第31話 失せもの探しと日常
私は神代さんと話している間、中学時代を思い出していた。消し去りたい過去。あの噂は今でも私に付き纏っている。私がもっと素直になれていれば、まったく違う未来が待っていたかもしれない。少なくとも誰かを傷つけることはなかっただろう。妹の灯織だって、自分の想いを口にすることはなかったかもしれない。
灯織との大喧嘩は、最近まで続いていたと言ってもいい。あれから灯織は私に対して辛辣に当たるようになった。初めて灯織の想いを聞いて、私は愕然とした。灯織は自らの初恋を心に閉まってまで、私達の応援をしてくれていたのに、そんな灯織を裏切った。妹が自分の恋心を優先させても私は何も言えないし、言う資格がない。それでも、灯織は私と雪兎の関係修復の為に色々と動いてくれた。私には勿体ない妹だ。
「神代さん、私にはそれを受け取る資格はないわ。貴女が貰ったのなら、それは貴女のモノよ」
神代汐里。彼女に呼び出されたときは、どんな話しかと思ったが、その内容は意外なものだった。彼女が手にしているブローチ。雪兎があのとき、私に渡そうとしていた? でも、それを否定したのは私だ。私が受け取る資格などない。
「硯川さんはそれで良いの? これはユキが貴女に……」
「えぇ。一度は彼を否定した私が貰うわけにはいかないもの。それにきっと、貴女に相応しいと思ったから、渡したのよ」
「そうなのかな……」
「貴女がそれを付けていても、私は気にしないわ」
神代さんは複雑そうな表情を浮かべていた。確かに他の女に渡そうとしたプレゼントを渡されても扱いに困るだろう。それに彼女からしてみれば、それを付ける事で、私に見せびらかすことになるのを懸念しているのかもしれない。意地の悪い行為だという自覚があるのだろう。彼女は明るい性格だ。そんな陰険なことをするようなタイプではない。私と正反対な真っ直ぐで明るい存在。
「それを貰えなかったのは私が悪いから。でもね、だからこそもう私は絶対に間違えない。自分の気持ちに嘘はつかない。雪兎を振り向かせてみせる」
それは決意だった。2年近く、先の見えない暗がりを歩き続けた。出口の見えない地獄で、トンネルを彷徨い続けた。それでも歩き続けたのは譲れないものがあったからだ。もう一度伝えたい言葉があったからだった。神代さんは目を見開く。彼女にも私の気持ちが伝わったのだろうか。
「私だって、私だって負けないから!」
「貴女はライバルね」
「あはは、ライバルが多すぎる気はするけどね。あのね、硯川さん、良かったら私と友達になってくれないかな?」
「貴女はそれで良いの? 雪兎は譲れないわよ」
「ユキのことだけじゃなくて、私が硯川さんと友達になりたいの!」
天真爛漫な笑顔。本来の彼女が持つ魅力がそこにあった。だからこそ、それを曇らせてしまうほどに、彼女にとって雪兎の存在は大きいのだろうということも分かってしまう。
「いいわ。これからは正々堂々恋のライバルとして戦いましょう」
「うん!」
友達として。もし、雪兎が彼女を選んだら私は素直に祝福出来るのだろうか? 無理だと思う。私の中の優先度は雪兎以外にありえない。あの日から、その為だけに今日まで生きてきたのだから。
そういえば、私はあれから友達付き合いというものを蔑ろにしてきた。そんなことに構っている余裕がなかった。塞ぎ込んで外を見ていなかった。楽しいと思えた日など1日もなかったから。でも、今はもう少しだけ視野を広げる必要もあるのかもしれない。もう二度と間違わない為にも。
神代さんの差し出した手を握る。
そっか。あの日から初めて、私に友達が出来たんだ。
‡‡‡
