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第10話 電子の奴隷③

 俺はクラスメイトから苛められているのかもしれない。


 困った。いつの間に俺は虐めの対象になってしまったのだろうか。朝、HR前に突然、硯川が倒れた。保健室に運ぼうとするが、それは本来保険委員の仕事のはずだ。


学校の委員会などさして仕事があるわけではない。こんなときこそ出番のはずなのだが、クラスメイト達はこぞって俺に硯川を運ぶように言ってきた。俺だって硯川のことが心配だったが、保健委員の仕事を奪うわけにもいかず我慢していたのだ。そんな俺に頼むとは職務怠慢じゃないか!


 まぁ、心配だったのは本当なので、これで良かったとも言えるが納得し難い気分でもある。イジメ、ダメ、ゼッタイ。保険医によると硯川は単なる寝不足らしい。


因みに俺も「貴方も随分寝不足ね? ついで休んでいきなさい」と、言われてしまった。流石に硯川と一緒に眠るわけにはいかないので、ベッドの横に椅子をおいてそこに座る。


 俺の知る限り硯川は真面目な生徒だ。学校があることを分かっていて夜更かしをするようなタイプではない。何があったのか、何をしていたのか。先輩と悪い付き合いでもしていなければ良いのだが。


今となっては無関係でも、こんな姿は見たくない。そっと、頭を撫でてみる。硯川の顔を見ていると、俺まで眠気が襲ってきた。おのれ母さん! でも、あの感触は……おっと不味い。これ以上は危険だ。


 全くどうして俺達はこんなに似ているんだろうな……そんな風に思いながら、俺の意識は徐々に眠りへと落ちていった。




‡‡‡




「……んぅ……あれ、ここは……?」


 白い天井。白い壁。目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。お腹の部分に少しだけ重みを感じて、視線を移す。そこには――


「雪兎……?」


 ベッドの端に身体を預けるように雪兎が眠っていた。徐々に思考がクリアになっていく。そうだ、私は朝、教室で倒れて……じゃあ、ここは保健室なの? 傍に雪兎がいるということは、彼が運んでくれたのだろうか。心配してくれたのかな……だったら嬉しいな。少しだけ気持ちが軽くなる。


 そこで、倒れる前に見かけた光景を思い出した。教室で神代さんと抱き合っていた姿。何があったの? 何故そんなことをしていたの? 疑問の答えは最初から出ている。でも、それを認めたくない気持ちが否定している。


「ふぁあ。……起きたか硯川」


 雪兎が目を覚ます。ごしごしと目を擦っている。私は寝不足で倒れたのだろうが、彼も寝不足なのか目の下に大きな隈を作っている。いったい何があったんだろう。私のメッセージを見てくれなかった事と関係あるのかしら?


「……運んでくれたんだよね? ありがとう」

「睡眠不足なんて珍しいんじゃないか。何かあったのか?」

「貴方の所為でしょ。雪兎こそ、どうしたの隈が凄いよ?」

「あぁ、ちょっと電子の奴隷からの脱却に失敗してな」

「それって……」


 その言葉を聞いて、私は昨日の自分を思い出す。スマホを握り締め、ただ待ち続けた苦しい時間はまさに電子の奴隷だった。


もしかして、昨日、雪兎も私からのメッセージを開くか開かないか悩んでくれていたのだろうか。さっきの言葉、きっとそうに違いない。それで雪兎もこんなに寝不足なんだ!


「クスッ。何それ馬鹿みたい」

「全くだ。結局、考えても答えは出ないし」

「――答えはあるよ。ちゃんとあるから」


 いつもと少しだけ違う柔らかい雰囲気。彼が私の事を心配してくれているからだろうか。私達のいつもがこんな風になってからどれくらい経っただろう。2年近くだろうか。そうは思えない程に長く苦しい毎日だった。


それより前はいつだってこんな風に会話出来ていたのに。今では、こんなときしか、上手く話せない。だったら、この機会を逃すわけにはいかない!


「――朝、神代さんと何をしてたの?」

「あぁ、アレか。大きな赤ちゃんをあやすのは大変だな。母親の苦労が偲ばれる」

「どういうこと?」

「? それ以上の意味はないが?」


 雪兎の顔をじっと見つめる。確かに、それ以上の意味はないのだと、その表情は物語っていた。平常通り、彼は何も変わらず、いつも通りだ。そこに何も他意を感じない。


後ろめたさも含むところも何も見られない。それはそれでおかしいのだが、このときの私は、何でもないというその事実に安心し、それに気づけなかった。


「そっか。それならいいの」

「良くないだろ。俺はまだパパになりたくない」

「パパって……なにするつもりなの……?」


 ここが保健室であるという事実が、その会話をなんとなく気恥ずかしいものにさせる。でも、相変わらず目の前の男は平気そうだった。何も気にしていない。


でも、今は私もそんなことを気にしている場合ではなかった。こんなチャンスもう来ないかもしれない。今、伝えないと、もう伝えられる日は来ないかもしれない。そんな焦燥に駆られて、私はずっと言いたくて言えなかった言葉を紡ぐ。


「聞いて欲しいことがあるの」

「喉が渇いたか? スポーツドリンクでも買ってくるが」

「ううん。そうじゃなくて。こんなときに言う話じゃないと思うけど、今しかないと思うから」

「なんだ?」


 スッと姿勢を正す。言わなくちゃ。言わなくちゃ前に進めないんだ。


「私ね、もう先輩と付き合ってないよ。すぐに別れたんだ」

「は? いや、ちょっと待て。すぐっていつ?」

「付き合って2週間くらい」

「い、いや待て。なんだそれは。じゃあ俺はフェイクニュースを……ポリシー違反を……個人情報保護法違反を……」


 雪兎が狼狽している。雪兎は私が先輩と付き合っているからという理由で私と距離を取っていた。だったら、今ならあの頃みたいに戻れるんじゃないかと、幼馴染としてやり直せるんじゃないかと、そんな期待が私の中にはあった。


