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第63話 女神の憂鬱

「……ん……ふぅ……」


 重たい瞼を持ち上げる。カーテンを閉め忘れていたのか、窓から日差しが差し込んでいた。ガンガンと頭が痛い。どうにもならない頭痛に顔を顰めて、まどろみから抜け出す。


 ……ここってどこだったかしら?

 そんなことさえハッキリしない。著しい認知機能の低下。症状に思い至る。過去に何度か同様の経験があった。恥ずかしい話だが――二日酔いだ。


 徐々に意識が覚醒してくる。外は明るい。夏らしい快晴。寝汗がじわりと背中を濡らしていた。


 抱えていた案件が片付き、疲れを癒す為に休みを取って温泉に来た。趣味のひとり旅行だ。誰かと一緒ならそういうわけにもいかないが、一人なら気兼ねなく多少羽目を外しても気にする必要はない。


 ゆっくり温泉に浸かり、豪勢な食事にお酒を嗜む。テンションも上がっていたのだろう。楽しみにしていた地酒はサッパリとした滑らかな口溶けで飲み易く、ついつい飲み過ぎてしまった。思いの外アルコール度数が高く深酔いしてしまったようだ。


 ごそごそとポケットを漁るとスマホが見つかる。冷たい硬質な手触り。私はスマホをポケットに入れたまま寝てしまったのだろうか……。


 周囲を見回すと見覚えがある。宿泊している部屋だ。でも、どうしてここにいるのか分からない。昨日の夜、コンビニに行かなかったっけ……? そこから先の記憶がなんとも朧気だ。


「――――ッ!?」


 気持ち悪い感触。最悪な想像に跳ね起きた。

 ペタペタと身体を触る。夜に出掛けたときの服そのままだ。ぐっちょり濡れたショーツが不快さを際立たせる。鈍痛を振り払い必死に頭を働かせていく。


 下腹部に触れる。特に違和感はない。ほっと胸を撫でおろす。最悪な事態は避けられたかもしれない。他に何かをされたような形跡もないが、よく見れば服は嘔吐物で汚れ、下着もとても着ていられるような状態ではない。


 ショーツの冷たい感触がなんなのか理解しつつあった。これでも良い歳だ。笑い話にもならない。周囲に誰もいないのが幸いだった。逆に気楽な一人旅行だからこそ、ここまでやらかしてしまったのかもしれないが……。


 それにしても、幾ら酔っていてもこんな惨状で眠ろうとは思わない。浴衣だって用意されている。寝るならせめて着替えるくらいはしたはずだ。


 ふらつきながら立ち上がる。布団で寝ているというより、布団の上にただ乗せられているような状態だった。


「これって、そういうことよね……?」


 嫌な想像が膨らんでいく。そういえば、昨日誰かと一緒だったような気がする。いざそれを思い出してしまえば、面影も蘇ってくる。


 相手が私が泊っている旅館を知っているはずがない。ましてや部屋まで知っているとなれば私が教えた以外に考えられない。ホテルや旅館が第三者に情報を漏らすことはあり得ない。となれば、それはつまり私が誘ったと捉えられてもおかしくはないということだ。


 溜まっていたつもりはなかったが、自然とフラストレーションを溜め込んでいたなんてことは良くある。……はぁ。良くあると言っても、私が迂闊だったことには変わらない。内心叱責するが、それで現実が覆るはずもない。


 もう一度くまなく身体を確かめる。

 少なくともそういう行為はしていない……わよね?


 脱がされたのだろうか。下着はそのままなだけに匂いもキツイ。相手がそういう気分にならなかったことを祈るばかりだ。


 だんだんと自信がなくなってくる。酩酊状態だったことを考えれば、そのままされていてもなんら不思議ではなかった。もしそうだとしたら万が一もあり得る。幸い大丈夫な時期だが、そんなことはなんの慰めにもならない。


 こういった事例は良くある。言ってしまえば直近まで担当していた案件も似たようなものだ。だが、それはあくまでも無理矢理アルコールを飲まされたような場合であり、自分で酔った挙句、仮に私から相手を誘ったのであれば、どうあっても言い訳すら不可能だった。


 背筋に冷や汗が流れた。明らかな醜態。これほど前後不覚ならば、ちょっとやそっとじゃ気づかない。それこそ直接何かをされていないとしても、実際にどうかなんて分からない。


 ふと、テーブルの上にビニール袋が置かれているのが目に入った。中にはコンビニで買える二日酔いに効くサプリとドリンク、そしてミネラルウォーターが入っている。昨日、私が買おうとしたものだ。だが、それを購入した記憶が私にはない。


「……介抱してくれた? ……まさかね」


 初対面の相手にそんなことありえる?