俺は軽快に走っていた。身体を動かすことは思考の整理にも繋がる。特にランニングなどの一定のリズムを刻む動作を繰り返すことは思考するのに最適な時間だ。徐々に体が火照ってくるが、息が上がるほどではない。俺は温暖化とヒートアイランド現象を分けて考える男、九重雪兎である。地面でアスファルトを蹴るが、これが土だったらもっと体感温度は下がっているだろう。膝にも負担が掛かるしね! チラリと隣を見ると、光喜はしっかりついてきていた。やるなコイツ……。
このところ思考の中心を占めているのは、俺の置かれている状況に対しての問題意識だ。
どうやら俺は好かれているらしい。らしいというか、本人談からすれば好かれているのだろう。これまで嫌われているとばかり思ってきたが、どうやらそうでもないみたい。少なくとも、今俺が消えようとすれば、悲しむ人がいるのだと理解した。しかし、だからこその問題に直面している。
「好き……好きってなんだ……?」
俺はこれから失ったものを取り戻していかなければならない。彼女達が俺に「好意」を向けてくれているのだしても、俺がそれを理解出来なければ形にならない。誰かを好きになること、それはいったいどんな感情だったのか。
かつて硯川灯凪を好きで、告白しようと秘めていた頃の気持ちを思い出せないでいた。それを見つけなければ、俺は誰の気持ちにも答えられない。それはきっと残酷なことだ。これまで俺に気持ちを伝えてきた人達は皆、勇気を振り絞っていた。その想いにどのような答えを返すのであれ、そこには彼女たちに釣り合うだけの気持ちが俺にも求められているはずだった。
俺はいつかそれを理解出来る日は来るのだろうか?
‡‡‡
今日は休日。約束した時間より少し早く駅前に桜井達は集まっていた。テストも終わり、打ち上げで遊びに行くことが決まった。集まっているメンバーはバラバラだった。スクールカーストなど全く関係ない幅広い顔ぶれが集まっている。1-B組ではスクールカーストが早々に崩壊してしまった為、特定のグループ意識というのが希薄になっていた。あの男の所為である。
「美紀ちゃん、前髪大丈夫かな?」
「はいはい、可愛い可愛い。私もなんだかドキドキしてきたかも」
「なんなんだよこの微妙に変な空気は……」
「だって……なぁ?」
苦笑いの巳芳と高橋。伊藤もいる。硯川や神代なども揃っている為、非常に目立つ華やかな一団を形成していたが、どことなく一様に顔には緊張感が漂っている。期待感と裏腹に緊迫した空気。それもそのはずだった。今日はなんとあの九重雪兎が誘いに乗って一緒に遊びにいくことが決まっていた。それはもう一大事である。
「九重ちゃん、本当に来るのかな? 信じられないというか、実感が湧かないんだけど、普段の九重ちゃんってどんなの?」
「どんなのと言われても……ユキは普段通りだと思うけど……」
「普段通りってことは、今日は生きて帰れるのか俺達?」
「九重君は天災か何かなの!?」
何気ない日常に波乱を起こし続ける男、九重雪兎は学園一有名な生徒である。つい先日も停学処分を受けたと思ったら即撤回された挙句、てんやわんやの大騒ぎに発展していた。以来、校長がしょっちゅう1-B組にやってきは九重雪兎のご機嫌伺いをしているほどだ。そんな九重雪兎が遊びに行くとなれば、何か起こるのではないかと警戒するのも仕方のないことだった。
「どんなファッションなんだろうね?」
「全身迷彩服とかでも驚かないぞ」
「逆にめちゃめちゃお洒落とかの可能性は?」
「ありそう。でも、変なTシャツとか着てる可能性も捨てきれない」
「悠璃さん美人だしセンス良さそうだからなぁ……」
まだかまだかと待ち構える一向だったが、巳芳のスマホが鳴った。
「あれ? 雪兎だ。――――どうした?」
ピタリと雑談が止まる。全員が聞き耳を立てていた。
「はぁ!? なに言って……あぁ。それで、うん。お前、それ大丈夫なのか? 怪我は? 警察!? どうしてそんなことに……。マジかよ……それで?」
「不穏なワードしか聞こえないけど……」
「九重ちゃん、なにやったの?」
