第47話 ガラスの少年②
硯川灯凪と一緒に学校に向かう。
同じ学校に通っていても、嫌われている姉と登校したりはしない。
朝方、母親の桜花が何かを言いたそうにしていたが、項垂れたままそれが言葉になることはなかった。九重雪兎も別にそれを聞きたいとも思わなかった。
校門を抜け、下駄箱に着くと異変に気付く。
「上履きがない?」
「どうしたのゆーちゃん?」
先に上履きを履いてこちらにやってきた硯川灯凪が視線の先を覗き見る。
「隠されたみたい」
「えっ! どどどど、どーしよゆーちゃん!」
わたわたと全身で慌てふためきながら、ぴこぴことツインテールを揺らして、硯川灯凪が心配そうな声を掛けてくる。
自分の名前のシールが貼られた下駄箱から上履きがなくなっていた。ポカリと空いた空間にあるべきはずのものがない。
失くなったということはないだろう。隠されたに違いない。学校では良くあることだ。失くしたらまた買って貰わないといけなくなる。そんな迷惑を母親には掛けたくなかった。
やったのはクラスメイトの誰かだ。あまりにも分かり易い嫌がらせ。この手のことは一度始まると終わりが見えない。やる方は面白半分でも、やられた方は際限なく憎悪が膨れ上がる。そして毎日、何かされるのではないかとビクビクしながら学校に通わなければならない。そんなのは地獄だ。
しかし九重雪兎は心地良さを感じていた。
分かっていたから。拒絶も否定もいつものことだ。
それがあるべき姿だと、それが日常なのだと。
いつもいつだって、誰もがそうして悪意をぶつけてくる。
だからやることだっていつも同じだ。
終わりが見えないなら自分で終わらせればいい。
なにもかも全てを断ち切ってしまえばいいだけだ。
煩わしいこの世界で、全てを――
「ゆーちゃん!」
いつの間に目を閉じていたのだろうか、気付けば硯川灯凪の顔が眼前にあった。こちらを見つめる瞳が悲し気に揺れ涙を浮かべている。
「ひーちゃん?」
それがどうしてか分からず、九重雪兎はただ彼女の名前を呟く。
「ゆーちゃん、いなくならないよね?」
「ここにいけるけど……」
「わかんないけど、ゆーちゃんいなくなっちゃやだ!」
その気持ちがなんなのか硯川灯凪は理解しているわけではない。それでもまるで本能に従うように彼の手を強く強く握り締めた。
「いっしょに探そ?」
どこにもいかないようにと、いなくなってしまわないようにと、幼馴染の彼が消えてしまわないように、彼女は彼がそこにいることを確かめるように手を握る。
どうしてだろう?
どうして彼女はこんなにも――
消えさせてくれないんだろう?
何かが心の中で叫んでいた。
何かを訴えかけようとしていた。
しかし九重雪兎にはそれが何か分からない。強制力を持った思考が霞みがかったように感情を覆い隠していく。いったいいつからこうなってしまったのか、思考と感情のリンクは途切れたまま繋がることはない。
それなのに、どうしてこんなにも彼女の言葉に惹かれるんだろう?
