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第56話 番外編:バレンタインの憂鬱

番外編は前後の時系列から独立した話だってばっちゃが言ってた

「神代、受験の方はどうだ?」

「一応、大丈夫じゃないかと。あはは」


 職員室に呼ばれた私は曖昧な答えを返す。

 呼び出された理由になんとなく見当はついていた。


 先生も決して受験のことが聞きたいわけではないはずだ。何故なら私を呼び出した相手は男バスの顧問だから。


 2月。私達3年生はとうに部活を引退して受験に備えている。

 2年生への引継ぎも終わり、学校に来るのも卒業を控えるまでの後僅か、そんな時期だった。


「神代は確か九重と仲良かったよな」

「そこまでではないですけど……」


 ズキンと胸が痛む。彼との仲を否定しなければいけないこと、その理由。そしてその結果引き起こしてしまった事態。それらは全て私が原因であり、そして同時にそれを私はひた隠しにしているから。


「俺もアイツ等と謝りに行ったんだが、どうにもならなくてな。お前の方からそれとなく話すように言ってみてくれないか?」

「私がですか……?」

「あぁ。このままだと2年も1年も戻ってくるか分からんしなぁ」


 困り顔の先生は重苦しくため息をつくと、コーヒーを口に含む。


「まだあのままなんですか?」

「ん? どっちかというと最近になってアイツ等ますます部活に来なくなってな。アイツの方は受験も問題ないだろうし、そっちについていってる奴が多いらしい。卒業したら戻ってくるとは思うんだが……」

「そう……ですか」


 あの事件以来、男バスは開店休業状態だ。

 男子バスケ部の3年生は、最後の大会をユキが骨折したことで棒に振った。


 前回の大会で目覚ましい結果を出し、最後の大会こそはと意気込んでいたメンバー達にとって、ユキの怪我は想定外だった。意気消沈のまま迎えた大会の結果は言わずもがな1回戦敗退というものだった。


 これまでになく真剣に、熱心に練習に打ち込んでいたメンバー達は、ついユキを非難するようなことを口にしてしまう。顧問の先生も自己管理が甘いと苦言を呈した。そしてユキは迷惑を掛けたことを全員に謝罪し、退部した。その理由を一切口にすることのないままで。


 まさか退部するとは思っていなかった顧問もメンバー達も大慌てで引き止めに掛ったが、幾ら言い過ぎたと後になって謝っても後の祭りだった。そもそも最後の大会が終われば、3年生がこれといって部活に残る必要もない。今更引き止めてもどうにもならなかった。


 けど、それだけでは済まなかった。

 前回の大会で目覚ましい結果を残せたのも、ユキがチームを引っ張ったおかげだ。もともとユキ以外はそこまで部活に力を入れていなかった。どちらかといえば、男バスはカジュアルにバスケを楽しみたい層が集まっていた部活だったから。


 しかし、2年生や1年生になると変わってくる。特に1年生にはユキの活躍を見てバスケ部に入部した部員もいたし、2年生もユキに影響を受けて熱心にプレイする部員達が増えていた。そんな部員達からすれば、ユキに頼りきりだったにも関わらず、責任を転嫁し、追い出したように見える3年生達と軋轢が生まれるのは当然だった。


 ユキが退部した後、男バスはギクシャクし始め割れてしまう。結局、3年生の引退までその状態は続き、そんな中で、部活に来なくなる下級生も増えていた。


 その下級生がどこに行ったのかと言えば――


「九重君だって分かってると思います」

「まぁ、九重も困ってるみたいだったけどな。話してはいるとは言っていたが……」

「ああ見えて面倒見が良いですから」

「とはいってもなぁ。とにかく一度神代からも伝えてくれ」

「分かりました」


 返事をして職員室を後にする。

 残念だけど、私には到底不可能なミッションだ。

 当事者である私にそんなこと出来るはずなんてない。


 廊下をトボトボ歩きながら、何百、何千と数えきれないほど繰り返した後悔に苛まれる。結局はこれも私が引き起こしたこと。



 今私がこうしていられるのもユキが守ってくれたから。



 ユキは私を守る為に骨折し、そして私が原因で骨折したことを誰にも言わないことで、私が周囲から責められることからも守ってくれた。私は2回助けられたんだ。


 ユキが骨折した理由を私が言えるはずがない。彼が言わなかったことを、私が言って無為することなんてできない。それが、どれほど私を苦しめたとしても、それだけが私にできるたった一つのことだった。



