第13話 謝罪と贖罪と食材
武士は食わねど高楊枝と言うが、俺は武士ではなく高校生である。江戸時代でもない令和なのであった。とはいえ、そのような気品高い生き方をしたいものである。人生が鎖国している俺でもその程度の憧れはあるのだ。伴天連は追放しておく。それはそれとして、お昼休みの現在。俺は教室前の廊下に立っている。眼前では生徒会長と副会長が土下座していた。え、なにこの状況?
「九重雪兎、本当にすまなかった! どうか許して欲しい」
「ごめんさない九重君!」
言うまでもないが教室内はざわついている。廊下を歩いていた生徒達も立ち止まり様子を遠巻きに眺めていた、目立っている。滅茶苦茶に目立っている。いや、おかしいでしょこの人達! 武士なの!? いつの間に俺は大名になったのか。参勤交代の時間である。
「おもてをあげい。いや、冗談です。目立っているので立ってください」
「君を傷つけた事、心から謝罪したい」
「その……助けようとしてくれてありがとう!」
「もういいですと言いませんでしたか?」
ようやく顔を上げて生徒会長と副会長が立ち上がる。その間もギャラリーは増え続けていたが、2人は周囲が見えていないのか一切気にしていなかった。客観的に見て、3年生が1年生の教室まで足を運んで土下座謝罪しているなど目を引かないはずがない。一躍俺はスター街道まっしぐらである。是非とも脇道に逸れたい。俺の陰キャぼっち道に赤信号が灯っていた。
「そういうわけにはいかない。これは私にとっても重要なことなんだ!」
「あのね、何かお礼をさせて欲しいの」
「お引き取りください」
関わるだけ一方的に俺が損するので、極力冷たく告げる。しかし、先輩達の目は何処か熱に浮かされたようにぐるぐるしていた。
「九重雪兎、――――私を抱け!」
「美味しいものでも奢らせてくれないかなって――って、睦月ちゃん!?」
先輩って活舌がハッキリしてるんだなぁ。綺麗で良く通る声をしている流石生徒会長だよね。この学校は安泰だ。うんうん。って、そうだよ分かってるよ! 現実逃避だよチクショウ! とりあえず俺は聞かなかったことにした。主人公なので、こういう技が使えるのである。
「えっ、なんだって?」
「九重、私も初めてなんだ。出来ればこれを使って欲しい」
俺の技は技量が不足しており無駄に終わった。もじもじと先輩が何かを手渡してくる。箱には0.01ミリと記載されていた。ボク、シラナイ……シラナイ……。あまりにも見に憶えがある。雪華さんの家にも置いてあった。それもやたらアピールするように視界に入るよう絶妙な位置に置かれていた。それと、なんかこのゴム薄くないですか?
「だが、もし君がそれをしたくないというのなら私はそれを受け入れよう」
「ちょっと睦月ちゃん!? ねぇ、ちょっと!?」
ガクガクと副会長の三雲先輩が揺さぶっているが、祁堂先輩は微動だにしない。足腰が強いのだろうか。背筋も綺麗に伸びており、体幹がしっかり鍛えられているのを感じる。素晴らしいね。
「君がしたいなら、私は生でも構わない!」
「睦月ちゃん暴走してるよ!? 正気に戻って!」
「裕美、私は正気だ」
「正気の方が駄目だからね!?」
そういえば、もうそろそろ中間試験の時期だった。学力にはそれなりに自信がある俺にはテストは別に恐怖の対象でもなんでもない。学校が早く終わって嬉しいボーナスタイムなのだった。あぁ、そうだよ。俺の思考は最早全く別のところへ跳んでいた。だって、聞いていると頭がおかしくなってくるんだもん。
「しかし、私が調べた限り、男子が貰って喜ぶものとは処――」
「わああああああああああ!」
「雑誌にそう書いてあったんだ。九重、謝罪の気持ちだ。受け取ってくれ!」
これはアレだな。この人、関わっちゃ駄目な人だ。雪華さんと同類。猛禽類の肉食獣だ。
「先輩、そんな贖罪の気持ちで抱かれようとしても相手は喜びませんよ」
「な、なに……。しかし、確かに一理あるかもしれない」
「そ、そうだよ睦月ちゃん。ちょっと冷静になって考え直そ?」
「いや、だがしかし九重。贖罪の気持ちは勿論ある。だが、それだけはないんだ!」
「あっ、駄目だこの人」
したり顔でそれっぽいことを言ってみるが失敗した。俺とて経験はないが、この場を凌ぐには後はもうこれしかない。据え膳食わぬは男の恥と言うが、俺はそんなにお腹が減っていない。空腹を満たすには普通の食事で十分だ。
「それに俺、今日は購買なので失礼します!」
三十六計逃げるに如かず。俺はその場から逃亡した。
「痴女だぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
俺の悲痛な叫びは廊下の先まで届いていたという。
‡‡‡
痴女の魔の手から逃れた俺は非常階段まで逃亡していた。こうなるともうガチで憩いの場である。疲労困憊のままため息を吐き出し腰を下ろす。と、何故か先客がいる。見覚えのある人物だった。オリュンポス十二神の一柱。