「だいじょうぶだよ、ひーちゃん。日曜朝のスーパーヒーロータイムに出てくるレッド並にボクのメンタルはさいきょうなんだ」
「ゆーちゃん、すごーい!」
くりくりと大きな目をまんまるにして硯川灯凪が驚く。
思考の牢獄に閉じ込められた感情を放棄して、九重雪兎は一つため息を吐いた。
「探さなくていいよ。隠した奴に持ってこさせるし」
「そんなことできるの?」
靴下のままというわけにもいかず、来賓用のスリッパを取りに行く。
「すぐに解決するよ」
昨夜、母親に伝えたのと同じ言葉を幼馴染に告げて、九重雪兎は教室に向かった。
教室に着くと、そこでも異変はすぐに見つかる。
机に上に落書きされていた。「ドロボー」だとか「犯罪者」だとか好き勝手書かれている。引き出しの中から教科書を取り出してみると、教科書にも落書きされてボロボロになっていた。季節は5月半ば。まだ新しい教科書になってから2ヶ月程しか経っていないが、とても新品とは呼べない状態になっていた。
「誰がやったか知らない?」
隣に座っている風早朱里に尋ねる。
風早朱里は席が隣ということもあってか、普段何かと積極的に話し掛けてくる女子で、授業で分からないところがあったときなど、質問してくる風早に教えたこともよくあった。
「人の物盗むなんて最低! 死んじゃえば良いのに。私のは盗らないでね」
ありありとその目に嫌悪と侮蔑を浮かべて吐き捨てられる。クスクスといった嘲笑の中、「ばーか」「うわっ泥棒だ」「どうしよう盗まれちゃう」といった言葉がアチコチから投げつけられる。
九重雪兎は何も言わず席に座る。
それに気を良くしたのか、煽り立てる声はよりボリュームと密度を増していく。
しばらくして担任の三条寺涼香と教育実習生の氷見山美咲がやってくると、中傷する声はピタリと止まり、何事もなかったかのように静かになる。朝の朝礼、三条寺涼香が話し出すのを待たずに九重雪兎は声を掛けた。
「先生」
「どうしたの九重君?」
その目は邪魔者でも見るかのように迷惑そうだと九重雪兎は感じた。氷見山美咲も同じような視線を向けてくる。
「今日、ボクの上履きがなくなってました」
「えっ!」
そこで初めて視線が下に向く。九重雪兎はスリッパを履いている。それを見て三条寺涼香と氷見山美咲が顔を顰めた。自分達が軽率な行動をしたばかりに虐めが始まってしまったと直感する。後悔しても遅かった。もう少し配慮すべきだった。だが全ては後の祭りになっていた。
三条寺涼香はキッと表情を鋭くすると教室を見渡す。
「誰ですか九重君の靴を隠したのは?」
ゲラゲラと馬鹿にするような笑い声が響く。
「知りませーん。泥棒だから泥棒されたんじゃないですか」
「泥棒は嘘つきなんだから嘘じゃないの?」
「やめなさい!」
三条寺涼香が止めようとするが、崩壊したダムのように、決壊した河川のように流れだした悪意は洪水のように濁流となってその場を飲み込んでいく。
誰が言ってるのか、或いは全員なのか。
増幅されて拡散していく悪意。
こいつはイジメてもいい存在。
傷つけても、馬鹿にしてもいい存在。
そんな共通認識が広がっていく。
氷見山美咲は顔面蒼白になっていた。
三条寺涼香もまた苦々しい表情を浮かべる。
教師になるからにはイジメは避けて通れない。誰もが直面する問題だと思っている。むしろ、そうしたことを避けるようなら教師になる資格などない。無難に見てみないフリをして過ごすことが立派な教師と言えるだろうか。それが誇れる教育者だろうか。
三条寺涼香一人の教育者として、氷見山美咲はこれから教師を目指す者として、今目の前で起こっている問題は見過ごせない。それが二人の共通した認識だった。
三条寺涼香が喧騒を鎮めようと声を出しかけるが、それを止めたのは他ならぬ九重雪兎だった。
「お昼休みまで待ちます。それまでに上履きを隠した人はボクのところまで持ってきてください。机と教科書に落書きした人は謝りにくること。犯人を知っている人は教えてください。もう一度言います。昼休みがタイムリミットです」
クラスメイト全員に告げるが、それを聞いて更に嘲笑が強くなる。
「お昼休みまでに見つからなかったらドースルンデスカー」
ギャハハハと高山幸助が馬鹿にしたように煽る。その勢いに乗って高山を中心としたヤンチャなグループが野次を飛ばす。男子も女子もまるで面白いオモチャでも見つけたかのように笑っていた。
