第54話 爽やかイケメンと遊ぼう①
「……んっ……あぁ……くっ……はぁ……ふぅっ……」
「いやあの……」
「なに?」
「なんでもないです」
艶めかしい嬌声は聞かなかったことにして無心で作業を続ける。きめ細かな肌にはドット抜け一つ見つからない。ひんやりした手が肌を伝い、ふっと息を吹きかけるとビクンと身体を反応させる。くすぐったいのか、脚を擦り合わせるように身体を捩ったせいで、スカートがめくり上がってしまう。露わになる生足に、その光景を直視してはならないと目を逸らそうとするが、現在の体勢がそれを許さない。
一心不乱に続けること数分。
「……うっ……そ、そこ……いぃ……んんっ……あっ……」
「喘いでるところすみませんが、終わりました」
「アンタってテクニシャンだったのね。良かったわ」
「意味深すぎて何が良かったのか聞いたら負けな気がする」
「良かったわ」
「なんで二度言ったの!?」
2度目は耳元で囁かれる。夏休みの午前中。自宅で姉といったい何をしているのか言えば、断じて如何わしいことではない。もう一度言うけど、断じて如何わしいことではない。
「……綺麗。アンタって本当に起用よね」
「これくらい簡単ですよ」
「ありがと」
足の親指から順番に仕上げのトップコートを丁寧に塗っていく。深みのある色合いはツヤとなって輝いている。塗り終わった自分の足先をまじまじと見つめて、姉さんが嬉しそうに呟いた。
少しでも喜んでくれるならそれだけでも価値がある。なにかとこれまで家族に途方もない迷惑を掛け続けてきただけに、少しでも返していかないとな。
薄い紫、竜胆色に染められた爪先がキラリと光っている。
いったいなにをしているのかというと、俺は姉さんにネイルを施していた。
夏休み、宿題を早々に終わらせていた俺は、他に何か新しいことを勉強しようと考えたのだが、その一つがネイルだ。最も、検定資格を取る程、本格的に勉強したわけではないので、あくまでも触りだけだが、それでも身内に施すには十分な出来ではないかと思う。出来栄えに自画自賛しておくとしよう。
「ところで聞きたかったんですけど」
「なに?」
「どうしてわざわざスカートに着替えたんですか?」
「そんなのサービスに決まってるでしょ。アンタお金は要らないっていうし、これくらいしないとね。嬉しかったでしょ?」
「大天使ミカエルよ、お心遣いに感謝します」
「いいのよ。視線が気持ち良かったわ」
「なに言ってんだアンタ」
ワザとかよ! 足先にネイルをするときスカートの中がチラチラ見えて気が気じゃなかった。普段、家ではあまりスカートを履かない姉にしてはおかしいと思ったが、狙ってやったことらしい。まったく……ありがとうございます!
「それにしても、本当にネイルを勉強するなんて。冗談で言っただけだったのに……」
「え、そうだったの?」
「当たり前でしょ。本気にするなんて思わないわよ」
「なんてことだ……」
「まぁ、母さんも喜ぶだろうし帰ってきたらやってあげたら?」
「それは勿論……って、あ?」
時計を見ると12時を回っていた。少しばかり急ぐ必要があるかもしれない。今日は爽やかイケメンにお昼から誘われていた。
「ちょっと出掛けてきます」
「ん、いってらっしゃい。変な女には気を付けなさいよ。帰ってきたら、濃厚なお礼してあげるから」
「要らないけど」
「は?」
「やったー(棒)」
ガチャガチャと片付けて身支度を済ませ、家を出る。
一人残された家の中、出ていく弟の背中を見つめながら悠璃は呟いた。
「勉強って。いつもいつもなんでも一人で。アンタはそれで――」
‡‡‡
太陽サンサン、駅のロータリーで待つ爽やかイケメンも負けじと眩しかった。なんか女子のグループからナンパされてるし。お前はフェロモンをばら撒く女王蜂か。
「目が潰れる」
「出会って早々随分な物言いだな。ところで何でそんな昼下がりのIT企業社員みたいな格好なんだ?」
え、なにかおかしいかな? ジャケットにパンツというオーソドックスなカジュアルスタイルだが、夏真っ盛りなだけに暑いものは暑い。因みに爽やかイケメンはTシャツにジーパンという随分とラフな格好をしていた。
「とりあえずどんな場面でもセミフォーマルな格好ならOKじゃないか?」
「アホなのかお前は。遊びに誘っただけだぞ」
「先に言えよ。彫刻刀で目玉繰り抜くぞ」
「むしろなんの用だと思ってたんだよ!」
ギャアギャア言い争っているだけで夏の太陽は体力を奪っていく。
「とりあえず移動するか……」
「そだな」
駅前で合流した俺達はサッサと施設内に避難するのであった。
