第16話 嘘告という嘘
体育館は騒動を聞きつけた暇人達で溢れていた。観戦者のギャラリーが出来ている。「あれが噂の……」とか聞こえてくるので無視を決め込んだ。ふとした日常に降って湧いたイベントに期待しているのだろうか。俺もそんな風に傍観者を気取りたいところである。問題はこの騒動の中心が俺であるということだ。すみません、帰宅して良いですか? 騒動の中心で、帰宅を叫ぶのが俺こと九重雪兎だ。
帰宅部である俺が何故こんなところでこんな目に遭っているのか、今の僕には理解出来ない。記憶をアンインストールアンインストールされている。対戦相手はバスケ部のレギュラーで3年生の3人。1年の俺を含めた3人が対戦という見方によっては先輩に逆らうクソ生意気な下級生という構図であった。平和に暮らしたいのにどうして……。
因みに3 on 3は1ピリオド5分×2の計10分で行われる。こんなに大々的に人が集まっているが、始まってみればサクっと終わってしまうのが3 on 3である。これといってポジションがあるわけでもないので戦略めいたものも存在しない。
「じゃあ、俺達が勝利したら君達はバスケ部入部するということでいいな?」
「分かりました」
「良くねぇ! 勝手に決めないでくれます? 先輩達も大人げなくないですか?」
「必ず勝てるとも思ってないからな! 我がバスケ部にそこまで自信があるなら誘ってない」
「なら、もし俺達が勝ったらバスケ部は解散ということで」
「それだけは、それだけはぁぁぁぁぁああ!?」
先輩達が悲痛にくれていた。意味不明であった。幾ら何でも最初から1年に負ける事を想定している3年生がいるだろうか。バスケ部だという伊藤君はともかく、爽やかイケメンがどれくらい動けるのかも分からない。
「それに、俺にはモチベーションがないので、正直勝っても負けてもどうでもいいというか……」
「雪兎、絶対勝とうぜ!」
「お前等、一応あれでも先輩達はレギュラーだぞ? 負けるに決まってる」
何故か爽やかイケメンがニヤリと笑う。
「勝つさ。負けるはずがない。な、雪兎?」
「その自身は何処から来るんだ?」
まさかまた学校でバスケをすることになるとは思わなかった。もう二度とそんな機会はないと思っていたのが、世の中どう転ぶか分からない。チラリと視線を横に向けるとギャラリーの中に姉さんの姿もあった。わざわざ見に来たのだろうか。きっと、俺が問題を起こさないか監視に来たのだろう。姉さんにとっては俺は迷惑な存在でしかない。いや、誰にとってもそうなんだろう。
中学の頃、俺がバスケをやっていたのは誰の為でもなく単純に自分の為だ。今思えば失恋のショックを振り切るのにバスケを利用していたにすぎない。チームの勝利も部活の仲間もどうでも良かった。そんなことの為に俺はバスケをやっていたのではない。そこには何の関心も興味もない。だから俺はいつも一人で練習していた。上手くなりたくて練習していたのではなく、単に身体を動かしたかった。
2年の夏を過ぎると、そんな俺に妙に話掛けてくる奴が現れた。
それが神代汐里であり、俺に嘘告を仕掛けてきた相手だった。
‡‡‡
「あれ? 先週もいなかったっけ?」
土曜日。私は公園のフリーコートで練習しているその人を見かけた。確か男バスのメンバーだ。彼をこの場所で見るのは2度目だった。先週も同じ時間に同じ場所でたった一人で練習している姿を見た記憶がある。その時は特に気にすることもなかったが、私も女バスをやっているからだろうか、2度目に見かけた彼のことが妙に気になった。惹きつけられるような存在感。しかし、何故かその雰囲気は異質で彼はとにかく必死だった。
3度目はすぐにやってくる。私は初めて学校で彼のことをちゃんと見ることにした。バスケ部同士交流があるといっても、これまで大した接点もなく話したこともない。どんな人なんだろう? 休日に自主練しているくらいだ。練習熱心な人だよね。
それが私の第一印象だった。そこまで部活に熱意を持っていない私とは違う。男バスもそれほど強いわけじゃない。それなのにどうしてあそこまで頑張れるんだろう? 私は彼に興味を抱き、目で追うようになっていた。
