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第64話 彦星と織姫は出会わない

『……うん、ありがと。……――じゃあまたね悠璃ちゃん』


 姪との連絡を終え電話を切る。

 熱気に汗が背中を伝いエアコンのスイッチを入れる。ソファーに座り、麦茶を口に含んだ。

 

 ……悠璃ちゃんも大変だな。  

 姪――姉の娘である悠璃ちゃんも苦労しているようだ。家族旅行で温泉に行っていたようだが、なにやらまた一騒動あったらしい。


 はぁ……。本当に困った子だ。

 ちょっと目を離すとすぐに変なことに巻き込まれている。


 そして、私がそれを知る頃には大抵終わっている。それがなんとなく気に入らないことでもある。


 悠璃ちゃんも色々とユキちゃんにアプローチを掛けているみたいだが、実っているとは言えないようだ。中々進展は見られない。とはいえ、これまではそれさえも難しかったし、そもそも家族旅行に行ったなんて話も今まで聞いたことがなかった。それだけ距離が近づいたことは僥倖だ。


 ――ここからだ。これから進んでいく。


 少しずつ好転している。どうしようもなくマイナスだったこれまでがゼロになったに過ぎない。決して何か上積みがあったわけじゃない。甘えるな。まだ何も始まってはいない。


 姉さんとユキちゃんの間にだって、二人以外知らない何かがあったはずだ。それは悠璃ちゃんも同じはずで、ユキちゃん自ら誰かにそれを話すことはないし、聞いても教えてはくれまい。


 これからどうすれば良いのか、なんとも難しい。

 結局のところ、ユキちゃんは他人に執着がない。


 誰にも何も望まず、何も求めない。

 ユキちゃんが何でも自分でやろうとするのはその代償でしかない。


 だからその先に進めない。誰かと歩む未来がユキちゃんの日常には存在しない。進もうとして失敗してきた。その度に独りになり続けて、それなのに折れなかった。その発端を作ったのは私だとしても、そこから全ては想定外の連続だった。


 誰かに対する信頼も信用もなく、仮にあったとしてもそれは一般的な信頼や信用とはまるで別物だ。信頼していた誰かが、信用していた誰かが裏切ったとしてもユキちゃんは何とも思わないし傷つかない。最初からそういうものだと納得しているから。自分が悪いとかしか思わない諦めにも似た何か。


 それが親でも兄妹でも――恋人でさえも。

 

 このままなら、きっと死ぬまで裏切らない誰かが隣にいたとしても、ユキちゃんの認識が変わることはない。それがユキちゃんの世界のルール。


 ユキちゃんの「常識」がそうなっている。

 

 ユキちゃんの世界はそんな「常識」に彩られてきた。

 ただ不幸なだけ? ただ運が悪いだけ? 分からない。けれど、ユキちゃんは異なる常識で生きる異邦人だ。

 

 随分と悪趣味で露悪的な巡り合わせだとしか言いようがない。


 それでも、向けられている感情が「敵意」ばかりではなく、「好意」であることに気づけただけ前に進んでいる。それは待ち望んでいた千載一遇のチャンスだから。


「……ガリレオもこんな気持ちだったのかしら?」


 随分と馬鹿げた妄想に苦笑する。飛躍しすぎだ。

 だが、コペルニクスの意志を継ぎ地動説を唱えたガリレオは宗教裁判に掛けられて尚、それでも地球は回っていると曲げることはなかった。


 「常識」とはそれだけ強固なものだ。証拠を提示されても、頑なにそれを認めない程に。事実で争うのではなく哲学論争になったように、時に人は都合の良いものしか信じない。ましてやユキちゃんにとっては、それは都合の良いことですらなく、当たり前の日常なのだ。どうしようもなく理不尽な運命。


 「常識」を覆すことは極めて難しい。

 刀狩りを経て武器を持たなくなった平和な日本人に銃社会の「常識」は理解出来ない。


 ユキちゃんがこれまで培ってきた「常識」を私達は知らない。もしかしたら、そんな運命を乗り越えられる者こそが、共に歩めるのかもしれない。


 それにしても、最近のユキちゃんの周囲は騒がしい。

 まるで、運命の大転換が迫っているような――。




‡‡‡




 和太鼓の音が鳴り響く。祭囃子が独特のメロディを刻み、屋台を回る人、神輿を担ぐ人もいれば、盆踊りを踊る人もいる。まさしく老若男女。大人も子供もおねーさんも。ギーグは逆襲しない。名作保証。皆楽しそうにしている。誰もが笑顔に溢れていた。――俺以外。


 邪魔にならないよう端に寄り、待ち合わせの場所でぼんやりと待つ。時計を確認すると18時を回っていた。花火は19時からだが、灯凪が指定してきた待ち合わせ時刻は17時半だった。かれこれ30分以上経過しているが、灯凪が現れることもなければ連絡もない。17時には到着していたことを考えれば1時間近く待っていることになる。


 屋台から香ばしい匂いが漂ってくる。夕飯も食べていない。お腹が空いていた。たこ焼きを買って食べるが、これといって屋台を見て回ることも出来ず、虚しい時間だった。


 一向に灯凪は来ない。いい加減、気づく。

 

 ……もしや嫌がらせか?


