況だった。
「ティアラ様。無理に魔物と遭遇しようとなされるのであれば、即座に連れ戻しますからね」
「わ、分かってるわよ」
その返事にヨルが若干の不安を抱えながら、目的地である森へと辿り着いた。だが浅い場所は既に採取された後で、目ぼしい薬草は見当たらなかった。
「ヨル。もう少しだけ奥に行っても良い?」
「…少しだけですよ。私が先行しますので十分に警戒して付いて来てください」
「うん」
剣は抜かず、ヨルがティアラの前に立って森を進む。この世界に索敵に関する便利な能力は存在しない。頼りになるのは自身の五感のみだ。
風の香り、音、視覚、温度。それらを元に敵になり得る存在を探る。
道中発見した薬草を採取しつつ暫く進むと、ヨルが足を止めた。その耳に届くのは、微かな戦闘音。
「…戦闘音ですね。どうやらこの奥で戦っている方が居るようです」
「なら一緒に」
「冒険者同士の獲物の横取りは御法度です。介入する事は許されません」
厳しい口調でティアラを律する。仮に相手が助けを必要としても、個人の勝手な感情で介入して、結果的に共倒れになる事など珍しくも無い。それで運良く双方が助かっても、揉め事になるのは確実だ。だからこそ暗黙の了解というものが冒険者には存在している。
「これ以上奥に進むのは危険です。戻りましょう」
「…分かったわ」
渋々ティアラが諦め、踵を返して帰ろうとしたその時。
「──!? 伏せて!」
慌てた様子でヨルがティアラを押し倒し、その上に被さった、その直後。
────音が、割れた。
「っ…」
「ヨル!?」
「問題ありません、少し掠めただけです」
「でもっ!」
ポタリとティアラの頬に落ちる生暖かい液体は、紛れもなくヨルの血だった。
ヨルが上体を起こしてティアラに背を向ければ、背中から肩にかけて切られた姿が目に入りティアラが血相を変える。
当のヨルはその怪我を感じさせる事無く地面を踏み締め、森の奥から姿を見せるソレを睨み付けた。
「…コカトリス、ですか」
「クェェェ!!」
けたたましい咆哮を上げてこちらに突き刺さるような敵意を向ける魔物、コカトリス。姿は巨大な鶏のようだが、その後ろには蛇の頭が伸び、一人の人間がその口に咥えられていた。更にその足元には、血潮の海に沈んだ数人のひとの姿が見える。
「ティアラ様。立てますか?」
「え、ええ…あれがコカトリスなのね」
「恐らくは。手負いですので逃げる事は可能かと」
未だ闘志は滾っているようだが、身体には細かな傷がある。どれも致命傷では無いが、確実に消耗しているだろう。それを見て、ティアラ一人逃がすだけならば問題無いとヨルは思う。
「…私が素直に逃げると思う?」
ティアラは自分を逃がす為にヨルは迷いなく囮になるだろうという事は分かりきっていた。ならば共に戦う道をとティアラが不敵な笑みをヨルへと向ければ、仕方なさげにヨルが腰の剣を引き抜いた。
「注目を集めます。ティアラ様は」
「先ずは尻尾を切ればいいのね?」
伊達に憧れ続けていた訳では無い。魔物の特徴は熟知していた。
コカトリスの尻尾には強力な毒牙が備わっており、対コカトリス戦では最も警戒すべき部位だ。故に最優先で切る必要がある。
「さぁ! 初の討伐は景気よくいきましょ!」
「……無茶はしないでくださいよ」
「そっくりそのままお返するわよ」
傷は浅かったのか血は既に止まっているようだが、動きに支障が出るのは確実だろう。
これ以上ヨルに負担をかける訳にはいかないと、ティアラは気合いを入れ直した。