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第23話 無情な狂騒曲

「九重という生徒はいるか!? すまないが今すぐに呼んでくれ!」


 まさに血相を変えるというのだろう。その男は必死な形相で校長室に飛び込んできた。傍目にも分かるほど焦りが見られる。


「と、東城先生!? どうされました?」

「あの生徒だ! 九重という。先日連絡しただろう。彼は今何をしている!?」


 突然の来訪者に動揺しながらも、対応せざるを得ない。校長の吉永とてたかがだ一高校の責任者でしかない。相手はこの学校のOBであり県会議員だ。教育に熱心とも名高い東城秀臣。不用意な態度が許される相手ではなかった。


「彼は現在謹慎処分中で――」

「今すぐに処分を解いて呼び出してくれ!」

「いったいどういうことですか? 彼は東城先生の指示で――」

「私は指示などしていない! こういう生徒がいるのはどうかと言っただけだ!」


 如何にも政治家らしい保身に満ちた物言いだった。自分に責任が及ばないように最低限逃げ道を残している。しかし、にも関わらず目の前の東城の様子はただ事ではない。いったいこの男に何があったのか――




「このままでは私は破滅だ」




‡‡‡




「英里佳、東城英里佳、話がある!」


 3-D組に生徒会長の声が響く。午後の授業が始まろうとしている時間だが、この事態にそんなことは関係なかった。呆気にとられるクラスメイトを尻目に怪訝そうな表情の東城英里佳が進み出る。


「どうしましたの睦月?」

「英里佳、九重雪兎の噂を流したのは君だな?」

「――ッ! 知りませんわ」

「嘘をつくな! 君以外に考えられない。何故そんなことをした!」


 詰め寄る祁堂の目をキッと睨み返すと、東城英里佳は声を上げる。


「睦月、貴女はどうしてしまったの!? 今だってあの男に弱みを握られているんでしょう? 大丈夫です。私がきっと助けてあげますから!」


 パチーンと乾いた音が教室内に響く。祁堂は東城の頬をビンタしていた。


「ふざけるな! 彼はそんなことしていない! どうして彼を傷つけようとする!」

「おかしいのは貴女ですわ睦月! 貴女はそんな女性ではなかったでしょう!」

「勝手なことを言うな! 私はまた私の所為で彼を――」

「なにを――!」


 これほど取り乱している祁堂の姿を東城は初めてみる。明らかにおかしい。祁堂睦月をこんな風に変えてしまった九重雪兎という男に対して怒りが膨れ上がる。と、そのとき、再び来訪者がやってくる。今度は――


「東城英里佳、校長室にお前の父上が来ている! 急いでお前も来い!」

「藤代先生? 何故、お父様が――」

「話は後だ。ついでだ。祁堂、お前も来い!」

「あぁ!」


 駆け出す3人をクラスメイト達は茫然と見送るしかなかった。




‡‡‡




 東城秀臣は県会議員を3期12年務めている。いずれは国政への転身も考えていた。そんな秀臣に珍しく娘が頼み事をしてきた。一人娘である英里佳を秀臣は可愛がっていた。英里佳の話を聞いて秀臣は激怒する。そのような生徒が娘と同じ高校に通っているなど耐えられない。


 あまつさえ、逍遥高校は自分の母校でもある。その男がやっていることは紛れもなく犯罪だ。母校に相応しくないどころの話ではない。秀臣は電話を手に取る。もし、このとき、ほんの僅かでも英里佳の証言の裏取りをする労力を割いていれば、変わっていたかもしれない。しかし、全ては後の祭りだった。


 数日後、秀臣の下に県連の幹部から電話が掛かってきた。その内容は寝耳に水だった。党公認の取り消し。ありえない事態だ。秀臣は与党から公認を受けている。県議会でも過半数を占める与党議員の一人だった。公認の取り消しとはすなわち、今後の選挙において組織の協力を得られなくなる。無所属での活動を意味していた。当然、国政への鞍替えなど水泡に帰す。


 そんなことが受け入れられるはずがない! 何かの間違いだ! 秀臣は激高するが、にべもない返答が返ってくる。それは氷見山利舟からの指示だという。氷見山利舟。国会議員を8期務め、文部科学副大臣、総務副大臣、厚生労働大臣などを歴任した大物政治家の名前だった。既に国政から引退しているが、隠然足るその影響力は微塵も陰りを見せていない。


 ――馬鹿なあり得ない!


 理解が出来ない。それもそのはず、国政を目指す秀臣にとって氷見山利舟は雲の上の存在である。それ以前に会話したことも面会した事すらない相手だった。自分を知っているはずがない。その相手がどうして自分に対して公認の取り消しを求めるなどという真似をしたのか。


 しかし、一つだけ分かることがあった。氷見山利舟に目を掛けてもらえればそれは国政に進出する上で途方もなく大きな力になる。逆にその氷見山利舟に嫌われるようなら、自分の未来はないということだ。 


 愕然とする秀臣の下に再び電話が掛かってくる。氷見山晴彦。文部科学省に勤めるキャリア官僚。晴彦は冷然とした声で告げる。事情を知った秀臣は真っ青になっていた。まずい、まずい!


 最早、国政への転身どころではなかった。そんな夢想をしている場合ではない。それどころか、今すぐにでもこの問題を収拾しなければ、自分の未来はない。このままでは破滅する!


 秀臣は全ての予定をキャンセルするよう秘書に指示すると、急いで母校に向かう。浅慮だった。浅はかだった。取るに足らない問題だと考えていた。事実の確認を怠った。それはそのまま東城秀臣が政治家の資質に欠けているということを意味する。そう烙印を押されても致し方ない失態。


 あの生徒がまさか、氷見山と繋がりがあるなんて!