それが間違いだったのかもしれない。いざ気にして彼の姿を見るようになると、その異常性は際立っていた。朝も放課後も夜も彼は練習していた。誰かとではなくたった一人で。それはチームスポーツであるバスケという競技においてはあまりにも不自然だった。彼だけが練習して何になる? チームが強くならないと意味なんてないのに! 馬鹿な人だな……そんな風に思う反面、心のどこかで、その姿を眩しく感じていたのかもしれない。
彼はどんどん頭角を表していった。当たり前だろう。それだけのことを彼はやっている。男バスのメンバー達はそんな彼の姿に困惑していた。どう扱って良いのか分からない。部活に対しての明らかな温度差。楽しむ為にやっているのに、一人だけガチな人間が混ざり込んでいることに対する異物感。しかし、彼はそんな空気を受けても何も気にしない。そして、自分と同じ努力を他人に求めることもなかった。今日も彼はたった一人で練習を続けている。
どうしても気になって、私はついに彼に話しかけていた。
「ねぇ。君はどうしてそんなに頑張れるの?」
話してみると、彼は普通の男子学生だった。いや、そのときはそう思った。彼はとても話し易くとても優しい人間だった。こう見えて、どうやら私はモテるらしい。何度か告白されたこともある。身長も高いし、胸だって結構成長している。発育が良いことは自分で分かっていた。男子の視線が身体に突き刺さるのを感じる。
でも、彼は違った。私にそんな視線を一切向けない。それどころか私を認識してくれているのだろうか。私に対する興味を持ってくれているのだろうか。そう感じてしまうほど、とにかく彼は他者に対する意識が希薄だった。
彼の瞳には何が映っているんだろう? そんなことを考えてしまうほど深く暗く澱んでいた。とても冷たく何かを見据えていた。その目の恐さに反して、彼の態度も言葉もいつも優しい。何処か放っておけないアンバランスで奇妙な彼。それが九重雪兎だった。
そんな彼は私にとっていつしか安心できる存在になっていた。大切な異性の友達。それ以上の存在になっていくことに時間は掛からなかった。彼のことをユキと呼ぶようになり、彼も私のことを汐里と呼んでくれる仲になっていた。私が呼んで欲しいとお願いした。
彼の存在が部活内で大きく変わる契機が訪れる。2年の秋の大会で、男バスは強豪校に勝利し県大会ベスト16まで勝ち上がった。快挙だった。普段は地区大会の1回戦か2回戦で負ける事もある男バスが県大会にまで勝ち進み結果を残した。学校でも表彰される。それはほぼ彼の功績といっても良いい。でも、バスケはチームスポーツだ。幾ら彼一人が凄くても限界がある。しかしこの結果は男子達の意識を大きく変える事になる。
自分達が上手くなればもっと上を目指せるのではないか。そんな希望が男バスには生まれつつあった。自分達がレベルアップすれば、もっと結果を出せるかもしれない。いつしか男子達はこれまでとは全く違う姿勢で、真剣にバスケに打ち込むようになっていた。
彼はたった一人でバスケ部を変えてしまった。
彼が自分から何かを言ったわけではない。誰かに強制したわけでもない。自分の行動だけで周囲を変えてしまったのだ。
同級生で仲の良い友達。
同時にその存在、その背中に強い憧れを抱いていた。
そしてその熱気、余波は女バスにも徐々に伝わりつつあった。以前よりにも真剣に練習に打ち込むようになっていた。この頃から、私の周りでも彼のことを気にする声が増えた。熱い視線を送っているメンバーもいた。当然だ。彼は格好良い。そんな強い輝きと、どうしようもない暗さを持っている彼のことが気にならないわけがない。
私は少しだけ優越感を感じると同時に、不安感を持つようになっていた。その気持ちが何なのか、私が理解するにはまだ子供すぎた。ずっと運動ばかりしてきた私にとって、それが恋だと知るには経験がなさすぎた。
彼との関係はそれからも続いた。その頃には、私はもう彼が大好きになっていた。ハッキリとそれが恋だと自覚するほどに舞い上がっていた。彼と話していると楽しい。彼と一緒にいたい。そんな気持ちが膨れ上がっていく。
