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第12話 サボリマクリマクリスティ

 限定タルトはとても美味しゅうございました。限定だけに。最大の目的を達成した俺だが、まだ午後から学校に行くという道も残されている。よもやサボってこんなところで遊んでいるとは誰も思うまい。フフフ。


 臨海地区だけあって、遊ぶところは沢山ある。このままショッピングモールで買い物しようか。或いは観覧車に乗っても良いし、修学旅行生よろしく、特に理由もなくテレビ局まで遊びに行っても良いかもしれない。1人修学旅行というのも、そこはとなく陰キャ感があって楽しそうだ。お盆、年末年始の祭典と打って変わり、人のいない国際展示場を見て悦に入るのもロマンがある。春の日差しが眩しかった。海の香りが何処か気分を高揚させる。


 ぼんやりと、そのまま海を眺める。水鳥が仲良さそうに戯れていた。財布などの場合、日本の落とし物返還率は6割程度だと言うが、俺の落とし物を取り戻せる日は来るのだろうか?


 俺は人生の何処かのタイミングで「好意」を落としてしまった。それがいつなのかは今となっては分からない。あのときなのか、このときなのか。振り返っても振り返ってもその答えは見つからない。わけいってもわけいってもとは言うが、道に迷っているだけではないか。俺が落とした「好意」は何処にあるのか。これから取り戻せる日が来るのだろうか。


 「好意」を落とした俺は何も気にならなくなった。人からどう見られるのか、どう思われるのかまるで関心がない。「好意」がなければ、その反対の「悪意」もない。誰かから嫌われたとしても何も気にならない。どのような感情を他者から持たれても別にどうでも良いし、そのような感情を人に向けることもない。


 しかし、それはおかしい。そんなことはありえない。俺にも確かに誰かに「好意」を持っていた時期があったのだから。そして「好意」を落としてしまった俺は、誰とも向き合う資格がない。相手からどのような感情を向けられても、それと同じだけの気持ちを返すことが出来ないのだから。


 どれだけ「好意」を向けられても、俺が「好意」を返す事はない。返すことが出来ない。「好意」、その感情の先にあるはずの「好き」という気持ちも、それが生み出す「恋」も。俺には何も返せない。それはとても酷い行いなのだろうと思う。


 だから、俺は誰かと関わるべきではない。少なくとも、俺が落としたものを取り戻すまでは俺は陰キャぼっちでいなければならないのだ。


「そう思うんだけどなぁ……」


 全く持ってどうしてこんなことになるのか。俺の思惑に反して、妙に俺の周りには関わろうとする人間が多い。正直、迷惑だ。今の欠けている俺では誰かを傷つけてしまうだけなのだから。


 ふと、スマホを見る。何件かのメッセージが来ていた。何も言わず突然サボったのだ。誰かが気にして連絡をしてきたのかもしれない。何故無視しない? 何故関わろうとする? 良くない傾向だ。俺なんかを気にしてもロクなことにならないのに。きっと、それが分からないから、俺は今こんなところにいるのに。


「はぁ……」


 何処か憂鬱な気分がぶり返す。その頃には、すっかり午後から学校に行く気は消え去っていた。




‡‡‡




「すまない、このクラスに九重はいるか?」


 昼休み。1-B組に突然の来訪者が現れる。やってきたのは――


「生徒会長と……副会長?」


 生徒会長の祁堂睦月と三雲裕美の2人だった。生徒会長の祁堂は全員の前で挨拶する機会も多い。一年生からしても見知った顔だった。そんな会長が一年生に何の用なのだろうか。理由もなく1年のクラスに顔を見せるような人物でもないはずだ。怪訝な視線が集中する中、応対したのは桜井だった。


「九重君は今日はお休みみたいですけど、何か用事がありましたか?」

「九重っちならサボりですよー」


 峯田のヤジも飛んでくる。


「なに? 来ていない? いや、おかしい。彼は朝、通学しようとしていたはずだ」

「まずいよ睦月ちゃん。これって――」

「そういえば、連絡がないと藤代先生も言ってましたけど」

「どうしよう、あのまま帰ったのかも……」


「先輩、何があったんですか?」

「俺も知りたいです。連絡したけど、一向に返事が返ってこないし」


 硯川や巳芳も会話に混ざってくる。


「すまない。あまり軽々には話せない内容なんだ。裕美、職員室に行くぞ」

「うん、急がないと!」


 焦った表情で慌ただしく駆け出す上級生2人にクラスが静まり返る。教室内は何かあったに違いないという空気に支配されていた。


「俺も行く」


 誰にともなく巳芳が呟く。その後を追うように何名かの生徒は上級生の背中を追って駆け出していた。




‡‡‡




「藤代教諭! 休憩中に済まない。九重について何か知らないか?」


 職員室のドアが勢いよく開かれる。唐突に名前を呼ばれ、席に座ってパンを食べていた藤代は思わず喉に詰まらせた。


「――っと、ゲホゲホ。ど、どうした祁堂か。珍しいな。なに九重?」

「私達の所為なんです!」

「ちょ、ちょっと待て。首を絞めるな! 落ち着け。なんだ何があった?」

「九重から何か連絡は受けていませんか? 今日は休んでいるそうですね」

「あぁ、全く困った奴だ。連絡もせず無断欠席とは」

「違うんです。朝はちゃんといて――!」

「とにかく順を追って話せ! 何があったんだ?」


 2人は今朝の顛末を藤川小百合に伝えた。どんどん藤代の表情が険しくなる。ただならぬ様子に他の教員も聞き耳を立てていたが、その頃には巳芳達も到着していた。が、祁堂達は気づいてもいなかった。


