第75話 番外編:傍迷惑なインフルエンサー
発売直後ということで番外編です。3章の後くらいの時間軸となっています。
「あ、おはよー美紀ちゃん! インフルエンザはもう大丈夫なの?」
「香奈ちん会いたかったよー! 熱はすぐに下がったんだけど、出掛けられないし誰にも会えないから暇で寂しくて。毎日連絡ありがとね」
「いいのいいの。友達じゃない私達」
「香奈ちん!」
「美紀ちゃん!」
2人がひしっと抱き合っている。朝方、インフルエンザでしばらく学校を休んでいた峯田が久しぶりに登校し、エリザベスとの再会を喜んでいる。
そんな様子を横目に見つつ俺は作業を続ける。もう少しで完成っと。
「あのさ香奈ちん、ちょっと気になったんだけど、学校の雰囲気なんかおかしくない? 気のせいかもしれないけど、妙に甘ったるいというか……」
「やっぱり美紀ちゃんもそう思う? 私もそんな気がしてたんだ。少し変だよね?」
「なんだろうこれ? ぞわぞわする」
「おいおい2人共忘れちゃないか? この学校で起こるおかしな出来事の大半はアイツが原因だろ」
平然と女子の会話に割り込んでいくコミュ力最強の爽やかイケメンがこっちにやってくる。
「で、雪兎。今度は何をしたんだ?」
「失礼な。何の話だいったい?」
「というか今何をしてるんだ? ……待て。どうしたんだよ雪兎! なんでそんな教科書に落書きとか普通の学生みたいなことしてんだよ!?」
「現代に転生した空也がブレイクダンスで踊り念仏を普及していくパラパラ漫画だ」
「全然普通じゃなかった! 無駄にクオリティすげぇ!?」
孔明がパリピになるくらいだし、こういうのもアリだろ。
パララララと教科書を勢い良く捲っていくと本当に僧侶がブレイクダンスを踊っているように見える。
「なになに貸して!」
「こいつ動きがキモい!」
「ええじゃないかええじゃないか」
教科書は俺の手を離れクラスメイトの手を渡っていくのであった。ええじゃないかええじゃないか。
「ねぇねぇ巳芳君、ホントに九重君が原因なの?」
「ええ」
「ええじゃないが」
勝手なことを抜かす爽やかイケメン。
「漫画の話じゃなくてだな。どうして雪兎、最近になってお姉さんのことお姉さまって呼ぶようになったんだ?」
「悠璃さんが嵌った漫画にそういうキャラがいたらしくてな。羨ましいからしばらく呼んでくれと言われただけだ」
「漫画の話だったかー」
尤も、その漫画でお姉さまと呼ぶのは同性の後輩だったりするので、果たして弟の俺がそう呼んで満足できているのかどうかは未知数だ。
「母さんまでママと呼んでくれなんて言うもんだから大変だったぞ」
「……それはちょっと恥ずかしくないか?」
「日頃お世話になってるし、それくらいお安い御用というものだ」
「そういう問題じゃない気がするが……。しかしそれでか」
「どういうこと巳芳っち?」
「コイツが急にそんなこと言い始めるもんだから、それが校内に広がってるんだろ」
「影響力大きすぎない!?」
「女バスの方でも、急に一年がお姉さまお姉さま言い出してたからな。十中八九原因はそれだな」
「なんでもかんでも俺のせいにしすぎだろ!?」
ささやかながら抗議するがまったく取り合ってもらえない。峯田達も納得したようだ。どうして納得しちゃうの!?
‡‡‡
あれは一週間前に遡る。
リビングで漫画を読んでいた姉さんがパタンと本を閉じると、おもむろにこちらにやってくる。
「お姉さまって呼んでいいよ」
「主語述語って習いませんでしたか?」
「以心伝心でしょ」
「全然違うけど」
「……。お姉さまって呼んでくれたら良いモノあげる」
思わず顔を顰める。姉さんの言う良いモノってどうせアレでしょ。肩叩かせてあげる券(10枚綴り)とかそういうの。姉さんの肩を叩かせて頂ける有難い券なのは間違いないが、使い切るのに2年掛かった。最後の券を使ったのはつい5日前のことだ。
「弟専用ASMR」
「いらないかな」
「特典もあるよ」
「いらな――」
「なんと実際に体験できちゃう」
「いら――」
「トラック10は必聴ね」
「い――」
「は? 欲しいよね?」
「はい」
実際、ちょっと内容が気になってしまったのは秘密だ。
「あら、悠璃ばかりズルいわ。良かったら私もママって呼んでみてくれないかな?」
なんか母さんまで参戦してきた。期待に満ちた目が突き刺さる。これで断ろうものならガッカリさせてしまうのは明らかだった。これまで失望ばかりさせてきた。家族の期待に答えるのが俺の役目であるからして。
「分かったよ。呼べばいいんでしょママ」
「んぎゃわ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃぃぃぃいいい!!!」
途端、膝から崩れ落ちたママが奇声を挙げて床をのたうち回る。さながら陸に打ち上げられた魚のようだ。
「ど、どうしたのママ!? ママ大丈夫?」
「んほぉぉぉぉぉぉぉおおお!」
「そ、そうだ! 急いで救急車呼ばなきゃ」
「だ、大丈夫だから! ちょっと衝撃が強すぎただけでなんでもないの」
なんでもないことないよね!? ママが下腹部を抑えて苦しそうにしていた。やっぱり何か病気なんじゃ!?