 2月。それは受験生にとっては試練の季節。

 そして、想いを伝える季節でもある。



 見上げた冬の空はどこまでも澄み渡り、ひんやりした風が私の頬を撫でていった。




‡‡‡




「帰れ小僧共」

「一年しか違わないじゃないですか」

「あのなぁ。こう見えて俺は受験生なんですけど」

「先輩、受験ヤバいんですか?」

「俺を舐めるなよ小僧。100回受けて100回合格するが?」

「大言壮語にしか聞こえないっスけど、マジっぽいのが凄いですよね」

「いや、本当だってば!」


 俺の選んだ高校は偏差値的にもそう難しくない。受験もこう言ってななんだが余裕だろう。事実を事実として認識するのが、この俺、九重雪兎である。


 テスト中、腹痛にでも見舞われ一問も解けないような事態にさえならなければ楽勝といってもいい。最も俺の場合、内申点が致命的に悪い可能性が高いのでそこは不安要素だが、しかしそんなものは俺自身でどうにかすることもできないので、気にしても意味がない。担任のご機嫌窺いにも余念はなかったので大丈夫だと思う。うん。


「お前等ちゃんと部活行けよ。その前も顧問に嫌味言われたぞ」


 放課後、どういうわけか俺は部活の後輩に囲まれていた。といっても、既にバスケ部を退部している身なので、直接の後輩というわけではない。


「多分卒業までこんな感じじゃないですか?」

「あと一か月もこの調子なのか……。それに人数増えてないか?」

「1年は特に先輩と部活やりたくて入部した奴も多いっスからね。こんな状況だとこっち選びますよ」

「選ばれても困るんだが。何が悲しくてこの真冬に外で運動せにゃならんのだ」

「いいじゃないですか! 早く行きましょうよ先輩」

「君達、上級生を敬う気とかないの?」

「先輩は1年のときからやりたい放題していたって聞きましたけど」

「いつも思うけど、俺の変な噂流しているの誰なんだろ?」


 首を傾げるが一向に答えは出ない。グイグイと背中を押され、バスケ部一向+引退済みの俺は屋外コートに向かうのだった。



 2月14日

 バレンタイン。


 勉強に追われる受験生も、この日だけはソワソワと浮足立っている。男子も女子も奇妙な緊張感に包まれ、貰えたものは歓喜し、貰えなかったものは悲哀に包まれる。そんな格差社会を感じさせる一日だった。


 かくいう俺は、姉さんと母さんに貰えたのでもう満足だ。これ以上を望んだりはしない。俺って謙虚なので。え? 強がりじゃないし。心無い者達は何かと家族はノーカンとか言いたがるが、母さんや姉さんから貰いたい人は沢山いるはずだ。美人だからね。どうだ羨ましいだろう?


「君達、バレンタインに悲しくなんないの?」

「俺は女バスの石原さんから貰ったんで」

「なん……だと……?」


 今日も今日とて何故か集まる下級生の皆さん。

 俺はインストラクターではない。どうしようコイツ等……。

 

 まさか本当に俺が卒業するまで付き纏うつもりなのだろうか?


 勝利報告した勝ち組の2年が、ブーイングを受けて揉みくちゃにされている。中には1年生も混じっていた。うん、慕われているな。この団結っぷりなら来年のバスケ部は大丈夫だろう。現在絶賛崩壊中なのは見ないフリだ。


 相も変わらず放課後、俺をストバスに連行しようと企む下級生達だが、悲しきかな学校でチョコが貰えそうにない俺には放課後、予定はなかった。一応、クラスメイトや女バスの面々からお徳用の義理チョコらしきものを貰ったが、それはあくまでもお付き合い、いわば接待のようなものだ。勘違いなど許されぬ大量配布。虚しい……。


 玄関口で上履きを履き替えていると、呼び止められる。

 目の前にいたのは、幼馴染の硯川だった。


「どうした?」

「えっと……」


 もじもじと何かを言いたげに言葉を濁す姿をぼんやり眺める。思えば久しぶりの会話だった。これまで俺から話しかける事はなかったが、こうして硯川が話しかけて来たのもいつ以来だろうか。そんなことも思い出せない。


