第19話 幼馴染の在り方
「そうか、悠璃さんはビッチだったんだ!」
俺は疑問の答えに辿り着いた。いったい何故いきなり姉さんがキスなどしてきたのか、俺は昨晩考え続けた。しかし、答えが出なかった為、こうして学校でも思案を継続中だったのだが、遂に見つけた答えがこれだ。九重悠璃ビッチ説。
これまで姉さんが誰かと付き合っていたという話を聞いたことはないが、アレだけ美人の姉だ。モテるに決まっている。彼氏の1人や2人、10人や20人いてもおかしくない。アレだな清楚系ビッチという奴なのかもしれない。思わぬ姉の背景を知ってしまった俺だが、そんなことで俺の態度が代わったりはしないので安心してくれよな!
「因みに九重は学年総合3位だ。皆も見習うように。あーやっぱり見習わなくて良いぞ」
ゴールデンウィークを控え、テストの返却が始まっていた。テストなど俺にとっては児戯に等しい。ごめん、児戯に等しいって言ってみただけ。格好良いじゃん? それはそれとして、俺は学年総合3位だった。小百合先生は何故か俺の成績をアッサリとバラしていた。まぁ、そのうち張り出されるので今更な話だけど。言っておくが、俺は別に頭が良いわけではない。これと言って趣味もない俺は家で勉強するくらいしかやることがないという悲しきロンリーウルフな学生であった。
「お前、勉強も出来んのかよ」
「普通に話掛けてくるなよ爽やかイケメン」
何故、コイツは普通に話掛けてきてるんだろう? じゃあ、あの勝負は何だったんだ? 完全に無駄骨であった。俺は骨粗鬆症ではない。
「つれないこと言うなよな。それにしても凄いな雪兎。俺は10位だった」
「それも普通に凄いだろ」
「嫌味にしか聞こえねーんだよ」
「俺なんかに関わっている暇があるなら神代と上手くやれ」
「そろそろ俺も腹立ってきた」
「セロトニン足りてないんじゃないか? 大豆か乳製品を多めに摂取した方が良い」
「あれが殿上人の会話だよ美紀ちゃん……」
「あの2人、やっぱなんかおかしくない!? 私なんて赤点取りそうだったんだけど……」
「テストのことは忘れよ! あのさ、皆でゴールデンウィーク遊びに行かない?」
エリザベスがニコニコと話掛けてくる。ゴールデンウィーク? 黄金週間の事だった。特に言い直す意味はない。要するに連休期間のことだ。俺の行動パターンとして、毎年この期間は雪華さんの家に拉致られている。行かないと泣くんだもん。仕方ないよね。そして俺は雪華さんの家で竜宮城に招待された浦島太郎のような歓待を受けるのであった。
「ほら、光喜。お前、誘われてるぞ。まったくこれだからリア充って奴は」
「どうみてもお前もだろ」
「はぁ? 陰キャぼっちの俺がクラスメイトから遊びに誘われるわけないだろ? てめぇ、いい加減なことばっかり言ってんじゃねぇぞ」
「九重君もだよ!」
「マジかよ嘘だろ……?」
「なんでそんな驚天動地な感じで驚くの!? それにこんなに堂々とハブったりしないよ!」
「あぁ、なるほど! ハブるなら陰でやるってことか! 流石、桜井さん。あはははは」
「そんなことしないよ!?」
「大丈夫大丈夫。俺、そういうの慣れてるし! どんどんハブってくれて良いよ!」
エリザベスはドン引きしていた。おかしいな。俺は相手に気を使っているつもりなのだが、何か間違えたのだろうか。俺みたいな奴がいても空気が悪くなるだけである。今まさにこの状況がそれを証明している。俺が何かしゃべると、大抵こういう空気になってしまう。それが、この俺、PM2.5ならぬPM九重雪兎だ。俺はこのクラスにおけるハウスダストといっても過言ではないだろう。空気清浄機が必要であり、俺の前にはHEPAフィルターの設置が求められている。
「九重ちゃん、私達と遊びに行くの嫌?」
「別にそんなこともないが、遊ぶって言っても何するんだ?」
「それを考えるのも楽しいんだよ!」
峯田美紀はギャルである。見た目や言動もギャルそのものだ。ということはビッチなのかもしれない。だとすれば、姉さんと何処かしら共通点があるのだろうか。俺はボッチだ。ビッチではない。ビッチの行動原理など分かるはずもない。何故あのような行動に及んだのか峯田なら分かるかもしれない。
「ところで峯田、君はビッチか?」
「は、はぁ!? 酷いよ九重ちゃん。私そんな軽い女じゃないからねっ!」
「なに、違ったのか? 失礼なことを言ってしまった。すまない」
「え、えっと……そんな素直に謝られても困るけど……なに、どうしたの?」
「一つ聞きたいことがあったんだけど」
「それって、もしかして……」
小さな声で「私にビッチか聞いてきたってことは、そういうこと?」とか、顔を赤くして峯田が呟いているが丸聞こえであった。しかし、そういうことってどういうことなんだよ! 俺には何を意味しているのかサッパリ分からないので、聞こえていたところでどうにもならない。
「つい先日、いきなり悠璃さん――姉さんにキスされたんだけど、これはどういうことなのかと。峯田なら何か分かるかもしれないと思ったのだが」
沈黙の後、クラス内は阿鼻叫喚に包まれた。
え、どうしたの!? なにかあったの!?