 何もせず何の見返りも求めず、ただ介抱して帰る。そんな都合の良い人間など存在しないことを私は良く知っている。この仕事をしていれば、嫌と言うほど人の醜さを知ることになるのだから。穿った見方をすれば、これもある種アリバイ作りのようなものとして用意したのかもしれない。


 幾つかの可能性を考える。服を脱がされ写真を撮られるようなことくらいはされているかもしれない。或いは、私が誰か気づかれていれば、それを週刊誌にでも持ち込めばちょっとしたお金にはなる。


 一般人なら単純に被害者として扱われるが、それが多少なりとも著名人のリークならば、それは一つのエンターテイメントとして消費されるのが常だ。会話のやり取りや写真の流出など日々、そんな話題には事欠かない。


 もちろん、そういった手合いにはキッチリ報いを受けさせるし対処にも慣れている。とはいえ、自分自身がターゲットにされることに対して平然としていられるかといえば、そこまで図太くはいられない。


 画像などが流出してしまえば削除申請こそ難しくないが、それでも必ず誰かの手元には残るし、事実は決して消えない。周囲の見る目も変わるだろう。それはあまりにも大きすぎる代償だった。


 楽しみにしていたはずの休暇が最悪なことになってしまった。場合によっては多くの人に迷惑を掛けることになるかもしれない。


 重苦しい気分で汚れた服と下着を着替える。とにかく温泉にでも浸かって気分転換しよう。考えるのはそれからだ。


 最悪な可能性を想像すればキリがない。本当にただ何もなく終わったのかもしれないし、仮に何かあったとしても、一夜の情事として、後腐れなくそれが表に出なければ何の問題もないはずだ。


 今は、そう割り切るしかなかった。

 重い足を引きずるように、私は部屋を後にした。



 

‡‡‡




 銭湯を庶民が楽しむようになったのは江戸時代からというが、かつて源頼朝に追われた源義経が平泉から北の北海道、ひいては大陸に渡りモンゴルに逃亡したとされるのが、かの有名な「義経北行伝説」である。


 その道中、赤羽根峠を抜けた先に見つけた家で、義経は風呂を作らせ入浴した。以来、その家は姓を「風呂」と名乗るようになり、また地名も「風呂」と呼ぶようになったと伝えられている。


 なにが言いたいかというと、逃亡中でも入浴したくなるほど、日本人は昔からお風呂が大好きなのだった。


 帰る前にもう一度温泉に浸かり、すっかり寛いだ九重ファミリーだが、母さんと姉さんはまだ温泉から出てこない。女性のお風呂は長いものだ。


 折角の旅行。これといって急ぐ理由もない。ゆっくりすれば良いと思う。俺はコーヒー牛乳を飲みながら入口でのんびりと待っていた。


 昨日はあれから大変だった。途中で目を覚ました母さんが混ざってきたことで、姉さんによる追求は有耶無耶になった。


 なにもかも遠い過去に終わった事だ。今更掘り返したところで意味などないし、俺自身、結局アレがなんだったのか、どういう理由でそうなったのかも分からない。だがもし、あのままだったら、俺は目的を果たせていたのかもしれない。


 ――いなくなりたいと願った、そんな目的を。

 

 それが良いことか悪いことなのかは分からないが。それでも、あの日の俺は二つの選択肢を持っていた。今ではもう無理だ。片方は選べない。そしてそれは、俺自身が弱くなったということなのかもしれない。


 しかしアレだね。すっぽんぽんの母さんまで入ってきたのは予想外だったよね。温泉とはいえ部屋風呂なので問題はないが、問題はそこじゃない。そう、そこじゃないのだ!


 日に日にリスクが高まっている。ベッタリにも程があるよ……。肉体的な疲労は癒されても、精神的な疲労は積み重なるばかりである。


 母さん曰く、どうやら一緒にお風呂に入って洗ってあげたかったらしい。ご厚意には感謝だが、その役目を姉さんに取られてご機嫌斜めのおこだった。その後、結局、全身を全身でくまなく洗われるという高校生として如何なものか状態になり果てたが、俺ってば、洗われすぎである。お肌も綺麗になりました。ツヤツヤ。


 ふと、どこか見覚えのある女性が、こちらに近づいてくる。


 もしや――妖気!?


