表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/99

第29話 追想のスタンド・バイ・ミー②

「お兄ちゃん、勉強教えて!」


 放課後、飛びつくように俺の前に可憐な少女が現れる。赤いリボンは一年生の証だった。華やいだように周囲が明るくなる。彼女の持つ天性の明るさ故だろう。だが俺は、見覚えのあるその少女に、一瞬だけ表情が歪んでしまう。彼女に罪はないが、出来れば会いたくない人物だった。


「灯織ちゃんか。灯織ちゃんなら俺なんかに聞かなくても大丈夫じゃない?」


 夏休みを前にして、俺達学生には期末考査が迫っていた。テスト期間中は部活も休みになる。かく言う俺は、これといって趣味などないこともあり、暇つぶしとばかりに家で勉強していることもあって、成績はそれなりに……と、謙虚に言ってみるが、実際にはかなり良い。これまでのテストは殆ど一桁台をキープしている。狙おうと思えば更に上も目指せるだろうが、別にそこには興味はなかった。


 テスト直前になると、クラスメイトに捕まって「九重塾」が開校されるくらいだ。時給が支払われないことを担任に嘆いたら、クラスの平均点を上げた分、内申点にプラスするからよろしくと丸投げされた。それで良いのか?


「私、お兄ちゃんみたいに頭良くないもん。ね、良いでしょ?」


 うぉうふ。思わず吐き気が……。出来れば断りたい。今すぐここから逃げ出したい。だが、灯織ちゃんのキラキラした目がそれを許してくれそうもない。


 硯川灯織。彼女は硯川灯凪の妹だ。

 姉妹だけあって、灯凪と顔立ちが似ている。フラれた俺としては、灯織ちゃんとこうして接しているのは気まずい。昔から灯織ちゃんは俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ。2人姉妹の灯織ちゃんにとって、兄という存在に憧れがあるのかもしれない。俺には姉さんしかいないので、年下の灯織ちゃんが兄と慕ってくれるのは素直に嬉しいが、俺と灯凪の関係が拗れた以上、今後は難しくなっていくだろう。


「分かった。じゃあ、何処でやろうか。図書室にでも行く?」

「えー、私の部屋でやろうよ」

「ごめん、それはちょっと。ならファミレスに行こうか。奢ってあげるよ」

「ホント! お兄ちゃん大好き!」


 母さんは何かとお小遣いをくれるが、俺は普段、殆ど使わないので、懐は潤っている。ファミレスに寄るくらいどうということもない。抱き着くように右腕を取られる。無邪気な灯織ちゃんの言葉が突き刺さる。灯織ちゃんは俺がフラれたこと知らないのだろうか?


 灯凪なら灯織ちゃんに先輩と付き合い始めたことを話していそうだが、灯織ちゃんの様子からはそれも感じられない。どのみち、今となっては俺が硯川の家に行く事はもう出来ない。灯凪にもその彼氏にもご両親にも迷惑だ。俺という存在は灯凪にとって、邪魔でしかないのだから。


 日が暮れるまでにはまだまだ時間がある。日差しがじんわりと汗を滲ませていく。くっ付いている灯織ちゃんには汗臭いと思われているかもしれない。片腕を取られている。制汗スプレーでもしとけば良かったと思うが、今となってはもう遅い。


 そんなことなどまるで気にしていないかのように、ニコニコと笑みを浮かべる灯織ちゃんと対象に、俺は何処までも憂鬱なまま腕を引かれていくのだった。




‡‡‡




「そっか! こうすれば良いんだ。ありがとうお兄ちゃん!」

「ここは間違い易い箇所だから気を付けてね」

「今回こそあの憎き女をギャフンと……ぐふふ。私にはお兄ちゃんがいるんだから」

「灯織ちゃん、どうかした?」

「えっ……っと、なんでもない!」

「それならいいけど。そろそろ良い時間だし帰ろうか」


 時間を確認すると、17時半を回っていた。ポテトやパフェも空になっている。夕食があるからあまり食べすぎないようにしようと思ったけど、ついつい楽しくなっていっぱい食べちゃった。だって、お兄ちゃんが注文してくれるんだもん。しょうがないよ……。帰ったらダイエットしなきゃね!


 お兄ちゃんとこうして2人だけで出掛けるのは久しぶりだ。こんな風にテスト勉強をするときはお姉ちゃんも一緒のことが多かった。役得だと思うが、今日、お兄ちゃんを誘ったのは勉強のこと以外にもう一つ理由があった。


 お兄ちゃんは優しい。昔からずっと優しかった。勉強も運動も出来る。同級生達と比べても大人っぽいし、それでいて全然飾らない。たまに変なことをしたりするのもお兄ちゃんの可愛いところだ。私はお兄ちゃんをこれまで良く観察してきた。だから分かることがある。


 お兄ちゃんの表情を盗み見る。お兄ちゃんのクラスに行ったときも感じたが、お兄ちゃんは、一瞬とても辛そうな顔を浮かべる。それが何なのか、私には分からない。でも、きっともう一つの理由に関係があるのではないかと、私の中の直感がそう語っていた。

