第87話 えげつない体育祭③
「死ねー!」「くたばれクソ野郎!」「お前なんて便秘になっちまえ!」「終わったらアイツボコるわ」「学生の癖に……学生の本分は勉強だろうが……学生の分際で……クソクソ」
グラウンドに嫉妬に満ちた罵詈雑言が飛び交う。民度最悪だった。なんなら教員も闇堕ちしている。あ、小百合先生だ。……先生どうして。諸行無常の響きあり。
胸に去来する祗園精舎の鐘の声を無視してバスケのユニフォーム姿の熱血先輩に向き直る。
「リア充リレー頑張ってくださいね」
「任せておけ九重雪兎! 涼音、一緒にウェディングランを見せつけてやろう!」
「もう! 恥ずかしいよ敏郎……」
テレテレと赤面している高宮先輩と裏腹に熱血先輩は気合入りまくりだった。人生、これくらい前向きな方が幸せに生きられるのかもしれない。流石は上級生だ。学ぶことが多い。
因みに顔面光10ギガ時代や俺もユニフォームに着替えている。
部活対抗リレーはクラスの勝敗とは無関係の独立したプログラムだ。所謂、体育祭を彩る魅せ種目というやつだ。その為、特に対策を練ることもなく気軽なものである。
部活対抗リレーと言っても、単なるリレー対決なら文化部が圧倒的に不利になってしまう。運動部にしてもユニフォームで走る決まりになっている以上、走るのにそぐわない袴の弓道部や剣道部は著しいハンデを背負っている。
バトンも各部活それぞれで異なっており、バスケ部だったらバスケットボール、サッカー部ならサッカーボール、吹奏楽部なら譜面がバトンになるなど多種多彩だ。言うまでもないことだが、楽器をバトンにしないのは高価だからだよ?
そんなわけで部活対抗リレーの目的は真剣勝負というより、各部活のアピールの場であり、それぞれ趣向を凝らしたアイデアが満載だ。
……と、ここまではいいのだが、逍遥高校においてはこの部活対抗リレーにもう一工夫捻りが加えられていた。部活対抗リレー、またの名を『リア充リレー』と言う。
「あのさ! ユキ、私と一緒に走ろ!」
振り返ると、顔を真っ赤にした汐里が意を決したような表情で意気込んでいる。ポニーテールがシュウシュウと気炎を上げていた。最近、汐里は女バスに参加しているのだが、部活対抗リレーに汐里も出場するのかユニフォームに着替えている。
「お前が一番リア充だったな」
ニヤニヤと顔面5Gに煽られる。そう、この部活対抗リレー、別名リア充リレーは出場者が交際関係にある場合、カップルで出場するという特別ルールが存在する。
それと同時に体育祭における告白イベントの一種でもあり、告白まではいかなくとも、好意を持っている相手を誘うことで異性にアピールするという側面も有していた。まったくもって誰が考えたのか分からない極めて悪趣味な競技である。その為、部活対抗リレーには応援よりも殺意が向けられるほどだ。
無論、交際関係を秘密にしていたり、周知であっても参加したくないという人には強制されない。大々的に交際関係をアピールしたり、告白することに抵抗感がある生徒だっているだろう。
とはいえ、体育祭という開放的な晴れの舞台に用意された告白イベントであるからこそ勇気を出せるという生徒もいるかもしれない。この場での告白ならば、結果がどうあれ笑って流せる。リア充リレーはまさにそういうイベントだった。
因みにパートナーと参加する生徒にはギャラリーから玉入れの玉を投げつけられるという妨害が発生する。手荒い祝福だった。
そうこうしている間にも、あちこちで色恋沙汰の悲喜こもごもなやりとりが繰り広げられている。
「構わないが、君こそいいのか? 二人三脚だぞ?」
「うん! そんなの全然平気だよ」
パートナーと参加する生徒は障害を乗り越えてこそ愛という謎のルールによって二人三脚での参加だ。まるで意味が分からない。勝たせる気ないだろ? このルールを作った人は余程青春に鬱屈した想いを抱えていたのだろうか?
二人三脚といえば当然相手と密着することになる。つまり告白しないまでも、誘われた生徒からすれば参加を断らない時点で、自分に触れることを許容できる存在であり、少なからず相手に良い印象を持っている、「脈アリ」だと判断可能な相手ということだ。
それに、勇気を持って誘ってくれた相手に対して、明確にノーの場合以外、実際にどういう返事をするのか以前に、相手の気持ち、勇気に敬意を示すことは大切だ。それが女子からの誘いなら尚更だろう。思い出作りの一環にもなるし、大いに盛り上がる。
だがしかし、汐里はマズイ。色んな意味で!
