第百七十九話 精霊姫の真実
「な、何が…」
炎恨が驚いたように声を出す。逆走した炎は曲がりくねり、炎恨の心臓を貫き血潮をまき散らす。
「炎恨、運が悪かったね。オベイロンがアテナを選んでいなければ恐らくあなたは殺すことができてたのに。」
溺結さんがうつ伏せのまま言う。いつの間にか目を覚ましたのだろうか。
「な、なにを言っているんだ。運が悪かったって、どういうことだい?」
「アテナが…その娘がどれほどラーザにとって特別な存在かということをあなたは知らなかった。魂が手を下すことを拒むくらいにね。」
溺結さんは最後の力を振り絞るかのように右手を伸ばし、白い呪力を炎恨に飛ばす。
「ბეჭედი」
短く、そう呪言を唱える。その瞬間炎恨は突然苦しみだす。これまでどのような傷を負っても表情一つ変えなかった怪物は声も出せないほどもがいた後に、目を閉じてその場に倒れこんだ。
「魂の守りに綻びが生じてたから。今炎恨の意識を封印した。あとはラーザの意識が昇ってくるのを待つだけだよ。」
溺結さんがそう言うともう一度意識を手放した。いつの間にか私を取り囲んでいた紫色の炎もなくなっている。念のため自分とラーザ君の体に治癒を施していると、ラーザ君から「うっ」という声が漏れた。
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ここは、どこだろうか。俺の体がどこかに寝ていることはわかるが、床のこの硬い感触は覚えがない。
「うっ…」
突然頭の中に記憶が流れ込んできた。その始まりは俺の体をサラマンダーの炎が貫いているのを見るところからだ。そして俺は…
「ラーザ君!大丈夫?」
アテナの声が聞こえてくる。俺は目を開けて起き上がる。目の前には大粒の涙がたまっている紅の瞳が見える。
「ああ、心配ない。迷惑かけたな。」
そう言って俺が立ち上がろうとすると、アテナが突然俺にしがみついてくる。突然のことで反応ができずにいると、
「迷惑とか、確かにたくさん掛かったけどね。それ以上に怖かったんだよ。」
「怖かったって、何が?」
俺はそう聞き返すが、アテナはなかなか反応してくれない。仕方ないので俺はアテナの背中に右手をまわし、左手でアテナの髪を梳る。しばらくそうしているとようやく俺を解放してくれた。
「本当に炎恨はもう出てこないんだろうね?」
シャラルを攫った精霊、オベイロンが俺の前まで来る。その目はまだ懐疑的だ。
「ああ、もうあんな間違いはしないよ。それより、早いとこシャラルを返してもらえないか。」
奥の方で泡に入った眠ったままのシャラルを指さす。オベイロンはそれには反応せず、肩をすくめるばかりだ。
【ラーザ、おそらくこいつは何かを隠している。まずはそれを問いただすのが先決だ。】
骨喰がそう言うが、確かに炎恨も同じことを考えていたな。こいつの記憶の中には常にかすかな疑問があった。
「お前その、なんだ。もう一体の神霊はどこにいるんだ?神級怨霊が2体いるんだ。それに相当する2体の神霊、お前が精霊王なら精霊姫が必要じゃないのか?」
オベイロンは、そこに気づいたか、という表情を浮かべる。うん、顔に出やすいタイプなんだな、こいつ。
「…そこにいるよ。」
オベイロンは少し黙りこくった後シャラルがいる方を指さす。しかしその方向にはシャラルしかおらず、どう目を凝らしても精霊の姿なんて見えない。
「あの、そこにいるのはシャラルであって精霊じゃないぞ。」
「だからそうだと言ってるじゃないか!」
オベイロンが突然大声で言う。俺はこいつの逆鱗のどこかに触れてしまったかと考え直すが、どこも見当たらない。しかしそこである可能性を見つけ出す。
「まさか、そういうこと…なのか?」
「ああ、そうだよ。君も、多分人間のお偉いさんも気づいているはずだ。その娘、シャラルが純粋な人間ではないということを。」
それは薄々感づいていた。なぜならシャラルは明らかに術式が得意じゃなさすぎる。それはまるで何か全く別の力を長年使って来たかのように的外れなミスばかりなのだ。そして投獄中に語った両親から突然火が出たという話。
「10年くらい前かな。僕の愛する王妃が、精霊姫ティターニアが突然姿を消したんだ。文字通り僕の目の前でね。痕跡からして人間の魂に捕えられたんじゃないかってことになった。」
「待ってくれ。人間の魂に捕えられたってなんだよ。そんなことがあるのか?」
「最近はめったに起きなかったけど3000年くらい前までは頻繁に起こってたんだ。ルカの魂が生まれる瞬間に精霊を引っ張っていくんだ。まあそうやってしか現との交信を取れないから、僕は容認してたんだけど、今回は事情が違うだろう。」
神霊である精霊姫ティターニアすらもその被害にあることあるのか。そんなものに巻き込まれてはひとたまりもないだろう。
「必死になって探したよ。それで見つけた。人間領にいたんだ。だから精霊で人間のスパイを作って、ここまで連れてくるように仕向けたんだ。」
なるほど、ここにシャラルが来ることも、すべてが予定通りだったってことか。
【話を聞く限りそこまで急ぐ必要もなかったのではないか?いづれシャラルが死ねばティターニアは霊層に戻るはずだ。】
「それじゃ遅いんだ。僕の権能だけじゃこの霊層を支えることはできない。僕とティターニアは2人で一つの権能なんだよ。」
何かしらの訳があるのだろうか。精霊にとって人間の寿命というのは一瞬で過ぎ去るもののはずだが、それすらも待てない何かが。
「まあそれはわかった。でもこっちとしてもハイハイそうですかってシャラルを渡すの無理だな。それに俺はここまで曲がりなりにも試験をクリアしてきたんだ。返してもらうぞ。」
「だが君は炎恨の力を借りて試験をクリアしたじゃないか。それじゃ認められない。」
なんだこいつ、往生際が悪いな。しかしまあ俺も正直後ろめたい気持ちがないわけではないので、一応話に乗ってやる。
「で、何をすればいいんだ?言っとくけどもう戦闘系は無理だぜ。」
パチン
オベイロンは返答の代わりに指を鳴らして俺を別空間に移動させた。何もない、真っ白な空間だ。
「君はここで一体の疑似精霊を倒してもらう。でも安心して。その精霊は戦闘能力は皆無だから。」
上の方からオベイロンの声が聞こえてくる。俺が前を向くと、目の前に黒い球が出現した。
「この試験は君の意志の強さを測る試験だ。」