第百七十話 魔法の大精霊
「遅かったね。私が見立てたよりも強かったのかな。」
「まあな、強かったよ。」
ラーザ君は腕を失い、倒れている赤い精霊の方を向く。その姿に気づいた紫の精霊は驚きの表情を見せる。まさか相方が負けるとは思っていなかったのだろう。
「じゃあ、そろそろこっちも終わりにしようか。」
「く、こちらに近づくな!」
紫の精霊はそう言い放ち掌から魔法を放つ。その魔法は4つに分裂し、一つ一つが複雑な軌道を描き、溺結さんに迫るが、当たる直前ですべての動きが止まってしまう。恐らく周りの魔法もそのようにしてできたものだろう。
「うーん、もうそれにも飽きてきたよ。もっと他のはないの?」
「こ、姑息な…そうすることでしか私に勝てない卑怯者め!」
「何が卑怯なのか全然わかんないな。でも確かにこれは面白くないよね。じゃあ、これ解除してあげるね。これでいい?」
解除、というのは今周りに展開されている無数の魔法を縛っている溺結さんの呪いを解くということだろうか。しかしそんなことすれば溺結さんもただでは済まないだろう。
「はい、3、2、1…」
周りに浮かんでいる魔法が少しずつ震えだす。今にも動きたしそうな気配がしている。
「0」
同時に溺結さんは立てていた人差し指を折る。その瞬間、魔法が一斉に動き出し、溺結さんの方へと向かう。直後、大地を揺るがすほどの轟音。私が展開する結界があったとしても防ぎきれるかは怪しい位の威力だ。
「ふ、ふははは!馬鹿な怨霊め。ずっとそのままにしていれば勝っていただろうに。まあ良い。あとはあの小僧をいたぶって…」
魔法の大精霊は勝ちを確信したのか、煙に背を向け、ラーザ君の方を向く。彼はまだ赤い精霊の体を見続けている。何か思うところでもあるのだろうか。
「誰が馬鹿な怨霊だって?」
煙の中から声が聞こえてくる。その声を聞いた瞬間、紫の精霊は動きを止める。振り向くとそこには多少傷ついているが五体満足の溺結さんが立っていた。
「な、なぜ…どうして…」
「どうしてって…私の体は丈夫だからね。あんなのじゃ死なないよ。それでもまあ私の呪体にこれほどの傷ををつけたこと、褒めてあげてもいいよ。」
優しい声でそう言いながら溺結さんは一歩ずつ近づいていく。紫の精霊は杖を突いたまま足を震わせて動けない。
「大丈夫?逃げた方がいいんじゃない。私は今何もしてないよ。」
溺結さんは縛る怨霊だ。何かの呪いで動いていないものだと思っていたが、そうではないらしい。だとすればあの精霊が感じているのは恐怖、ということだろうか。
「来るな!」
溺結さんに向けて魔法が放たれるが、それは右手て少し払うだけで打ち消される。【スクリーン】越しでも確認できるほどその右手に呪力が凝縮している。
「怨霊の体は呪力で作られているのは知ってるよね。普段は体全体に維持できるくらいの呪力を流し込んで呪体を作ってるんだけど、呪力を流し込めば流し込むほど呪体も強くなるんだよ。人間でいうところの【エンハンス】みたいなものだよ。でもまあ【エンハンス】みたいに効率的に体を強化できるわけじゃないけど、一時的ならこれくらいできるんだ。」
先ほどの魔法の同時攻撃もそのようにして耐えたのだろう。溺結さんはいつの間にか紫の精霊のすぐ足元まで来ていた。身長差は結構あり、溺結さんは大きく見上げている。
「例えば、こんなこともできるんだ。」
そう言うと精霊の腰を右手でつかむ。そのまま右手に力を入れる。
「ぐ、ぐあああ」
精霊は痛みに耐えかねたのだろう、辛そうな声を上げる。しかしその声でさらに興が乗ったのか、満面の笑みでさらに力を籠める。
「ねえねえ、今どんな感じがするの?私、こうするのも久しぶりなんだ。どうしたら痛いとか、どうしたら辛いとかそういうの全部教えてよ。後学のためにさ。」
そう言うと、くしゃり、と精霊の体から何かがつぶれるような音がする。そう、ついに溺結さんにより腰の一部が抉られたのだ。
「うっ、」
周りの生徒の一部から聞こえてきた。確かにこれは見ていて気持ちのいいものじゃない。実際男子生徒の中にも目を背けているものが多い。しかし私たちを連れてきたあの精霊だけはずっと【スクリーン】を見続けている。
「や、やめてくれ!」
紫の精霊はついに逃げなくてはという本能が恐怖心に打ち勝ったのだろう。大きく飛び上がり、魔法陣が展開される。雰囲気から察するに空間魔法系、転移魔法だろうか。
「だーめ、せっかく面白くなったんだから。」
溺結さんが右手を紫の精霊の方に向けるとその動きはピタ、と止まる。表情も一切動かない。魔法陣はそのまま消え失せる。
「はい、こっちに来ようね。」
溺結さんが何かを引っ張るようなしぐさをすると、空中にいた精霊がどんどん溺結さんの方へと引き寄せられる。そのまま精霊の首元を溺結さんの頭の方へを近づける。そして両手を首にかけ、にこりと笑う。
「じゃあ、行こうか。」
私は咄嗟に【スクリーン】から目を離す。この先の展開が目に見えたからだ。あの精霊の首が飛ぶのだろう。そんなの見たくない。
「溺結、そこまでだ。」
青年の声が聞こえたのは、その時だった。私は【スクリーン】へと目を戻した。
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本当に少し放置していたら困り者だな。まあ倫理観が少し欠如している怨霊だから仕方がない。
「ええ、今からが一番楽しいところなのに。」
俺は溺結が持っている精霊に目を向ける。すでに恐怖で失神してしまっている。
【そうだぞラーザ、今からが見ごたえのあるのだぞ。】
だめだ、こいつら共々人の心がない…というか人じゃないのか。
「まあいい、あれを見ろ。」
俺は空を指さす。溺結も骨喰もきょとん、としている。
「あれ、多分アレス・アカデミアの奴らが観察してるからな。変な真似すんなよ。それに急ぐ理由もあるしな。」
俺はそのまま目的地、黒い尖塔に向かって歩き出す。溺結も名残惜しそうにその手を放しついてくる。
「そうだね。早くシャラルちゃんを助けてあげないと。」
俺たちはあの精霊たちを放置して森林を歩き続ける。まあすぐによくなるだろ。