二十年以上前に書かれた『若者が読むべき本35選』という本の問わず語り
私がこの図書館に来て、二十年が過ぎている。
それにもかかわらず、私は処分されもせず、書庫送りにもならず、利用者の目に付きやすい書架に並べられたままでいる。
私にとって、それが幸せな事か、不幸な事か、それは分からない。
少なくともこの三か月、この図書館の職員以外で私の事を手に取った人間はいないからだ。
自己紹介が遅れたが、私は一冊の本である。
私のタイトルは『若者が読むべき本35選』だ。
何とも説教臭そうな本だな、と思っただろうか。
実際それはその通りである。
出版当時の各分野の著名人が、一人一冊ずつ若者が読むべきだと思う本を紹介していくという内容の本である。
説教臭くならない訳がないのだ。
私がこの図書館に来たばかりの時には、それなりに借り手もついた。
しかし、この手の本は次から次へと世に出て来るもののようで、後から似たような本が図書館に入ってくると、私が借りられることは少なくなっていった。
さらに、五年、十年と時間が経つと、社会の方もだいぶ様変わりしてくる。
掲載されている『読むべき本』の内容と、社会のニーズがずれてくると、なおさら私は借りられないようになっていった。
言いかえれば、私が時代遅れの本になってしまったという事だ。
ましてやこのご時世、私のような『本を紹介する本』の存在価値は高くないと言わざるを得ないだろう。
なぜなら、私が世に出た時と比べて、インターネットをはじめとする情報技術は目まぐるしい発展をとげているからだ。
私のような本を借りるよりも、スマートフォンで『若いうちに読むべき本』とでも検索した方が、はるかに多くのためになる本に出会えるチャンスがあるというものだろう。
私自身は、何かを訴えたり、読者を感動させたりするような本では決してなく、ただ情報を伝えるためだけの本に過ぎないのだから。
ネット検索に勝てるような存在ではないのだ。
誰の手にも取られずに、ただただ時間が過ぎるのを待っていると、色々と余計な事を考えてしまう。
そもそも私のタイトル『若者が読むべき本35選』が指している若者とは、誰の事なのだろうか。
今の時代の若者は、その対象に含まれるのだろうか。
確かに、いつの時代の若者にも読まれるべき本というのはあるかもしれないが、もしそういう本が35選の中に含まれているのであれば私は今でも借り手がついているはずだ。
そう考えて、改めて自分が時代遅れの存在なのだという事実に思い至る。
だとすればせめて、私が生み出されたころの若者に対しては、何らかの役に立てたのであろうか。
当時の若者は、すでに四十がらみの中年になっている。
彼らは本当に、当時出版に関わった大人たちが望むような存在に成長しているのだろうか。
いずれにせよ、自分は人々に借りられたりして、誰かの人生に何か大きな影響を与えたという実感がないまま、今日に至っている。
あまりこういう考え方をするのは良くないと分かっているが、書物としての自分のありようを嘆いてしまう時はある。
後はただ処分されるのを待つだけなのではないか、と思わずにはいられない。
そんな風に考えていると、父親と息子と思しき二人連れが、私の目の前で足を止めた。
父親の方は、四十前後というところであろうか。
息子の方は、小学校高学年といった出で立ちである。
手ぶらの父親とは違い、既に何冊か本を抱えている。
二人を観察していると、父親がおもむろに私の方に手を伸ばしてきた。
「おお、間違いない。2000年に出版された本だったのか」
「父さん、その本がどうしたの?」
父親は、私のページをぱらぱらとめくっている。
三か月ぶりに人の手に取られたという事実に、私は少なからぬ驚きを感じていた。
「高校生のころ、この本を借りて読んだことがあるんだよ。何となくだが、父さんが借りたのと同じなんじゃないかな?」
息子にそう語りかける父親の言葉に、私は記憶を呼び起こされる気がした。
確かに、この図書館に来てしばらくしたころ、高校生男子に借りられた事はあったからだ。
その高校生の面影が、どことなくこの父親にあるような気がする。
「色んな本が紹介されているけどな、父さんが気に入っているのはこれなんだ」
そう言って、父親はとあるページを息子に見せた。
それは、戦前に活躍した小説家の著作が紹介されているページだった。
「……父さんは、そこに書かれている本が好きなの?」
息子は、その本のタイトルを見て、けげんそうな顔を見せた。
「そうだぞ。努力の価値についてまとめてある本で、とてもいい事が書いてあると当時は思ったものだ」
「でも、努力って……なんか必死っぽくてダサいじゃん」
そう言い捨てる息子に、父親はさらに続けた。
「ダサい、か。じゃあ直樹は、何で努力はダサいと感じるんだ?」
「そりゃ、なんか『こんなに努力しているのに!』とか『努力しているのに成功しないなんて!』とかってのが、なんかバカバカしいと思わない?」
息子の言葉を聞くと、父親は少し考えてからこう切り出した。
「直樹。努力っていうのは『努力している』『努力するぞ』と思って何か嫌な事や難しい事をやるような事だと思っているのか?」
「だって、努力ってそういうものでしょ?」
「違うんだ。少なくとも、この本ではもう少し違う努力のあり方を説明してくれているんだ」
父親は私を片手に持ったまま、息子に語りかけた。
「例えばだ。草や木は、努力して成長していると思うか?」
「それは……そうなのかもしれないけど、ちょっと努力とは違うというか……」
「そうだな。言ってみれば、草や木はウンウンとうなるような努力をして大きくなるのではない。のびのびと大きくなっていくものだ」
そう言ってから、父親は一呼吸を置いてさらに語りかける。
「人間の努力も、同じようなものだ。無理して我慢してやるのだけが努力ではない。自分の力をのびのびと発揮する事が、自ずから本当の努力というものになる。そういう努力のとらえ方があってもいいんじゃないか?」
「自分の力をのびのびと発揮する、努力……?」
「お前の『直樹』という名前も、大きな樹がまっすぐ大きく育つように、自分の力を発揮できればと思って付けているんだ。この本を読んで、父さんはそういう気付きを得る事が出来た」
そんな事を話し終わると、父親は私を書架に戻し、息子の方に向き合った。
「今は何でも、調べようと思えばスマホで調べられる時代だ。だが、何を調べたいのか、何に悩んでいるのか、それ自体が分からない時もある。昔の父さんも、それで何となく図書館に来たんだ」
息子の顔を真っすぐ見ながら、父親は続ける。
「きっと当時の父さんは、努力することについて悩んでいたんだろう。そこで偶然この本を見つけて、偶然さっきのページを開いた。そして、さっきの本の存在を知って、『自分の力をのびのびと発揮する事が本当の努力につながる』という事に気が付いた。少なくとも、父さんはそう思っている」
父親の言葉に、息子は小さくうなずいた。
「直樹に言っておきたい。気づきは偶然に得られるものかもしれないが、それは間違いなく人生において大切なものになる。お前にもその事を学んでほしい」
結局、二人はその場を立ち去ってしまい、私が借りられることは無かった。
しかし、私の気持ちは不思議と晴れがましかった。
少なくとも、自分が誰にも影響を与えたりはしていない、と考えるのはよそう。
ただ情報を伝えるためだけの存在であったとしても、誰かのためになる事は出来ていたのかもしれないのだから。
そう考えるだけの心の余裕は得られたように感じられた。