第一場『シューラー軍支隊』
レグニアはかつては人類社会の半分を支配していた超大国独立星系連合の首都を占めていた。しかし長引く戦乱の中で国は分裂し、今ではレグニア星系ひとつを残してレグニア共和国として存続するのみである。
しかしこのレグニアー国の名前でも星系の名前でも唯一の居住惑星である第一惑星の名前でもあるーがかつて大国であったときから残る富、集中する大企業の本拠地といった資産はそれだけで莫大な価値を持ち、レグニアが永世中立を宣言したこともあって今では国際金融や外交の中心地となっていた。「レグニア外交」と言う言葉が誕生したくらいである。
惑星一つしか保持せず、軍隊は皆無に等しいレグニアが大国アイゼンとエリウスに挟まれていながらこの国際社会で生存しているのにはそのような理由があった。
レグニアが有する総資産額は公表されていない。だが周辺の一国の有する資産を上回っているだろうとは目されていた。数年前に財政難に陥ったエリウスの臨時国債の半分を直接間接に買い上げたレグニアの財力を無視することはできない。
惑星レグニアの中心地は首都レグニアポリスである。キロ単位で高さを測るようなビルが立ち並ぶ、銀河でも有数の大都市だった。各国の大使館や大企業の本社もここに集中している。
「それは本当か?」
「昨日ガリア大使館からのコンタクトがありました。事実と見て間違いはないでしょう」
ヴェーレン帝国駐レグニア大使ハッソ・フォン・ファルケンハイム子爵の質問に次官が答えた。
「どうなさいますか?事実であれば緊急の要件ですが」
ガリア連邦共和国大使館からもたらされた情報は以下の通りだった。
エリウスは亡命しているヨッフェンベルク元公爵を通じて元々公爵軍にいてバーデン公爵の元で領地を奪われて不満を抱いた貴族たちへとクーデターを支援していると言う。
「具体的に誰が参加しているかまでは掴めなかったのか?」
「いえ…ガリアの情報網でもそこまではキャッチできなかったそうです」
ファルケンハイムは舌打ちした。「エリウスの鼠共がやりそうなことだ。放っておくわけにもいかないだろう」
「では、これをブラウメンの外務省に送りますか?」
次官の質問にファルケンハイムはやや考え込み、首を横に振った。「いや、これは私が直接預かろう」
ハッソ・フォン・ファルケンハイムは三十六歳。この年齢でレグニア大使となるくらいだから相当有能な外交官である。有力な噂では彼に自分の地位を脅かされるのを恐れた外務卿フランツ・ヨハネス・フォン・ハルダー伯爵が帝都から遠ざける目的でここに送り込んだとも言われている。
ファルケンハイムは自身の執務机に座ると、キーボードを打ち始めた。それはある人物への伝言であった。
ガリア連邦共和国の起源はかつて独立星系連合と銀河の覇権を争った銀河連邦共和国にあり、その元を辿れば地球連邦共和国にまで遡る。正当性と言う観点のみで言えば、このガリア連邦こそが地球連邦共和国の直径の子孫と言えた。
ガリアの最大の武器は情報力である。地球連邦から引き継がれた巨大な情報ネットワークはGIA(ガリア連邦中央情報局)に管理され、膨大な情報がガリア連邦政府に集約されていた。
経済力においてはこの時点では銀河一の規模を誇る。千年の歴史を誇る巨大産業をその配下に収め、資本主義と民主主義の牙城として銀河に君臨していた。
政治体制としては大統領制を受け継ぎ、一期四年の大統領が直接選挙で選出される。今は人気の三年目を迎えたばかりの自由党党首フランクリン・マクラカンがその座にあった。年は五十一歳。国家元首としては比較的少壮で、清潔なイメージとその経済政策が有権者に評価されていた。
ガリア連邦首都はオーシア星系第三惑星オーレッドにある。首都オーレッドシティには大統領府ホワイトハウスが存在している。かつて地球で最も力を持っていたアメリカ合衆国の大統領府の名前を引き継いでいた。
「ブロン大使の報告で、ヴェーレン大使館に情報は伝えたとのことです」国務長官カーリスト・アックスが報告した。
マクラカンはペンで机をコンコンと叩いていた。考え事をするときの彼の癖である。「エリウスもいちいち面倒をかけてくれるな」
「恐らくエリウスが前皇帝ヨーゼフ二世とヨッフェンベルク公を保護し続ける限りヴェーレンの反バーデン派は結束を保つことができるでしょうな」GIA長官アーノルド・デイブが口を開く。
