第115話 さよならおっぱい その8
扉の隙間から入り込む夜風が魔王の銀髪を優しく撫でる。揺れた毛先が僕の身体を刺激して、まるで背の高い草が生い茂った夏の野原の中を歩いているような錯覚にとらわれた。
「ま、妹は妹で含むところがありそうだが、そんなことは知ったことではないし、我だってあんな半端者にいつまでも玉座を預けておくわけにはいかぬ。注意すべきはカヌマの魔法封じだけだが、あやつ最近歳のせいか夜が早いから、今の時間帯は眠りこけている可能性が高い。よって今から我は単騎で特攻をかける」
【……!】
魔王の僕をハグする腕に力が入る。まるで戦争に出かける前の恋人たちが別れの直前に固く抱き合うように、
「我を信じろ、ムネスケ。何事も万事うまくいく。どうせすぐに戻ってくるのだから、大人しくここで待っているがよい。我が帰ってきた暁には、今度は人間の姿で同じことをしようぞ。そういえば、先日のモーラスに勝った後に胸を揉ませてやる約束もまだだったな。どうもすまない。今夜はちょっと忙しいので、実行はその時まで取っておくぞ!」
【……!】
魔王の慈母のように優しく愛情あふれる言葉に、僕は息がつまりかけた。もし自分に涙を流す機能がついていたとしたら、きっと破れた水道管状態となっていたに違いない。
「おっと、話が長くなってすまなかったな。では、いつまでもぐずぐずいると決心が鈍りそうだから、そろそろさようならだ。ムネスケよ、我は本当にそなたのことが愛おしくてたまらんのだ。これは嘘偽りなき真実だぞ」
【……!】
僕から名残惜しそうに肌を引き剥がした魔王が、哀切的な音色で僕に告白する。今日は衝撃的な真事実が続々と暴露されたが、その中でも破壊力は最大級で、天地が逆転しそうになった。
「以前にも言ったがそなたは難問奇問を次々と持ち前の知識と機転とで解決し、その度に我を驚かせ、感心させてきた。我はそなたほど賢く、献身的で、逆境に打ち勝つ強い心を持った者を見たことはない。更に、我の魔王という立場上、我に対する態度は皆どこかしら微妙に距離を置いたり遠慮したものがほとんどであった。しかし異世界から来たそなたは我への遠慮という者が微塵もなく、対等に接してくれた。だから……とても嬉しかったのだよ。大好きだ」
最後の言葉は恥ずかしさのためかほぼ囁きとなって聞こえなかったが、僕の心には永遠に刻まれた。