「あのさ……雪兎は今日、これから帰り?」

「まぁ、寄り道する予定だけどな」

「そっか……」


 放課後に使える時間は限られている。実際に部活でもない以上、下級生達を何時までも付き合わせるわけにはいかない。日が沈むのも早い時期だ。暗くなる前に帰宅させることを考えれば、精々1時間程度しか活動出来ないが、どういうわけかそれでも一緒にやりたいらしい。


 退部したのは俺の意思であり我儘だ。下級生が一緒にやりたいというなら、せめて、残り僅かな期間、その望みを叶えてやりたいとも思っていた。


「これ、あげる」

「チョコか……」


 なんとなく、硯川が呼び止めてきた時点で、そうではないかと思っていた。今日という日を考えれば予想はつく。彼女はとても律儀だ。


「ありがとう。嬉しいよ」


 受け取りそう素直に感謝を述べる。

 少しだけ硯川の顔が晴れた気がした。あまり顔色が良さそうには見えない。それも当然かもしれない。何故なら彼女には――


「硯川、チョコありがとう。でも、もうこういうのはこれで終わりにしよう」

「えっ?」


 呆気にとられたようにポカンとした表情を浮かべている。

 それもそうだろう。バレンタインに俺達はこんなことを繰り返してきた。それがまるで義務かのように。


 そして彼女は今年もこうしてチョコをくれた。

 習慣のように、そうすることが決められているかのように。


「君には本命がいるだろ。だからもう義理チョコは良いよ」

「な、なに言って……」

「惰性や習慣で欲しいわけじゃないんだ」


 去年までなら素直に喜べた。期待を抱けたのかもしれない。ただ、彼女に彼氏が出来た今、こうして渡される義理チョコは、あまりにも無機質で、惨めだった。


「バレンタインは何の為にある? 何の為にチョコを渡す?」

「雪兎……?」


 彼氏がいるにも関わらず、幼馴染だから、毎年そうだからと、こうして俺にチョコを渡すことは、彼女にとっても迷惑であり面倒で煩わしい行為そのものでしかないのだろう。浮かない表情を見ていればそれくらい分かってしまう。


 もしその表情が、昔のように輝いていたなら、まだ何かを期待することも出来たかもしれないが、硯川の表情は暗く沈んでいる。億劫だと感じているのだろう。俺の存在は今や硯川にとってお荷物でしかない。


 チョコは手段に過ぎない。渡すことが目的ではなく、自分の気持ちを伝えることが目的のはずだ。チョコはその代替手段にすぎないのだから。


「毎年、君がくれたチョコが嬉しかった。何よりも君から欲しかった。でも、それは義務で欲しかったわけじゃない」

「ちが、違うの! そんなつもりで渡したんじゃ――!」

「俺が欲しかったのは、君の――」


 言葉をつぐむ。そこから先を口に出すことは出来ない。最早禁句でしかない迷惑行為。何処までも未練がましくて無様だ。気持ちを振りきるように打ち込んだバスケも、結局は最後の大会に出る事さえままならず、割り切れないままに霧散してしまった。どこかに気持ちのすべてを置き去りにしたままで。


「勿論ホワイトデーはちゃんと返すよ。安心してくれ」


 当然、貰った分はキチンと返す。でも、それも今年で終わりだ。


「先輩、どうしたんですか? 早く行きましょうよ」


 後輩が様子を見にやってくる。ちょうど良かった。これ以上、この場にはいたくない。


「あぁ、悪いな。すぐに行く」


 チョコを鞄に入れ、ローファーに履き替える。振り返ることはしなかった。道化のように何かを期待して否定される。そんなバレンタインはもう終わりだ。だから俺は気づかない。そのとき、硯川がどんな顔をしていたのか。このときはもう、俺の目に彼女の姿は映っていなかったから。




‡‡‡




「どうしてかな……どうしてこうなっちゃうんだろ……」


 フラフラと壁に寄りかかる。今にも倒れ込みそうな身体を支えるので精一杯だった。


 久しぶりの会話だった。なけなしの勇気を振り絞って声を掛けられた。バレンタインという日が、臆病な私の背中を押してくれた。今日はそんな特別な一日だった。一日千秋。この日をずっと待っていた。


「義理なんかじゃない……義務なんかじゃ……」


 そんなつもりで渡したことなんて一度もない。

 それでも、雪兎がそう思うのも当然だ。


 私はこれまで、彼にチョコを渡すとき、いつも恥ずかしさを誤魔化す為に、執拗なまでに「義理だから」「勘違いしないで」「幼馴染だから」「ついでだから」そんな吐き気がするほどおぞましい正反対の言葉を繰り返して来たんだから。


 いつだって嘘だらけで、虚飾だらけで、何も伝えてこなかった。なにが勘違いなのよ。なにが義理なのよ。必死に選んで、ときには手作りして、喜んで貰いたくて。それなのに、それを全て否定してきたのは私なんだ。握り締めた拳が力なく壁を叩く。


 言葉にしなければ何も伝わらないのに、素直になれないからと、そんな嘘を付き続けて。それで、気づけば彼は目の前からいなくなっていた。


 彼は何を欲していたのだろう。

 バレンタインは何の為にある? 何の為にチョコを渡すの?


