30. 令嬢は友を得る
学園生活が始まって早数日。ティアラ達は知り合ったフェリシアと授業を共に受けるようになっていた。
最初の頃は何を話すにも緊張から言葉に詰まってしまっていたフェリシアだったが、貴族にしては気さくな雰囲気を纏うティアラに次第に慣れ、今では話す際に柔らかな笑顔を浮かべる事が増えていた。
「ヨル様。少し教えて頂きたい所があるのですが…」
「私でよろしければ」
授業が始まる前の休み時間に、フェリシアがヨルの隣に座って直前の授業のノートを見せてそう尋ねた。
参考書、教科書の内容を全て記憶しているヨルは、その書かれている通りの解説しか出来ない。だが、余程ひねくれた問題でない限り、問題を理解するのはその解説で十分だった
「私にも聞いてくれていいのよ?」
「え、えっと…」
打ち解けたと言ってもやはり貴族の溝は深く、ティアラ相手ではまだフェリシアも遠慮する事が多かった。
そうなってしまう事は理解しているティアラではあるが、ヨルばかり頼られるという状況に少し不満を持っているのは事実だった。
ヨルの解説という名の教科書丸音読を丁度終えたところで、魔術学の担当教師であるロイが教室へと入ってくる。
「席座れー、授業始めるぞ。教科書二十八頁を開け」
ロイの授業は三分の二が座学だ。そして残りの三分の一がその座学で学んだ魔術式の実践訓練。この訓練にヨルは参加する事は出来ないが、外からずっとティアラの事を見守っていた。
「よし。じゃあ満点生徒のカーティス、答えてくれ」
ロイが奇妙な二つ名でヨルを呼ぶ。これはロイの実力試験でも入学試験でも前代未聞の満点を取ったヨルに対する嫌味…では無く、この教室の生徒の学習意欲を刺激する為のものだ。
ヨルは魔術を扱えない。それは一見不利に思えるが、実際は魔術を扱える者よりも成績が良い。それが他の生徒の目にどう映るかなど、考えなくとも分かる事だ。
「相変わらず、狡い先生ね」
ティアラが不敵な笑みを浮かべ、ロイへと目線を向ける。
ヨルという対抗馬をロイ自身が演出し、自身の担当する生徒の成績を底上げする。それは自身の評価に繋がるのだから、美味い餌を使わない手は無い。良くも悪くも、ロイは“先生”という生き物だった。
席を立ったヨルにロイが視線を向け、次に後ろの黒板を手で叩く。そこには魔術式の要素がバラバラに記されていた。
「こいつは汎用型の魔術式の構成要素だ。これで《水球》を作るには何がいる?」
「作るだけでしたら、【魔力】【威力】【属性】です。ただし、【魔力】は【威力】の為の量とは別に、維持する為の量が必要になります」
《水球》は《火球》等とは異なり、空中に停滞させる事が難しい魔術だ。それ故に、【魔力】を想定する【威力】以上に込める必要があった。
「正解だ。引っ掛けには引っ掛からなかったな」
ロイは《水球》を“作るには”と言った。この条件を満たすだけならば、黒板に記された【方向】という要素は必要ない。
模範通りの完璧な回答をしたヨルにロイが満足気に頷くと、座るよう促した。
「さて。先程カーティスが答えてくれたように、魔術式は魔術の目的毎に要素を足し引きする必要がある。何でもかんでも加えれば良いってもんじゃない。特に火属性の適性持ってるやつは注意しろ」
最も単純に高威力の魔術を行使できる火属性は、その扱いが特に危険な属性だ。《火球》をただその場に出すつもりが、【方向】の要素を加えた途端攻撃魔術に変わる。その手の“事故”は学園内で特に多い物だ。
「よし、今日の座学はここまでだ。訓練場に移動するぞ。毎度言っているが、魔術を使えない生徒は自習するか付いてくるかは自由だ。じゃ、行くぞ」
その言葉を最後に、椅子に座っていた生徒達が立ち上がり教室を出て行く。その後ろにティアラ達も続き、最後尾をロイが務める。これは授業を抜けてサボろうとする生徒を監視する為だ。
学園内の訓練場に向かう道中、フェリシアがヨルへと目線を投げ掛けて口を開いた。
「ヨル様はいつも魔術訓練を見ていらっしゃいますが、見ているだけというのは飽きたりしないのですか?」
「飽き…ですか?」
ヨルが小首を傾げる。飽きる、という感情をヨルは知らなかった。しろと言われればする。そこに自分の意思が介入しない以上、飽きるという感情を持つ事自体が有り得なかった。
そのやり取りの様子を眺めていたティアラが、思わず苦笑を浮かべる。
「フェリシア。ヨルは昔からそういった感性が薄いの」
「薄い…ですか?」
「ええ、それに加えて感情の起伏もあまりないのよ。笑えばすっごく可愛いと思うのだけれどねぇ…」
ティアラが心底残念そうな眼差しをヨルへと向けると、それに答えるようにヨルが綺麗な笑みを浮かべる。しかし、それを見てティアラがガックリと肩を落とした。
「作り笑いしろとは言ってないわよ…」
「違うのですか?」
「ふふっ」
ティアラとヨルの主従関係以上の信頼を感じるやり取りに、思わずフェリシアが笑い声を零す。だがすぐに「あ…」と声を発して口を塞ぐように手を当てた。
「すいません…」
「別に謝る必要は無いわ。それだけフェリシアが打ち解けてくれたという証左なのだもの」
口に手を当ててふふふと上品にティアラが笑う。辺境伯の娘という立場は常に悪意に晒される。その為ティアラは打算なく話し合える仲の友人などヨル以外持った事が無かった。
平民故にそう気軽な関係になる事は叶わずとも、せめて学園内では“友人”になれる事を願うティアラだった。




