第18話 拒絶のボール
「だったら雪兎。この勝負、俺が勝ったら神代をもらう!」
沈黙に包まれる体育館。しかし、次の瞬間、歓声や絶叫といった阿鼻叫喚に包まれた。当の本人である神代が一番困惑していた。
「どどどど、どういうこと巳芳君!?」
へー。光喜は神代が好きだったのか。お互い体育会系の美男美女同士お似合いかもしれない。少なくとも俺みたいなどうしようもない陰キャぼっちに付き纏うより余程健全だろう。この爽やかイケメンなら誰も文句は言うまい。いやー、青春って(・∀・)イイネ!!
「良かったな神代。光喜は良い奴だぞ」
「……え?」
「お、おい雪兎! 本当にそれで良いのか!?」
「どうぞどうぞ」
何故か自分で言いだしたはずの爽やかイケメンが一番焦っていた。気づいたんだけど、こうなるともう俺、関係なくない? 何の為にこんなことやってるんだろう。後は若いお二人でどうぞって奴じゃん。
ははーん、なるほど。この爽やかイケメン。さては神代が俺に気があるとでも勘違いしているのでは?
神代にとって所詮俺は憐れで可哀想な存在でしかない。だから構っているだけだ。嘘告なんてくだらない真似をしたのも、言ってみれば陽キャな神代にとっては同情によるものだった。俺達にあったのは、そんな関係でしかない。そこに特別なものなど一切なかった。そう神代本人が言っていたのだ。そこに間違いなどあるはずがない。
「この勝負する意味ある?」
「何故だ雪兎、どうして気づかない! お前は本当に何も感じないのか? 神代のことも硯川のことも、彼女達の態度を見ても何も思わないのか?」
「良く分からないが、神代と仲良くやれよ」
「雪兎、何故そこまで拒絶しようとする?」
拒絶? 何が? 誰を? 爽やかイケメンの言っていることはやはり良く分からない。思えば硯川も神代も嘘ばかり俺に言っていた。本当のことが何なのかなんて俺に分かるはずもない。ましてや今の俺に理解することはもう不可能だった。
俺が誰を拒絶している? むしろ逆だろ? 俺はいつだって拒絶されてきた。母さんも姉さんも幼馴染も同級生も先輩も。誰もが拒絶していた。誰からも必要とされていない。何処にも居場所など存在しない。俺に向けられていたのはいつだって「拒絶」で、「好意」などなかったじゃないか。拒絶しているのは俺じゃない。俺じゃないはずだ。俺が拒絶されていたはずで、だから俺は――
ズキリと鈍い痛みが頭痛となって襲う。何か大切なことを喪失したような、また少し空洞が広がったような、そんなすっかり慣れ親しんだ感触。
カチリと、また何か壊れたような音がした。
ま、どうでもいっか!
俺は全てを放棄した。どうせ何も分からない。考えるだけ無駄であった。
WHOに対する信頼を失った今、国際機関を信じない男が俺、九重雪兎である。国連すら信じられない世の中、一個人など何をもって信用するというのか、言いたいことも言えない世の中など毒でしかない。俺に嘘をついていったい何になる? その嘘はなんの為につくんだ? その疑問に答えなどない。理由など思いつかない。嘘か真実かなど考えることが愚かだ。
とはいえ、クラスメイトの恋路くらい応援してやるのが正しい行動というものだろう。巳芳光喜が良い奴なのは間違いない。神代もこんな俺に同情するくらいには良い奴なのだろう。だったら、俺がやることは一つしかない。
「よし、じゃあこの勝負、俺が勝ったらもう2人共俺に関わるな」
「なに?」
「ユキ……なにを……」
「そこから先は2人次第だが、それは俺には関係ないしな。それに俺と関わらなければ、こんな面倒事に巻き込まれることもない。俺はバスケ部にも入らないし、2人にも関わらない。これで万事解決だ!」
「待て、お前はどうしてそんなに――」
「さっさと始めようぜ」
これで神代も爽やかイケメンも俺に気兼ねなく関係を深められるだろう。フッ、まさか彼女いない歴=年齢の俺が恋のキューピットになってしまうとは因果なものだ。格好つけて笑ってみる俺。勿論、表情には一切出ないのだが。
「九重、流石にそんな勝負には付き合えない」
「何があるのか知らないけど、君がそんな風ならボク達は協力出来ないよ?」
伊藤君と先輩が非難するようにこちらを見ていた。疎ましそうな目。そうだこの目だ。この目こそ、俺に向けられるべき目だ。この目をみると何処か心が落ち着く。安心する。俺という存在が肯定されているような、いや、否定されているような。そしてもう関わろうとしなくなる。陰キャぼっちの俺に対して、あるべき正しい姿。
「じゃあいいです。1人でやります」
「おい、九重。少しくらい出来るからって――」
「そこで休んでてくれ」
ゆっくりドリブルを始める。ギャラリーも一様に困惑の表情を浮かべていた。俺にとってはいつも通りであった。何故かバスケの試合をしているときでも、いつの間にか会場が静かになっていることが多かった。変なもので見るかのような視線が俺に突き刺さってくるが、これもまたいつも通りのことなので気にする必要もない。
「なんでこんなことになるんだろう……?」
いつだって、俺の中にはそんな疑問だけが渦巻いていた。
‡‡‡
「あり……得ない……」
スコアボードには21-10の数字が並んでいた。3 on 3 は時間制限の他に21点取ると、その時点で勝利が決まる。存外あっさり決まったその勝負に誰もが慄くことしか出来ずにいた。