 温泉に浸かりにでも来たのだろうか。おもむろに声を掛ける。


「あの、体調は大丈夫ですか?」

「……? えっと……私ですか?」

「はい。昨日は随分と酔っていたようなので」

「!? ――ちょ、ちょっと待って。君の顔なんとなくだけど憶えが……」


 アレ、ひょっとして忘れてる? 俺に経験はないが、お酒を飲み過ぎて記憶を失くすというのは割とよく聞く話だ。成人したらなるべく気を付けることにしよう。


「着替えさせようにも、流石にそういうわけにもいかなかったので」

「着替えって、君、昨日、私になにしたの!?」

「なにって、したのはそっちじゃないですか」

「――やっぱり! したのは私からだったの……」


 どうしたことか慌てた様子で詰め寄られる。激しく動揺していた。昨晩とは違い、その瞳には知性が宿っている。凛とした佇まいに極めて激しいギャップを感じずにはいられない。


 改めて観察してみると、二十代後半から三十代前半だろうか。

 

「酷い目に遭いましたよホント。反省してくださいね」

「……ん? 待って。君ってもしかして未成年……だよね?」

「そうですけど、それがなにか?」

「……私は……なんてことを……。ねぇ、昨日は私が誘ったの?」

「あんなに無理矢理拘束しておいて全然憶えてないんですか?」

「――!?」


 いきなり膝から崩れ落ちた。ぶつぶつと「青少年保護育成条例が……」「バレなければ……」「証拠さえ……」とか言ってるのが聴こえてくる。なんのことだろう?


「君、スマホ、スマホ貸して!」

「はい? どうしてですか?」

「憶えてないけど、悪いとは思っているわ。でも、万が一にもバラされるわけにはいかないの。君、もしかして撮影とかしてないよね?」

「してませんよ」

「ごめん、信用できない。だからスマホを見せて」

「だからそんなことしてないですって」

「なら問題ないでしょう。いいから見せなさい!」


 有無を言わさず従わせようと高圧的に迫られる。余程不味いことでもあるのか焦っていた。あからさまに面倒な事態に素直にスマホを手渡す。


 奪い取るように無理矢理手に取ると、勝手に操作を始める。


「ロックは……掛かってない。画像は……え? ……なにもない? 君、どうして画像が一枚もないの?」

「元からです」

「――本当はどこかのパソコンにでも送ったんじゃない?」

「何故そんな嘘をつく必要性があるんでしょうか?」

「何故ってそれは……」


 俺が唯一保存していた三条寺先生のムフフ画像は、その危険性からUSBに移して保管してある。世の中何があるか分からない。なんでもネットに繋がるIoT社会の到来は、同時にリスクも増やす。


 オフラインに隔離しておくこで不測の事態を避けるのがリスクマネジメントを欠かさない男、九重雪兎である。


「なにかあったら困るのよ。対処は難しくないけど、私にも立場があって――あっ!」


 再びこちらに詰め寄ろうとして女性の手からスマホが滑り落ちた。パキッと音がして無情にも画面が割れる。スマホ全盛の時代、未だ強化ガラスの強度は思ったほど強くはなかった。


「…………」

「ごめ、ごめんなさい! その、キチンと弁償を――」


 それほど普段から使っていないとはいえ、スマホの画面を割ったのは初めてだ。割ったのは俺じゃないけど。拾って確かめる。一応タッチパネルは正常に動作するが、画面が見辛いことこの上ない。


「――雪兎、誰その人?」


 背後から聞き慣れた声。温泉から母さんと姉さんが出てきた。


「妖怪顔面ゲロ吐き失禁クソBBAです」

「……妖怪? そういえばアンタ昨日そんなことを――」

「うわぁぁぁぁあん、お母さぁぁぁぁぁぁぁあん!」

「よしよし。抱っこしてあげる」

「気の迷いでした」


 昨夜、散々迷惑を掛けられた上にお礼もなく、今日になっていきなり絡まれた挙句、スマホの画面まで割られたとあっては、幾ら温厚な俺でもほんのちょっとだけ口が悪くならざるを得ない。


 母さん達に顛末を説明する。顔面からゲロをぶち撒けられたり、背中で失禁されたこともバラしてやった。顔が真っ青を通り越して白くなっている。ざぁまぁみろ。その間、姉さんの目がみるみる険しくなっていく。


