大神島
大神島
1992年4月下旬、マウンテンバイクに乗ったぼくとジャック氏(川上部長)とは沖縄県宮古島の島尻という波止場にいた。ふたりは東京の会社の同僚で、思い切った長期休暇を取り、のんびり宮古の島々をサイクリング中だった。ジャック部長は五十歳、ぼくは四十二歳の熟年コンビだ。この旅ではもう一人若き同行者がいたが、友達の結婚式に島から直行した。
我々は宮古島の離島の一つ大神島に渡るべく宮古島北部の波止場島尻で船を待っている。
九日前に宮古空港に到着し、宮古島を巡り、すでにその四つの離島には渡っていた。あと一つ残った離島が大神島で、宮古諸島の中でも最も小さく周囲約二キロ、人口八十人余りだ。
小さな島の宿命的悲劇はこの島をも通り過ぎなかった。海の賊によって幾度も襲われ、そのたびに絶滅寸前の危機に瀕した。そして昭和10年頃に「東経125度線上の東シナ海の珊瑚礁の島にキッドの財宝が埋めてある」という文書が発見され、たちまち海賊キッドの宝が埋められている島だと騒がれ世界的に有名になり、こんどは大勢の陸賊が訪れた。むやみやたらと歩き回る者たちによって島の聖なる風葬の跡などが荒らされ、島の人々は外部から来る人を嫌悪するようになった。結局、宝が発見されたという記録はない。
船を待っていると細雨が降ってきた。そんなに遠くない大神島は雨のオブラートの向こうに肉眼でもだいたいの様子がうかがえた。高い山はなく、すぐに登れそうな高台がある。島のほとんどが緑に囲まれており、白い大きな建物が一つひときわ目立っている。それはあとで小中学校の校舎とわかる。
やがて島から小型高速艇がやってきて数人の客を下ろした。しかし船はぼくらを無視して出るそぶりをしている。
こちらは乗るそぶりをして自転車を押して船に近づいた。それなのに船はぼくらを無視して岸から離れた。
「あ、乗せて!」と言うと、すでに降りた男性客が船に向かって、「おい、この人らを乗せてやれよ」と言ってくれた。すぐに船が戻ってきたことからして、この人は島の名士らしかった。
自転車をかかえて船に乗ろうとするぼくらにこの人は、1時間いたら次の船で戻るように、と言った。
15分くらいで船は大神島に着き、船長はぼくらに島では石が積んであるところに登るな、それから野生化した大猫に気をつけろ、と忠告した。
テントを張る場所を見つけるために島を時計方向に浜沿いに歩いてみた。するとすぐに石が積み上げられてできた高さ七八メートル位の小山にでくわした。
何の掲示もないし採石場などで見るものと大して変わらないので知らない人は特別のものとは思わないだろう。しかしこれを登ってはいけないのだ。かつてはこの上で風葬がなされたのだから。
さらに行くとやがて道が途絶え、侵入禁止の立て札があった。
「なるほど奇妙な島ですね。風葬場の跡はさっきあったのに、この先に何があるから立入禁止と言うんでしょうね?」ぼくは先に行けないのを悔しがった。
「恐らく先ほどのは偽物で本物はこの先にあるんだろう。」ジャック氏は双眼鏡を出して向こうを見ながら言った。その両腕は熟れたざくろの皮のように陽に焼けて赤らんでいる。
雨足が強くなってきた。急いで港に引き返しそこでしばらく雨やどりした。
そして居合わせた学校の先生の勧めた小中学校の横のコミュニティーセンターに行って、その軒下を借りてテントを張った。それから先生から教わった島で唯一の店を探した。