汐里はフィジカル最強、逍遥高校屈指の重戦車だ。
「走るとき、肩じゃなくて胸を持つぞ?」
「いきなり弁明の余地もないほどドス黒いセクハラしてきた!?」
「ワキワキ」
「……いいもんいいもん! そんなの全然平気だもん!」
へっへっへ。手をワキワキさせて汐里に近づく。汐里を思いとどまらせようと人間失格のド屑問題発言をしてみるものの通用しない。
「もっと慎みを持て! 君のお父さんとお母さんが泣いてるぞ!」
「ネゴシエーターみたいな説得はなんなの!?……そんなに私と一緒だと嫌かな?」
観覧席の汐里のご両親、超絶イケメン夫妻がこちらに手を振っていた。満面の笑みだ。シュンと汐里のポニーテールが垂れ下がる。そんな悲しそうな表情をされてしまえば、断るに断れない。
「分かった分かった。でも、流石に二人三脚は練習してなかったな」
「やった! ありがとねユキ! 大丈夫だよ。楽しく参加できればそれで」
「まぁ、そういうもんか」
「うん」
ふと、目を向けると、顔面同時申し込みキャッシュバックが複数の女子から誘いを受けていた。一瞬、助けを求めるような視線を送ってきたが容赦なく見捨てた。人のことを煽るからそうなるんだ。これに懲りたらわが身を反省すること。ざまぁ
……今更な話だが、部員数が少ない割に、俺を含めて四組も二人三脚で参加するペアが誕生し、男子バスケ部が目の敵にされたことは言うまでもない。
‡‡‡
「汗臭くないかな? 私、汗っかきだから……」
第一走者の俺達は白線の手前で、今か今かとその時を待つ。第二走者は顔面上り最速、顔面下りも最速のパートナーはジャンケンに買った二年の先輩に決まった。クソハーレム野郎である。
これだけ密着していれば気になってしまうのか、汐里が何やら焦っていた。ピッタリ密着する二人三脚など、このご時世にあるまじき競技だ。汐里の懸念を払拭すべく、クンクンと汐里の体臭を嗅いでみる。
「安心しろ。良い匂いだ」
「だからって嗅がないでよ! 不当に辱められた……うぅ……」
「理不尽すぎないか?」
涙目の汐里に半眼で突っ込む。俺は安心させようと思っただけなのに。これが女子の答えのない面倒くさい質問というやつなのか。「どっちがいい?」と聞かれて、どちらを選んでも文句言ってきたり、「何食べたい?」と聞いて、「なんでもいい」と答えたのに、後から文句つけるみたいな。
「これ……どうしようユキ?」
「どうしようもこうしようもないだろ。仕方ない。これだけは言いたくなかったが……」
スタート直前、ぐるりと周囲を見回すと、血走った目で手に玉を持った生徒達が今か今かと待ち構えている。
「この中で彼氏彼女がいたことのない者だけが俺達に、石を投げなさい」
パンッ――と、スタートの合図が鳴った。
容赦ない球の雨あられが降り注ぐ。積年の恨みが籠っていた。
「イテテテテ」
「わわっ、危なっ! 大丈夫ユキ!?」
柔らかい玉入れの玉などぶつけられてもダメージは皆無だが、こちとら二人三脚だ。散乱する玉で足場が不安定になり、うっかり踏みつけて転んでしまっては目も当てらない。
「やめるんだ! 僻むなんてみっともないぞ! 非モテだっていいじゃないか! まずその情けない根性を叩き直して――」
盛大にぶつけられる。説得は失敗に終わった。
なんとかバランスを崩さないように汐里と駆け出すが、不慣れな二人三脚にスピードは遅い。
「こうなればしょうがない。どうせ勝ち負けなんて関係ないんだ。汐里、クレームは受け付けないぞ」
「え、どうしたのユキ!?――ちょ、わぁ!」
急いで足の拘束を外すと、そのまま汐里をお姫様抱っこで持ち上げる。女子最強、男子を上回る体格だけあり、ズシリと両腕に汐里の体重がのしかかる。
ルール違反だが、これも安全を重視した結果であり、文句を言われる筋合いはない。悪いのは僻んで攻撃してくる非モテの皆さんだ。汐里が目を白黒させているが、今はそれどころではない。
「ニョホホホホホホホ。どーだこれならついてこれまい!」
格段に上がった機動力で颯爽と玉を回避していく。寂れたゲームセンターで一人コツコツ弾幕ゲーをプレイしていたSTGプレイヤーの俺からすれば温すぎる。
「ユユユユユユ、ユキ!? これ、これぇぇぇぇぇええ!?」
汐里が訳も分からず混乱していた。とりあえず俺は胸によぎった一言を言わずにはいられなかった。
「――――――――えっ、重」
「ひどい!?」
‡‡‡
体育祭には告白イベントがあるらしい。毎年、そこで何組かカップルが誕生したり、相手の好意を確認したり、かなり盛り上がるんだって。