「そんなことしてないって言ってるのに、まったく信じてくれないしスマホも割られるし……」

「だから変な女には気を付けなさいっていつも言ってるでしょ。それがこの世界の摂理なの。いい? 分かった? 分かったなら、返事は大好きお姉ちゃんよ」

「はい」


 良く分からないことを言ってるのはスルーして、素直に返事する。こればっかりは反省するしかない。犬は歩くと棒に当たるが、俺が歩くとトラブルに遭遇する。重々肝に銘じておく必要がある。ホントもう無視すれば良かったよ……。


「――ところでアンタさ、うちの弟になにしてくれてんの? あ?」

「申し訳ありません! そんなつもりはなくて、ちゃんと弁償はさせて頂きますから。まさか家族連れだったなんて……」

「うーん……。貴女どこかで見たことあるような気がするんだけど……」

「――!」

「知り合いなの?」

「そうじゃなくて……」


 敵意を剥き出しにしている姉さんとは別に、母さんは何やら思案顔だ。と、なにかを思い出したのか、急に表情が明るくなる。


「思い出した! 雑誌で見たことあったの。確か……そう、法曹界の女神!」

「この妖怪顔面ゲロ吐き失禁クソBBAが女神?」

「この妖怪顔面ゲロ吐き失禁クソBBAが女神ってどういうこと母さん?」


 なんか姉さんも追随してくるが、女神とはこれ如何に?


「彼女、新進気鋭の弁護士なのよ。それでよく雑誌にも取り上げられていて、死語かもしれないけど、法曹界のマドンナってやつね」


 意外な事実が明らかになる。

 弁護士? この妖怪顔面ゲロ吐き失禁クソBBAが? とてもそんな風には見えない。


「妖怪から女神……? それも弁護士? ……女神……転生? ……いや女神先生……」


 ――ハッと閃く。


「なるほど。略してメガセン――!」

「やめなさい」

「はい」


 ©が怖いので程々にしておく。


「そうそう思い出したわ。名前は――不来方久遠(こずかたくおん)




‡‡‡




「ごめんなさい、待たせてしまったかしら」

「ううん、私も今来たところだから。久遠さんと会うの久しぶりだね」

「付き合ってもらって悪いわね。どうしても話したいことがあって」


 ひとり旅行から帰り、2日が経っていた。個室のカフェで従妹と待ち合わせる。個室を選んだのは、周囲を気にすることなく話したいことがあるからだ。


「これ今回のお土産。私も食べてみたけど美味しかったわよ」

「そうなんだ。ありがと。皆にも渡しておくね」


 適当に注文を済ませる。昼食時、手頃な料理と飲み物を注文して一息つく。


「また温泉に行ってたんだっけ?」

「そうなのよ。温泉自体は最高だったんだけど、それがねぇ……」

「聞きたいことがあるんだよね? 私に答えられることなんてないと思うけど……」


 普段から従妹とは仲良くしているし、会話も多い。メッセージのやり取りもよくしている。歳は離れているが、従妹は単純に聞き上手だった。慕ってくれるし、楽しい気分になれる。


 聞きたいこともあるが、なにより愚痴を聞いて欲しかった。こんなことは到底事務所の子には話せない。仲の良い同級生か、それこそ従妹くらいだ。身内だからこそ気にせず恥を晒せるというのもある。


 土産話に華を咲かせながら、自分の醜態を語る。こうでもしないと気が休まらなかった。とにかく思い返せば思い返せすほどに、普段の自分とはかけ離れた愚かな行為に終始しすぎていた。


 彼からちゃんと話を聞いてみれば、私がやったことは、ゾッとするような醜態を晒した挙句、勝手に勘違いして詰め寄り、不審な目で疑いスマホを破壊しただけだ。事実を並べ立てるだけでも眩暈がしてくる。


 彼は酔い潰れていた私をわざわざ運んでくれただけで、感謝こそすれ、なんら落ち度はない。当初、私が懸念したようなことなど何一つなかった。それもそうだろう。家族旅行で温泉に来ているのに、女性を連れ込もうなどと思うはずがない。


 それなのに私は全てにおいて最低だった。不快感と嫌悪感しか持たれていないだろう。事実、彼の姉が私に向ける視線は極めて手厳しいものだったし、まったくもってその通りだ。素性もバレている。呆れられているだろうし、クズ人間だとネットに書かれても否定のしようもない。


 壊したスマホの弁償はするが、そんなものは当たり前であり、むしろしなければ訴えられてもおかしくない。最低限必要なことだ。


 それとは別に、誠心誠意謝らなければ私の気が済まなかった。日を改めて後日、正式に謝罪するつもりだ。それこそ何を言われても、甘んじて受け入れよう。


 もしこれで、彼が持っていた優しさを失わせるようなことになれば、それこそ目も当てらない。損得なく誰かを助けようと動ける人はとても尊い。こういう仕事をしていると、どうしても人間の醜い面を見ることは日常になる。だからこそいつの間にか私も、そんな疑い深い人間になっていた。