「それで今日は来ていないのか? それにしても未遂で終わったのが幸いだな。もし、そのまま大事に発展していたら、誰かを処分せざるを得なかった」

「全て私の責任です。彼は何も悪くない!」

「それならなおさらだ。そのままなら九重が、無実なら逆にお前達が問題視されただろう」

「先生、どうしよう。何処にいるのか分かりませんか?」

「そういう事情なら無断欠席については取り消すが、私も連絡を受けてない。もしかしたら悠璃なら何か――」

「九重――そうか、彼は九重悠璃の弟だったのか!」

「睦月ちゃん、行こう!」

「待て待て。早まるな。放送で呼び出してやる」


 突如、発生した思わぬ事態は、更に混迷を深めていく。




‡‡‡




 まずい、まずいぞこのままでは――!


 これほどまでに焦燥感を覚えたのはいつ以来だろう。いや、生まれて初めてかもしれない。胸中には漠然とした不安が渦巻いていた。昼休み、正式に謝罪をしようと彼のクラスに向かった。記憶にある彼の顔を名簿と照らし合わせると、彼のクラスが1-Bだということが分かった。名前は九重雪兎。


 彼が最後に言った言葉が耳から離れない。自分はとんでもないことをしてしまったのではないかという恐怖感に胸を締め付けられる。彼の正義を歪め、捻じ曲げてしまったのではないかと、取り返しがつかないことをしたのではないかと、身体が震えるのを感じる。


 生徒会長という立場にありながら、生徒を守らず傷つけるなどあってはいけない。私はこれまで正義を重んじてきた。公明正大であろうとしてきた。いつしか私の周りには人が集まり、周囲はそんな私を評価するようになり、今ではこうして生徒会長などというポジションに推挙されるようになっていた。しかしそれは結果論に過ぎない。私は私の信じる生き方、正義を貫いてきただけだ。その結果として、今この場に立っているにすぎない。


 しかし、私は初めて自分の正義が揺らぐのを感じていた。自分の立脚点がこんなにも脆弱であることに驚きを抱いている。私の正義が、誰かの正義を壊してしまったのではないかという恐怖。


 彼は何も間違ってはいない。彼の行動は正義そのものだ。私も間違った行動をしたとは思っていない。もし、同じことがあれば躊躇なく私は同じことをするだろう。それでも、思慮が足らず、聞く耳を持たず、視野狭窄に陥り、一方的に彼を傷つけたのは私の落ち度であり罪だ。


 それは償わなければならない。そうでなければ、私はもう二度と自分の正義に従って行動することは出来ない。私の正義は誰かの正義を歪めるものであってはならない。


 彼は学校に来ていない。そんなもの私の所為に決まっている。私が傷つけたからだ。今彼は何をしている? 悲痛に暮れているのだろうか? 絶望しているのだろうか? 私という人間に憎悪を抱いているのだろうか? 怖い。会うのが怖い。それでも、私は彼に――――




‡‡‡




 誰も助けてくれない。誰も私を見てくれない。この世界に私を救い出してくれる王子様はいないのだと、現実がそう言っていた。


 睦月ちゃんが来るまで私は、得体のしれない誰かに身体をまさぐられ続けていた。最初はお尻を触っていた手がだんだんと過激な動きになっていく。スカートの上にあった手はいつしかスカートの中へと入り込み、震える私を見てまるで楽しむように、その手は下着の中へと。直接肌の触れ合う気持ち悪い感触。


(嫌だ……汚い……怖い……誰か助けて!)


 きっと、そんな風に声を上げることが出来れば、こんなことにはなっていない。いつだって、臆病な私を彼等は嘲笑う。気が付けば、私は軽い男性不信となり、異性と上手く話せないようになっていた。


 それでも、何処かで少女漫画のように王子様が助けてくれるのでないかと、そんな現実逃避をするしかなかった。睦月ちゃんが私に痴漢していた相手を捕まえた。それは、同じ学校の生徒だった。こんな人が同じ高校にいるなんて気持ち悪い。私は恐怖でいっぱいになった。どうしよう、恐くて学校に行けないかもしれない。


 でも、彼は犯人じゃなかった。冷静になれば簡単に思い出せた。言われた通りだ。私の周りに学生服の人なんていなかった。私を触っていた手は大きくごつごつとしていた。大人の手だった。彼のはずがない。そんなことは、私が一番良く知っていたのに。睦月ちゃんに私がすぐに伝えるべきだった。彼じゃないと、私を触っていたのは別の人だと。


 彼は私を助けようとしてくれていた。私はなんてことをしてしまったのだろう。この世界にもいたのに。私を救ってくれようとする王子様が!