 どうして今まで気づかなかったんだろう。

 彼が欲しかったのは、望んだのはチョコじゃない。

 私の言葉で、私の――


「私の気持ち……」


 チョコに乗せた自分の想いさえも否定して。彼は今までどんな気持ちで私からチョコを受け取って来たんだろう。何かを期待して、その度に私はそれを否定し続けて。それでも彼はいつも笑って、「ありがとう」「嬉しい」と、言葉を返してくれた。


 ホワイトデーにお返しをくれるとき、彼は一度だって義理だからとも幼馴染だからとも言ったりしたことがない。真っ直ぐに私のことを見て、言葉を伝えてくれてたんじゃない。


 彼に渡す特別なチョコを、自らその価値を貶めて。

 想いの宿らない無価値なチョコを、いつもどんな気持ちで食べていたの?


 夕暮れに染まる空は、あの日、彼が告白してくれた日のように朱く緋色に染まっていた。




‡‡‡




「もう!」


 私は急いでいた。こんな日に限って、思いがけず担任に用を押し付けられ出遅れてしまう。放課後、私がユキは教室に向かったときには、その姿はなかった。下駄箱を覗くが靴もない。もう帰ってしまったのだろうか。


 どうしようかと逡巡する。

 連絡をしようにも、彼はスマホを持っていなかった。


 明日から週末に入る。このままなら、次に会えるのは来週の月曜だ。それまで待つ? 鞄の中には、迷いに迷って選んだチョコが入っていた。こんな風に本気でチョコを選んだことは初めてだった。毎年、バレンタインの日に女子達が騒いでいるのを、どこか他人事のように見えていた。自分には無関係なイベントだと思っていた。


 それなのに今は。


「行ってみようかな」


 ユキの家は知っている。以前、一緒に帰ったとき教えてもらったことがある。でも、行った事はなかった。突然、連絡もせずに行って迷惑にならないだろうか。どうしようか答えの出ないまま、ただ私はユキの家に向かって歩き出した。


「来ちゃった……」


 マンションを眼前にして、足が止まる。到着したはいいが、どうしたものかともう10分近くこの場で立ち竦んでいた。エントランスでただ時間ばかりが過ぎていく。郵便受けにでも入れて帰ろうかとも思うが、どうしても話したいこともあった。


 入院明け、ユキが退院して学校に登校するようになってから、あまり会話していない。事情を説明するときも、ユキは私の名前を出さなかった。どうして庇ってくれたのか、どうして私の名前を出さなかったのか。聞きたいが、それを聞く事自体が彼のしてくれたことを無下にするような気がして、出来なかった。


 鞄からチョコを取り出し、彼が住んでいる階を見上げる。

 結局まだ誤解だって解けていない。


 だからもう一度、ちゃんと告白したくて、ここまで来たのに。


「貴女、神代さん?」

「え?」


 マンションから出てきた女性に声を掛けられる。

 長い黒髪、スキニーパンツにショートのトレンチが似合っていた。スラリとした美人。


「生徒会長……?」

「いつの話よそれ」


 半眼で呆れたようにボヤかれる。

 直接話したことはないが、私も良く知ってる人物。ユキのお姉さん。

 

