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銀河叙述史  作者: 燐音(フェルディナント)
第二幕・エリウス戦争-前
7/7

第二場『二月八日事件』

 二月八日。この日帝都ブラウメンにいる貴族たちを集めたパーティーがヴェーレン帝国帝国外務卿ハルダー伯爵の邸宅において行われた。

 貴族たちが必ずしも全員帝都にいるわけではない。領地を持つ者はそれぞれの領地にいる者もおり、この日パーティーに集まったのは千人前後であった。流石に貴族とは言え騎士階級はこのようなパーティーへの参加は許されない。男爵以上の階級の貴族、あるいは少将以上の将官が参加できるのである。

 まだまだ貴族としては端くれとは言え、その武功でクラウスは階級として大将、貴族として子爵の位を持っていた。それゆえにこのパーティーへの出席を許されたのである。

 もっとも、許されたからと言ってクラウスにとって喜ぶべき要素など何一つない。こういったパーティーは大貴族たちの醜悪な利権競争の場であり、そこら中を華美な服装で歩き回る貴族たちの肌の下から露骨な打算の態度が見え透いているのだ。

 客観的に見てクラウスは美青年と呼ぶことができるだろう。齢十九歳、やや収まりの良くない金髪とルビーのような真紅の瞳を持つ若い青年提督は貴族の貴婦人たちからも注目に値する存在だった。

 新参者とは言え、この場に集っている貴族のほとんどが先年の内戦ではバーデン公爵に付いた貴族である。クラウスの名声を知らないものはおらず、幾人かの女性がクラウスに声をかけた。

 この金髪の若者が戦争に関してはたぐいまれなる才能を発揮しておきながら、こう言う人間関係の場においてはその経験の無さが如実に出た。大貴族たちの常識はクラウスに通じず、逆にクラウスの常識は大貴族たちに通じない。

 アイゼン王国に支配された星系に生まれ、その後も幼年士官学校に入るまで貴族の生まれとは思えない生活を送っていただけにクラウスと貴婦人たちで話が通じようはずもなかった。

 別にクラウスは異性に対して興味がないわけではない。彼自身は否定したが一部の噂、あるいは証言で彼がこの時すでに最低でも一人の女性と関係を持っていたとされている。とは言え化粧気のありすぎる貴族の淑女は苦手だったようで若者はこの時戦略的撤退を強いられることになった。

 適当に会話を切り上げると若者は半ば逃げ出すようにホールの端へと逃げた。そこには人がほとんどおらず、おあつらえ向きに座れる椅子まで用意されている。

 席に腰を下ろすと少し離れたところで外務卿ハルダー伯爵ーこのパーティーの主催者ーが歓談しているのが見えた。

 フランツ・ヨハネス・フォン・ハルダー、四十九歳。コルネリアス二世、ルートヴィヒ二世、ヨーゼフ二世、そして今のルートヴィヒ三世と皇帝四代に渡って外務卿を務める恐るべき辣腕外交官である。バーデン執政への対抗措置として彼を執政から叩き落とそうとするクラウスにとっては最大の障壁として立ちはだかっているようにも見えた。

 視線を移すと執政フリードリヒ・フォン・バーデンの姿も見える。この年七十一歳、老獪な宮廷政治家であった。彼がクラウスに自分の座を追い落とされるのではないかと言う妄想ー今ではそれが妄想ではなくなったがーでクラウスを貶めようとした張本人である。

 一人の女性-少女と言っても良いだろうーがクラウスの近くの席に座った。様子をうかがうと疲れているようである。年はクラウスともほとんど変わらないように見えた。

 「大丈夫ですか?フロウライン」クラウスは少女に声をかけた。身に纏うドレスは比較的質素で飾り気がなく、これはクラウスが驚いたことに化粧気がほとんど無かった。栗色の髪、アクアマリンのように輝く瞳を持った少女である。