勿論、全員が全員悪意に染まっているわけではないだろう。だが、そんな個人の抵抗など今この瞬間クラスに蔓延する空気の前には無力だった。同調圧力という名の暴力。そしてこのような状況で自分には関係ないと無関係なフリをするのもまた結局は加害者でしかない。
そんな中、九重雪兎は何の感情も浮かばない瞳で見据えてただ宣言した。
「連帯責任で全員敵です」
何が面白かったのか、教室中に更に大きな笑い声が響き渡った。
‡‡‡
一限目は自習になった。
九重雪兎は三条寺涼香に呼び出され空き教室にいた。氷見山美咲も一緒だ。
「九重君、大丈夫ですか?」
「なにがですか?」
「なにがって……」
どう声を掛けて良いものか逡巡してしまう。平気そうに見えても傷ついていないはずがない。自分達が軽率に生徒達の前で彼を責めてしまったことが、イジメの引き金を引いてしまった。その責任を三条寺涼香と氷見山美咲は痛感していた。
「大丈夫です九重君。君をちゃんと守ります。お話が終わったらクラス全員で探しましょうね」
「私も協力するから。ね?」
「別に探さなくていいです」
「そんなわけにはいかないでしょう。意固地ならなくていいの。先生を信用なさい」
「先生はボクを信用しないのに、先生を信用しろと言われてもムリですよ」
「九重君!」
図星を突かれたとでも言わんばかりに2人は顔を歪めた。
だが、それを無視して九重雪兎は氷見山美咲に向き直る。
「ところで氷見山先生、先生の私物はいつ失くなったんですか?」
まさかこの場で改めて聞かれるとは思わなかったのか、氷見山美咲は動揺しながらも答えた。
「一昨日の放課後だと思うわ。それがどうしたの?」
「それは確実ですか?」
「そうね、間違ってはいないはずだけど……」
いったい何を言おうとしているのか分からず聞かれたままを答えるしかない。
「おかしいですね。その日、ボクはひーちゃん……3組の硯川灯凪ちゃんと放課後すぐに帰って遊んでいました。それなのにいったいいつボクが盗めたんですか?」
「え? ……そ、そうなの? じゃあ五時間目が終わったくらいだったかしら――」
「さっき放課後と言ってましたよね? 先生は嘘をついたんですか? いい加減なことを言わないでください」
「わ、私は嘘なんて!」
様子を見かねた三条寺涼香が割り込む。
「九重君、貴方はまだそんなことを言っているの! いつまでも強情を張っていないで素直に認めて謝りなさい。ご両親からも怒られたでしょう?」
「怒られる理由がありません」
「確かにみんなの前であんなことを言って責めたりしたのは間違っていたわ。でもね? 今ここには先生達しかいないの。素直になって九重君。いいですか、君がここでちゃんと謝ればそれで終わるの。そしたら先生達は貴方の味方になれるんです。靴を隠した子も落書きした子もちゃんと叱ります。絶対に差別したり見捨てたりなんてしませんから」
だから分かるでしょう?
と、聞き分けのない子供に諭すように、三条寺涼香は続ける。
「九重君、私は怒ってないし、先生も君の味方よ。もし君が私のことを好いてくれてるんだったら、それはとても嬉しいわ。でも、黙って盗ったりするのは駄目でしょう?」
優し気なその言葉が、九重雪兎にはたまらなくおぞましいものだった。
「あははははは。味方なんていりませんよ」
「貴方がいつまでもそんな態度だから靴を隠されたりするの! どうしてそれが分からないの!」
激高する三条寺涼香を無視して、九重雪兎は持ってきていた画用紙を取り出して広げる。
「氷見山先生、もう一度聞きます。いったいいつ盗まれたんですか? これを見てください。この紙には一昨日のボクの行動全てが書いてあります。これを見れば犯人がボクじゃないことが分かると――」
「――いい加減にしなさい!」
三条寺涼香のビンタが頬を張った。
その拍子に手に持っていた画用紙があっけなく破れる。
「九重君!」
とっさに氷見山美咲がよろける九重雪兎を支える。
三条寺涼香はハッと一瞬で我に返った。反射的に体罰を振るってしまった。
昔は当たり前だったというが、現代の教育界では許されない。何の言い訳も出来ない。訴えられれば教師生命にも影響が出る致命的な失態。感情的になりすぎている。どうしてか目の前の九重雪兎という少年を前にすると心がざわついてしまう。彼の持つ刹那的な雰囲気に飲み込まれてしまう。
「あーあ。せっかく昨日、がんばって作ったのになぁ」
無残に破れたそれを拾い上げると九重雪兎はグシャグシャに握り潰して放り投げた。