 思い返せば昔、男女数人のクラスメイトに遊びに誘われ、俺だけ別の場所を集合先に教えられたことがあった。幾ら待っても誰も来ない。連絡が来たのは家に帰った後だ。翌日になり学校に行くと、笑いながら、ちょっとした冗談だったと言ってきた。クソである。


 それからというもの、俺はそいつらを存在しない者として徹底的に無視し続けたわけだが、今となっては顔も名前も思い出せない。そんなつもりはなかった、本当は――だった。どういうわけか後になってくだらない言い訳を並べ立て突然、態度を翻してきたが、存在しない者達の声が聞こえることはない。完全なる後の祭りであり、今日も祭りなのだった。


 実につまらないエピソードだが、かといって硯川灯凪はそうした性格ではなかったはずだ。


 とはいえ俺が知っているのは過去の硯川灯凪であり、今現在の彼女ではない。人は変わるものだ。変わらないのは俺だけとも言える。疎遠になって以降、最近になって色々とあってまた話すようになったとはいえ、実際のところその真意は分からない。


「――九重?」


 呼び止められる。声を掛けて来たのは硯川灯凪ではなかった。そもそも女性ですらない。


「……誰?」

「忘れるなよ! 同じクラスだろ!」

「冗談だよ。近藤」

「誰だよソイツは!? 高橋だ! 高橋一成。もう4ヶ月くらい経ってるぞ……」

「まぁまぁ。高橋一成だろ。ちゃんと憶えてるって」

「本当かよ……」

「バトミントン部で活躍してる高橋一成だろ。知ってるって」

「俺はサッカー部なんだけど……」

「サッカー部で活躍してる高橋一成だろ。知ってるよ」

「俺に先に言わせることで情報集めてるだけだろ……」


 なんともノリの軽い男だが、高橋一成は俺と違い一人ではないリア充だった。男女の二人組。


 えっと……誰?


「パパ活か?」

「なんでだよ! そうだったらヤバいだろ。妹の橘花だよ。ほら、挨拶は?」

「……こんにちわ」


 高橋の裾をちょこんと掴んでサッと後ろに隠れた少女がこちらを見ている。浴衣姿が似合っているが、確かにデートではなさそうだ。もしデートだったら各方面に怒られそうな布陣である。


「高橋、お兄ちゃんだったのか……」

「橘花は小二なんだ。母さんが忙しくてさ。折角のお祭りだし連れてきた」

「そうかそうか。じゃあ、飴をやろう」


 お近づきの印にポケットから飴を取り出して橘花ちゃんに渡す。おずおずと受け取ってくれた。若干、人見知りっぽいが、素直な良い子だった。


「そういや、九重はどうしてこんなところにいるんだ?」

「待ち合わせのつもりだったが、違うかもしれない」

「? ウチのクラスの奴も結構来てたぞ。さっき釈迦堂を桜井達が連れ回してるのも見たし」

「エリザベスが? 陰キャな釈迦堂が溶けてなくならないことを祈るばかりだな」

「毎回思うんだが、エリザベスって誰なんだよ……」

「ほら橘花ちゃん、ここ引っ張ってみて。万国旗だよ」

「わー! すごーい!」

「なにそれ!?」


 橘花ちゃんが俺のポケットから出ている紐を引っ張るとスルスルと万国旗が出てくる。ここに来る途中に立ち寄った雑貨店で興味本位に買ってみたものの使い道のない代物だったが、思いがけず役に立った。橘花ちゃんの目がキラキラしている。ふふん、子供ウケには自信があるんだ俺。


「高橋ブラザーズはもう帰るのか?」

「赤い兄貴と緑の弟みたいに言うな。ウチはマンションの上の方だから花火はベランダから見れるんだ。九重は誰かとデートだったりとか? わりぃ。俺達、邪魔だったな」

「いや、俺も帰るよ」

「そうなのか? あ、そういえばさっき硯川さんも見かけたんだが、なんか男子と一緒にいたけど……。いやでも、硯川さんに限ってそんなことないか」

「――どうやら俺の勘違いだったようだな」

「は? 何を――」

「なら、お腹も空いたしさっさと帰るか。橘花ちゃんもまたね」


 いつまでもこんなところにいても時間の無駄だ。もうすぐ花火も始まるが、別に一人で観たいとも思わない。適当に屋台でも回って帰ろう。


 高橋一成の言葉を反芻すれば、答えは自ずと見えてくる。


 ははーん、なるほど。さては誤爆だな?

 

 灯凪からの連絡は最初から俺に宛てたものではなかったのでは?

 

 別の相手を誘うつもりで誤爆した可能性が高い。俺が返信したときに訂正しなかった理由も良く分からないが、俺からの返信だと気づいてなかったのかもしれない。


 幾ら何でもそんなことは流石にないだろうと思うが、現に硯川灯凪はいないし、にも関わらず他の誰かと夏祭りを回っているのだとすれば、どれほど不自然でも目の前に存在する事実が答えだ。今になって思い出せば、硯川灯凪が意図の分からないメッセージを送ってきたことは過去にも良くあった。

 

 もっと早く気づくべきだった。




 ――あの日、俺の手を振り払った灯凪が、夏祭りに誘ってくるなどあり得ないのに。




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