「ママ、ぽんぽん痛いの?」
「フッヒッィ! ち、違うのよこれは! この辺がキュンキュンして喜んでいるだけなの」
「なんだ、そっか! あれ、でもそれはそれで何か病気なんじゃ! お姉さまママが大変なの!」
「あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁぁぁぁ!」
振り返るとお姉さまが壁に頭をゴンゴン打ち付けていた。怖すぎた。ホラーかよ!
「お姉さままでどうしたの!?」
「れれれ、冷静よ私は。興奮してしまっただけよ」
「お姉さまおでこ赤くなってる。撫でてあげるね」
「あぁぁぁぁぁぁもぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
おでこをナデナデすると再びお姉さまが壁に頭を打ち付ける。啄木鳥か。
「ぎゃわ゛い゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛い゛い゛いいい!」
「しゅきぃぃぃぃぃぃぃいいいい!」
悶えている2人を尻目に、俺はどうしたものかと途方にくれるのだった。
‡‡‡
「――ということがあったくらいで、これといって特に変わったことなんてなかったぞ。概ね平常通りだ」
「それの何処が平常なんだ?」
「むしろ変わったことしかなかったよね今っ!?」
「いつもいつも日常にそんな事件ばかり起こるわけないだろ。この世界は漫画やゲームじゃないんだぞ。ましてや何でも俺が原因とか、いい加減なことばかり言うんじゃない!」
「ブーメラン突き刺さってるぞ」
「あはは。ブーメランって刺さってる側は気づかないっていうけど、ホントなんだね」
なんでもかんでも俺のせいだなんて、そんなことあるはずない。あるはずがないんだ! あるはず……ないよね?
‡‡‡
「見てください! 英里佳お姉さまのおかげで成績上がったんです!」
「いいえ。久美さんの頑張りのおかげよ。自信を持って?」
「あ、ありがとうございます! また教えてくれますか?」
「えぇ。いつでもいらっしゃい」
お昼休み、後輩と二人だけの緩やかな時間が流れていた。わざわざ手ずからお茶を入れたりはしないが、それでもこの時間は、そんな貴重なティータイムなのだと東城英里佳は実感していた。それはきっと同席している後輩の彼女もだろう。
「あの、一つ聞きたかったんです。お姉さまに付き纏っているあの人、なんなんですか? 危ない生徒みたいだし、許せない!」
プンプンと憤る久美の態度に、それが誰を意味するのかはすぐに理解った。顔が強張る。キュッと拳を握り締め、深呼吸で心を落ち着かせる。
「久美さん。彼は付き纏ってなんかいません。どちらかといえばそれは私の方かもしれませんね。それに彼は私の友達なんです。たとえ貴女でも、馬鹿にすることは許しません」
「ご、ごめんなさい!」
思わず冷たい声が出てしまった。俯いてしまった可愛い後輩にどう声を掛けようか迷う。
彼女は何も悪くない。ただ自分を心配してくれただけだ。頭ごなしに言われても、感情が納得しないだろう。このままでは暴発してしまうかもしれない。
そしてそのとき傷つくのは、あの時と同じようにただただ理不尽に迷惑を掛けられた彼と、今度は自分ではなく目の前の彼女だ。
そもそもあの件にしても、何も公になっていないのだ。結局は彼一人が泥を被った。知らなければ、彼に対する印象は悪いままだろう。ただでさえ何かと目立っている。それを良く思ってない人も当然存在している。
彼の信用回復に努めているが、積極的に言いふらすこともできない。
しかし、ここで逃げるわけにはいかない。今ここで逃げれば、これから先の人生、ずっと自分を許せないまま生きることになる。それは彼がしてくれたことを無為に帰す最低の行為だ。
「聞いてください久美さん。彼は決して貴方の思うような人間ではありません。彼は――」
滔々と語り掛ける。彼女はどう思うだろうか? 失望されるかもしれない。彼女が憧れる理想の先輩にはなれそうにない。それでもこの場で自らの愚かな行為を隠すような真似はできない。
彼は私の――友達だから。
「人はとても醜いものです。もちろん、それは私も。貴女はとても真っすぐで、昔の私を思い出します。だから心配なんです。貴女の持っているその綺麗なモノを、私は曇らせたくないの」
その純真を護りたいと、そう思う。
あまりにも人間の醜悪さが可視化されてしまっているこの時代。気が滅入る程、悪意が満ち溢れている。
自分もそんな風に流されてしまうことは簡単だ。純粋であればあるほど傷ついてしまう。そして疲れて、いつか同じように染まってしまう。
でも、今この時だけは。私が卒業するまでの間だけでも、この学校という閉じた世界の中では、綺麗なままでいられるように。理想は理想のまま。無理だとしても、彼女が求めるお姉さまでありたいと思ってしまう。
頑張りたかった。いつまでもこんな穏やかな時間を過ごせるように。彼女も彼も。誰もが優しくいられるように。
「貴女のこと大切に思っているわ久美さん。だから貴女も大切に思える人を沢山増やして欲しいの」
同級生だけではなく、男女問わず後輩達の相談にも親身に乗ることから、彼女は絶大な支持を得ていく。
常に優しく、寄り添い、慈愛に満ちた態度。
後に、いつしか東城英里佳。彼女はこう呼ばれるようになっていく。
――聖女先輩と。