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第11話 降りかかる冤罪

この世のすべてをそ

 満員電車、それは社畜の洗礼である。朝早くからご苦労様です。人生のダイヤグラムがすっかり遅延している俺だが、かく言う俺も今日は電車で通学している。普段は歩いて登校しているのだが、昨日は雪華さんの家に泊まりであった。


 九重雪華(ここのえせつか)さん。母さんの妹であり俺にとっては叔母である。九重とは母方の姓なのであしからず。俺は昔、1ヶ月程、雪華さんに引き取られて一緒に暮らしていたことがある。過去に俺が原因で母さんと雪華さんは大喧嘩をしてしまい、母さんに任せておけないと強制連行されたのだった。以来、定期的に泊まりにいかないと悲しまれるようになってしまった。そんなときに電車通学になるわけだ。


 雪華さんはとにかく俺が心配なのか、過剰すぎるほど過剰に過保護だった。なんでも買い与えようとしてくるが、昨日はヤバかった。マジで。俺の鋼のメンタルをドロドロに溶かしてくる。「雪兎君、何か欲しいモノない? 子供とか」。そんな言葉を耳元で囁かれるが、もし「うん」と頷いてしまったら俺は10ヶ月後にどうなっているのだろうか。怖い。怖すぎる。俺は難聴のフリをするしかなかった。


 満員電車といっても、俺は今座っている。椅子取りゲームに勝利したからである。微かな優越感。嫉妬に狂った目が心地良い。と、思っていたのだが、新しく乗ってきた乗客達が車内に押し込まれる。俺の前に立っている女性。顔色が良くない。気分が悪そうだった。最近は席を譲られると、年寄り扱いされたとキレる老人が増えているというが、この場合はどうだろうか。とはいえ、考えていても仕方がない。


「どうぞ」

「えっ……ありがとう」


 スッと立ち上がり席を譲る。こう見えても俺は体力には自信がある。今では帰宅部として堕落している俺だが、昔は部活に打ち込んでいた。足腰は強い方だ。どうせもう後、20分程度の距離なのだ。頑なになる必要もない。因みに結局だが、俺はスマホを持つことにした。検索履歴に「10か月後」など、お見せ出来ないワードが並んでいるので、そのうち消しておきます。


 そんなことを考えていると、入り口近くにいる女子生徒の姿が視界に入る。だからどうしたという話だが、体調でも悪いのか俯いている。何かを我慢しているのかもしれない。体調が悪い人多すぎない? と、思うが満員電車というこの劣悪な環境の中、それも仕方ないのかもしれない。気分が悪くなる人も多いだろう。だが、そういうわけでもなさそうだった。壁に押し付けられるようにして震えている。思い至る可能性があった。


「朝からお盛んすぎませんかね?」


 早朝、眠気の方が勝っている人の方が多いと思うが、中には性欲が勝っている人もいるかもしれない。俺も昨晩のことで悶々としているので全く人の事は言えないのだが、とはいえ、こんな満員電車の中で興奮することはない。俺は人の波を掻い潜るようにそっと近づいていく。少し距離を開けて観察する。あまり派手なことは出来ない。認めたくないが、やはり間違いない。良い大人が朝っぱらJKの尻をまさぐるというのはどういうことなのか。変態が多すぎる。思わずため息が出る。


(仕方ない……)


 次の駅に到着する。俺は人の流れに沿って更に近づくと、スーツ姿のサラリーマンの手を掴もうと手を伸ばし――


「貴様、何をやっている?」


 気づけば、俺の手が掴まれていた。


 

 俺は悟った。また面倒な事態に巻き込まれたことを。




‡‡‡




 私の親友、三雲裕美(みくもゆみ)から連絡があったのはついさっきのことだ。どうやらまた痴漢に遭っているらしい。私と合流するまでのこの短期間でも痴漢に遭うとは、どうにも彼女はターゲットにされやすいのだろう。この駅で合流してからは私がいるので問題ないが、それまではどうしても1人になってしまうだけに心配は尽きない。現にこうして裕美から連絡が来ることがある。


 短く「助けて…」と、スマホに打ち込まれたメッセージを見ると腹が立ってくる。こうしたことが続くからなのか、裕美は軽い男性不信になっていた。電車内には人が大勢いるはずだ。全員が痴漢なわけではない。なのに何故誰も助けようとしないのか。見てみぬフリをするそんな乗客達もまた私にとっては非難の対象だった。


(さて、どうするか……)


 相手の対応次第だ。素直に謝罪するならまだ余地はあるが、態度によっては警察に突き出すことも考えなければならないだろう。そうなれば遅刻は免れないが、これも正義の為だった。学校には駅員か警察から事情を話してもらえば良い。