 無実の生徒を陥れてしまった。それが氷見山と繋がりあるなど想像の範疇にすらない事態だった。事実確認を怠った自分の愚かを後悔しながら、秀臣は焦燥に駆られていた。




‡‡‡




 電車で30分ほど、俺は目的の場所に到着した。謹慎処分中なので当たり前だが、学生は学校に行っている時間帯である。妙な背徳感。このような時間に私服で出回っているなど、俺は不良だった。最早これはヤンキーと呼んでもいいかもしれない。九重雪兎ヤンキーフォルムといったところだろう。だが、釘バットも木刀も持っていない。人は何故修学旅行で木刀を買ってしまうのか、永遠の謎だ。


 といっても、目的は他校への殴り込みではない。自分探しの旅である。意識高い系の若者が陥りがちな精神疾患の一つだが、俺の場合はガチで自分探しの旅なので意識高い系と同一視して欲しくはない。俺は急にインドとかに行って新しい自分に目覚めたりしない男、九重雪兎である。俺は俺に疑問を持っている。その理由、原因を探る必要がある。そうなれば来るところは一つしかない。


「総合病院。予約は11時半だったな――」


 これまでは何も気にならなかった。何も気にしなかった。傷つくことすらもうない。俺のメンタルはアルファゲルのように高い衝撃吸収性を持っている。誰に何を言われようと何をされようと傷つくこともない。だからどうでも良かった。自分にも他人にも何の関心もなかった。俺が関心を持たないのと同じように、どうせ誰も俺に関心を持っていない。それで良いじゃないか。それで全ては片付く。そうやって全てを放棄していた。


 でも、それは違うのかもしれないと思うようになった。ここ最近、俺は誰かの泣き顔ばかり見ていた気がする。何故泣いているんだろう? 何がそんなに悲しいんだろう? どうして? 知らないフリ、見ないフリはもう限界だった。その原因は俺だ。俺が彼女達を泣かせていた。それだけは分かる。俺が傷つけられるのはどうでもいい。でも、俺は誰かを傷つけたいとは思わない。泣いて欲しくなかった。そんな顔を見たくないと思った。


 きっと、俺はこのままでは駄目なんだ。俺の何かが変わらなければ、俺は同じことを繰り返す。誰かを泣かせ続ける。それはどのような感情なのか、この気持ちはなんというのだろうか。分からない。でも、多分俺は今のままが嫌なんだ。


 何の為に姉さんは俺にキスをした? 硯川は何を証明しようとしていた? 神代はマネージャーになって何をしたかった? 俺に向けられている感情が何のか、俺は多分知っている。知っていて理解出来ないだけだ。いつからそうなった? 何故そうなった? それを知る必要がある。


 俺の中でぼんやりと浮かび上がる答えがあった。だが、それはまだ曖昧なものだ。それを裏付ける為に俺は今ここにいる。ここは病院だ。スマートフォンの電源は切っておこう。俺は無造作に電源を切ると、目的の場所まで歩き始めた。




‡‡‡




「――そんな……じゃあ、私は!?」

「雪兎と連絡が付かない! もう、何処に行っているの――」

「頼む、なんとか連絡が付く方法を――!」


 校長室は荒れていた。担任の藤代小百合や悠璃もこの場に集まっている。つい先程、ここにも氷見山晴彦から連絡が来ていた。それは秀臣が受けた内容と同じようなものだったが、問題は飛躍的に拡大し学校内で収まなくなっていた。炎上である。吉永とて処分は免れないだろう。


 睦月から全ての事情を聞いた英里佳は泣き崩れていた。父親の秀臣も生気を失っている。無実の人間を陥れようとした英里佳もまた処分を受けざるを得ない。現に九重雪兎は一切なんら過失がないにも関わらず停学処分と同等の謹慎処分を受けている。東城家が起こした馬鹿げた騒動に一方的に巻き込まれただけだった。事と次第によっては最悪退学ということにもなりかねない。


 そして、こうなってしまえば、英里佳、秀臣、校長の吉永含め、それらの生殺与奪権を握っているのは他ならない一生徒の九重雪兎だった。少なくとも東城秀臣は九重雪兎に氷見山へとりなしてもらわなければ未来はない。今の地位すら直に剥奪されるかもしれない。


「英里佳、君がやったことは許されないことだ。しかし、それが私の為というなら、私も同罪なのだろう。センシティブな問題が故に周囲に何の説明もしてこなかったのは私の落ち度だ。最悪の場合、私も君と一緒に学園を去る」

「ごめんなさい睦月! 私が悪いのです! 貴女が去る必要などありません!」


 2人に悠璃は冷たい眼差しを向ける。怒りが募っていく。折角、良い方向に向かっていたと思えばすぐこれだ。いつだって、まるで悪意を持ったようにこんな騒動ばかりが襲ってくる。そして、その度に九重雪兎は壊れていく。もう限界だった。ほんの少しだけでも、弟が自分に心を開いてくれたと思った矢先だったからこそ、また壊れるのではないか、また弟に他人のように扱われるのではないかと思うと耐えられない。


「2人とも退学して! あの子の周りに傷つけようとする存在はいらないの!」

「悠璃……すまない……」


 張り詰めたように空気が緊迫している。どうにもならない。この事態を収拾できる唯一の存在がここにはいない――――はずだった。



「よっ、やってる?」



 本当に似つかわしくない台詞と共に、まるでフラッと居酒屋に立ち寄ったサラリーマンのような軽薄さで、この場の生殺与奪権を握るその男、九重雪兎はその場に現れた。



「ジャッジメントですの」



 良く分からない台詞と共に。

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