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第40話 幸せと不幸の境界

 双子にはシンパシーがあると良く言われるが、親子や兄妹ならどうなのか? 例えば、生まれてから一度も会ったことがないなら兄妹なら、そこに恋愛感情が発生することもあるのだろうか。或いは、その場合であっても、生物的な本能はそれを否定するのだろうか?


 さて、今、喫茶店で俺の前に座っているこのおっさん。自称俺の父親だと名乗っている三雲紫雲という不審者だが、いわんや初対面である。もし仮に相手が俺に会ったことがあるのだとしても、それは俺が物心つく前の遥か昔であり、俺の記憶にこの不審者は存在しない。つまるところそれは、言ってみれば他人でしかなく、血縁関係などというものがあったとしても、そこに何ら思い入れも拘りもなければ、父親であり肉親であるというシンパシーなど欠片も感じ取ることはできなかった。ムムムーン!


「――――というわけなんだ。私もようやく会社を任されるような立場になってな。こうして君に会いに来たというわけさ。それにうちには君と同じくらいの子供がいてね。どうだろう考えてみないか?」


 おっさんはどうやら俺を引き取りたいと考えているらしい。姉さんと俺の親権は母さんが持っている。これまで不自由なく生活させてもらったことに感謝しかない。それに小学生くらいならまだしも、もう高校生だ。まったくもって今更な話しでしかないが、おっさんから事情を聞きながら俺は呆れていた。


「いいわけないだろボケ」


 ――カランとアイスカフェの中に入っていた氷が音を立てる。


「ん? 今なにか物凄い暴言を吐かれたような……」

「気のせいじゃないですか。歳を取ると段々耳も聞こえ難くなると言いますし」

「いや、まだそこまで老け込む歳では……」

「勘違いですって。で、つまり貴方はこう言いたいわけだ。再婚したはいいが、連れ子の娘と上手くいってないから俺を利用したいと」


 おっさんの顔が目に見えて引き攣った。


「それは露悪的に捉えすぎじゃないか?」

「極力客観的に解釈しただけですよ」


 おっさんの言い分はこうだ。どうやらこのおっさんは随分前に再婚しているらしい。相手も離婚しており連れ子がいた。話を聞く分にはどうやら高校生だそうだが、喧嘩しているわけではないものの難しい年頃だけに関係は拗れている。それでいてこのおっさんは三雲家に婿養子で入った為、肩身が狭いとかなんとか――まぁ、ぶっちゃけどうでも良かった。俺に関係ねーし。


 そこで思い付いたのが俺の存在だ。俺を引き入れることで家庭内でのバランスを保ちたいのだろう。おっさんの話を俺なりに解釈すればそういうことになる。幾ら綺麗事を並び立てたところで、結局は打算目的であることに変わりはない。


「私は本当に息子と一緒に暮らしたいと思ってるんだ。決して利用したいなんて考えていない」

「なら、何故今になって声を掛けて来たんですか? 幾らでも時間はあったはずだ」

「それは私に力がなかったからだよ。しかし、今では私も経営者だ。息子くらい――」

「俺だけというのも良く分からない。姉さんは要らないんですか?」

「それは桜花が許さないだろうね。だが、桜花は君のことをその……」

「――()()()()()()()()()()()


 苦虫を噛み締めたような顔になるおっさん。なるほど。こんな話をしに来るくらいだ。多少は調べているらしい。母さんに疎まれている俺なら納得するのではないかと、そう思っているのだろうか。実際のところ、それに関してはその通りなのかもしれない。こればっかりはこのおっさんと母さんが直接話して決めることだ。母さんが俺を必要ないと言えば、おっさんの話に耳を傾けても良いかもしれないが、それだったら一人暮らしを始めた方が遥かにマシだ。


「君だって息苦しいんじゃないか? 困っているのであれば協力したい」

「母さんが俺を持て余しているのは確かですが……」

「だったら!」

「まぁまぁ。それと聞きたいことがあったんです」

「なんだい?」

「貴方はどうして母と離婚したんですか?」


 質問しておいてなんだが、俺はその答えを知っている。母さんからではなく、雪華さんから聞いたことがある。子供の頃はとにかく自分のことだけで精一杯だった俺は、これといって父親に関心を持ったことはなかったが、何気ない雑談の一環として雪華さんが教えてくれた。


 答えの知っている質問を敢えてしたのは、それが今の俺にとって聞いておくべき必要なことだと思ったからだ。


「桜花から聞いてないのかい? 恥ずかしい話だが浮気だよ。いつからか私は彼女に劣等感を抱いていた。仕事で彼女が何か成果を出す度に、見せつけられている気がした。彼女とは釣り合わない、そんな被害妄想に陥っていたのかもしれない。そんなときに出会ったのが三雲さんだった」