ガリアのような民主主義国家ではにわかに信じられないが、ヴェーレンのような専制国家は皇帝が存在し、その血縁さえあれば国家の最高権力者にのしあがることができる。逆に言えば皇帝の血を引いていない限りは国家の中枢に入り込むことはまずできないのだ。もっとも今のヴェーレンは皇帝専制と言うより貴族専制となっているが。
「エリウスがヴェーレンとの戦争で消耗してくれれば我々にとっても利益が大きい。とは言えルージアとも戦っている以上ヴェーレンがいつまで持ちこたえられるかも不透明です」
アックスの言葉にマクラカンは頷いた。「ただでさえヴェーレンは二正面作戦を強いられている状態だ。その上国内でクーデターが起きれば彼らは自壊するだろうな」
別にマクラカンはヴェーレンが好きで言っているわけではない。ヴェーレンとエリウスがそうであるように、ガリアもまたエリウスとは不倶戴天の敵同士であり、今は戦争こそしていないもののエリウスの勢力縮小はガリアにとって喜ぶべき事であった。
加えてガリアの軍需産業はヴェーレン向けに製品を輸出している。取引先が破綻することは経営者たちにとって歓迎できない。「敵の敵は味方」の理論でガリアはヴェーレンを支援するのであった。
「クーデター計画の情報は彼らが処理するだろう。それ以上に問題なのはヴェーレンが二正面作戦を展開していることだ」
マクラカンは部屋の中心に常に投影されている銀河系の星図の立体映像をちらりと見た。数年に一回は領土が更新されている。
「国防長官を呼んでくれ。それとカーリスト、君にも働いてもらう」
「はい」アックスは頷いた。
ヴェーレン帝国警務保安局は内務省の傘下にある一部局で、警察庁とは違って特に国家反逆犯やクーデターなど、国体への反逆行為に対して対処する組織であった。いわば秘密警察であり、テロやクーデターにも対処するため軍隊並みの装備を保有している。
その長にあるのはこの年四十八歳のヨーゼフ・フォン・ベック子爵である。病気のように妙に青白い肌とやや落ち窪んだ眼窩は見る者に不気味な印象を与えた。ある意味ではその陰惨な雰囲気こそが彼を警務保安局と言う帝国の闇の一面の長に押し上げたのかもしれない。
彼の元に一通のメッセージが届けられたのは統一銀河曆一二四六年一月二十七日のことである。
それは駐レグニア大使ハッソ・フォン・ファルケンハイムからのものだった。
「ガリアよりの情報では帝国内部にて権力打倒への企てが進行中とのこと。ヨッフェンベルク元公爵を通じた貴族がその中心人物とされる。警戒されよ」
「ふむ…」メッセージを印刷した紙を机に放り出し、ベックは考え込んだ。
彼の頭の内の美術館にはバーデン公爵の権力体制の元で危険になりそうな人物が額縁つきで展示されている。「旧ヨッフェンベルク公派」と記されたフロアの中にも幾人もの肖像画が置かれていた。
ベックは時の権力者に対して誠実に業務を遂行してきた男だった。為政者の代替わりに関わらず彼は地位を保ち続け、自分の対立者を消し去っている。その彼が今心がけねばならないのはバーデン執政の権力を脅かす害虫の駆除であった。
彼は幾人かの逮捕状をその場で書き上げると、警務保安局次官に手渡した。そこに記された名前はいずれもバーデン執政に対して不満を持つ貴族たちであった。
二月六日、クラウス・フォン・シューラー大将が率いる第四軍団が帝都ブラウメンの軌道上にその姿を見せた。半月ほどをえてルージアとの戦争から帰還したのである。この時には既にルージアとの国境には援軍も展開していた。
旗艦アンドルディースが中央宇宙港にその漆黒の巨体を下ろすと、既に軍事省から差し向けられた車が停まっていた。
「帰還してその足で軍事省か。私も忙しくなったものだ」クラウスは愚痴と取るには真剣さの濃度が高い言葉を傍らの参謀長に残すと車に乗って軍事省へと直行した。元より緊急の案件があることは知っており、それが何であるかも大体予想はできていた。
軍事省の建物はノイエエッセン・シュトラーゼに面している。広いロータリーで車を降りると、待機していた士官が彼を案内した。
二階の右翼側に木製の厚い扉に固められた一室がある。重厚なデザインは威圧感を与えるように造形されていた。もしこの部屋の中の人間がこの威圧に似合わぬ小人なら、どのような印象を受けるのだろうか。
