第88話 飛んで灯にいる秋の虫
「あん、文化祭?」
「そういえば、他校の文化祭に参加したことねぇな」
「一緒に行きましょうよ先輩。逍遥に行った知り合いから招待チケット貰ったんです」
うだるような熱気に顔を顰めると、タオルで汗を拭う。部室で着替えながら、吉川俊也は招待チケットとやらを一年下の後輩、今村隆から受け取る。
マジマジと見てみるが、これといって何か読み取れる情報はない。隣の加納にも手渡す。どうしようかと思案するも、特に予定もなかった。参加してみるのも面白いかもしれない。
サッカー部に所属する二年の吉川、加納、それと一年の今村はよく三人でつるんでいた。練習を程々に切り上げ、帰り支度を済ませる。
「――逍遥って確かあれだろ。女神がどうとかって」
「女神? 何の話だ俊也?」
「俺も詳しくは知らないが、ちょっと噂を聞いたことあるだけだ」
「最近は聖女もいるらしいですよ。随分と馬鹿っぽいですけど、見てみたくありませんか?」
そんな美人がいるのなら気にならないと言えば嘘になる。今付き合っている女にも最近は飽きてきたところだ。次に狙ってみるのも面白い。そういえばと俊也は思い出し、隆に尋ねる。
「お前、彼女と行かないの?」
「とっくに別れましたよ。つまんないんで」
「ひでーな。彼氏がいるのに奪った女だろ」
「違いますよ! 人聞きの悪いこと言わないでください。あの情けない奴は付き合うどころか告白もしてなかったんですよ。グイグイ押したら簡単にアイツを見限ったんで、そこで飽きちゃって。ご馳走様って感じです。ま、初めては全部貰っちゃったんで返品しますよ」
悪びれることもなく、隆は笑い飛ばした。BSSというらしいが、詳しいことは知らない。隆がこないだまで付き合っていた女には意中の相手がいた。傍目からみれば相思相愛だったが、中々告白してこない相手と、グイグイ攻めてくる隆。女の天秤が傾くのに時間は掛からなかった。
付き合っている相手を無理矢理奪い取ったわけじゃない。これが略奪ならそれ相応の報いを受けることがあるかもしれないが、あくまでも女は自分の意思で隆に靡いたにすぎない。
にもかかわらず、あっさり隆に捨てられた女も後悔しているかもしれないが、女からも、その意中の相手からも隆が恨まれる筋合いはない。さっさと付き合っておけばよかっただけだ。
恋だ愛だと、どれだけ綺麗事を言おうが、所詮そんなものだ。純情や純愛など幻想にすぎない。結婚した最愛の相手すら簡単に裏切る、人間などその程度でしかないこと俊也はよく理解していた。
後腐れなく抱きたいなら、売りをやっている女にでも声を掛ければいい。それこそ街中に出れば幾らでも溢れている。どう取り繕っても、それが否定のできないリアルだ。
「あ、そうだ。写真送りますよ」
隆から女の裸の画像と動画が送られてくる。上物だ。俊也からしてみれば、仕込めば、もっと遊べそうな勿体ない女に思えるが、執着は危険だ。いつか身を滅ぼす。遊んで飽きたならそれで終わり。それ以上、踏み込めば火傷する危険もある。
ふいに、思い浮かぶ顔があった。腹立たしく忌々しい女。中学時代の、たった数週間ばかりの元カノ。
結局、喰えないままだった。かつて虚仮にされた傷が今も俊也の中にジクジクと棘となって残っている。久しぶりに硯川と再会してみれば、随分と美味そうないい女になっていた。少なとも外見だけは。
「そういえば先輩、本命はどうするんです?」
「どうしたもんかね」
「彼氏くらいいそうだが」
「見た目はともかく性格は終わってるクソ女だぞ?」
「ヤレれば性格なんてどうでもいいじゃないですか」
「気軽に言うなよ」
後輩の言葉に呆れつつも、俊也の本命であることは間違いない。これが否定したばかりの執着であることも分かっている。自分に惚れさせて、散々貪った後、意趣返しで手酷くフッてやればスッキリするだろうか。気分が晴れるだろうか。
現状、敵意を抱かれている以上簡単にはいかないだろうが、とはいえ、人間はメンタルが弱っていると案外簡単に墜ちてしまうものだ。見る限り、隙は幾らでもありそうだった。
そんなことを考えながら、送られてきた画像に目を通す。ネットにアップしたりはしない。画像や動画を盾に迫ることも可能かもしれないが、開き直ってチクられれば一発でアウトだ。脅迫の証拠を握られてしまえば逆に弱みになりかねない。
こんなものはあくまでも仲間内で共有するだけ。危ない橋、リスクを取る気は毛頭ない。上手くやってきた。これまでも、そしてこれからも。