キャアキャアと浮足立つ女バスの先輩達からそんな話を聞いた私はユキのことを考えていた。夏休み、ユキから嫌いだと言われたけど、私は気にしていなかった。その言葉はユキにとって口に出したくなかった言葉のはずだ。彼の表情を見れば分かる。あんなにも辛そうな言葉に真実などありはしない。
それに、私は知っている。好きを探しているユキには、同じように嫌いもない。ユキは殊更誰かを嫌ったりなんてしなかった。あんなにも傷つけた私でさえも、硯川さんだって、或いは生徒会長や東城先輩にしても、仮に相手が敵だとしても嫌う理由にはならない。それがユキだ。
もしユキが誰かを嫌うなら、私はとうに嫌われているし、今こうして言葉を交わすことだってできないはずだ。中学の時に絶縁されてそこで終わっていただろう。でも、そうはならなかった。いつでも優しくて、だからいつも傷ついて。
勇気を出してユキを誘った。拒否されるかと思っていたけど、やっぱり優しい。卑怯な迫り方をしたと自分でも思う。相手に断らせない、そんなやり口。いつの間にか随分と私も悪女になっていた。それでも、少しでもいい。思い出を作りたかった。多少強引にだって迫ってみせる。
今ここで改めて告白するつもりはなかった。急ぐ必要はない。私の気持ちをユキは理解してくれている。だからこそ夏休みに、私を嫌いだと言ってくれたんだ。それがユキの優しさ。誰よりも私のことをちゃんと考えて幸せになれる道を示してくれている。それでも――。
(――それでも、私はユキと一緒にいたいから)
私とユキの関係は、マイナスからやっとゼロに戻っただけ。焦らなくていい。急がなくていい。これから、ゆっくり積み上げていけばそれでいいんだ。
緊張しながらスタートを待つ。デオドラントスプレーをしてきたが、これでも乙女だ。汗の匂いが気になるのは仕方ない。そう思っていると、ユキに匂いを嗅がれた。こういうところ、ユキは無邪気だ。距離の詰め方にもその発言にも、いつも心、揺さぶられる。とっても恥ずかしかった。うぅ……。
恒例(?)なのだろうか、次から次に玉を投げつけられる。慣れない二人三脚。足元に散らばった玉が邪魔で、思うように進められない。
「こうなればしょうがない。どうせ勝ち負けなんて関係ないんだ。汐里、クレームは受け付けないぞ」
「え、どうしたのユキ!?――ちょ、わぁ!」
ふわりと身体が持ち上がる。ユキが素早く足元の拘束を外したかと思うと、一瞬の無重力体験。天地がひっくり返るような感覚の後、あっという間に私はユキにお姫様抱っこされていた。自分の状況を認識して、カァッと赤くなる。
(わわわ、私、ユキに抱っこされてる――ッ!?)
それもユキから抱きしめてくれた。まるでユキに包まれるような多幸感。厚い胸板にスンスンと鼻を近づける。匂いを嗅がれたときは恥ずかしかったけど、やってることは私も大差ない。……認めよう。恍惚だった。
ユキが真顔で高笑いしながら玉を華麗に回避していた。ユキに聞こえてしまいそうになるくらい心臓が高鳴っている。恥ずかしくてユキの顔を見ることができない。それに、今の私の顔も見られたくない。きっと、それはそれはだらしない顔をしているだろうから。
ううん、これは悪いのはユキだよ。私じゃないよね? だからいいよね?
そんな誰にともつかない同意を求めて、どうしようもなく我慢できない衝動に突き動かされるように、そのまま思い切り、ユキに抱き着く。
「――――――――えっ、重」
「ひどい!?」
私の大胆な行動も、乙女心を理解しないユキにバッサリ切られる。地味に気にしてるのに!?
だけど、まるで私の重さなんて感じないかのようにユキは軽快だ。こういうところも格好いい。
そもそも、私がこれだけスクスク成長しているのはユキが原因なんだからね! いつも、もっとちゃんと食べて大きくなれって言うから……。
どうしようもなく、私はこんなにドキドキしてるのに、いつだってユキはいつも通りだ。なんだか、ふっと気が抜ける。今はこれでいい。こうやって一歩ずつ進んでいけばいいんだ。
巳芳君達、第二走者が待つ地点が近づいてくる。巳芳君達は二人三脚で走るのだろうか。それとも私達みたいに、いっそのことお姫様抱っこで走るのかな。多分それは、巳芳君が好きな娘にとって素敵な思い出になるはずだ。私だってこんなに幸せなんだもん。
そんな益体もない思考をしながら、好きな人の胸に顔を埋めて、もう少しだけ、この束の間の幸せに浸ろうと思った。