27. 教師は気付かされる
次の日。とうとうティアラ達の本格的に授業が始まった。といっても特別な事はなく、最初の授業という事もあり内容は今後の進め方に関するものだった。
「―――という事で、もし今後も精霊学を受けたいのなら、後でこの教科書を受け取ってね」
ティアラ達の記念すべき最初の授業は精霊学だった。担当教師であるエレーナが壇上から教室中に声を通す。だが、その数は疎らで如何にこの科目の人気が無いのかがよく分かった。
精霊学は魔術学に通ずると言われているが、その繋がりは曖昧だ。太古の昔では精霊は人間の隣人、魔術の補助者などと呼ばれてはいるが、現代では姿を消した存在。それ故に魔術を扱う上で精霊から恩恵を得た経験をした者など居らず、精霊を理解し、精霊に祈れば魔術が使えるなど絵空事。それが一般常識として根付いている。
(正直言って面白くもない学問だからねぇ…)
それが分かっているとはいえ、教える立場であるエレーナとしての心境は複雑だ。単位の為だけにただ授業を受ける“だけ”の生徒に教える労力は、普通に授業を受ける生徒に教えるよりも何倍も精神的に労力が掛かる。しかし大半が前者である教室において一人、エレーナの目を引く存在がいた。
(ヨル、だったかしら)
自らの腐れ縁である友の娘。紅と蒼という珍しいオッドアイは、真剣な色を宿してエレーナの授業を見詰めていた。
何が彼女の興味を引いたのかは分からない。だがヨルの頭脳の優秀さをその身で実感していたエレーナは、その理由がなんであれ彼女の存在は精霊学に多少の影響を与えてくれるだろうと思った。
「何か質問があればどうぞ。授業に関する事でなくとも良いわよ」
そう口にすれば、たった一人だけ手を真っ直ぐに挙げる存在が居た。それを見て、やはりかとエレーナは頷き発言を許可すれば、ヨルが席から立ち上がって真っ直ぐ目線をエレーナへと向けた。
「授業の内容というより、精霊様に関する質問なのですがよろしいでしょうか」
「ええ構わないわ。ただ答えられるものは多くないわよ」
では、と一呼吸置き、ヨルが口を開く。
「―――精霊様は、“魔術”を扱ったのでしょうか」
「ええ、そうね」
「ならば精霊様は“人間”なのでしょうか」
「………」
魔術。それは人間以外の存在が扱う“魔法”を、人間が“扱える様にした物”だ。人間でないのならば、魔術を扱う必要が無い。となれば、何故精霊は“魔術を扱う”のか。
「そ、れは……」
無論エレーナも気付かなかった訳では無い。だが、“精霊が人間だ”という発想には至らなかった。精霊とは“そういうものだ”と思い込んでいたからだ。
“魔術”と“魔法”。その二つは似ているようでいて交わらない。魔術式が必要な“魔術”。想像だけで現象を引き起こす“魔法”。どちらが扱いやすいかなど一目瞭然だ。だが、精霊は魔法を扱わなかった。それは、何故か。
(扱わなかった……いや、扱えなかったのなら)
何故。どうして。その疑問がエレーナの中で尽きること無く湧き出てくる。思考の海に沈もうとするが、今自分が置かれている現状を思い出し、際限なく思考を続けるその頭を強制的に切り離す。
「……それは、大変興味深い話ですね」
「では、解明していないという事でしょうか」
「ええ、その発想に至らなかったわ。これは調べてみる価値がありそうね」
精霊が扱ったのは果たして魔術だったのか。それとも魔法だったのか。文献だけでそれを探る事は困難を極める。だが、今まで停滞していた精霊学が大きく動く事になるのは確かだとエレーナは思う。
「ごめんなさい、答える事が出来なくて」
「いえ、ありがとうございます」
礼を一つ返してヨルが席へと腰掛ける。すると丁度授業の終わりを知らせる鐘の音が鳴り響いた。
「今日はこれでお終い。今後も授業を受けるつもりなら、出る時に机に置いてある教科書を持って帰ってね」
その言葉を受けて座っていた生徒達が立ち上がり、教室に喧騒が生まれる。この中で教科書を持って帰る生徒は一体何人居るだろうか。だが今はそんな事を気に掛けるよりも、エレーナは早く自身の研究室に戻り文献を確かめたくて仕方がなかった。
もしヨルの仮説が正しいのであれば、人間は精霊に“至る”可能性がある。今まで冷ややかな目を向けられてきた精霊学が、やっと日の目を見られる。その期待にエレーナは胸を膨らませた。
「ありがとう、新しい考え方を教えてくれて」
エレーナは教科書を受け取って教室を去ろうとするヨルの後ろ姿にそう声を掛ける。それを受けてヨルが振り向くが、その表情には戸惑いが浮かんでいた。
「感謝される事でしたでしょうか…」
「ええ。精霊が魔術を扱っていたのは何故か。それは今まで盲点だったわ」
長く研究するほど思考が固まり、それが“違和感”である事そのものに気付かない。今まで深く関わらなかった者だからこそ感じる事が出来るその“違和感”を気付かせて貰える事は、エレーナにとって十分に感謝に値するものだった。
「……そうですか。ではこれで失礼します」
「ええ。是非今後もよろしくね」
退出の挨拶を返してヨルが教室の扉を開けて外に出れば、先に出ていたティアラがヨルを出迎えた。だが、出てきたヨルの表情は晴れず、思わず小首を傾げてしまう。
「どうしたの?」
「いえ、少し…」
ヨルにしては珍しく歯切れの悪いその言葉に、更にティアラは疑問符を浮かべる。
「何か授業で気になる所が?」
次の授業へ向かう為に移動しつつ、ティアラが笑顔でヨルを問い詰める。断じて珍しいヨルの態度が面白いからでは無い。……多分。
「気になる、と言えばそうなのかもしれません」
「どこが?」
「……“余計な事”を言ったな、と」
「余計な事?」
その言葉を聞いて授業を思い返すが、ヨルのあの質問が余計な事であるとは思えなかった。
「将来的に辿り着いたとしてそれが……いえ、何でもありません」
「えー」
問い詰めたいとは思ったが、これ以上聞いてもヨルは答えてくれないだろうと長年の付き合いでティアラは直感し、大人しくそれ以上の追求は控えた。
「……―――は、繰り返すべきではない、でしたか」
「何?」
「いえ、独り言です」