「なるほど。ボクもようやく分かりました。ボクが悪かったんですよね」
ようやく彼が漏らした謝罪の言葉。
その言葉に咄嗟に自分も謝罪しなければいけないと、三条寺涼香は思った。
当たり前だ。どんな理由があったとしても生徒に体罰を振るって許されることなどない。しかし今は社会的な責任や自己保身など考える前に、ただ自分のしでかしてしまったことについて謝らなければ大人とは呼べない。
「私も感情的になりすぎてしまいました。ごめ――」
「先生達は、真実なんてどうでも良かったんですね。だったら最初からそう言ってください。つまりボクが犯人じゃないと都合が悪いわけだ」
底冷えするようなゾッとするような声が空き教室に響く。
もともと九重雪兎という生徒はどこか掴み所がなかった。思考や感情がなかなか見えず、何を考えているのか分からない。そうかと思えば勉強や運動は得意にしていた。不思議な生徒、そんな認識を三条寺涼香は持っていたし、短い間ながら生徒達と接していた氷見山美咲もまた似たような認識だった。
「なにを言って――」
「こんなの作ったボクがバカみたいじゃないですか。あ、そうか。話せば伝わると思った時点でボクがバカでしたね」
「――ッ!」
その目を見て思わず息を飲んだ。
深く深く、暗く暗く、ただどこまで堕ちていく。純粋なまでに、それなのにどこまでも濁りきった瞳が三条寺涼香と氷見山美咲を捉えていた。
「簡単なことでした。ボクが悪かったんです。アナタ達を教師と思ったことが間違いだった。ごめんなさい」
なんでもないことのように、あれだけ拒んでいた謝罪を九重雪兎はアッサリと告げる。
だが、その言葉、それは――
「アナタ達も敵だったんだ」
紛れもなく決別だった。
‡‡‡
三条寺涼香は空き教室から平然と戻っていく九重雪兎を呼び止めようとするが、どう声を掛けて良いのか分からず、そんな躊躇をしている間にスタスタと歩き去ってしまう。
「どうしてこんなことになってしまったの……」
氷見山美咲は沈痛にくれていた。こんなはずじゃなかった。ほんの数日前まで楽しくやれていたはずなのに。教師という職業に充実感を覚えていた。天職だと実感していた。子供達を導く、そんな職業に抱いていた憧れがこの2日で粉々になっていた。
ふと、九重雪兎が投げ捨てた紙が目に入った。目を通すことさえしなかった。いったいアレはなんだったのだろうと覚束ない足取りで向かい、投げ捨てられグシャグシャに丸められた画用紙を手に取り広げる。
それが何を意味するのか、氷見山美咲はすぐに気づいた。
「さ、三条寺先生! これを見てください」
「どうしたんですか?」
三条寺涼香もまた精神的に疲弊していた。まだ午前中とはいえ、疲労がピークに達してる。心労が大きく体力を削っていた。自分が体罰を振るってしまったこと、そして最後に彼に言われたことが脳内にこびりついていた。
気もそぞろに氷見山美咲が広げた紙を視線を落とす。
「これは一昨日の……? ま、待って! そんなはずない!」
その画用紙には一昨日にあったことが克明に記入されていた。それは九重雪兎の1日とも呼べるもの全てだ。朝の登校時、誰と一緒に学校まで来たか。朝のSH、授業中、休み時間、そして放課後に至るまで、誰と一緒にいたか、誰と会ったか、何処にいたか。それを見れば一目で分かるほど綺麗に書かれている。
だがしかし、そこまで自分の行動をハッキリと記憶しているものだろうか。あまりにも詳細に書かれたそれは、嘘としか思えない程の完成度だった。いい加減に書かれた夏休みのスケジュールとは比べるものにならない。
だが、そこに書かれている大部分は三条寺涼香と氷見山美咲の記憶とも重なっている。つまりそれは書かれている内容の信憑性に疑いはないということでもある。
震える手が紙をなぞっていく。
放課後。この日は、授業が5時間目までだった。
そこには14時45分には硯川灯凪という少女と一緒に下校したと書いてある。念には念を入れてか下校中の詳細まで書いてあるのが恐ろしかった。
「九重君じゃない? ちょっと待って。だったら誰が、誰が盗ったの!? 私がしたことは、私が彼に言ったことは――」
「氷見山先生、落ち着いてください!」
見たくなかった。嘘であってくれと最低なことを願うしかなかった。この紙に書かれていることが本当ならどうあっても彼には盗むことはできない。
「こ、これ! 見てください氷見山先生」
紙の一点を三条寺涼香が指差す。