そしてとうとう我慢できずに、私はそれを伝えてしまった。でも、それがあんなことになるなんて……。あの日から、私の後悔は始まる。伝えなければ良かった。もっと素直になれば、自分に正直になっていれば。
「ユキ、あのね! 今日は聞いて欲しいことがあって……」
「どうしたの汐里?」
周囲は暗くなっていた。ユキは放課後はギリギリまで練習に費やしている。帰る頃には日が落ちている。私はユキを待ち一緒に帰ることを選択する。彼は緊張している私の姿を見ても特に何かを言うわけでもなく、いつも通り優しく促してくれた。
「私、ユキが好き!」
少しだけ彼の瞳が揺れる。驚きを含んだ表情。初めて見たかもしれない。彼の感情が見える事は稀だ。表情に出すところなど見た事がない。私が知っているのは普段の優しい姿か、たった一人で苛烈なまでに部活に打ち込む姿だけだった。だから、そんな彼の姿に私は胸がいっぱいになった。私でも何かを伝えられるのだと思った。私はじっとユキの瞳を見つめながら彼の言葉を待つ。
「ごめん。汐里、返事は大会が終わるまで待ってくれないかな?」
「そう……だよね。最後の大会だもんね」
その答えは予想に反するものだった。好きでもそうじゃなくても、私はどちらでも受け入れるつもりだった。その覚悟と勇気を持って私は告白をしたつもりだった。でも、帰ってきたのはそのどちらでもない第3の選択肢。「待つ」というものだった。
考えてみれば、あれだけ部活に打ち込んでいたユキにとって、3年の最後の大会は集大成ともいえるものだ。思い入れがあるのだろう。ユキ以外のメンバーも今では大会を心待ちにしている。自分達の力を見せつけてやろうと意気込んでいる。今はそれに集中したいという気持ちも分かる。
「終わったら返事をくれるの?」
「必ずするよ」
「……分かった。待つね。でも、悲しいのは嫌だから!」
気まずさと恥ずかしさに耐え切れなくなり、私はそれだけ伝えて駆け出す。なんとなくだが、良い返事がもらえるかもしれないと、何処か私はそんな希望めいたものを持っていた。
だって、もしユキが私のことを好きじゃないなら、なんとも思っていないなら、今この場で言えば良いはずだ。保留する理由がない。それなのに、大会まで待って欲しいと言っていた。それはきっと、私に向き合ってくれる為にユキが必要としている時間。
だとしたらきっと、ユキは私が望んでいる答えをくれるはずだ。弾むような気持ちで私は家に向かって走り出した。
それからしばらく経ち、私は女子トイレの前で友達に問い詰められていた。3人はクラスは違うが小学生からの友達で今でも仲が良い。どうやら最近、私の態度がおかしい。これはきっと何かあったのではないかと、ニヤニヤしながら尋ねてきた。
「汐里さ、もしかして九重君に告白した?」
「な、なんで!? なにもないよ!」
「じゃあなんでそんなに慌てているのよ」
「貴女は態度に出過ぎなのよ。逆に九重君はポーカーフェイスなのにね」
「あーあ。ついに汐里ちゃんにも春が来たのかー」
そんな風に揶揄われるのは初めての経験だった。私は頭が真っ白になってしまう。私にとっては初恋だった。この気持ちは、とても大切で甘いものだった。大切に秘めていたい。傷つけたくない、傷つけられたくない。それを茶化されたくなくて、つい思ってもいないような事を口走ってしまう。
「だっていつも一緒にいるじゃん。あんだけ好き好きオーラ出てたら丸わかりだよ?」
「ちがっ! 私とユキはそんなんじゃなくて……。好きとかじゃ……。あれはユキがいつも一人で可哀想だから構ってあげてるだけで! そんなオーラなんて……」
「じゃあ、好きじゃないの?」
「そんなんじゃないから! 私は別にユキのことなんて――」
自分が何を言っているのか分からない。そんな私の姿を見ながらニヤニヤしている友人達に真っ赤な顔で反論する。と、友人達の表情が一様に強張った。視線が私の後ろに向いている。とても嫌な予感。どうしたの? と、振り返るとそこには男子トイレから出てきたユキがいた。
え? どうしてここにユキが?
