第百六十七話 霊層
「ここが霊層か。」
裂け目を抜けた先には全然違う景色が広がっていた。聞いていた通り空の色は淡く、見たことの無い生物も飛んでいた。どこかの森の中らしいが、周りに生えている植物も知らないものばかりだった。
「これからどうするんですか?」
俺はルイスに質問する。今この場での指揮官はルイスだ。しかしルイスからの返答はなく、難しい顔をしている。恐らく今この状況でどうするべきかを考えているのだろう。
「まずはたくさん精霊がいるところに行くべきだと思う。」
そう声を上げたのは溺結だ。皆の視線が一気に集まる。
「精霊は怨霊と違って現の者を見境なしに襲ってくるほど野蛮じゃない。それに怨霊は数がとても多いけど、精霊は数が少ないの。霊層といってもすぐに見つかると思わない方がいい。だからまずは精霊がたくさんいる場所を見つけて…」
「なるほど、それは賢明な判断だ。」
皆の顔に緊張が走る。なぜなら今の声の主は俺たちの中にいないからだ。声がした方を見ると、そこには人の形をした精霊が立っていた。青年風で髪は緑、頭には山羊の角が生えておりフサフサしている白い尾もある。
「おっと、驚かせるつもりはなかったんだ。まあ落ち着いてよ。」
敵意はないのか?その剽軽な態度の裏には何かがありそうだが、今は話を聞こう。
「君たちがさっき裂け目を通ったの?やめてよねぇ、勝手にこの場所に足を踏み入れるの。というかミレミアは何をやってるんだ。」
「すみませんね、どうしても好奇心を抑えきれずに。ミレミアさん、でしたか。あの守り手を強引に押しのけて入ってきてしまいました。」
ルイスが言う。精霊はルイスの顔をじっと見つめている。待てよ、この精霊が嘘を見抜く力とか持ってたらばれてしまうのでは?
「ふぅ~ん、まあいいや。そういうことにしといてあげよう。まあ勝手に入ってきたことは不問にしてあげる。言っておくけどこれは特別待遇だからね。次はもうないよ。」
何やら怪しい雰囲気だが、何とかお咎めなしといったところか。
「特別待遇?それはどうしてでしょうか。」
「もしかして君たちわざとじゃないの?それはそれで奇跡だよ。」
精霊はそう言うと、少し口角を上げる。その瞬間地面から轟音が鳴り響き、大地が揺れだす。
「だってまさか彼女をここまで連れてきてくれるなんて!」
「シャラル、危ない!」
溺結が声を上げる。俺はその声を聞いた瞬間、シャラルを突き飛ばし骨喰に手をかける。直後、俺の足元から巨大な樹木が生えてくる。俺をものすごい勢いで取り囲んだ樹木は溺結の呪いで動かなくなる。
「呪力斬」
樹木に囲まれ剣を振れなくなった俺は呪力斬で木を斬り脱出する。斬った樹木はその場で塵となって空に消えていった。
「へぇ、なかなかやるなぁ。それにしてもその力…醜悪な呪いの力か。」
「感想を言う前に行動の説明をしてくれるかな。」
俺は精霊をもう一度見る。こいつは先ほどまで何の悪意もなかった。いや、今もない、といった方が賢明かもしれない。俺は2000年も生きてきたのだ。悪意の一つや二つはすぐに見抜ける。
「はは、面白いことを言うね。少し助言をしよう。君は…いや君たちは少し油断のしすぎだ。だからすぐに足元をすくわれるんだよ。」
俺はその言葉を聞いて後ろを、シャラルのいる方を振り返る。シャラルはいつの間にか透明な泡の中に閉じ込められている。必死に何かを叫んでいるようだがその声が外まで届くことはない。
「お前…今解放してくれるのであれば、まだ情状酌量の余地はあるぜ。」
「はは、何を言っているんだい?僕は君たちなんかよりも強いんだよ。なんで譲る必要があるんだい?」
「へえ、じゃあ力比べと行くか?」
俺は鞘にしまっていた骨喰に再度手をかける。溺結も臨戦態勢だ。
「まあそれも面白いかもしれないけど、今はやめといたほうがいい。この子がどうなるかわかったもんじゃないからね。」
精霊が手をかざすと、シャラルを閉じ込めていた泡が宙に浮かび精霊の前まで来る。いわゆる人質という奴だ。泡の中にはいつのまにか液体のようなものが詰まっており、シャラルはそこで気を失っている。いや、寝ているといった方がいいかもしれない。
「安心してくれ。この子は悪いようにしない。だからこのまま裂け目を通って現に戻るといい。」
「そう言われて引き下がると思うのか?」
精霊は肩をくすめる。
「全然。僕としても君たちを迎えてあげたいとは思ってるんだけどね。でもなんだかよくないものが3つほどあるから。」
よくないものが3つ、先ほども少し言っていたが、呪いの話だろう。溺結、骨喰、そして俺の魂の中の炎恨でちょうど3つだ。
「じゃあ俺たちがついて行かなければ迎えてくれるのか?」
「もちろん、僕が直々に案内してあげられるよ。だって久々のお客さんだよ。まあ無許可って言うのはよくないけど。で、どうする?」
俺はアレス・アカデミア一行の方を見る。全員が少し不安そうな表情を浮かべている。そんな中、アテナと目が合う。俺とアテナはお互いにうなずきあって確認をする。シャラルのことは少しの間任せてもいいだろう。アルケニーにアテナの服に忍んでおくように指示する。アルケニーは極小の大きさになりアテナの服にもぐりこむ。
「直々にってことは…俺たちも自力で行けばいいのか?」
「もちろん、そういうことだ。でも行く当てもなく彷徨うのはかえって危険じゃないか?」
確かにそれはそうだ。こいつらがどこか行った後俺たちはこの広い霊層を探し回らなくてはいけない。俺が考えていると精霊がパチン、指を鳴らした。
「そうだ!君たちに目的地だけ教えてあげよう。そこまで辿り着けたら、そこでこの子を賭けた戦い、それでどうだい?」
俺からすればその要求を呑むしかないだろう。俺は肯定の意味で首を縦に振る。
「じゃあ、交渉成立っ!みんな、行くよ。」
周囲が突然光に包まれる。眩しくて目を閉じてしまう。俺が目を開けると、もうそこには俺と溺結、骨喰しか残っていなかった。