‡‡‡
「お姉ちゃん、急がないと時間ないよ? 分かってる?」
「う、うん」
妹の灯織に背中を押されるのは何度目だろう。一時期は本当に険悪になっていた。私が雪兎を裏切ったからだ。妹だけじゃない両親からも激怒された。雪兎は私の両親とも面識があり可愛がられていた。うちは私と灯織の2人姉妹だ。パパは息子も欲しかったらしい。そんなパパにとって雪兎は息子みたいなものだった。だからパパは雪兎と一緒にキャッチボールで遊んだりもしていた。当時はそれくらい仲良くしていて、いつも一緒に遊んでいた。
私が雪兎のことを好きなのは家族全員が知るところだった。だから、私の裏切りが許せなかったのだろう。それによって引き起こされた事態によって、私は地獄に落ち苦しむことになる。あれほど両親から怒られたことは初めてだった。でも、それさえも私にとっては必要なことだった。誰かに怒られないと私の気が済まなかった。
「お兄ちゃん、私達のところでも話題になってるよ。ヤバい一年生がいるって」
「雪兎の事ね。間違いないわ」
灯織は私の2つ下で中学2年生だ。私と同じ高校に入学するつもりでいる。そんな灯織のところまで知れ渡るようなヤバい一年生など、雪兎しかいないだろう。私達が高校に入学してからまだ僅か1ヶ月程しか経っていないが、九重雪兎の名はとにかく知れ渡っていた。わざわざ私達のクラスまで見に来る人までいる始末だ。
「お姉ちゃん、本当にシテないんだよね?」
「シテない! するはずないでしょ!」
「もし、それが嘘だったら絶交するから。お兄ちゃんを裏切って、自分を裏切って、あんな最低でわけのわからない奴に捧げたなんて本当に汚くて気持ち悪い」
「それは私が一番良く分かってる!」
「お姉ちゃんの所為でお兄ちゃんは傷ついた。うちにも遊びに来なくなっちゃった。私だって勉強とか教えて欲しいのに、お兄ちゃんは変わっちゃった。昔よりもっと遠くにいるような、そんな気がするの。このままだったら、もうお兄ちゃんは無関係な他人になっちゃう」
「幼馴染って、なんだろうね灯織……」
でも、もう立ち止まってはいられなかった。雪兎の周囲が騒がしくなっている。雪兎は悠璃さんからキスされたと言っていた。全てを飲み込んで悠璃さんは動きだしたんだ。あの日、生徒会室で聞いた雪兎の過去は私の知らないものばかりだった。あの頃、私は自分のことだけしか考えていなかった。雪兎がどういう状態にあるかなんてまるで知らなかったし、知ろうともしなかった。
雪兎がああなったのは、私だけの所為じゃない。でも、それは免罪符になるわけじゃない。それで気持ちが軽くなるわけじゃない。むしろ、より傷つけたことに対しての罪悪感は増す結果になった。これ以上の後悔はないと思っていた。でも、今は以前よりもっと苦しんでいる。私も加担した一人だ。彼を傷つけた一人だ。
どんな結果になっても、彼に向き合わなければ私はずっとこのまま前に進めない。嫌われても拒否されても伝えたいんだ。私は裏切ってない。心も身体も誰にも許してない。
私は静かに呟く。もう逃げるのは止めよう。彼に嫌われるのが怖くて、それを言い訳にして避け続けるのは止めよう。
「素直になりなさい、硯川灯凪。人を傷つけるだけの悪意はいらないの。幼馴染は負けヒロイン。それでも私は――」
それでも、こんなにも好きなのだから。
この気持ちは止められなくて――
‡‡‡
「ここに来るのも久しぶりだな」