 卒業してしまったが、去年までは生徒会長を務めていた。美人で格好良くて頭も良い。非の打ち所がない。それが私の素直な感想だった。


「悠璃さん」

「どうして貴女、ここにいるの?」


 その視線が決して好意的ではないことに気づく。剣呑な視線が油断なく私を捉えていた。


「あの……ユキ、雪兎君に会いたくて……私!」

「あの子はいないけど」

「え? そ、そうですか」


 無駄足だったらしい。落胆してしまう。何処かに出掛けているのか、或いはまだ帰っていないのか。目的の人物がいない以上、この場にいる必要はない。


「それ……渡すつもり?」

「え?」


 悠璃さんの視線が手に持っていたチョコに注がれている。堂々と手に持っていればバレバレだ。そのことに気づいて、咄嗟に顔が朱くなる。


「えっと……いないなら、また今度にします!」


 慌てて踵を返す。

 が、背中越しに聞こえてきた冷たい声に足を止めざるを得なかった。


「また、弟を騙すの?」

「――ッ!」


 くるりと振り返ると、悠璃さんは私の目の前に来ていた。

 カツカツとパンプスの音が地面を鳴らし、その怜悧な視線が私を射抜く。


「また弟を騙して傷つけるつもりなの? そんなことを私が許すと思っているの?」

「なに……を……」


 その瞳には明確な憎悪が宿っていた。


「神代さん、私は知ってるの。貴女がしたことを。貴女が原因で大怪我したことも」

「ご、ごめんなさい! 私っ!」


 震えが止まらない。私は勘違いしていた。

 ユキが学校で私の名前を一切出さなかったからといって、家族にまで言っていないとは限らない。どうしてそういう事態になったのか正直に話したのだろう。家族にまで嘘をつく理由がユキにはない。


 そもそも物事を隠し立てするタイプではなかった。ユキはそのうえで庇ってくれたんだ。でも、それはきっとユキの家族にとっては許せないことで。


「どこまで弟を馬鹿にするつもり?」

「そんなつもりなんて――!」

「ただでさえ、あの女のことで傷ついていたのに、それを利用するなんて」

「私は本気だったんです! 騙すつもりなんて……」

「だったら! だったら貴女はどうしてあの子の隣にいてあげなかったの!」


 胸倉を捕まれそうなほど距離が縮まり、睨みつけられる。


 私がついた愚かな嘘もなにもかも知られている。

 私はきっと悠璃さんにとって許せない存在。


「私が悪いんです! 嘘をついて、庇ってくれたのに誰にも言わずに。そのせいで部活だって辞めることになって! 私が全部、私がいなかったらユキは大会にだって!」


 自分が何を言っているのかも分からなかった。涙が溢れ、ただただ謝罪の言葉を積み重ねる。手に力が入った衝撃で、グシャリとチョコの入った箱が潰れた。


「泣きたいのは貴女じゃない。あの子の方よ」

「ごめん……なさ……い」


 興味を失ったように、私から目を離すと、そのまま歩いて何処かに行ってしまう。


「もしかしたら、屋外コートにいるのかもね」


 去り際に一言だけ、悠璃さんがそう言ったのが聞こえた。

 それが何を意味しているのか理解する頃には、私は走り出していた。



 神代汐里が駆け出していく。もうかなり時間が経っている。今から向かったところで、弟がいるとは限らない。いや、既に引き上げているかもしれない。もうすぐ家に帰ってくるはずだ。神代汐里が今から向かったとしても、無駄足になる可能性が高い。


「嫌な女だ。私……」


 それでもあえて、そんな徒労に終わるかもしれない嫌がらせを仕向けたのは、そうでもしないと収まらないからだ。どうしようもない自己嫌悪に苛まれる。まるで鏡を見ているような、自分の醜さを写し出すような、そんな鏡を。


「あの子を一番傷つけたのは、私なのにね」


 誰ともなく吐き出した言葉は、自嘲と共に消えていった。




「いない……?」


 日は既に落ちていた。暗がりを街灯だけが照らしている。遠くから聞こえる少しばかりの喧騒と、虫の鳴き声だけがBGMとなって響いていた。


 とうにユキはいなかった。この寒い時期にこんな時間まで活動しているはずがない。遅くて、間に合わなかった。どういうつもりで悠璃さんは教えてくれたのか、或いはこうなることを見越していたのか。思えば、あれだけ私に対して敵意を向けていた悠璃さんが、素直に教えてくれたのも不自然だった。


 力なくベンチに腰を下ろす。なにもかもが上手くいかない。伝えるべき言葉の一つさえ伝えられず、渡したいモノ一つ渡せない。とても近くにいるのに、どこまでも距離を感じてしまう。


