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俺にトラウマを与えた女子達がチラチラ見てくるけど、残念ですが手遅れです  作者: 御堂ユラギ
第五章 「恋」か「罪」か

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第70話 氷見山先生のはちみつ授業

「……そうですか」


 読み終わった紙を丁寧に折り畳み封筒へと戻す。

 手紙に綴られていた想い。それは開封されることなく閉じ込められていた。何年も、何年も。あの日、消化されなかった想いは風化しないまま、そしてその時の牢獄の中に、彼女――氷見山さんも囚われ続けていた。


 言われてみればなんとなく面影がある。とうに忘れていた記憶。ありがちな過去のつまらないエピソードの一つ。だがそれが呪いのように彼女を苦しめていたことにようやく気づく。俺にとってはいつものことでも、氷見山さんにとってはそうではなかった。


「すみませんでした!」


 頭を下げる。それしかできない。彼女が無駄にした膨大な時間。夢に向かって費やした日々。抱いていた希望。掲げていた理想。それら全てを踏み躙ったのは紛れもなく俺だ。言い訳なんてしようがなかった。


「止めて雪兎君。謝らなければいけないのは私なの。このままで良いかもしれないと思っていた。気づかないままでいる君と仲良くできればそれで満たされると思っていた。でも、このままじゃ前に進めないと思ったから……」


 氷見山さんが深く深く頭を下げる。朧げな記憶。あの日、こうして氷見山さんが差し出してきた手紙を俺は受け取らなかった。


 大した理由があったわけじゃない。手紙の内容なんてどうでも良かったし、そんなもので何かが変わるなんて思わなかった。どうせ彼女は学校を去る。興味なんて欠片もなかった。


 でも違ったんだ。俺が受け取ることで確実に氷見山さんの未来は変わっていたはずだ。それを切り捨てた俺は氷見山さんを過去に縛り付け束縛していたDV野郎にすぎない。


「俺がこれを受け取っていれば、氷見山さんは夢を叶えて今頃教師になっていたんですね」

「それは違うわ! あの頃の私は結局どこかで違う失敗をしていたと思うもの。現実と理想のギャップが埋められず、誰かを傷つけていた。その対象になってしまったのが雪兎君だっただけよ」

「ですが俺と出会わなければこんなことには……」

「君と再開できたことが嬉しいの。何よりも幸運だと思っているわ。……これは私が選択した未来。だからそんな風に言わないで。雪兎君が気に病むことなんてないの」

「……そうなんでしょうか」

「本当にごめんなさい。あのとき信じてあげられなくて。私がちゃんとしていれば、きっと誰も傷つかなかったのに。さ、しんみりしたお話はここまでにしましょう!」


 雰囲気を変えようと氷見山さんが明るく振舞う。

 氷見山さんから連絡をもらいやってきたのはレンタルルームの会議室だ。塾講師として働く前に練習がしたいと言われて呼び出された。


「俺はどうすれば良いんですか?」

「授業内容は小中学生向けだから雪兎君には退屈だろうとは思うけど、生徒役をお願いね」

「その格好、懐かしいですね」

「捨てられなかった……な。きっと悔いが残っていたのね。でも、もう一度ここからやり直したいって、そう思えたの」


 そう言いながらホワイトボードの前に立つ氷見山の手が微かに震えているのが分かる。恐怖か緊張か。その両方かもしれない。氷見山さんは、そうさせてしまった原因である俺を前にして、自分の矜持を取り戻そうとしている。あの日と同じ初々しいスーツ姿で。


 だとしたら俺にできることは……。そう考えて、緊張を解きほぐすように、恐怖を振り払えるように、いつも通り軽口を叩いた。


「流石にパッツンパッツンじゃないですか?」

「うふふふふ。太ったって言いたいのかしらぁ? 仕方ないでしょう。もう随分昔だもの。体型だって崩れてくるし、これでも無理して着てるんだから。今日だけよ」

「目のやり場に困ります」

「あらあら困った生徒さんねぇ。じゃあ始めましょうか」


 場が和み、俺は黙々と氷見山さんの授業を受ける。簡単な基礎内容だが、たまにはこういった復習も良いものだ。集中していると、なんとも言えない困ったような表情を氷見山さんが浮かべていた。