軍事省はつい二、三ヶ月前までクラウスの勤務場所であった。戻ってきた、と言う感覚はあるがそれが感傷を引き起こすわけではない。
「シューラー大将閣下をお連れいたしました」
俺も大将閣下と呼ばれる日が来るとはな。クラウスは自分の若さとそれに似合わぬ地位の高さを省みてわずかに苦笑した。
扉が開かれる。その中で待っていたのはクラウスが良く知る人物であった。
軍事卿、侯爵オットー・フォン・エルシュタイン元帥。身長が高く、重厚感のある体格はそれだけで威厳を放っていた。軍略においても一般的には優れると評され、一年前の内乱ではバーデン公爵軍の副司令官的立ち位置にあった男である。
「ルージア相手に大戦果を上げたと聞いたぞ」部屋に入ったクラウスの背後で扉が閉まるとエルシュタインは口を開いた。「再び卿の才能が発揮されたな」
「いえ。幸運にも恵まれました」
エルシュタインは笑った。「卿の性格は知っておる。今さら謙遜せずとも良い」
内乱で一時的にエルシュタインの参謀を勤め、ほぼ一年間彼の下で軍事次官を務めたクラウスである。エルシュタインの指摘はクラウスの自信と不遜さを一発で言い当てており、気恥ずかしさを感じた若者は話題を変えようとした。
「…本日ここに小官をお呼びになられた理由とはいかなるものでしょうか」
エルシュタインは孫でも見るような目付きでクラウスを一瞥すると、机の上のボタンをいくつか操作した。二人の間に銀河全域を写し出した立体地図が出現する。
「帝国は今ルージア帝国とエリウス王国、双方と交戦状態にあることは卿も知っているだろう」
「はい」
銀河中心部から人類発祥の地太陽系を真北と仮定すると、ガリア連邦は「北」に当たる。エリウスとアイゼンは「北東」から「南」にかけて広がり、ヴェーレンは南に位置する。ちょうどエリウスと共にヴェーレンを囲うように「南西」から「西」にはルージアの領土が展開しているのだった。さらにルージアの領土の中、銀河の「西端」にはファランディナ王国がある。これにレグニア共和国を加えた合計七か国が現在人類社会を分割統治しているのだった。
「卿がルージア軍相手に一定の戦果を上げたことでルージア方面の脅威は一時的に無くなったと言えるだろう。だが一方でエリウス方面では苦戦が続いている」
「第一、第二軍団が展開していたはずでは?」
「第一軍団は全軍の三割を失う被害を受けている。第二軍団に至っては五割だ。特に第二軍団は戦闘能力を半ば喪失したと言って良いな」
「小官は、その増援に赴くために召還されたと?」
エルシュタインは頷いた。「その通りだ。新規の兵力を加えて今度はエリウス方面へと出撃してもらう」
予想が間違っていないことに驚きはしない。クラウスの興味はエルシュタインの示した新規兵力の方だった。「新規の兵力と言うと?」
「ネーリングとディッケルの師団は補充され、また新たにミュラー、ブラックナー、ヴェンクの三師団を編入する」
合計五個師団の兵力である。二師団で戦わされたルージア戦に比べれば環境は大幅に改善されたと言える。もっともそれほどの兵力でなければ対応できないほどエリウス軍が強大なのだろう。
「本土の予備艦隊のほぼ全てを割いての対応だ。卿の責任は軽くはない」
エルシュタインが自分のことを高く買っていることを知らないクラウスではない。これまで彼の元で働いてその能力を示し続けていた。
「第二軍団は再編のため本土へと撤退する。卿の再編された部隊がこれと代わるわけだが、エリウス、ルージアとの戦いで統一指揮官の不在が問題になった」
ルージア戦においてはクロイツバッハの第三軍団とクラウスの第四軍団がバラバラに行動し、もしクラウスが私情を捨てて援軍に向かわねばヴェーレン軍の戦線は崩壊していただろう。その問題点をエルシュタインは指摘したのである。
「第一軍団のエッセン中将は卿より階級が低い。よって第一、第四軍団をもってシューラー軍支隊を編成、卿は第一軍団の指揮も取れ」
これはエルシュタインが示した最上級の好意と言えるだろう。クラウスの直接指揮する兵力だけで五個師団凡そ六万隻を超え、加えて兵力を減じたとは言え第一軍団のおよそ三万八千隻も彼の指揮に入る。合計は十万隻近くに上る大艦隊だった。