 思えば、私の彼に対する感情は一変していた。気持ち悪さも恐怖も感じない。むしろその逆だった。もっと会話したい、もっと知りたい。そんな感情。それが何かは今はまだ触れたくない。でも、だからこそ、そんな彼に自分がしてしまった行為の愚かさに後悔が積み重なっていく。


 謝らなくちゃ!

 睦月ちゃんと教室に向かうと彼は学校に来ていなかった。彼は制服を着て電車に乗っていた。来ていないのは私達の所為でしかなかった。どんどん嫌な予感が膨らんでいく。もう助けないと彼はいった。それが本心だとは思いたくない。でも、あの目は――――




‡‡‡




「なんてことをしてくれたの!」

「悠璃落ち着け! 雪兎に連絡が付かないか?」

「どうしてもっと早く言ってくれなかったんですか!」

「お前達は一緒に通学していたんじゃないのか?」

「今日はあの子だけは別で。あぁ、もう!」


 私は激高していた。愚かな上級生に。何が生徒会長だ。こんな人が生徒会長だなんて信じられない! まただ。また誰かがあの子を傷つける。私と同じように。あのときの私を繰り返すように。急いで電話を掛ける。あの子は私からの電話なら出るはずだ。数回のコール音の後、私の心配を他所にあっさりと繋がった。


「雪兎! アンタ、今何処にいるの?」

『海だけど?』

「――ちょっと待って。えっ、海?」


 周囲がざわつきだす。それはそうだろう。学校をサボって行くようなところではない。事情が事情だけに、それは嫌な想像を掻き立てる。


「まさか、アンタ、身投げしようと何て考えてないでしょうね!?」


 ハッキリと職員室に緊張感が走ったのが分かった。担任の藤代だけではない。他の教員達も固唾を飲んで様子を見守っている。


『あはははははは。超ウケる』

「笑いごとじゃないのよ!」

『落とし物も見つからないし、そろそろ帰るよ。あ、お土産あるから』

「お土産って何? アンタ本当に何処まで行ってるの?」

『だいたい俺は問題児だし、これくらいなんでもないよ』

「問題児って何よ? まだそんなに経ってないでしょ!」


「――問題児!? いや、まさか私もアイツを傷つけて……」


 ぶつぶつと担任の藤代小百合が何かを言っている今は気にしている場合ではない。


『やっぱり、国際展示場はお盆と年末年始に限るよね』

「なんの話? とにかく事情は聴いたわ。大丈夫なのよね……? 本当に帰ってくるのよね……?」

『高校の間だけ待ってよ。そしたらもう悠璃さんに迷惑掛けないようにするから』

「高校? 待って。どういう意味? もしかしてアンタ――」

『いなくなるにはまだ早いってね』

「――ッ!? やっぱり! それは本心なんかじゃ――」

『じゃあ今から帰るよ』


 電話が切られる。私は放心していた。まさか今でも――。


「お、おい悠璃。取り乱しているみたいだが、大丈夫なのか?」

「とりあえず今から帰るそうです」

「そ、そうか」

「これから帰ると言っていました。明日は普通に登校してくると思います。本人から話を聞くのは明日にしませんか。今日はもうこれ以上、何も出来る事はありません」

「悠璃、本当にすまなかった!」

「ごめんさない!」

「絶対に許さない」


 一瞥もくれずに職員室を出る。雪兎のクラスメイト達の顔もある。私には彼女達の言葉がもう耳に入っていなかった。最後に弟が言っていた言葉が脳内を反芻する。そうだと思っていた。あの子の態度を見ていれば、いつかそんな日が来るのではないかと予感していた。


 今でもあのときを言葉を憶えているんだ。手の中に残る感触。憔悴しきった表情。そして漏らした言葉。先程の会話中に少しだけ漏らした言葉。あの子が本音を僅かでも吐露することは極めて稀だ。それくらい今日の出来事には思う所があったのだろう。高校の間だけ待ってと言っていた。だとしたら、もうタイムリミットは卒業するまでの3年間しかない。きっと、それが過ぎれば完全に手遅れになる。


 私がやるしかない、私が――。


 お馴染みの硯川灯凪。彼女と触れ合うことで弟は良くなっていた。私は安心していた。彼女なら任せられると。しかし、気づけば弟は元に戻っていた。いや、より酷くなっていた。そして、いつもお隣にいたはずの幼馴染の彼女はいなくなっていた。


 彼女を忘れるようにバスケに打ち込んでいると、今度は神代汐里という女性が弟に寄り添っていた。徐々に打ち解けていた。もしかしたら彼女ならと期待したが、彼女もまた弟を傷つけるだけ傷つけていなくなっていた。


 弟のトラウマレースにまさか生徒会長まで参戦してくるとは思わなかったが、何故弟の周りには私を含めてこんな女性ばかり集まるのだろう。弟に必要なのは傷つける相手じゃないのに。


 もう誰も信用できない。もう誰も信じない。私がやるしかない!

 

 私は決意を固めると、教室に向かって歩き出した。

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