 ふと、ベンチの横に設置されているゴミ箱が目に入った。いっそのこと、このまま捨ててしまおうか。どうせ渡せるはずなんてないんだから……。


「こんなの要らないよね……」


 外箱は潰れて酷い有様だ。中身も無事かどうか分からない。割れていてもおかしくない。どうにも不格好で、まるで今の自分のようだと思わずには要られない。


 抗い難い欲求に誘われるように、ゴミ箱へ捨てようと、立ち上がる。好きだなんて言う資格はない。ただ私に出来る事は償うことだけだ。台無しにした全てに対して、ただ報いることだけを望めば良い。


 恋なんて、こんな気持ちなんて捨てるべきなんだ。




「こんな時間になにやってんだ?」




 ただ聞きたかった声がして、私の手がピタリと止まった。




‡‡‡




「……ユキ? なんで? どうしてここに……?」

「それはこっちの台詞だ。ちょっと知り合いと会ったから話してた」


 どういうわけか神代汐里がそこにいた。何故?

 こんな時間にしかも制服姿だ。


「友達?」

「相手は高校生のおっさんだぞ。断じて友達ではない」


 やはりどう考えても知り合いが適切な表現だろう。たまに一緒にストバスをしていた高校生のグループと久しぶりに再開した。骨折していた頃は御無沙汰だったのでしょうがないが、俺が全く顔を出さないので、微妙に気にしてくれていたらしい。百真先輩は良い人である。おっさんとか言ってすみません。


「そっちは何してんだこんなところで。風邪引くぞ」

「う、うん。ごめんね」

「謝られても困る」


 自販機でホットのコーヒーとお茶を買い、ベンチに座る。神代にお茶を渡して、コーヒーに口を付ける。


「なにか用か?」

「……ごめん」

「謝ってばっかりだな」

「どれだけ謝っても足りないよ」

「そんなの誰も求めてないけどな」

「でも、でもさ! 私のせいでユキが」


 困ったな。神代は情緒不安定だ。

 正直、しょっちゅう怪我している俺からすれば、別段気にするようなことでもないのだが、神代自身はそういうわけにはいかないらしい。


 かといって、俺に何か掛けられる言葉があるわけもなく、ただ黙ってその場に座っていることしか出来ない。腹減ったなぁ……。母さん怒ってないかな。姉さんは確実に激おこぷんぷん丸だ。


「今日ね。これを渡そうと思ってたんだ」

「随分とベコベコだが?」

「ごめんね。要らないよねこんなの」


 力なく笑うと、そのままゴミ箱に捨てようとする。


「人に自分が要らないと思うようなモノを渡そうと思ってたのか?」

「違うの! でも、渡せない。渡せないよ! だってその先を言う資格が私にはないから……」

「いいからよこせ」

「あっ、駄目!」


 箱を破ると、中身はチョコレートだ。この場面でそれ意外だったら逆にビックリだが、少しだけ散乱しているものの特に問題はない。そのまま開けて、口に入れる。コーヒーついでのおやつにちょうどいい。


「チョコレートは疲労回復効果もある」

「ユキ……」

「そんな顔してないで、神代も食え。血行が良くなるぞ」

「むぐ」

 

 容赦なく神代の口に突っ込む。ついでに言えばチョコには身体を温める効果もある。バレンタインという真冬の寒い時期に渡すのがチョコレートなのは意外と合理的なのであった。


「さて、チョコも食べたし帰るか」

「ユキはさ、どうしてそんなに私に優しくできるの?」

「優しいか? 通知表に書かれたことないな」

「見る目がないんだよ」


 そう答える言葉にどんな感情が込められているのか分からない。何を求めているのか、どんな言葉を欲しているのか。それを理解出来るほど、深く人と関わってこなかった俺には経験値が足りていない。だからいつも答えは途方もなく的外れだ。


「いいか。怪我をしたのは全部俺の自己責任で、神代は何も悪くない。野球の監督と一緒だ。全部俺が悪い。それだけ。ほら、帰るぞ受験生」


 いつまでもこんなところにいるわけにもいかない。今が一番大切な時期だ。体調でも崩せば洒落にならない。会話を打ち切って立ち上がらせる。


 いつだって、悪いのは俺で他の誰かじゃない。


 

 俺がいなければ、神代が苦しむことなんてなかった。

 俺がいなけば硯川も気兼ねなく先輩と付き合える。

 姉さんも俺がいなければあんなことはしなかった。

 母さんも俺がいなければ仕事に打ち込めたはずだ。



 だから誰も気に病むことなんてないはずなのに。

 こんなに簡単なことなのに。



「どうしてそんなに悩むんだろ?」



 その問いに答える者は誰もいなかった。

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