 「大丈夫です。少し疲れただけです」少女は苦笑のような表情を浮かべた。パーティーの席でこれは貴族の淑女としては許されない。だがそれが逆にクラウスの興味を引いた。

 「貴女のお名前は?」

 「カトリーネ・フォン・ホージンガー。ホージンガー子爵の娘でございます」

 ホージンガー子爵は現在司法卿を務めている。堅物として知られており、貴族としては異例なほどに身の回りが清潔で質素なことが知られていた。娘も父親に倣ったと言うことか。

 「クラウス・フォン・シューラー子爵閣下でいらっしゃいますね?お話はかねがねお聞きしておりますわ。今度もまた戦争に出征されるそうですね」

 カトリーネ・フォン・ホージンガーの年齢が十八歳であることをクラウスは知っている。自分と一歳しか年が違わない少女にクラウスは興味を抱いた。

 「はい。非才の身で十万隻の軍を預り、私自身も恐縮しております」

 これはもちろん本音ではない。だが会話の礼儀として言って良いことと駄目なことは金髪の青年は心得ていた。

 「非才などと謙遜なさるのですね。ルージアとの戦争では倍の兵力差を覆し、味方の危機を救ったとも聞いていますわ」

 「良くご存じでいらっしゃいますね」

 貴族の子女にしてはやけに詳しい。クラウスの興味はさらにそそられた。彼自身は軍人であり、女性の評価の一つに知識量も含まれているのである。

 「恥ずかしながら国際情勢などは自分で調べておりますから」

 まずこのような女性は貴族に稀有と言えるだろう。ワインや花や芸術や宝石にしか興味ない貴族淑女界の中で散文的な方向に興味が向く女性はまずいない。

 さらに会話の意欲をそそられたクラウスが口を開いた瞬間、これまで停滞していた状況は一瞬にして動き始めた。

 まず閃光が起き、次に爆風が襲いかかる。カトリーネは小さな叫び声を出したが、それは周りの声に一瞬でかき消された。

 クラウスは一瞬驚きこそしたが、すぐに平静を回復すると立ち上がった。ホルスターの拳銃を取り出すと安全装置を外す。

 突然ハルダー邸の中で発生した爆発に、現場は大混乱に陥った。それもそうだろう。大貴族にとって戦争など遠いどこかの出来事であり、自分の目の前に命の危機が迫るなど考えもしないのだから。爆発で何人が死亡したか、それを把握できるものはこの時いなかった。

 ホールの中に火線が走った。外から銃撃が浴びせられたのである。ホールにはすでに炎が満ち始めていた。

 「何があったのですか?」カトリーネがクラウスに寄ってきて聞いた。

 この事態で動転しないとは、肝っ玉の座ったお嬢様だな。クラウスは微笑を浮かべて見せた。

 「少し問題が起きているようです。やがて終息するでしょうがここは危険です」

 「ですがどうすれば…」

 カトリーネと会話しながらホールの入り口へと向けられていたクラウスの視界の中に人影が写った。武装した兵士が押し入ってきたのである。

 若い提督の動きは速かった。すぐさま拳銃を構え、続けざまに二発撃ち放つ。前に立っていた二人の兵士が正確に眉間を撃ち抜かれて倒れこんだ。

 「急ぎここを脱出しましょう。外に出さえすれば安全です」クラウスは栗色の髪の少女の手をやや無理やり引くと、そのまま身を翻して走り始めた。

 