「ふぅ……」
巳芳が電話を切る。神妙な顔を浮かべていた。どう伝えようとかと一瞬思案する巳芳だったが、結局はそのまま素直に伝える事にした。
「悪いが雪兎はこれないそうだ」
「なにかトラブル?」
「ヘッドフォンを付けて片手にスマホを持ったまま自転車に乗っていた女子大生に衝突されたらしい。警察も来て現場検証中だとよ」
「ユキは大丈夫なの!?」
「あぁ。大きな怪我はないらしい。警察は被害届けを出すよう雪兎に言ってるそうだが、その女子大生とも話し合いだそうだ」
「怪我がなくて良かった……」
気まずい空気が支配する。口を開いたのは峯田だった。
「あのさ、それ、本当だよね? 私達と遊びたくないからとかじゃないよね?」
それは何処となくこの場にいる者が感じている事でもあった。しかし、言い訳にしては大掛かりすぎるが、何をやるにしても大事なのが九重雪兎でもある。
「流石にこんなことで嘘を言うような奴じゃないだろ」
「雪兎は嘘はつかないわ」
「そうだよね、ごめん!」
すると、再び巳芳のスマホに九重雪兎から連絡が入った。今度はメールだった。
「今度はなんだ? ……雪兎から連絡だ。みんなで楽しく遊んでくれだとよ」
「楽しくって……この空気で言われても」
「アイツは休日でもこんなことばっかり起こしてるのか?」
「本人の意思じゃないわ。雪兎の体質みたいなものよ」
「今までどんな日々を送ってきたんだ……」
「聞きたいけど、聞くのが怖すぎるな」
どんよりとした空気が一向を包む。
「し、しょうがないよ! 九重君も大丈夫みたいだし。折角だから、切り替えて遊ぼ!」
「そうだな。詳しい事は学校で聞こうぜ。じゃあ行くとするか」
「楽しみにしてたのになー」
「ひひ……依然として謎に包まれた生態……ひひひひ。ミステリアス」
「え、今の誰!? 新キャラ!?」
ガヤガヤと一同は歩き始める。因みに峯田達の懸念は早々に解消されることになる。この日、きっちりと夕方と夜のニュースで報道され、翌日の新聞にも掲載された。休み明けには学校でも注意喚起が行われることになったのだった。
そんな休日明け、何事もなく九重雪兎は登校していた。
「陰キャな俺を誘ってもらったのに行けなくて悪かったな」
「それはいいが、本当に怪我はないんだろうな?」
「かすり傷くらいだ」
「被害届は出したのか?」
「警察に出すようにしつこく言われたが、相手の親も来てな。あれだけ泣きながら必死に謝られると、こっちとしても困ったよ」
「九重ちゃんニュースになってたけど、もし大怪我していたら相手も破滅だよね?」
「あぁ。最近特に厳しくなったらしい。場合によっては重過失致死傷罪とかで厳罰だそうだ。懲役刑に払いきれない程の罰金だぞ。保険にも加入してなかったらしいし。相手が悪いとは言え、それを背負わせるのも後味が悪いだろ。一応、示談ということにしたが、幾らか払ってもらう事になった」
「新聞にも載ってるんだもん。朝から生きた心地しなかったよ」
「俺にとっては日常だ。そんなに心配するな」
「そっちの方が心配だよ!? 駄目だよそんな日常!?」
「で、雪兎、それで昨日の連絡はどういうことなんだ? 急にお昼を持ってくるなとか言ってたが。一応、言われた通り全員に送ったぞ」
「九重君、お母さんに今日はお弁当いいやって伝えたから、本当に何も持ってきてないけど、良いのかな?」
「それで構わないぞ。なに、約束をすっぽかした挙句、心配させてしまったからな。相手から支払われた金もあったし、今日はお昼にピザとお寿司を30人前注文しておいた。みんなで食べよう」
「は?」
『九重雪兎ぉぉぉぉお! 今すぐ私のところに来なさいぃぃぃい!』
昼食後、三条寺涼香先生に放送で呼び出され、タップリ叱られたのは言うまでもない。因みにピザとお寿司はクラスメイトで残さずいだきました。みんな食べ盛りだからね!