疑問に思うが、それは疑問でもなんでもない。トイレくらい誰だって行くだろう。そんなことすらすぐには分からない程、私の頭は混乱していた。今の言葉、聞かれてた? 誰に? ユキに? 私は何を言ったの? 私はユキに告白して、なのに今をそれを否定して――。グルグルと思考が出口の見えない回廊を彷徨い続ける。
「あ、あの九重君……」
顔面蒼白な友達が話掛けようとするが、ユキは特に何か気にした様子もなく、こちらに視線を向けることもなく、私達に気づいてすらいないように歩いていった。
「ど、どうしよう汐里。今の聞かれてたかも!」
「私達の所為だ。私達が汐里を揶揄ったから……」
「あなた本当に告白してないの? もしそれが嘘なら今すぐ否定しておかないと――」
「汐里ちゃん、素直にならないと大変なことになっちゃうかも……」
「えっ! ちょっと待ってよ。そんなの――」
途方もない焦燥感。なんとかしないといけないのに、恐くて足が動かない。どうしよう? どうすればいいの? 全部嘘だったって伝えれば良いの? もしかしたら聞かれていないかもしれない。そうだったら余計なことはしない方が良い。でも、聞かれていたら? 答えが分からない。ただ焦りだけが私の心を支配していく。
それから数日が経過しても、私はユキに何も聞けないままだった。表面上、ユキの様子に一切の変化は見られない。いつも通り優しくて、格好良い。でも、どことなく微かに距離が遠くなったようなそんな気がしていた。けれどそれもハッキリと感じ取れるほどでもない、本当に些細な変化。気にしすぎている私の思い過ごしなのかもしれない。不安で勘違いしているだけかもしれない。
けど、私がついた嘘は、私が知らないうちに進んでいたんだ。
「もうすぐ大会だね」
「そうだな」
今日も私はユキと一緒に帰っていた。歩道橋に差し掛かる。あれからこれといって何かあったわけではない。だから私は何処か安心してしまっていた。それが失敗だった。最初から全部素直に話しておけば、すれ違いも勘違いも起こらなかったのに……。
「あのときの返事待ってるからね!」
ユキの気持ちを考えず、何も確かめようとせず、浮かれた私はそんなことを言ってしまう。
「返事?」
「むぅ。忘れたなんて言わないよね? 告白の返事だよ」
ユキの表情に唐突に不安が募っていく。ユキは知っていてわざとはぐらかすような性格じゃない。本当になんとも思っていないと今みたいな返事にはならない。
「あぁ。アレか。汐里、もういいぞ俺に付き合わなくて」
「え?」
「別に俺は一人が寂しいわけじゃない。むしろそっちの方が好きなくらいだ。俺は好きで一人でいるのであって、同情しなくてもいい」
「なに……を……」
ユキが何を言っているのか分からなかった。でも何か決定的な――
「汐里、好きでもない相手に構わなくても良い」
ユキはこんなときでもいつも通りだった。視線も声も何も変化がない。でも、その言葉には、確かに拒絶が込められていた。
「まさか君が嘘告なんてつまらない真似をするなんて」
まるでそれが何でもない事のようにユキは淡々としている。
やっぱり聞かれてた! 放置しないで、あのときちゃんと話せば良かった! そんな後悔が今更襲ってくる。私は急いで自分の気持ちを伝えようとするが、上手く声が出ない。
「返事を聞きたいなら今言うよ。汐里、答えはNOだ」
「いやっ! 違う、違うのユキ! あれは本心じゃなくて――!?」
「こうやって俺みたいな奴と一緒に帰るのも汐里……いや、神代にとっては迷惑だろ。こういうのは今日で終わりにしよう」
神代? まるで最初の頃に戻ったみたいだった。初めて会話した頃に。嫌だ。違うの! 私は本当にユキが好きで、嘘告なんかじゃ――!
平然と前を進んでいくユキに手を伸ばそうとして、慌てた私は歩道橋の階段の上で足を踏み外す。あるはずの地面がない。もつれた脚は宙に投げ出され、平衡感覚が消失する。私の身体は重力に従い、そのまま落下し地面へと――。
「汐里っ!?」
名前を呼んでくれた。こんな状況で、そんなことが嬉しいと思ってしまう。でも、身体は止まらない。気づけば私はユキに抱きしめられていた。転落といってもいいだろう。怪我はなさそうだ。私を誰かが支えてくれている。誰かなんてユキしかいないのに。ユキ、そうだユキは!?
私の護るようにユキは下敷きになっていた。苦悶の声が微かに漏れている。
「大丈夫か汐里? ……っ!」
良かった意識がある。ユキも無事だ! 喜んだ束の間、私は見てしまう。ユキの右手があり得ない方向へ曲がっていた。私もスポーツをやっている。それが何を意味するのかは一目で分かった。
ユキは右手を骨折している。大会は目前に迫っていた。
――もう、ユキは大会に出られない。