 電車が到着する。裕美はいつも同じ車両の同じ位置に乗っているのですぐに分かる。さて、今日はどんな奴が相手なのか。こう見えて私は武道をやっていることもあり腕っぷしはそれなりに強い。まず何より、生徒会長として我が校の生徒を傷つけようとする存在を許さない。学校ではないとはいえ、通学中だ。それが生徒会長の責務であり、この祁堂睦月(けどうむつき)の正義であり矜持だった。


「アイツか!」


 私は裕美に手を伸ばしていた男の腕を掴み捻り上げる。どんな奴か確認しようとして、驚いた。そこにいたのは、我が校の生徒だったからだ。


「貴様、何をやっている?」



‡‡‡




「いや、俺じゃないんですか……」

「言い訳は聞かない。貴様、我が校の生徒でありながら恥ずかしくないのか?」


 腕を捻り上げられ、地面に押さえつけられる。無理矢理振りほどくことも出来たが、話がややこしくなりそうだったので、大人しく従っておく。こうなるんじゃないかって気はしてたけどね? 俺は車両内で堂々と痴漢と名指しされた挙句、そのまま引っ張りだされて追求を受けている。完全なる厄日だった。


「お前が裕美に手を伸ばしていたのを私はこの目で見ている。嘘はつかない方が良い」

「節穴ですね」

「なんだと……?」


 ギリっと、腕に体重が掛けられる。堂に入った動作だった。武道の経験でもあるのかもしれない。背も高く、肉付きもしっかりしている。隣で俯いているもう一人の女生徒とは大違いだ。何処かで見たことがあるような気もするが、俺の脳内ライブラリーにその名前はなかった。如何にもスポーティーなタイプの女子だと言えば聞こえは良いが、これはアレだな。脳筋。


「素直に認めて謝罪すれば、情状酌量の余地もあったが」

「やってないことは認められません。俺の正義に反するので」

「痴漢が正義を語るな」

「痴漢じゃないですからね」

「なら、警察に通報するしかないな」


 話が完全に通じない。俺としてはそれならそれで別に良かった。しっかり検証すれば、それで俺の無実が明らかになるだろう。その場合、困るのは彼女達だが、流石に俺も犯人扱いまでされては同情心など湧いてこない。そのことで苦しもうがそれは彼女たちの自己責任だ。


「だったら、さっさと呼んだらどうですか?」

「学生だから罪にならないと本気で思っているのか? 君は随分愚かなんだな」

「俺には貴女の方が愚かに見えますけど」

「話にならないな。すまない、警察に連絡を。このような人間は我が校に相応しくない」

「あ……あぁ。分かった」


 言葉を受けて駅員が駆け出そうとする。おいおい事実が明らかになったとしても、このままでは停学になるか退学になるかは避けられないかもしれない。それならそれで良いが、全くどうしてこう俺は女運が悪いのか。関わるとロクなことにならない。



「待って。彼は犯人じゃないわ」



 少しだけ前言を撤回しよう。俺の女運もそこまで悪くないのかもしれない。




‡‡‡




 痴漢の犯人が我が校の生徒だったのは驚きだった。下級生のようだ。私を見て何の反応も見せないことは気になるが、未来ある若者を潰して良いのか少しだけ良心の呵責を感じる。しかし、この生徒は一切、何の反省も見せない。何時までも自分ではないと言い張っている。その開き直った態度に徐々に苛立ちが募っていく。


 我が校の生徒ということは、このまま放置すれば、裕美と学校内で出会うこともあるかもしれない。男性不信の裕美が自分に痴漢してきた相手が同じ学校にいるなどと耐えられるだろうか。今回は助けられたが、いつか襲われるような事態になってしまうかもしれない。それだけは許すわけにはいかない。この生徒には退学になってもらうしかない。このような生徒が我が校に在籍していることはプラスにはならない。


 更生の余地なしと判断し私は警察を呼ぶ覚悟を決める。


「話にならないな。すまない、警察に連絡を。このような人間は我が校に相応しくない」

「あ……あぁ。分かった」


 これで遅刻は決定だが、仕方がない。放置しておけば、裕美だけではなく、他の女子生徒や他の女性達が被害に遭うかもしれない。彼は許してはいけない存在だ。どうして裕美を助けようとする人間はいないのに、こんな人間ばかりいるのだろう。なんとも暗澹足る気持ちにさせてくれる。



「待って。彼は犯人じゃないわ」


 胸中で嘆く私の耳に、その言葉がスルリと入った。




‡‡‡




「あれ、貴女は?」

「さっきはありがとう」


 声を掛けてきたのは幾分顔色の良くなった姿、朝、俺の前に立っていた女性だった。どうやら助けてくれるらしい。湖の中に斧を落とした木こりも女神を見てこんな気分だったのかもしれない。ここに神はいたのか!