 爆発が起きてすぐ、外務卿ハルダー伯は地下に隠された秘密の部屋に執政を導いた。

 「クーデターです。執政閣下に反発する貴族たちが行動を開始したと思われます」

 「そのようなことは見れば分かる」バーデン公は苛立って答えた。「ベックは何をしていたのだ」

 「彼の捜査も万全だったとは言えないでしょう」ハルダーは部屋に入った。数人のスタッフが巨大なスクリーンの前で仕事をしている。

 ここはハルダーが外務卿になってから設置した臨時の司令室で、有事の際はここからブラウメン各所に司令が出せる。

 「首都防衛軍の半数近くが反乱に参加しています」一人が報告した。

 「第九歩兵師団が現在執政府へと急行。国璽を奪取するつもりかと」

 国璽とは執政か皇帝のみが持つことを許される璽である。政令は国璽があって始めてその効力を持つ。逆に言えばクーデター側が国璽一つを奪取すれば国の権力は失われるのだ。

 「守備隊は?」

 「およそ一個連隊です。時間がたてば不利になるでしょう」

 老政治家は舌打ちした。「王宮はどうなっておる?」

 「第三九七歩兵師団、第五六三師団が向かっています。近衛師団が現在出動準備に入ったところです」

 客観的に事実を述べれば’’二月八日事件’’と呼ばれることになるクーデターの始まりであった。パーティー会場を爆破し、それに乗じてクーデター軍が要所を占拠する。

 「全部隊に反乱軍の鎮圧を命じろ。奴らめ、想像以上の数を揃えておる」

 突如として室内に警報が鳴り響いた。

 「何事か!」

 「衛生軌道上より降下する多数の艦艇あり!ほぼ輸送船です!」

 「増援部隊だと…!?」バーデン公は冷や汗が流れるのを感じた。

 「いえ、先ほどから艦隊が帝都駐留の部隊に反乱鎮圧を呼び掛けています」

 「一体どこの部隊だ?確認しろ」ハルダーが命じる。

 「艦種識別。戦列艦アンドルディース。シューラー提督の旗艦です」

 

 ハルダー邸での爆発発生が二十一時十三分、帝都各所で反乱軍が行動を開始したのはほぼ同時国である。そしてまるでそれを予期していたように衛生軌道上から数百隻の艦艇が降下してきたのは二十一時三十分であった。

 「反乱軍は王宮、執政府、軍事省、外務省、内務省、通信管制局、中央放送局、帝都防衛軍司令部、参謀本部、中央宇宙港と言った要所に兵力を展開しています」

 第四軍団情報参謀アンネ・フォン・ホフマン大尉が報告した。

 フェルディナント・フォン・ミュラー少将は頷いた。「よし、直ちに全陸戦部隊は空挺作戦を開始しろ。特に執政府と参謀本部、中央宇宙港は絶対に確保させるな」

 

 一日前。

 フェルディナント・フォン・ミュラー少将は突然クラウス・フォン・シューラーの呼び出しを受けた。

 「お久しぶりです、閣下」

 クラウスのアパートに出向いたミュラーは敬礼した。

 フェルディナント・フォン・ミュラーはこの年二十七歳。先年のヴェーレン内乱で武功を上げ、軍事次官クラウスの計らいで少将に昇進していた。この若さで少将に昇進できたほどであり、その戦術指揮能力は非常に高い。内乱でバーデン公軍として上げた功績に比べて評価が低いと嘆いていたところにクラウスによって少将にまで抜擢された。ミュラーにとって彼より七歳は年下の大将は恩人である。