 清流のような綺麗で澄んだ人間性を持つことは得難く、とても貴重で決して穢してはならない。それでも、あそこまで清廉な人物像に、どこか未だに現実感がないのも事実だった。


「それで、その子の顔に嘔吐しちゃったの? ……それはちょっと酷いよ」

「今回ばかりは真摯に反省したわ。お酒は好きだけど、なるべく控えるようにしなきゃね。貴女も成人したからって、こんな飲み方しちゃ駄目よ。私が言っても説得力なんてないけど」

「気を付けるとしか言えないけど、久遠さんが、そんな失敗するなんて思わなかった」

「私だってこんなことになるなんて思ってなかったわ。……それだけじゃないし」


 ……流石に漏らしたことまでは言わなくて良いわよね?

 従妹と言えども、大人としてのささやかなプライドが否定する。それでも文句の一つも言わず(実際には言っていたのかもしれないが)、私を部屋まで運んでくれたことには感謝しかない。


 彼としては着替えさせるわけにもいかず、部屋には私しかいなかった。放置するしかない。それでもテーブルの上には、私が買った覚えがないミネラルウォーターとアルコールを分解するサプリが置かれていた。彼が用意してくれたものだ。


 そんな気配りまでしてくれた相手に私はなにを……。この二日ばかり、そんな酷い自己嫌悪にばかり陥っている。仕事に持ち込むわけにはいかない。だからこそこうして吐き出したかった。


「でもなんだか不思議な子だったわ。最初は私を妖怪とか呼んでたし」

「妖怪? なにそれ面白いね」

「名前はとても言えたものじゃないけど。それにそうそう。彼のお母様が私の事を知っていてね、それ以降、何故か私のことを女神先生と呼ぶから恥ずかしくて。変な異名を付けないで欲しいわ」

「……女神先生? なんだか猛烈な既視感が……」

「それで貴女に聞きたいことがあったんだけど。彼、一年生だけど貴女と同じ高校みたいなのよね」

「そうなの? ちょっと待って。なんだか急に嫌な予感がしてきたんだけど――」

「九重雪兎君って言うんだけど」

「――!?」


 彼のご家族に名刺を渡してあるし、連絡先も聞いている。その際、偶然にも従妹と同じ高校に通っていることを知った。生徒数だって多い。従妹が知っているとは限らないが、それでも今日、こうして話をしたかったのは、なにか参考にならないかと思ったからだ。


「……女神先生……女神先輩……一年生……九重……」

「どうしたの鏡花? なにか知ってるなら教えてくれると嬉しいんだけど」


 どういうわけか従妹の相馬鏡花は、驚愕に目を見開くと云々と唸っていた。




‡‡‡




「突然ですが、部屋に鍵を設置したいと思います」

「却下」

「……ごめんね。私達邪魔かな?」

「そういうわけじゃないんだけど」

「ならいいじゃない。もし一人でしたいことがあるなら私に言いなさい」

「はい」

「私がしてあげるから」

「!? それは一人じゃないような」

「まぁまぁ、気にしない気にしない」


 母さんは大らかだなぁ。これが俗にいう包容力なのだろうか。


 でも、なんで俺の部屋にいるんだろうこの人達?

 俺の部屋は集会場か。一緒に一狩り行く?


 温泉旅行から数日。なにかと部屋にやってくる家族に困り果てた俺はプライベートを主張してみたのだが、あえなく不許可となった。着々と俺のではない私物が増えている。なんで自分の部屋に戻らないの?


「リビングで映画でも観る?」

「リングコンでフィットネスしよっか。教えてくれる?」

「アンタらの思惑には嵌らないからな」


 どのパターンでも俺がロクな目に遭わないのは確実だ。なにかと理由を付けては精神力を削ってくるのが常套手段になっている。たまになんかもう色々と全部投げ出して身を任せたくなるが、そうなったら確実に再起不能だ。


「……あれ?」


 画面がバキバキのスマホにメッセージが来ていた。液晶の修理だけで良いと言ったのだが、妖怪顔面ゲロ吐き失禁クソBBA改め女神先生が、本体ごと弁償すると言って聞かなかったので、後日交換予定となった。


 メッセージの内容に目を通す。




「――夏祭り? 三年ぶりだな」




 その送り主は硯川灯凪だった。

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