「そういえば、絶対に騒ぎを起こすなって言ってましたよ。目を付けられたら痛い目に遭うらしいです。なんなんでしょうね?」
「いまどき番長でもいるってのか?」
「さぁ? でも、今の時代喧嘩自慢なんてしょうもない。時代錯誤のバカ丸出しって感じですけど」
「そういや、俺が中学の時にもいたな。生意気な下級生を――……」
「どうしたんですか先輩?」
「いや……なんでもない」
俊也は言葉を濁した。思い出すべきことじゃない。当時三年だったその先輩は、ムカつく一年生に絡んだ後、翌日から一切その一年の話をしなくなった。目すら合わせることを避けた。返り討ちにあった、脅迫された、色んな憶測が飛び交ったが、真相は闇の中だ。
くれぐれも忘却しておくべき中学時代の記憶だ。あの忌々しい硯川と同様にロクでもない下級生。俊也も徹底的に避けていたし、それは周囲も同じだった。
被りを振って、悪夢を追い出すと、俊也は頭を切り替える。
「じゃあ、行ってみるか逍遥に」
‡‡‡
『藤代先生、頑張ってください』
間延びした放送部の実況とは裏腹に小百合先生は死に物狂いだ。
「メイド服は嫌だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!」
ドドドドドドドドドと、小百合先生が教員リレーで怒涛の追い上げをみせる。これは俺としても先生の頑張りに報いるべきだろう。
「おぉぉ! 先生も全力で頑張ってる! これなら期待できるぞ。お礼にただのメイド服じゃなくてミニスカメイドにしてあげよう」
「鬼なのアンタは」
灯凪ちゃんがジットリした目をこちらに向けていた。小百合先生には20年前に隆盛を誇っていたものの、今は滅亡し崩壊したいにしえの都アキハバラなる聖地で唱えられていたという死の呪文、萌え萌えキュン♡を唱えてもらわねば。
「私もメイド服は嫌なんですけどぉぉぉぉぉぉぉぉおおおお!」
三条寺先生もプリケツで全力疾走していた。でも、悲しいかな遅かった。しかし、これは俺としても先生の頑張りに報いるべきだろう。
「おぉぉ! 先生も全力で頑張ってる! これなら期待できるぞ。お礼にミスコンはメイド服じゃなくてボディコンにしてあげよう」
「だから鬼なのアンタは!」
灯凪ちゃんがジットリした目をこちらに向けていた。あまりにも三条寺先生が泣いて嫌がるので、ミスコンのオープニングアクトにメイド服で参加するのは取り止めにしてあげた。俺って優しいでしょ?
代わりに30年前に隆盛を誇っていたものの、今は滅亡し崩壊したいにしえの舞台ディスコなる聖地で踊られていたという死の祭典、ジュリ扇を振ってもらわねば。
「実は三条寺先生ボディコン持ってるらしいぞ。前に先生に黒歴史教えてって聞いたら、友達に誘われて一度だけ行ったことがあるらしい。ノリが合わなさすぎてそれっきりらしいけど。なんかいかにも昭和世代って感じだよな」
「全方位に失礼振り撒くのやめなさい」
何故か怒られてしまった。
「ところで君は何か着てみたい衣装ないのか? 今なら大抵なんでも作れるぞ」
「え、私?」
うーん、と灯凪ちゃんが思案する。どういうわけか俺は爽やかイケメンのお姉さんに衣装製作まで手伝わされていたり、岩蔵使節団と一緒になって学園祭で着るメイド服も製作している。裁縫スキルの上昇っぷりは留まるところを知らない。ミシンマスター九重雪兎と呼んで欲しい。既に大半の衣服が製作可能だ。
「そういえば、あれ、可愛いよね。さっきの応援のときに着てたチアの衣装」
「チアか」
フリル盛り沢山のメイド服や小物の造詣が細かいコスプレ衣装からすればチア衣装の難易度はグッと下がる。問題なく作れるだろう。そこで名案を思いつく。
「待てよ? そうか、君は当事者だしどうせチア衣装着るなら盛大に――」
「まってまって! なに考えてるの雪兎!? 着ないよ? それと当事者ってなに!? 答えなさい。ねぇってば!?」
ガックンガックン揺さぶられるが、なぁに心配要らない。学園祭が終わればそろそろアノ時期だ。この俺が万事上手くことを運んでみせよう。
どうせなら灯凪だけじゃなくて、汐里や会長、女神先輩達にも協力してもらおう。先生達にも着せるか。華がある方が嬉しいだろうし、やる気も出る。夏目だって手伝ってくれるはずだ。ニヤリと俺は無表情ながらもニヒルに笑った。
「安心しろ。全て俺に任せておけば問題ない」
「その信用ならないお墨付きはなんなの!?」
待ってろよ灯凪ちゃん。目にもの見せてくれようぞ!