「アフロディーテ先輩?」
「つーん」
無視された。お怒りのようだ。痴女先輩に絡まれ精神的に疲労していた俺に相手をする気力はなかった。人間誰でも機嫌の悪い日だってあるさ。姉さんだって月1くらいでそういう日がある。こういうときは関わらない方が良いだろう。俺は買ってきたぶどうパンとチーズミルクパンの袋を開ける。今回はベストマッチな組み合わせである。俺は同じ間違いをしない男、九重雪兎。面目躍如といえるだろう。食が捗る。
「えっと、どうして無視して食べ始めるの?」
「面倒くさいなぁ……あっ、良い意味で」
「それ言っておけば許されるわけじゃないって言わなかった?」
「そんなこと言っても、俺、関係ないじゃないですか」
「あるよ! 君、前に会ったとき何言ったか憶えてないの?」
「何か言いましたか?」
「週に1、2回ここに来るって言ったじゃない! なのに見に来ても全然いないし」
そういえばそんなこともあったような気がする。すっかり忘れていた。天気も悪かったし、普通に教室で食べていたような記憶がある。が、それを正直に言うのも憚られるので誤魔化しておく。角を立てずに空気が読める男、それが俺である。
「色々とあったんですよ。というか、アフロディーテ先輩、毎日見に来てたんですか?」
「うっ。違うからね? 私もたまには1人になりたいときがあるから来てただけで」
「なんだ俺と同じ陰キャぼっちじゃないですか。あはははははは」
「止めて! 一緒にしないで! あと何か名称に違和感があるんだけど!?」
「そこはほら女神だから」
「1周回ってややこしくなってるよ!」
「でも、俺、先輩の名前知らないし……」
「自己紹介したよね? したよね? 君、覚えるところ間違ってるよ」
「ぶどうパンのぶどうって、あんまりぶどう感ないのなんでだろ?」
「聞いてよ! 私に興味持とう? これでも結構、私2年生だと人気あるんだよ?」
「けっ、スター気取りかよ」
「辛辣なの止めてよ! 恥ずかしいじゃない」
雑談したまま、お昼休みが終わる。結局、名前を聞きそびれてしまった。アフロディーテじゃないならアテナでいいか。メジャーどころなら外さないだろう。名前を憶えていないか忘れた知人に声を掛けられたら、田中か佐藤と言っておけば正当率は2割くらいである。大抵その後、ちゃんと名前を教えてくれるので問題ない。これもまた俺の処世術なのであった。
‡‡‡
私は頭を抱えていた。何を思ったのか弟に接触したらしい生徒会長の奇行は既に噂となって校内を駆け巡っていた。土下座で謝罪していたそうだが、問題はその後である。このまま放っておくと確実にややこしい事態になりそうな予感がしている。
あの後、帰ってから幾ら問い詰めても弟は何も口を割らなかった。何処か固い表情、定まらない視線。頑なに何かを抑え込んでいた。抑え込もうとしていた。それはどのような感情なのだろうか。私には想像することも出来ない。
考えるべきことが多すぎる。幼馴染に同級生。更にそこに来て生徒会長と、この学校には危険が多すぎる。
「いっそ、私のクラスに連れてこようからしら」
「悠璃、どうしたの?」
「それにしても、雪兎君って悠璃の弟君でしょ? あの生徒会長を土下座させるって何をやったの?」
「本当なのそれ? 信じられないんだけど」
「画像を撮った人もいるんだって。間違いないよ」
「はぁ……。アンタ達、笑い話じゃないのよ。もっと深刻なの」
私が弟の学園生活を守ってあげないといけない。私は今年の生徒会長選挙に立候補するつもりだ。それで少しでもあの子が過ごしやすいように学校を改善していく。そんなことしか出来ないが、それでもやらないわけにはいかなった。
いつか、またお姉ちゃんって呼んでくれるかな……。
そんな些細な願いだけが私を突き動かしている。私も硯川灯凪や神代汐里と大差ない。いや、最も傷つけたのは自分だろうという自覚があった。弟は一切あのときのことを口外しない。私も誰かに知られるのが怖くて、ずっと抱え込んできた。取り返しの付かない罪。
今になって思い返せば、弟が自分に懐いていたのも当然だ。甘える先が母親から私に向いていたのだろう。でも、そんなことを今になって気づいても遅すぎた。私は許されない罪を背負っている。手遅れになる程、弟を壊したのは私だ。私がこの手で弟を……。
今でも感触が残っている両手に視線を落とす。あのときの顔を夢に見ることもあった。何を思っていたのだろう。「あぁ、この人もなんだ」。アレはきっとそんな目。あの日以来、親しみもって懐いてくれていた弟の姿は消えた。親愛の情は消え去っていた。姉弟としての絆も。私は他人だと思われているだろう。私達には何もない。
私がこんな風に心配しているなんて、あの子はきっと全く考えていないんでしょうね。
――だって、私は、弟を殺そうとしたのだから。