そこには下校前、九重雪兎が用務員の滝川と会って挨拶をしたと書かれていた。
「確かめないと! 急ぎましょう!」
「はい!」
居ても立っても居られなかった。真綿で首を絞め殺されるかのように、自分達が根本的な過ちを犯していたのではないかと、三条寺涼香と氷見山美咲はようやくその考えに至っていた。
授業は自習になっている。早く教室に戻らなければまた騒ぎになっているかもしれない。それでも、今は真実を確かめることが重要だった。それが最優先であり、確かめない限り、もう二度と彼の前に立つことができない。
普段、廊下を走る生徒達に注意するはずの自分が廊下を走っている。そんなことに自嘲しながらも、決定的な破滅が近づきつつあるのを三条寺涼香は感じ取っていた。
「滝川さん、滝川さんはいますか!」
用務員室に駆け込んできた若い女教師だった。その決死の形相に滝川は思わずギョッとしてしまう。何か不味いことでもあっただろうかと思いながら、声を掛ける。
「ど、どーされました?」
「滝川さん。一昨日の放課後、下駄箱の近くで生徒と会いましたか?」
「生徒ですか? そりゃあ何人も会ってますが……」
漠然とした三条寺涼香の質問に滝川は曖昧な答えを返す。
「あっ、えっと。そうではなくこの子です」
三条寺涼香は顔写真の載っているクラスの生徒名簿を見せる。
「あぁ、彼ですか。嬢ちゃんと仲良く手を繋いで帰っておったのぉ」
「そ、それは何時頃ですか!?」
「チャイムが鳴ってからすぐだったと記憶していますが。15時前ですかな。ちゃんと挨拶して帰っていきましたよ」
「そんな……ことって……」
その宣告はまるで死神の鎌だ。鋭利な刃が喉元に突き付けられる。
残酷な現実を前に氷見山美咲は崩れ落ち泣きじゃくる。三条寺涼香も同じ気持ちだった。それでもそれが自分に許されていないことを自覚するだけの経験とプライドが彼女を支えていた。
「ど、どうかされたんですか?」
事情を知らない滝川が慌てて氷見山美咲を助け起こす。
なにもかも、すべてが間違っていた。
最初から彼がすべて正しく、自分達がすべて間違っていた。
どうして? どうして少しだけでも彼の言い分を聞こうとしなかったの? 彼以外の可能性を考慮しようとしなかったの? 彼は徹底的に否定した。断固として認めなかった。わざわざ自分の行動を詳細に記録した紙まで書いた。
それでも私は信じなかった。
だから、見捨てられ決別された。
今更、気づいて後悔しても、もう遅い。
‡‡‡
お昼休み。
朝から誰も九重雪兎に話しかけないまま、その時間を迎えた。当然、未だにスリッパであり、上履きは返って来ていない。
九重雪兎がお昼休みまでと指定したことによって、逆にそれまで無視しようという空気が生まれていた。ニヤニヤと粘り付くような笑顔を浮かべながら小馬鹿にした視線がアチコチから向けられる。
隣に座る風早朱里は大きく机をズラして距離を空けていた。嫌がらせなのか単に近寄りたくないという心理なのか分からないが、とはいえそんなことも九重雪兎は別にどうでも良かった。何故なら敵だから。
「タイムリミットだな。じゃあ行くか」
ポツリと呟き、九重雪兎は下駄箱に向かった。
掃除用具入れからゴミ袋を取り出す。
この時間、玄関に来るような生徒はいない。九重雪兎はゴミ袋にクラス全員の外履きを無造作に詰め込んでいく。1枚では足りず2枚になったが、しょうがない。肩にゴミ袋を担いで歩く姿は季節外れのサンタクロースのようだ。
やってきたのは中庭だった。といっても、そこまで大きくはなく、思い切り遊べるほど十分なスペースがあるわけではない。九重雪兎の目的は池だった。
「うーん、このままじゃダメかな? そうだ、石でも詰めよう」
縁石から石を拾ってゴミ袋に入れる。量も量だけに随分な重さになっていた。そしてテキトウにゴミ袋を口を縛ると、そのまま池へ投げ入れた。あっけなく大量の靴と共に沈んでいく。ゴミ袋は別に密閉されているわけではなく、すぐに中身まで水浸しになる。
「うわぁ。悲惨」
水に濡れた靴など履きたくない。ぬるぬるとした感触が気持ち悪いし。そんなことを思いながら、今日クラスメイト達はどうやって帰るのかと心配することなど一切ない。興味も関心もない。
何故ならクラスメイトではなく、敵なのだから。
ガラスの少年は写し出す。
悪意には悪意を。ただそれだけでいい。
「いつだって、敵だけでいいんだ」
それが彼の知っている、たった一つの正解だった。