硯川灯凪の家に足を運ぶ。どうしても家に来て欲しいと学校で懇願された。あんなに必死な硯川を見たのは初めてだった。帰宅部を極めし俺にとって放課後はフリーダムである。何か用事があるわけでもない。昔は良く一緒に遊んでいた。この家に来ることも多かった。今のマンションに引っ越すまでは、この近くに住んでいたこともあり、家族ぐるみで交流があった。今となっては懐かしい記憶だ。
チャイムを鳴らす。出てきたのは母親の茜さんではなく灯凪だった。何処か暗い表情。沈痛な面持ち。あまり調子が良さそうではない。
「気分が悪いならまた今度で良くないか?」
「ごめん、大丈夫。心配しないで」
硯川に連れられ、彼女の部屋に招かれる。この部屋に来るのはいつ以来だろうか? 彼女が用意してくれたクッションに座る。
「この部屋に来るのはいつ以来だ?」
「3年ぶりくらいかしら」
「それほど昔ってわけでもないか。ご両親はいないのか?」
「いるよ。でも、今だけは全て任せて貰ってるから」
「?」
何を? と聞きたいところだが、それはきっと硯川が俺をここに呼んだ理由だろう。彼女が話すを待てばいい。珍しく頭の中で思っているここと発言が一致する。俺にとっては極めて稀な事だった。懐かしさに充てられて、それくらい何処か俺も少しだけ素直な気持ちになっているのかもしれない。そんな感情がまだ残っていた。
「今日は来てくれてありがとう」
「あれだけ頼み込まれればな。で、何の用だ?」
「聞いて欲しいことがあるの。そして、見て私の姿を」
硯川は決意を決めたように、自分の服を脱ぎだした。止める間もなく、彼女は自分の下着にまで手を掛けると一糸まとわぬ全裸になった。止める間もなかった。ただ唖然とすることしか出来なかった。でも、硯川の身体が震えていることだけは俺にも分かった。
「狂ったか硯川?」
まったく馬鹿馬鹿しい台詞が口から飛び出す。狂っているのには俺なのに。壊れているのは俺なのに。恐らく今の発言は間違っている。何が間違っているのかは分からないが、そうに違いないと心のどこかで認識していた。目の前で女子が裸になっているのに、求められているのはそんな色気のないぶしつけな言葉じゃないはずだ。でも、何を言えば――。
「違う。狂っていたのはあの頃の私! 今が正常なの」
「何を言っている?」
「ずっと後悔してきた。あの日から毎日泣きながら、泣き疲れて眠る日々だった。妹に愛想を尽かされて、家族からも怒られて、そして貴方を傷つけた。悪いのは全部私」
「良く分からないが、君が何か悪い事をしたのか? でも、それは俺に関係ないだろう。俺と硯川の接点はあの日以来、殆どなかったはずだ」
「ううん。全部私が悪いの。自分の気持ちに素直になれずに、雪兎の気持ちを知ろうとして、私は何も伝えずに一方的に雪兎を求めた。愚かな私の過ちだった」
彼女は何を言ってる? 支離滅裂だった。単語の意味は分かっても、それが何を差しているのか欠片も理解出来ない。何を言っているのかまったく分からない。こうみえて俺は英語も話せるバイリンガルである。英語も国語もテストの点数は95点を超えていた。そんな俺が理解出来ないとはこれはもう一学生に解ける範疇を超えている。
しかし、硯川の目は狂ってなどいなかった。そこが俺と硯川の決定的な違いであり、硯川の黒曜石のように深い色をした瞳は真っ直ぐに俺を見据えていた。
「雪兎、私は先輩とセックスなんかしてないよ」