両側に民家の並ぶ細くて曲がりくねった道をゆっくり自転車で走る。この島の家々はたいてい斜面に建てられており、小さいが台風対策のためだろうコンクリート製で、どの家の門柱にも陶器の唐獅子シーサーが置かれており、貧しそうな構えの家ではその代わりにヒトデのように刺を放射状に張り出した、名前を知らなければ鬼貝とでも呼びたくなるような異様な形をした大きな貝殻を入口の両側に立てていた。(あとで書物により、「水」の字の形をしているのでスイジ貝というのだと知り、拍子抜けした。魔除け役をするんだからもっと強そうな名前がふさわしい。自然ものだから偶像シーサーより威力大でしょう。そうだ、水神貝と当てようではないか。石神はシャクジとも読まれるので無理な当て字ではない)。
雨は降り続く。迷路のような道筋を行くと、店は見つからないままにコミュニティーセンターに戻ってしまった。通りかかったおばさんに聞き、出直した。店屋は老夫婦の家で、特に店だという外見はなかった。店に入ったというよりは、人の家に上がり込んだという格好だ。
「何しに来たんですか、仕事ですか」と人のよさそうな老婆が聞く。
ぼくらはあいまいに返事をした。仕事以外でこの島に来る者は彼らにとって好ましくない人間なのだ。
ビール、泡盛、スナック類、インスタント食品、そうめん等を求め、早々に退散した。
雨が上がると入り口を向き合わせて張った各々のテントでしばらくふたりはビールとつまみで談話したが、ぼくは島の頂上に行ってみることを提案した。しかしビールで出来上がりかけていた部長は辞退した。
自転車をこいで自動車がやっと一台通れるくらいの細い舗装道を登っていると、またザーと降ってきた。給水塔の下で雨宿りしているとしばらく眠り込んでしまった。
気がつくと雨はやんでいたが薄暗くなりかけている。
そこから先は坂が急になったので自転車を塔に残した。曲がりくねった路地を登るとやがて舗装道は切れ、段のある山道となった。「遠見台入口」という標識があったので、そこを登る。途中妙な遺跡があったが、構わず登るとついに遠見台に着いた。それは細長くそびえる大きな自然岩であった。
よじ登ってみるとその頂部は人が二人ようやく立てるくらいであった。標高はたったの七十五メートルだが、島の一番高い所で、見晴らしはきく。
夕暮れの高台にひとり立って明度を弱めてゆくまわりの風景を、ゆっくり自らを三角屋根の上に立つ風見鶏のように回転させながら眺めた。
小降りの雨は島全体を霧にて霞ませている。しかし壮大な景色が360度の方向に展開し、海は強情にも青さを保持しようとしているかのようにもがくが、みじろぎできない宮古島はすでに夜の帳に身を任せひっそりと黒ずんでしまった。
大神の島民がよそ者の立ち入りを禁じている島の裏側を見るとジャングルが波打ち際までせり出している。
雲の上でジェット機が鈍い爆音を立てて過ぎ去った。
分厚い雲の向こうで沈みつつある太陽が雲の切れ目から海上に細い光を幾筋も射た。その一つが大神島に達した。小さな浜がスポットライトを当てられたかのように輝き、そこに打ち寄せる波が黄金色にきらめく。
見るとその浜に小さな風葬石山があった。私は考えた。
「もし自分がキッドだったなら宝の箱をどこに隠すだろうか?風葬石山の中に隠しても、不遜な輩は石を取り除いて宝を盗むであろう。浜に埋めても砂が流れて宝の箱が露出して木箱は朽ちてしまう。すると丘のほうに埋めるであろう・・・
宝を隠した場所をあとで見つけやすくするために、彼はやはりどくろ地図を描いただろう。それには目印を書き込む・・・」
私はまたくるりと一回りして見渡した。大きな岩が三つジャングルから露出して立っていたが、他には目印にできそうな顕著なものは見つからない・・・。
「そうだ!この遠見台を目印に使うだろう、そしてあの浜の風葬石山もわかりやすい目印となる。するとこの遠見台と風葬石山とを結ぶ線上に隠すこととならないか?」