練習を積み重ねた。打倒を掲げ全国で結果を出した。それでも、その男には届かない。その姿はもうなかった。さっさと帰ってしまった。とても簡潔な敗北。最後までつまらなそうだった。3人で抑えようとしても、その場でシュートを打たれてしまう。速攻を防ごうとしても躱されてしまう。まるで相手にならなかった。
しかし、そんなことは些細なことだ。それ以上に巳芳は気になっていた。どうしてあそこまで話が通じないのか、歩み寄れないのか、何処までも遠く、誰にも触れられない。
「神代、前にも聞いたが、何故雪兎は3年の大会に出なかった?」
あれほどの実力があってレギュラーになれないなどあり得ない。あるのは不足の事態か本人が出ないと決めた以外にはない。以前ははぐらかした質問に神代は答えた。
「ユキは骨折していたの」
「怪我だったのか……」
「私の所為……なの。私が嘘をついて、それでユキが……!」
体育館には2人だけが残っていた。ギャラリーは既に解散している。
「どうしてあんなに壊れちまったんだ……」
その呟きは、何処か寂しさを含みながら溶けていく。
‡‡‡
「ハイ、飲みなさい」
「150円払いますね」
手渡されたスポーツ飲料の代わりに姉さんに1000円札を差し出す。お釣りはいらないとニヒルに笑う。850円分は姉さんの優しさに支払っているので問題ない。下校代でもいいかもしれない。姉さんが一緒に下校してくれるなど、それだけの価値がある。姉さんは相変わらず怪訝そうな表情をしているがいつものことだった。
姉さんと一緒に家に帰るなど非常に珍しい。といっても、この場合は連行されているといった方が正しいだろう。完全にドナドナである。とはいえ、美人の姉さんが隣を歩いているというのは気分が良い。俺にとって唯一自慢できることかもしれない。俺自身に自慢できることなどないが、姉さんは自慢の姉だ。他力本願極まりないが、それもまた俺らしい。
「アンタ、部活やるの? 少しは楽しかった?」
「いえ、つまらなかったです。後、陰キャなので部活はやりません」
「そう」
自分で聞いておきながら、どうでも良さそうな返事が返ってくる。実際にその通りであることは言うまでもないので、特に気にしない。姉さんとしても本当に俺に興味があって聞いているというわけでもないだろう。会話が途切れないように気を使ってくれているだけだ。優しすぎる。悠璃さんマジ天使。
「それでミカエルは急にどうしたんですか?」
「は?」
「いえ、なんでもないです」
ミカエルはご機嫌斜めだった。天使ではグレードが低かったのかもしれない。完全に俺の過失であった。これからは大天使として崇めよう。これといって姉弟に共通の話題などない。すぐに話すこともなくなる。今日の天気は? などと当たり障りのない会話も今は夕方である。今更気にする必要などない時間帯だった。
「学校は楽しい?」
「楽しい……楽しいですか……うーん」
「迷うところなの?」
「多分、楽しくはないですね」
「ふぅん」
再び沈黙が訪れる。ぎこちない関係。でも、それでいい。姉さんに近づきすぎてはいけない。そうなればまたきっと、あのときみたいなことになるだけだ。
「高校、卒業したらどうするつもりなの?」
「どう……とは?」
曖昧な質問。急に始まった進路相談に困惑するが、思えば、俺はこの手の質問を極めて苦手にしていた。将来の夢やなりたいもの、憧れなどをまともに答えられた試しがない。そんなこと考えた事もない。高校を卒業したらどうするつもりなのかと言われても、ピンとこない。進学する? 或いは就職する? そういうことが聞きたいのだろうか。
「さぁ?」
「なにそれ」
そうとしか答えられない。ふと、手に温かいものを感じる。人間の体温。俺より少しだけ冷たい。いつの間にか手を姉さんに握られていた。これはアレかな? 絶対に逃がさないぞという鉄の意思。手錠みたいなものだ。
「行かないで」
「何処にですか?」
「何処にも。私の傍にいて」
姉は何を言っている? 理解が出来ない。俺は別に週末、旅行の予定を立てていたりなどしない。暇なものである。誰かと遊ぶ予定もない。陰キャぼっちだからな! 休日に友達と遊ぶなんて、そんなリア充みたいな真似出来るはずないだろHAHAHAHAHA!
「雪兎」
「はい?」
何故か抱きしめられていた。??? なにこれ? なにが起こっている? 幾ら何でもここまで拘束しなくても俺は逃げたりしない。何処に逃げると言うのだのだろう? 脱獄犯だと勘違いされているのだろうか?
「何度言っても言い足りないの。ごめんなさい。今日のアンタを見てますます怖くなった。もう遅かったんじゃないかって。それでも――」
「悠璃さん?」
「私の前からいなくなろうとしないで。自分で傷つこうとしないで。アンタはみんなから好かれているわ」
「嘘ですよ」
「嘘じゃない」
姉が不思議なことを言っている。ひょっとして落ち込んでいるようにでも見えたのだろうか? 勿論そんな事実はない。こう見えても俺のポーカーフェイス伝説は枚挙に暇がない。にらめっこで負けたことはないし、幼馴染の硯川に笑った所を一度も見た事がないと言われるくらいには鉄面皮だった。落ち込むようなことなどなかったし、そんな感情の起伏があるわけでもない。だから混乱してしまう。
何を言ってんだろう? それに嘘だ。
だって、だって姉さんは――
「大嫌いだって言ってたじゃないですか」
「大好きよ」
唇に柔らかな感触。
何故、俺はキスされているんだろう?