「どうしてそれに気付くのが結婚後だったんですか? 一度は婚姻という関係を結んだはずだ。何故それを簡単に反故にすることができるんです?」

「魔が差したとしか、言いようがないんだろうね」

「なるほど」


 釣り合わない。その理由は今、俺が感じている心境そのものでもあった。どうやら俺はモテているらしい。だが、俺は誰とも釣り合わない。「好き」という感情を持てない俺が誰かと釣り合うことはない。


 しかし分からない。それなら何故、結婚などしたのか。「浮気」は最低な裏切り行為だ。それは誰かをどうしようもなく傷つける。心だけじゃない。恋愛などという曖昧なものではなく、結婚した以上、それは明確な契約破棄であり契約違反に他ならない。そして離婚という形でレッテルを背負わせるものだ。


 一度選択したのなら、愛したのなら、決めたのなら、どうしてそれを簡単に裏切れる? 何故そんなにも簡単に相手を踏み躙れる? 恋とは、愛とはそんなにも淡く、脆弱で、軽薄なものなのだろうか?


「何も言わないのかい? 断罪されたっておかしくない。だから娘にも嫌われているんだろうね」

「俺には何も言う資格がないので」

「君にはその資格があるはずだが?」


 おっさんが何か勘違いしているが、別におっさんの浮気を責めるつもりなどなかった。それは母さんがやるべきであり、俺のすることじゃない。そしてもう離婚という形で決着は着いている。


 俺にその資格がないのは「好き」が分からないからだ。失った好意は今でも何処かに落としたままだ。「恋」も「愛」も。ましてやその先に辿り着くゴールともいえる「結婚」など理解の範疇に程遠い。


 恋や愛が誰かを幸せにするものなら、それが分からない俺は誰も幸せにできないことになる。幸福を与えるのではなく、不幸を与える存在でしかない。そんな状態で、誰かと恋人になるなど到底無理だ。そうなれば、結局はおっさんのように誰かを裏切り傷つけることになるだろう。それだけはしたくなかった。散々傷ついてきたから、俺が誰かを傷つけることだけはしたくない。


 誤解が解けてまた硯川と幼馴染に戻って、神代と部活仲間に戻って、それだけで十分だった。母さんも姉さんも、最近はどういうわけか妙に優しい。それだけで十分だ。それさえも望めないと思っていたこの世界で、それ以上を望むのは強欲だ。昔のように、誰からも否定されているとはもう思わない。誰かが肯定してくれている、この世界で生きて良いのだと教えてくれた。マイナスからゼロに戻る、それだけでも大いなる進歩だ。


 そろそろ俺もハッキリさせる必要があるのだろう。目の前にいるおっさんは反面教師だ。こうならない為にも、彼女達が好意を向けてくれているのだとしたら、それに対して答えを出さなければならない。


 いつまでも「好き」が分からないと逃げているわけにはいかない。それはとても残酷で卑怯で無責任だ。単に俺個人の事情でしかない。そんなことに彼女達の輝かしい青春を浪費させることなど許されない。彼女達を真剣に想う誰かの気持ちを潰す資格など、それこそありはしない。


 いつからか、こうして俺が他人のことを考えられるようになっただけでも進展している。今はまだ俺達の関係はなんでもない。少なくとも、どれだけ痛みを伴うとしても、恋人になったり、結婚したり、関係が変化してから裏切るより遥かにマシなはずだから。


「ところで、そもそもどうして俺を引き取ったら、連れ子と上手くいくと思ったんですか? 普通に考えれば余計に嫌われるようにしかならないのでは?」


 思考を中断し、根本的な疑問をおっさんにぶつける。


「苗字で分からないかい? あの娘は君と同じ高校に通っているんだ。三雲裕美。それが娘の名前さ」

「聞きたくなかった」


 え、マジで三雲先輩の父親なのこのおっさん? 連れ子らしいから血縁関係はないにしても、書類上は父親で間違いない。あのいつも苦労している三雲先輩だが、このおっさんのせいで、家でも苦労していたのか……。


「痴女先輩を抑えられる唯一の常識人なのに……」

「痴女……?」

「こっちの話です。それで俺を利用したいってことか。アンタ、クズだな」

「ちょいちょい暴言ぶっ込んでくるね」


 そろそろ良い時間だった。用済みとばかりに立ち上がる。


「これ以上は俺だけでは決められませんね。母さんと話すしかないのでは?」

「そうだが……彼女は私を許さないだろうね」

「当たり前だろボケ」

「その口の悪さ、誰に似たんだい?」

「母さん似です」

「会うのが怖くなってきたな……」


 喫茶店から出る。日も落ちかけていた。まばらな人が過ぎ行く中、見慣れた顔がこちらに向かっていた。





「――その男と、なにを話しているの雪兎?」





 しかしその人物は、これまで見たことがない程に、別人かと思う程に、その瞳はどこまで深く、暗く。現れた母さんの表情は憤怒に染められていた。

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