第13話 遠い青い春の日のおっぱい その2
彼女は時々こういうよくわからないことを口にするので困る。良く言えば意味深ともとれるのだが……。まだ少し肌寒い春風が僕たち二人の間を吹き抜けていった。
「おっとすまん、めでたい場でいつもの悪い癖が出てしまった。こういう水を差すような真似は良くないな。4月からはいよいよ念願の医学生になるのだしな」
彼女は右手に持っていた卒業証書の入った筒でコツンと自らの頭を叩いた。反省のつもりか?
「しかし凄いですね、先輩! 初志貫徹してあの難関大学に一発で入るとは! やっぱり動機が立派な人は違いますね。僕なんか、親が産婦人科を経営しているから、それを継ぐためだけに勉強しているようなものなのに……」
「ハハ、君の真の目的は違うだろう。おっぱいを存分に揉みたいだけじゃないのか? このおっぱい星人め」
「ど、どうしてそれを!?」
「やっぱりそうか。わからいでか! 君はいっつも私のこの豊満な胸にしか視線を注いでいないではないか」
「しまった、誘導尋問に引っ掛かったぁ! ダ〇ラム一生の不覚!」
僕は思わず天を仰いでよくわからない台詞を叫んだ。
「まあ、そう落ち込むな胸広君。君が万が一、見事に夢を叶え医者になった暁には、記念にひと揉みくらいさせてやらんこともないぞ」
「ええっ、い、今何とおっしゃいました!?」
さっきの証書の筒先がいつの間にかセーラー服の胸元を指し示していたので、僕は口から内臓が全部飛び出しそうになった。
「ハハ、まずは私と同じ医大生になることだな。まだまだ道のりは遠く険しいぞ。この荊棘の道を這い上がってこい。ではまたな、胸広君」
「はいっ! 頑張りまくります! 先輩もお元気で!」
それが僕が彼女と交わした最後の会話だった。
※ ※ ※
(何故今まで気がつかなかったんだろう……魔王は能登川先輩にそっくりじゃないか!)
僕は桜吹雪の幻想の中、自分の愚かさを罵った。頭の中で魔王の頭から4本の角を抜き取り、流れるような銀髪を黒く染め、金眼を黒瞳に置き換えれば、正しく先輩のかんばせと瓜二つになるのだ。自分の身の上に起こった奇怪極まる出来事の受け入れに手間取っていたため、そこまで気が回らなかったせいもあるだろうが、長年の想い人に対してあまりにも失礼過ぎる。僕は自分が薄情な人非人にでも成り果てたような錯覚に陥り、吐き気がした。機械なので吐けないけれど。
あの春の日の後、高校を卒業して彼女とは別の大学に入った僕は、ついに再会することは叶わなかった。風の噂では大学でも優秀だった先輩は一年前に医者になったと聞くが、今更「約束です先輩、僕もようやく医師デビューしたのでおっぱい揉ませてください!」と訪ねるわけにもいかず、っていうか会いに行く勇気も持ち合わせておらず、日々の忙しさにかまけてズルズルと問題を先送りにしていたら、このような緊急事態と相成ってしまった。これではどれだけ祈ろうがもはや一生涯巡り会うことは不可能だろう。「かすみを隔てて花を見る」のことわざ通り、今や夜桜に変わって満開となったピンク色の花の姿が徐々におぼろげになっていく。自分と先輩の縁も、かすみに千鳥といったところか。
(てかこの桜って実際に見ているわけじゃないよな。一体どうなっているんだ!?)
俺は自分の記憶の中で頭を抱えた。