「言わなかった私が悪いの! でも、もう嫌なんだ雪兎と話せないの。戻ろ? 私達、あの頃みたいな幼馴染に戻ろうよ!」


「私もずっと雪兎が好きだった。小さい頃からずっと好きだった! 雪兎が告白してきたとき、嬉しかった。すぐに返事をしたかったの! でも――」


 勢い任せに言葉を吐き出して、雪兎の顔を直視する。そこで私は言葉に詰まる。彼の表情を見て次の言葉が言えなくなる。彼の雰囲気は一変していた。能面のような冷たいものへと。いつもの私達のような関係へと。



「戻れるわけがない。君がそんなに嘘つきだとは思わなかった」




‡‡‡




 病気のときは気が弱ると言うが、まさに硯川の精神状態もそんなものなのだろう。気が滅入っていると、どうしても普段は出ない弱気さが顔を見せてしまう。


 俺だって風邪を引くと口数が減る。姉さんに「アンタは病気のときの方が正気に見えるわ」と言われるくらいだ。硯川の言葉を反芻する。いったい何故今になってそんなことを言うのか、とても不可解な話ばかりだった。


「まず第一、今更君と幼馴染に戻るわけにはいかない」

「ど、どうして? それの何が駄目なの!?」

「同じことの繰り返しだからだ。君が先輩と別れて、俺とまた幼馴染になって。今度また君が誰かと付き合い始めたらまた別れるのか? そんなことをいちいち繰り返すのはナンセンスだろ。俺という異性がいる限り、君の邪魔にしかならない」


 それを繰り返すのは辛いだろう。幼馴染というのは希少な関係性だ。他者から見ればその関係は強固で特別なものに見えるだろう。


 だからこそ厄介だった。同性ならともかく、異性の幼馴染となれば必然的にその関係性もその距離感も、誰かと付き合う上では邪魔にしかならない。


「それに、君がずっと俺を好きだった? そんな嘘をついて何になる? 君は好きだったから先輩と付き合ったんじゃないのか? それとも好きでもないのに先輩と付き合っていたのか?」

「――違う! 嘘じゃない、嘘なんかじゃ!」


 硯川が嘘をついているのは間違いない。もし、本当に硯川が俺のことを昔から好きだったというなら、何故、先輩と付き合っていたのか、まるで意味不明だった。


 付き合って、()()()()()()をしていたくらいに先輩のことを好きだった硯川が、昔からずっと俺を好きなどという話は与太話にしか聞こえない。これが別れてからの話ならまだ分からなくもないが、昔からずっとなどと言われても、まるで信憑性がない。


 最初から両想いだった?

 そんなことはあり得ない。俺は確かにあのとき、フラれて失恋したのだから。


「硯川、嘘をつく人間は何も信じられない。信用に値しない。俺が言えるのはそれだけだ。もう少し寝てろ。俺は教室に戻る」



「貴方達、修羅場なら外でやってくれる?」


 半眼で呆れた様子の保険医に頭を下げ、俺は教室へと戻った。


 背中越しに薬品の香りと、硯川のすすり泣く声がした気がした。




‡‡‡




 去っていくその姿を呆然と見送ることしか出来ない。私はようやく彼の本心を少しだけ垣間見た気がした。雪兎の言っていることは正しい。自分自身の罪深さに深い悲しみが襲ってくる。どうにもならない。もうどうにも。――どうすればいいの?


 私を嘘つきだと言った。その通りだ。私のついた嘘が、彼を苦しめ私を苦しめている。その嘘を正すのは簡単だった。しかし、どうしてそんな嘘をついたのか本心を明かすことは恐怖だった。


 醜い自分の心。自己保身にまみれ、他者を試し、自分を安全なところにおいて、相手だけを傷つける。自分に素直に向き合っていれば、もう少しだけ待つことが出来ていたら、こんなことにはならなかったのに。


 あの時、私は焦っていた。雪兎はモテる。本人は気づていないが、何事にも達観し成熟していた彼は周囲の誰よりも大人びていた。頼りがいがあり、優しく、頭も良く、運動も出来る。モテないはずがない。


 たまに奇行をやらかすところやぶっ飛んだ言動も、放っておけなくなる彼の愛嬌だった。アンバランスな魅力な持つ幼馴染のことを好きだった女の子を私は沢山知っている。彼女達が雪兎に告白していないのは、私がいたからだ。


 だから、あんな真似をしてしまった……。

 最低な私。醜い私。嫉妬にまみれた汚い自分。


 私が先輩と付き合ったという噂が広がると、すぐに他の女の子達が彼に近づいていった。その中の1人が神代汐里だろう。でも、雪兎は部活に打ち込み始めた。なりふり構わず、一切余所見することもなく、それだけを見ていた。


 その頃には、私は自分のついた嘘によって雁字搦めになり、悪意によって増幅されたそれは、取り返しのつかないことになっていた。


 この醜い本心を明かせば、きっと嫌われるだろう。だからこそ言えないままここまで来てしまった。勇気がなく、覚悟もなく。そして、今、自分は嘘つきだと断罪されたのだ。


 それでも私は言わなければならなかった。もう1歩だけ踏み込まなければならなかった。ようやく私はハッキリと理解した。何もかもやり直すには、雪兎に嫌われないと始まらないんだ!


 この醜さを全部ぶつけて、認めないと戻れない。


「ごめんさない……」


 謝るのはもう最後にしよう。

 それで、嫌われて、もう一度始めよう。



 今度こそ、硯川灯凪の本当の恋を――。

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