そして私は、三つの大岩のうち、その線に接するように立っている岩に改めて注目した。100メートル足らず下ったところだ。
「とりあえずあそこまで降りていってみよう」
遠見台を降り、島の裏側の細道を下った。ハブなどの毒蛇はこのあたりの島にはいないことをぼくはガイドブックで読んで知っていた。
その浜に通じる道は急であったので、木に捕まりながらジャングルの中をしばらく下っていった。
そして道をそれて例の岩の方向に数歩足を踏み入れたとき、その岩の陰から太めの白っぽい猫がいきなり走り出て木に登った。ぼくは驚いて歩を止め身構えた。なるほど、これが野生化した大猫か。恐る恐るその木の下を通り過ぎると、別の方から「ガー」となき声が聞こえる。声の方を見ると、こんどは数歩先の木の下に黒い猫が膨らんだしっぽを立て目を光らせてこちらをにらんでいる。うす暗くなっていたので気が付かなかったのだ。
どうやらこのあたりは野生化した猫の縄張りとなっているらしかった。無防備のぼくは落胆してあとずさりし、道を引き返した。遠見台に戻ると、もう海も色を失っていた。
懐中電灯で道を照らしながら、テントサイトに戻ると、ジャックは炭火を起こしている最中だった。携帯の燃料ガスが切れたので、さきほどの何でも屋に行って炭を買ってきたのだそうだ。
火起こしに使った紙や割り箸がしけているのか、炭火を起こすのに手間取る。火が起こると、炭と一緒に買ってきた冷たいオリオンビールで再び乾杯し、それを飲みながらそうめんを茹でる。だしは醤油だ。
そうめんが済むと、ウィンナーとニンニクを炒めた。そして湯を沸かし泡盛のお湯割りを飲む。周りの叢ではホタルが点滅している。ジャックは酒が強いのでアルコール度の高いわりに安い地元の泡盛を特に気に入っていて、今までに当地のほとんどの銘柄を晩酌にした。二人とも酔って、知らぬうちに寝た。
*
翌朝、インスタントラーメンとパンの朝食を済ませると食器やコッフェルを洗ってテントの撤収にかかる。
昨日とうって変わって晴天の朝だ。荷造りも終わるころ、小学低学年の姉弟が来て、自転車や我々を興味深げに見ている。
聞くと沖縄本島から母親の出身地であるこの大神島に来ていると言う。なかなか可愛い姉弟だ。姉のほうは子供にしては頑丈そうな足をしている。かつてこの島が海賊に襲われ抵抗した島びとが、押入れに隠れた男女二人の子供を除いて、皆殺しになったとき、その残されたのはこのような姉弟だったろうかと思った。ジャックが三脚を出してみんなで記念写真を撮った。
写真を見ると少年はぼくの赤ヘルをかぶって有頂天だ。ふたりは小さな右手でピースサインを作っておりこれは日本中どこへ行っても避けられない現象だ。
子供らと別れると、港に下って行き、そこから海沿いを反時計方向に走った。海岸には奇岩が多くあった。浅瀬に立方体をした巨岩がいくつもあったのでまるで巨人の子供部屋に散らかされた積み木のようだった。昔の大津波がもたらしたものだ。
12時35分にぼくらと一握りの島民を乗せた小型高速艇は大神島を出た。15分くらいで島尻だ。この辺りの海は岩礁帯で、船も浅い岩礁を避けて走っている。というよりも深いところを探して走っているという感じでまっすぐのコースはとらない。
双眼鏡で遠見台やコミュニティーセンターなどを探し見ていると、「さて、次はどこへ行く?」とジャックが聞いた。
「熱帯植物園へ行きましょうか。それからあしたはいよいよ宮古島を去る日ですから、散髪にでも行って一日のんびり博物館でも見物しましょう。」
「久しぶりにひげをそるか」
終
写真 https://puboo.jp/bib/i/?book=75896.epub
マイパマビーチに続く https://ncode.syosetu.com/n8541gk/