 

「あのね、お兄ちゃん。やっぱりこの後、家に来てくれないかな?」

「それは無理だよ。ごめんね」

「どうして? なんかね、最近お姉ちゃん元気ないんだ。塞ぎ込んでいるっていうか、あんまり食欲もないみたいだし。お兄ちゃん理由知らないかな? お姉ちゃんのこと、励ましてあげて欲しいんだ。だからお願い!」

「ごめん灯織ちゃん、理由は俺には分からない。それに、それは彼氏の役目でしょ」

「だから、お兄ちゃんが――」

「灯織ちゃん、やっぱり知らなかったんだ」

「お兄ちゃん、何か知ってるの?」

「灯凪は、3年の先輩と付き合い始めたんだ。俺はフラれちゃったよ。あはは」




「……え?」




 お兄ちゃんが何を言っているのか分からなかった。フラれた? 誰が? 誰に? お兄ちゃんが、お姉ちゃんに? そんなことあるはずないよ! だって、お姉ちゃんがお兄ちゃんのことを好きなのは私も含めて家族全員が知っている。


 お姉ちゃんだって、いつもお兄ちゃんの話をしている。本心とは裏腹にお兄ちゃんにキツイことを言って、後から後悔しているのがお姉ちゃんだ。そんなお姉ちゃんにいつも私は、素直にならないと誰かに盗られちゃうよなんて会話をしていた。それなのに、そんなお姉ちゃんがお兄ちゃんをフッた?


「うそ、嘘だよそんなの! 絶対、勘違いに決まってるよ!」

「俺は直接言われたから間違いないよ。だから、灯凪を励ますのは彼氏がやることだ。俺じゃない」

「そんなことない! だって、お姉ちゃんはお兄ちゃんのことが――」

「灯織ちゃん。もういいんだ。ありがとう。でも、灯凪が選んだのは俺じゃない。彼氏と喧嘩でもしたのか知らないけど、それは俺が干渉することじゃないでしょ? 俺と灯凪はもう幼馴染の関係も解消したんだから」

「そんな……そんなことって……!」

「だからごめんね。灯織ちゃん。もう灯織ちゃん家に行く事は出来ないんだ。俺にとっても辛いだけだし、灯凪だって、俺のことなんて見たくないだろうから」


 お兄ちゃんは淡々と、まるで悲しみも辛さも何もかも飲み込むように言葉を続ける。こんなお兄ちゃんの表情、見た事がない。その表情から何も感じられなくなっていく。お兄ちゃんの感情が今まさに消えていっているような、そんな奇妙な錯覚に襲われる。


 お姉ちゃんが、お兄ちゃん以外の人と付き合い始めた? 幾らそう言われても信じることなんて出来なかった。お姉ちゃんはずっとお兄ちゃん一筋だったはずだ。何か弱みを握られて脅迫でもされている?


 でも、それだったらお兄ちゃんは絶対にお姉ちゃんを助けようとするだろう。お姉ちゃんを見捨てるようなことなんてしない。私達、家族にもそれを伝えてくれているはずだ。じゃあ、本当にお姉ちゃんが自分の意思でお兄ちゃんをフッて、違う人と付き合い始めたの?


 そんなことあるはずない……何かの間違いに決まってる。私の知るお姉ちゃんと、私の知るお兄ちゃんの2人からは考えられない。お兄ちゃんはフラれたと言っていた。お兄ちゃんもお姉ちゃんのことが好きだったんだ。そうだろうと思っていたが、それをお兄ちゃんから聞くのは初めてかもしれない。


 なのにどうして? どうしてお姉ちゃんはお兄ちゃんのことフッたりしたの? お兄ちゃんの事が嫌いになったの?


 疑問が思考を覆い尽くす。私にとって、お兄ちゃんは理想のお兄ちゃんだ。私は漠然と、お兄ちゃんが本当のお兄ちゃんになってくれたら良いなとずっと思っていた。でも、それは決して夢や憧れなんかじゃなくて、お姉ちゃんと結ばれれば、いつしかそれは現実になるんだと、そう考えていた。

 

 お姉ちゃんだからそれで良いと思っていた。お姉ちゃんもお兄ちゃんが好きで、お兄ちゃんもお姉ちゃんが好き。幼い頃から想いを、恋を育んできた相思相愛の幼馴染。それはまるで物語のように、誰もが羨むであろう綺麗で美しい理想的な恋人関係。


 だから私はそれで良かった。いつか、お兄ちゃんが家族になってくれるなら、それが私の望む幸せだったのに。それなのに、お姉ちゃんがお兄ちゃんをフルなんて許せない。そんなこと許せるはずがない。じゃあ、それなら私の気持ちはどうなるの? 理想的な2人に憧れて、綺麗なその関係を壊したくないと、それで良いと蓋をしてきた私の気持ち。




 お兄ちゃんを好きな、私の気持ちはどうなるの――?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