 この時クラウスのアパートには先客がいた。

 アンネ・フォン・ホフマン大尉。クラウスの情報参謀であり、幼年士官学校の二年先輩である。ブロンドの髪とグレーの瞳を持つやや小柄な女性士官だった。

 「ミュラー、半年ぶりだな」

 「閣下の前線でのご活躍は伺っておりました。この度は閣下の配下に馳せ参じ、光栄です」

 軍事卿エルシュタインが第四軍団に新たに編入した三個師団の内一つはミュラーが指揮する部隊である。この日呼ばれたのは顔合わせかとミュラーは思っていた。

 「エリウスとの戦いでは活躍してもらう。だがそれより前に一つ問題が生じた」

 ミュラーは群青の瞳を細めた。「問題?」

 クラウスは頷くと小柄な女性士官に目配せした。

 「この帝都でクーデターが計画されています。反権力派が結集し、首都防衛軍の半数近くを用いて市内各所を制圧するつもりです」アンネは説明した。

 「クーデターですか。それにしてもどうしてそれを閣下が?」

 「そのホフマン大尉は情報収集のプロだ。昨日からアンドルディースで首都防衛軍内と帝都にいる貴族たちの間の通信を解析して計画の全貌を得た」

 「それを警務保安局や執政府は知っているのですか?」

 それにはクラウスではなく情報参謀の方が応じる。「警務保安局では軍内部までは介入はできません。参加した貴族たちはともかく軍の情報までは掴めていないはずです」

 「お伝えにはならないので?」

 クラウスは笑った。「こう言う情報は隠してこそ意味がある。ここから先の話は卿に関連する話だ」

 それを聞いて銀髪の青年少将は姿勢を改めた。彼の人格の大部分を構成するのは誠実さである。恐らくその部分も高く評価してクラウスは昇進させたのだろう。

 「明日外務卿ハルダー伯の邸宅でパーティーが開かれる。卿も知っているだろう」

 「はい。なるべくなら参加したくはないですが」

 「気にするな。行かなくても良くなる。今日中に卿はホフマン大尉と共に私の旗艦で衛生軌道上に展開しろ。第四軍団の陸戦部隊を全て卿に預ける」

 「クーデター側の貴族たちは明日の夜、一同に大貴族が集まるパーティーを狙って攻撃を仕掛ける可能性が非常に大きいと思われます」クラウスの説明を二歳年上の情報参謀が補足した。

 「何らかの異常事態が地上で発生した場合、参謀本部に待機するディッケル少将が卿に連絡する。受け次第すぐ卿は艦隊を降下させて宇宙港を確保しろ」

 「最初から降下させないのですか?」

 「クーデター軍の動きは分からない。仮に最初から宇宙港に停泊する艦艇全てを即座に制圧されれば我々は手の出しようが無くなる。とは言え露骨に警戒すればクーデター派も実行を躊躇するだろう」

 「なるほど」ミュラーは頷いた。年少の青年提督の作戦を彼は全面的に信用している。「お任せください。必ずや反乱を鎮圧いたします」

 「私は呼ばれてしまっている身だからな。そう簡単に断ることができる立場ではない」

 こうしてその日の内にミュラーはクラウスの旗艦アンドルディースを借り受け、軌道上に部隊を展開させていたのである。そして参謀本部にいたディッケル少将の連絡ですぐに部隊を降下させた。

 

 ミュラーの作戦能力に疑いはなく、第四軍団の陸戦部隊を全て動員すれば反乱軍も鎮圧できる。そこに疑問を抱くクラウスではなかったがハルダー伯爵の邸宅には一個連隊以上の反乱軍が攻撃をかけており、まず自分の身を守らねばならなかった。

 「どちらに逃げられるのですか?」傍らを歩く少女が不安げに尋ねた。

 炎が占拠したホールを離れ、邸宅の豪華に装飾された一階廊下を二人は歩いている。当然ながら電気は落ちており、ホールの炎が廊下を赤く照らしていた。

 「今外に無理に逃げても反乱軍に撃たれます。その内鎮圧されるので身を隠すのが最適です」

 カトリーネは不安になっただろう。だが不思議とクラウスの声は人を信用させる何かがあった。他に選択肢があるわけでもなく、栗色の髪の少女は青年提督に従ったのである。

 突然二人の歩く先から複数人の人影が現れた。ホールの炎がその手に持った銃を照らし出した瞬間にクラウスは動いた。横にいたカトリーネの体を左手で掴み、自分の後ろに隠す。その間に右手は拳銃を構え、一人を撃ち抜いた。