「……あの雪兎君」

「はい?」

「真面目な生徒なのはとっても素敵なことだけど、真面目すぎて黙っていられると不安になってしまうわ。それにスムーズすぎても練習にならないし」

「なるほど。それもそうですね」


 考えてみれば当たり前のことだ。誰も彼もが大人しいわけじゃない。これから色んなタイプの生徒達を相手にしていくのだから、中には困った性格の生徒もいたりするだろう。これでは氷見山さんの練習にならない。必要なのは演技力だ。


「分かりました。じゃあちょっとやってみますね。生徒コント『迷惑学生』」

「急にお笑いみたいなこと言い出してどうしたの?」

「ハイハイ! 先生は彼氏はいるんですか? 今フリー? だったらお茶しない? お茶しないって今時言わないか。グヘヘヘ。スリーサイズを教えてよ! グヘヘヘ」

「変わり身の早さが凄いわね」

「ってかさぁ、だいたい勉強なんかしたって何の役に立つん? 因数分解なんて社会に出てから使わねーしょ。俺っち、将来はラッパーになりてぇんスよね」

「とてもウザいわ雪兎君」

「YO!YO!」


 俺はクソウザい中学生と化していた。世の中は厳しい。ときには迷惑な生徒に遭遇することもあるかもしれない。こうした場を切り抜けられないようでは今後に不安が残る。


「ふふ……ふふふ。そうね。そんなに私のことが知りたいなら今日は特別に保健体育の授業にしましょうか。ふふふふふふふ」

「あれ?」

「言ってくれたらいつでも教えてあげたのに」

「いやちょっと、え?」

「じゃあ秘密の個人レッスンしましょうね」

「これは罠だ!」





 九重雪兎の知力が上がったような気がした▲

 九重雪兎の体力が下がったような気がした▼

 九重雪兎の弾道が上がったような気がした▲





「弾道ってなんだよ!」

「これのことしかしら」

「お、お触り禁止!」


 はぁはぁ……ここは地獄だ。油断も隙もあったもんじゃない。保健体育でこっそり色々と教えてもらった。なにとは言えないがすごい……。


 そこであることを思い出した。


「そういえば彼氏で思い出したのですが、少し前に元婚約者の方にお会いしましたよ」

「婚約者って……幹也さんのことかしら?」

「はい。家族旅行で宿泊したのがたまたま海原旅館だったんです」

「そうだったの? 偶然って怖いモノね。幹也さんに何か言われた?」


 不倫相手ではないことに一安心だが、そういえば協力して欲しいとか言っていた気がする。だがそれを氷見山さんに伝えるのは憚られる。余計に拗れそうだし。だいたい俺なんかに頼んだことを知れば氷見山さんは怒るだろう。


 でも――。

 もしなにか後悔があるのだとしたら、誤解やすれ違いがあるのだとしたら。今日こうして過去を乗り越えたように、前に進んで欲しいとそう思った。


「会ってもう一度話がしたいと言っていました。前回は途中で俺が邪魔してしまいましたし」

「無関係の雪兎君にそんなことを話すなんて……」

「ちょっとした世間話をしただけですから」

「大丈夫? 利用されていない? あの人はともかくお義母様は強かだから」

「そちらは会っていないので大丈夫です。俺が口を挟むようなことではありませんが、ちゃんと向き合ってみてはどうでしょうか?」

「本当になにもないのよ? もう終わったことだし心残りだって――」

「お願いします」


 氷見山さんの運命を俺が捻じ曲げてしまった。これは我儘な罪滅ぼしだ。幸せになれるのなら、取り戻せるものがあるのだとしたら、手を伸ばして欲しかった。


「雪兎君……。はぁ。分かったわ。話すだけ話してみることにします」

「ありがとうございます!」

「――君は本当に難儀な生徒ね」


 バンと扉が開く。入ってきたのは三条寺先生だった。


「美咲さん、お久しぶりです。――って、何をやっているの貴方達!?」

「秘密の個人レッスンです。グヘヘヘヘヘ」

「雪兎君!?」

「ふ、不健全だわこんな!」


 この後、三条寺先生に長々とお説教されてしまったが、氷見山さんと三条寺先生は今では親友という関係らしい。氷見山さんが塾講師として再起すると聞いて応援に来てくれたそうだ。


 思えば氷見山さんだけではなく、三条寺先生にも途方もない苦労を掛けてしまった。それだけではない。俺はいつも俺の周りにいる人達に迷惑ばかり掛けてきた。




 ――それはまるで、俺という存在が不幸を呼んでいるかのように。

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