9. 化物侍女は出迎える
ヨルが森に到着する、その少し前。明かりすら灯さず森を抜け、雨が降り頻る夜道を走る三つの影があった。
彼等は辺りを警戒しながらも確かな足取りで進み続け、やがて一つの廃屋に辿り着いた。
「流石に休みましょう」
三人の内、女性がそう口にすれば、付き従う様に二人の男が頷きを返す。一人が一足先に廃屋へと足を踏み入れ中を確認し、安全を確認した後、全員が中へと身体を滑り込ませた。その直後、誰からとも無くふぅ…と安堵の息を吐いた。
「シャーロット様、この後はどのように」
「今はただのシャルだと言っているでしょう、ローランド」
「…申し訳ありません」
ローランドと呼ばれた男が、頭を下げる。その様子に少し溜息をつきつつも、シャーロットが口を開く。
「一先ずは街を目指すわ。身分証が無い以上、簡単にはいかないでしょうけど…」
「そうですね…ベルク、道はちゃんと合っているのだろうな?」
強い眼差しを向けられ、ベルクと呼ばれた男が頷く。
「ここからそこまで遠くは無い。一人欠けたのは痛いが、問題は無いはず…」
そこで、ベルクが突然言葉を切り警戒する様に辺りを見渡した。その行動にローランドも腰の剣の柄に手を掛け、気配を殺す。
「素早い反応、お見事です」
何処からともなく、その場にそぐわぬ高い女性の声が響く。その瞬間、ローランドがぞわりとした感覚が背中を走った。彼の直感が確かに告げる。それは、恐怖だと。
「ご安心を。貴方方が抵抗しないのであれば、此方も危害を加える事はありませんので」
そう口にしながら、廃屋の崩れた入口から声の主が姿を現す。外套のフードを脱ぎ去れば、水気を吸った長い黒髪が闇に溶けた。
「…その言葉を、我々が素直に信じると?」
ローランドが油断無く剣には手を掛けたまま、警戒感を隠すこと無く硬い声を出す。しかし、ヨルの対応は一貫して変わらない。
「信じるも信じないも貴方方にお任せ致します。ただし、これは“お願い”では無く“警告”である事は、ご理解くださいますよう」
作られた冷たさを感じる笑みを張り付け、ヨルが重たい裾を摘み綺麗なカーテシーを返す。その自然な所作に、シャーロットは息を呑んだ。
「……従いましょう」
「シャル様!?」
「ここで争っても何も生まないわ。穏便に済ませられるのなら、どんな手でもいい」
「賢明な御判断、感謝致します。では私は迎えを用意して参りますので、この場でお待ち下さい。この雨の中、“お客様”をこれ以上濡らしてしまう訳にはいきませんので」
従者の礼を一つして、ヨルが廃屋を後にする。ベルクがその様子を、姿が見えなくなる最後まで強く睨み付ける様に見つめていた。
「ベルク。その様な目をしないように」
「……しかし、アレは底が知れません。追っ手の可能性も」
「それならば態々尋ねたりはしないでしょう。恐らくはここを警備している者です。そして、それならば話が早く進むかもしれません」
警備する人間ならば、その主がいる。シャーロットは、その主こそが自分が必要とする人物なのでは無いかと睨んでいた。
我が主であるシャーロットが決めた事に否は唱えられず、ベルクとローランドは仕方無く迎えとやらを待つ事にした。
◆ ◆ ◆
一度屋敷へと戻ったヨルが、キャロルに一連の流れを説明する。すると、キャロルが若干頭が痛そうに額を押さえた。
「報告は確認しました。馬車の使用を許可しましょう。ヨルが御者を務めて頂戴」
「かしこまりました。街の衛兵は如何致しますか?」
「衛兵?」
「はい。通常よりも警邏する数が多いように感じられたので、此度の侵入者を何らかの手段で察知し、探しているのかと」
「どうかしら…あちらはあちらで独自に動いているから、態々報告は来ないし…一先ずその件は此方で片付けます。いいわね?」
「はい。では行って参ります」
一礼を返して、ヨルが裏手の馬車置き場へと歩みを進める。
ヨルが勤めるこの屋敷には、用途に応じて複数の馬車が存在している。その中でも、“お客様用”の馬車が今回の目的に最も適した馬車だ。複数人がゆったりと過ごせるだけの広さを誇り、“荷物”を多く積載出来る事が特徴の大型の馬車である。
今回は乗せる人数が三人、“荷物”が一つと多くはないので、厩舎から馬を二頭連れ出して馬車に繋ぐ。御者台に乗り込み手網を握れば、ゆっくりと馬車が動き出す。雨は大分小雨になり、空は白み出している。
「……また、寝不足になりそうです」
夜の仕事を任せられる事の多いヨルにとって、寝不足になるのは最早日常である。なので、今更眠いという感覚は持たない。だが、それでも義務は成る可く守りたい、というのがヨルの心情だ。
まぁ仕方無いものは仕方無いと思い直し、今の仕事に集中する。
中が無い為軽い馬車の音がカラカラと薄暗い夜に響き、街中を進む。するとその時、馬車を呼び止める声がヨルの耳に届いた。手網を引き馬車を止めると、ガシャガシャと金属が擦れる音が馬車の後ろから響いた。
「失礼。この様な夜更けに馬車とは、何用かと思いまして」
そう御者席に座るヨルに声を掛けたのは、街を警邏する衛兵だった。未だ陽も昇らぬ時間帯に動く馬車はほぼいない。衛兵に怪しまれて当然だとヨルも思う。
「“お客様”のお出迎えに参るところです」
「この時間に、ですか?」
「はい、少々あちらで不手際があった様でして、急遽走らせておりました」
「成程。身分証は御座いますか?」
「こちらです」
ヨルが懐から取り出したのは、1枚のカード。そこには『ヨル・カーティス』という青い文字と、この地の領主、カーナモン辺境伯の家紋が記されていた。それを見て、衛兵の顔に僅かな驚愕の色が浮かぶ。身分証は偽造する事が出来ず、所持者と魔力で繋がっている為盗まれる事も無い。故に、衛兵が疑う余地は無かった。
「領主様の馬車でしたか。失礼致しました」
「いえ。もう行ってよろしいでしょうか? “お客様”をお待たせしておりますので」
「はい。お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。お気をつけて」
深く頭を下げる衛兵にヨルも軽く頭を下げ、もう一度馬車を走らせ始めた。