 「きゃっ!」

 「失礼!」

 クラウスは左手でカトリーネの華奢な身体を半ば抱き抱えたまま壁際に寄った。そこから続けざまに発砲して敵兵を倒していく。拳銃を片手で扱っているにも関わらずクラウスの射撃は百発百中で命中した。

 恐れをなした兵士たちは元来た道を慌てて逃げ帰る。出た瞬間死ぬと分かっていて出る勇気はまずないだろう。

 足音が去るとクラウスは少女を力の限り掴んでいたことに気づいた。申し訳無さと気恥ずかしさで慌てて離す。

 「失礼致しました!非常時とは言え無礼なことを…」

 一方のカトリーネは真っ赤になっていた。本気か演技か、咳払いする。「い、いえ、結構です!こちらこそ、お助けいただいてありがとうございます…」

 「…」

 男性に抱き抱えられるなどという経験はカトリーネには一度もなかった。嫌っている相手なら問答無用で平手打ちを食らわせたかもしれない。だがこの時カトリーネに不思議とそのような思いは起きなかった。

 とは言えお互い気恥ずかしさで言葉を交わすこともできず、その場で立ちすくんでいた。伯爵の邸宅の一階廊下の端まで来ており、外に出ることもできない。

 不意にエンジンの音が響き渡った。それはクラウスには聞き覚えのある音だった。

 「…敵の援軍でしょうか?」カトリーネが恐る恐る聞いた。

 「いえ、違うようです」クラウスは上空を指差した。

 月明かりを背に数隻の小型輸送船が降下してくる。宇宙軍で使われる兵員輸送船コンドルだった。

 それが続々と庭に着床し、中から宇宙艦隊陸戦部隊の青を基調とした装甲服を着用した歩兵部隊が飛び出す。銃弾ごときでは貫通できない協力な装甲歩兵部隊だった。

 「あれは私の配下の部隊のようです。急ぎ参りましょう、フロウライン」クラウスは表面上の礼儀は守って告げた。逆に言えば儀礼通りだったからこそ無感情に言えたのかもしれない。

 「…はい」一言だけ答えてカトリーネは先に歩き出した青年提督の背中を追った。彼女の命を救った提督は、彼女には輝いて見えた。

 二人が庭に出るとすでにそこは陸戦部隊によって確保されていた。

 足音に数人の兵士が警戒して銃を構えるが、それが自分の指揮官であることを知るやすぐに下ろし、敬礼した。

 「閣下!ご無事で何よりです!」

 答礼してクラウスは部隊の指揮官を呼んだ。

 「まだ建物の中には貴族諸侯がいらっしゃる。一人でも多く保護せよ」

 この先バーデン公と戦うことにでもなれば、味方は多いほどよい。

 「それと、一隻船を用意せよ。宇宙港に向かう。ホージンガー子爵御令嬢にもお車を用意して差し上げろ」

 頷くと士官はすぐに連絡しに行った。

 クラウスは振り向き、カトリーネの方を向いた。

 一連の出来事の中でクラウスはカトリーネの教養やその態度など、他の貴族の子女とは違う部分を多く見いだし、興味を抱いていた。とは言えそれはこの環境だからこそ見えたものであり、この先に二人の接点は無いだろう。

 「御身がご無事で何よりです。数々のご無礼、お許しください」

 「い、いえ!」頭を下げたクラウスには逆にカトリーネは慌てた。「大将閣下こそ、私をお守りいただいてありがとうございます。父は今こちらを留守にしておりますが、戻ったら閣下のことをお伝え致しますわ」

 それ以上会話する余地が二人に与えられることはなかった。士官が駆けつけ、二人それぞれの乗り物の準備が整ったことを伝えたのである。

 クラウスがヘリに乗り込み、飛び立つと市内各所に上がる火の手や戦闘の銃火が見えた。空には数十機の戦闘機が飛び回っている。首都防衛軍が戦闘機を奪取して使用したため、正規軍側も戦闘機部隊を展開していた。