バーデン公はこれを望まないだろう。しかし軍の編成は軍事卿エルシュタインが行うのであってバーデン公のものではない。クラウスにとってはまたとないチャンスが到来していた。
「必ずやエリウス軍を押し戻してご覧に入れましょう」クラウスは期待と謝意を込めて敬礼した。
軍事省の建物の外に出たとき、クラウスは突然声をかけられた。
「クラウス・フォン・シューラー大将閣下ですね?」
男はロングコートに身を包み、サングラスをかけて目立たぬ格好である。クラウスは直感で危険を感じた。
「そうだが、貴様は誰だ?」
「私が申し上げることはございません。そちらの車の中におられます」
男が示したのは、漆黒の公用車だった。マジックミラーの窓は中が見えないようになっている。秘密警察が使うものであることをクラウスは看取した。
もし逃走を図れば射殺されるだろう。目的が好意的なものにせよ非好意的なものにせよ、逃げることはできない。
ホルスターの中の拳銃を無意識に触りながら、金髪の青年は示された車のドアを開けた。
そこに座っていたのは青白い顔の男である。決して病気ではないのに病人じみて見え、落ち窪んだ眼窩にはクラウスは行為を抱けそうになかった。
「クラウス・フォン・シューラー大将。私を知っているかね?」
ドアを閉め、クラウスは前を向いた。「警務保安局長ヨーゼフ・フォン・ベック子爵。私に何の御用だ」
ベックは笑ったようだった。「そう警戒することはない。君を粛清しに来たわけではないよ。とは言え公式記録に載せられる任務でないことは事実だ」
「と言うと?」
「君はこの国内に反体制派、性格に言うなら反バーデン公爵派がいることは知っているかね?」
ベックの口調は穏やかだったがそれは尋問以外の何物でもない。反体制派の摘発に当たる彼の尋問で答えを間違えば、ここで処分される恐れがある。
「知らない。生憎私はそのような動きとは無縁なのでね」
「ふむ。君は今日までルージアとの戦争に携わっていた。カプティア星系での戦果を考えれば反体制派と関わりがあるとは考えられないな」
「その、反バーデン侯爵派が何かあるのか?」含みを持たせずクラウスは聞いた。この際余計に腹の内を読めないように見せつけるのは愚策だ。
「クーデターを企んでいる。君にもその誘いが来ているのかと確認しただけだ」
クーデターか。二正面で戦争をしているこの忙しいタイミングで内側では貴族たちが利己主義的動機でクーデターを起こすとは。内憂外患を絵に描いた状況と言える。
「私はまたすぐにエリウスとの戦争に出兵する。クーデターに参加することもできまい」
この時点では彼が十万隻の大艦隊を率いることになったとは言わない。それだけの兵力を保持して寝返ったらと余計な疑心を招くだけだ。
「ならば良い。君は我々の味方だ。もし貴族側からコンタクトがあれば私に伝えてもらいたい」
念を押すような言い方にクラウスはその底にあるものを察した。見張りをクラウスにつけ、反バーデン派からのコンタクトがあった時にベックに通報しなければ敵と見なすと言うことだろう。
「分かった」
「それと最後に。恐らく今日まで出征だった君は知らないだろうが明後日の夜はハルダー外務卿の邸宅でパーティーだ。君も忘れずに出席したまえ」
ベックは車を降りるよう促した。陰謀の毒霧が渦巻いたような車内の空気に嫌気が差していたクラウスにとって解放されたと言う思いだろう。彼は純粋な軍人でありたいのであって、悪辣な陰謀家でありたい訳ではない。
知らされていないが翌日は貴族のパーティーである。浪費と虚飾がタッグを組んでダンスを踊るのだろう。
ベックの接触でクラウスは国内のクーデターの兆しを知ることになった。となればうまくこれを利用することはできないだろうか。クラウスも階級は大将であり、その存在と名声は政治的な意味も持つ。当然それはバーデン公の敵視を受け、彼はクラウスをどうにかして陥れたい気持ちでいるだろう。
その彼にクーデター鎮圧に協力したことで恩を売ればどうなるか。自分自身の身を守るためにも、クラウスは行動せざるを得なかった。
次回予告
帝都ブラウメンに渦巻くクーデターの脅威。警務保安局の摘発が万全に行き届かない中、クラウスは独自の行動を開始するが…
次回、第二幕第二場『二月八日事件』