「なんだと? すまない。貴女は?」

「私は彼の前に座っていたの。彼は痴漢じゃないわ」

「座っていた? この男が裕美に手を伸ばしているのを私は見ている。車両内の中ほどいた貴女がどうして庇おうとする?」

「彼がそっちの女の子に自分から近づいて行ったからよ」

「それは痴漢をする為だろう?」

「違うわ。ねぇ、貴女、思い出してみて。貴女が痴漢されているとき、制服を着ている子は周囲にいた?」


 ここまで殆ど喋っていない痴漢されていた女子に話しかける。


「えっ……? わ、私は……」

「良く思い出して。彼は貴方が痴漢されているかもしれないと思って、近づいて行った。きっと助ける為よね。貴方の近くに行ったのは、この駅に着く直前よ。貴方が痴漢されているとき、周囲にいたのはどんな人だったのか、少しくらい覚えているでしょう?」

「お、大人の人ばかりで、恐くて……。スーツ姿の人だったかも……」

「同じ学校の制服を着ている人はいた?」

「いなかったような……いえ、いませんでした」

「なに!?」


 相変わらず俺の腕を決めている話を聞かない先輩。胸の感触を楽しむくらいしか俺には出来ないが、役得と言える状況でもないのが悲しいところだ。


「はぁ……。少し軽率だったわね。貴方達、もしかしたら彼の人生を台無しにするところだったのよ? それだけじゃない。もし後から彼の無実が分かれば、今度は貴方達が冤罪を仕掛けた側として糾弾されることになるの。気を付けなきゃ駄目よ?」

「そんな……。じゃあ、君は裕美を助けようとして……」

「ご、ごめんなさい!」


 今更、謝られても何も感じない。

 つまりはいつも通り俺が何かを間違えたのだ。行動を起こしたことが間違いだった。気にしたことが失敗だった。関わればロクなことにならない。それを俺が一番良く知っているはずなのに、いつもこうして俺は誤った選択肢を選んでしまう。結局のところ――



()()()()()()()()()()()()()()



 無視すれば良かった。だいたい痴漢されているなら自分で声を上げればいいだけだ。誰かに頼って、誰かに依存して、誰かに守ってもらうばかりでは何も解決しない。


「――――ッ!?」


「離してもらっていいですか? 安心してください。俺は同じ失敗はしない」


「――もう二度と助けようなんて思わない」


 俺は同じ失敗を繰り返さない。今回の場合は原因が明確だけに対策は簡単だ。今後は痴漢されていそうな女性を見ても見捨てよう。それで何も起こらない。何も巻き込まれない。変わるべきなのは本人であり、罪を犯しているのは痴漢の犯人だ。部外者の俺には何も関係ない。


「ま、待て! すまない、君は間違っていない。君の行動は――」

「もういいです。それじゃあ」


 追い縋る先輩の手を振り払い背を向けると、俺はお姉さんに頭を下げる。この人がいなかったら、もっと面倒なことになっていただろう。まさに俺にとっては救世主といっても過言ではない!


「ありがとうございます。メシアと呼んで良いですか?」

「それは遠慮したいけど、でも、貴方のおかげで少し気分が良くなったから。私、朝は貧血であまり調子が良くないの。今日は特にキツかったから譲ってくれて嬉しかったわ。そんな貴方がこんな騒ぎに巻き込まれてるんだもん。気になっちゃうじゃない」

「体調はもう大丈夫なんですか?」

「まだもう少し駄目かも。はぁ……。このまま大学に行こうと思っていたけど、朝はお休みするしかないわね」

「俺も気分悪いですし、少し喫茶店にでも入って休みます」

「あら、サボって良いの? なら私も一緒していい?」

「問題児なので大丈夫です。だったら俺に奢らせてください。助けてもらったお礼です」

「それは大丈夫じゃないと思うけど、悪いわ。私だって助けて貰ったのに……」

「リターンが大きすぎですよ」


 そんな雑談をしながら、俺はお姉さんとしばらく喫茶店で休むことにした。因みに名前は二宮澪(にのみやみお)さんと言うらしい。「もし、何かこの後揉めたら、連絡してちょうだい」と、連絡先を教えてもらった。世の中には冤罪を吹っかけてくるような女性もいれば、助けてくれる救世主もいる。捨てる神あれば拾う神あり。なんとも上手く出来ているものだ。それはそれとして、


「学校行きたくねぇな……」


 気分は幾分晴れたが、こうなるともうそもそもタイミングを逃しただけに学校に行きたくない。そう、俺はアウトロー九重雪兎。どうせ問題児なのだ。多少サボったくらいどうということはないだろう。そういえばここから30分くらい電車で行くと臨海地区に出る。俺の数少ない趣味の一つにスイーツ巡りがあるのだが、その近くにある1日50個限定でタルトを販売するお店が話題になっていた。


「ふっ。決まりだな――」


 俺は一人ニヒルに笑うと、学校から正反対に向かって歩き出した。これもまた青春である。

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