 「奴らしつこいな」第一三四航空隊のエルヴィン・ヘッセ中尉は後ろから追いすがる敵戦闘機部隊向けて舌打ちした。

 帝都上空にも関わらず反乱軍航空機は攻撃を躊躇しない。流れ弾が命中した高層ビルが幾つも炎を巻き上げ、墜落した戦闘機は爆炎を吹き上げていた。

 三機の戦闘機がエルヴィンを追撃している。エルヴィンは操縦幹を傾けると速度を上げて急降下した。追撃する敵も追いすがる。

 「俺の技術について来れるかな?」

 エルヴィンが降下したのは帝都市街地の中でも特にビルが密集した地域だった。地表近くで機首を上げ、狭い車両用トンネルへと飛び込む。

 そのトンネルは戦闘機一機がようやく通れるような細い通路だった。追ってきた三機はいずれも入り口で壁面に衝突し、派手に爆発の炎で夜闇を照らし出した。

 この時エルヴィンの操縦技術は神業といってよかった。細いトンネルを高速ですり抜け、反対側から平然と飛び出したのである。それを目撃した者は腰を抜かしたに違いない。

 さらに上昇時に帰りがけの駄賃で一機にバルカン砲を撃ち込み、撃墜して見せた。

 帝都上空での空中戦のなか、ヘリコプターは既に第四軍団陸戦隊と首都防衛軍の正規軍側が確保した中央公園へと着陸した。ここには戦艦アンドルディースが着陸し、臨時の司令部となっていたのである。

 「ミュラー、良くやってくれた」艦橋に入るとそこに立っていた司令官に呼び掛けた。

 「閣下、御身がご無事で何よりです。市内の各所で戦闘が続いていますが、鎮圧されつつあります」

 第四軍団の陸戦部隊は過去に前線において戦闘を経験していた精鋭部隊であり、帝都に駐留するだけの防衛軍とはそもそも経験が違うのである。首都防衛軍の反乱部隊は当然クーデター側の貴族士官が指揮しているのであるが、戦術的な陸戦部隊の展開に関しては経験も知識も足りず、歴戦の第四軍団相手に叶うはずもなかった。

 「間もなく飛行場も確保し、敵の航空戦力も無力化できます」情報参謀アンネ・フォン・ホフマン大尉が報告した。

 二月八日事件と呼ばれることになるクーデターは、第四軍団の即応によって要所が確保されるよりも前に増援部隊が送り込まれ、致命的な事態は回避された。翌九日午前中には各所で反乱は鎮圧され、敗北を悟った貴族たちは宇宙港から逃亡を図る。しかしそこには警務保安局の実働部隊が待機しており、脱出しようとした反乱者達を一人残さず逮捕した。

 軍人の死者一万七千人、市民の死者六千七百人、貴族の死者六百十三人。激しい戦闘で市内の各所に甚大な被害が発生した。

 「反乱を鎮圧したのはシューラー大将、これはれっきとした事実ですな。そしてベック局長の働きで反逆に参加した主要な貴族たちは全員逮捕できました」

 九日午後、戦闘の終結した執政府に戻り、外務卿ハルダー伯は執政バーデン公に告げた。

 この一連の事件で何も情報を持たないハルダー伯やバーデン公は何も為し得なかった。ハルダーに至っては自宅を爆破されたのである。

 「あの二人に恩賞を与えねばなるまい。この事件で帝室の権威は大きく損なわれることになる。あの二人の活躍をもって名誉を少しでも回復せねば」

 渋々ながらも老執政は、仮想敵に恩賞を与えなければならないのであった。

 

 次回予告

 クーデター鎮圧の功績でクラウスは伯爵へと位階を進めることになる。エリウスとの戦争のため準備を進める彼の元に、一枚の招待状がもたらされるのだった…

 

 次回、第二幕第三場『ホーエンベルク伯クラウス』

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