「雪兎、普段はどんな遊びしてるんだ?」
「そうだな……。景品を取れない設定にしているUFOキャッチャーを置いてるゲーセンにクレーム入れたりとか、他には――」
「いや、聞いた俺がバカだった」
「今更気づいたか。ぼっちだった(過去形)俺が友達と遊ぶはずないだろ」
「微妙に返事しずらいんだよ! もっと気楽にいこうぜ気楽に」
「といってもなぁ。暑いし、外は遠慮したいところだ」
「じゃあ、俺の家に行くか? ここから近いし」
「は?」
俺が爽やかイケメンの家に? そんな普通の高校生みたいなこと……。
「よし、行こう!」
「急に乗り気になったな。なにがあった?」
「あ、ちょっと待ってろ」
「って、おい。どこ行くんだ?」
まずは必要な物を揃えておこう。
目的を済ませて、爽やかイケメンの家に向かう。近いと言っていただけあって本当に近かった。駅から徒歩10分といったところだろうか。立派な門構え。威風堂々とした一軒家にはしっかり、『巳芳』という表札が掲げられていた。
「つくづく想像通りだ。これだから主人公は……」
「急に毒づくな。何を言ってるのか分からん」
玄関を開けると、とんでもない美人のお姉さんが奥から出てくる。
「あら、コウちゃん。遊びに行ったんじゃなかったの?」
「あ、母さん。暑いし、家で遊ぼうかと思って」
「そうだったの。えっと……そちらの方はセールスかなにか?」
困惑した様子のお姉さん。とりあえず俺は自己紹介することにした。
「九重雪兎です。御子息にはお世話になっております。名刺の方は手持ちがなく、こちらを」
「こ、これはこれはご丁寧に。えっと……名刺?」
「友達の雪兎だよ。こいつの言ってることは話半分に聞いといて良いから」
駅前のモールで買っておいた焼き菓子を渡す。
(お前、普段から名刺なんか持ってないだろ!)
(バカ。人は見た目が9割って言うだろ。こういうのはファーストコンタクトが大事なんだよ!)
「爽やかイケメン……光喜君のお母様でしたか。とてもお若いのでお姉さんかと思いました」
「まぁまぁ、お上手ね。それにこれ。高くなかった? 悪いわ。気にしないでいいのよ?」
「いえいえ、ほんの気持ちです。受け取って頂ければ」
「そう? ふふっ、じゃあ一緒に食べましょうか。用意するから少し待っていてくれる?」
そういうと、美人のお姉さん(お母さん)が奥に戻っていく。
「お前なぁ。わざわざあんなの用意しなくて良かったんだぞ?」
「手ぶらは悪いだろ」
「友達の家に行くのに、そんな気を遣う奴いねーよ」
「……友……達……?」
「まかさ俺達友達じゃなかったとか寂しいこと言い出さないよな」
「ソーダネ」
「おい!」
「冗談冗談」
ガクガクと肩を揺さぶられる。そうそう、爽やかイケメンは友達だよね。
「うーん。無難にゲームでもするか?」
「学生っぽいな」
「学生だからな俺達」
案内された2階の爽やかイケメンの部屋は爽やかだった。ベッドの他に32インチのテレビと、デスクトップパソコンも設置されている。他にもポスターが貼られていたり、本棚には漫画や小説が並んでいるなど、本人の個性が反映されていて、なかなか興味深い。うーん、俺の部屋とは大違いだ。
爽やかイケメンがドックに入った据え置き型携帯機を起動する。
「折角、雪兎が来てるんだし、コイツだな」
「そうか。ならお前との友情もこれまでだ」
「確かに友情破壊ゲーだけどさ。とりあえず3年で良いか」
「3月の決算を思い知れ」
「なんでそんなにガチなんだ?」
爽やかイケメンが選んだのは友情破壊ゲーとして名高い全国を巡る鉄道ゲームだった。相手を如何に妨害し目的地に先に着くかが勝敗を決めるパーティーゲームである。
「このゲーム、姉さんが強いんだけど」
「なんだ光喜、姉がいるのか?」
「大学生だけどな。今は出掛けてるみたいだけど、いつもボコボコにやられてる」
「お前も苦労してるんだな。なんだか急に親近感が湧いてきたぞ」
爽やかイケメンにも姉がいたのか。意外とこういう会話は珍しいだけに新鮮だった。
「お前は良いよな。悠璃さんは優しいだろ。あんな素敵な人、俺は他に知らないぞ」
「お前の目は曇りガラスか。今日だってパンツが――」
「おい、待て! パンツがどうした!?」
「碧だったなって」
「言うなよ! 確かに聞きたかったけど言っちゃ駄目なヤツだろそれ!」
「まぁ、履いてただけマシだったと思うしかないか」
「何があった! 気になるから、そのまま投げっ放しにしないでくれ!」
「うるさい。早くサイコロ振るのねん」
「――オマエ、早くも煽りカスに!?」
こうして俺達の友情は粉々に破壊された。