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銀河叙述史  作者: 燐音(フェルディナント)
第一幕・ルージア戦争
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第四場『ブーク会戦』

 一月十七日五時十三分。


 ブーク星系の制宙権をほぼ確立しつつあった第三軍団軍団長ヨハン・フォン・クロイツバッハ大将の元に報告がもたらされた。


 「敵艦隊発見!数、凡そ六万五千!」


 「六万五千隻だと!?」参謀長グレーブナー少将は目を見開いた。「我々より、一万隻の多数ではないか!」


 仮眠を取っていたクロイツバッハの元にも報告はもたらされ、彼は安眠を不愉快な報告で中断されることになった。


 「我々より一万隻の多数だな」参謀長と同じ台詞を参謀長より冷静に述べながらクロイツバッハは軍服へと急いで着替えた。艦橋へと上がったのは五時二十分のことである。


 「敵は密集したまま直進してきます。このままでは後一時間で接敵するものと予想されます」


 「大軍らしく正面から叩き潰しに来ると言うわけか」クロイツバッハは戦慄が身体中に流れ渡るのを感じた。だがそれは恐怖ではない。「よし、正面から迎え撃ってやる。一応第四軍団の金髪の坊やにも伝えておいてやれ」


 「ですが、一万隻の数の差をそうすぐに埋められますか?」


 クロイツバッハは不敵にも笑って見せた。「俺が指揮しているんだ。負けるわけがない」


 もし勝利すればこの台詞は歴史に残ることになるだろう。しかしこの戦況で勝てるとは誰にも思えなかった。それゆえに通信参謀は第四軍団へと送信したのである。


 ’’我、敵ノ攻撃ヲ受ク。敵ノ戦力ハ我ガ方ヨリ優勢’’と。


 


 「敵艦隊、我が軍の正面に展開」


 「予備部隊は無し。全ての部隊が正面に展開しています」


 参謀長アレクセイ・コヴロフの報告に司令官アレクサンドル・ヴィトゲンシュタイン元帥は頷いた。「典型的な突撃陣形だ。ならば我々も受けて立たねばな」


 ヴィトゲンシュタインの指示でルージア軍は陣形を変えた。両翼が下がり、中央が前に出たA型陣形である。


 「奴らも突撃陣形か!面白い、正面からの突撃だ!」


 ライバルと目されたクラウス・フォン・シューラーが「黒虎」と評されたのは旗艦アンドルディース以下、後の親衛艦隊が黒い塗装で統一されていたせいである。一方のクロイツバッハには「赤猪」の渾名が与えられたがそれは旗艦ヨルムンガンドに斜めに入った赤い線と彼の露骨なまでの猪突猛進ぶりを指したものだった。


 この時もそうであり、まず突撃から始まるのがクロイツバッハらしいと言えるだろう。もっとも彼の配下の兵力は戦闘艦だけでも五万隻を超え、その規模での突撃は戦史上類を見ない。


 六時二十七分、両軍は双方の艦隊を射程に収めた。


 「撃て!第一斉射の後突撃に移る!」


 まずヴェーレン軍の側から砲撃を開始し、ブーク会戦はその幕を開ける。この頃すでにヴェーレン軍の一方的勝利にて終結していたカプティア会戦ではルージア軍は最初シールドを展開していなかっただけに甚大な被害を受けたが、この時は両軍ともに万全の準備を整えていたのでルージア軍の各所でシールドが発する青白い光が観察されただけで被害は皆無だった。


 数瞬を置いてルージア軍から赤いビームが殺到した。投げつけられた光の束はその一部がヴェーレン軍のシールドへと直撃し、こちらもシールドがエネルギーを弾いて青白い閃光を煌めかせる。それは遠方からは超新星爆発のようにも見えるのだった。


 クロイツバッハが命令した通り第一斉射の後でヴェーレン軍は総突撃を開始した。五万隻を超える大艦隊の一斉突撃である。電子衝撃砲、荷電粒子砲を撃ち出して勢いのままにルージア軍へと叩きつけるのだった。


 「過敏に反応するな。中央は後退のタイミングを計れ」ヴィトゲンシュタインは有史上恐らく初と思われる大突撃を目にしても少しとして動じず指示を出した。


 ヴェーレン軍の苛烈極まる猛射には冷静に応射し、その突撃力を僅かながらでも減殺する。


 とは言えクロイツバッハの戦術指揮能力も必ずしも侮れたものではなく、ヴィトゲンシュタイン軍の中央へと一点に集中した火線は堅実に固めてあったルージア軍の隊列を瞬く間に撃ち破った。戦闘開始三十分間での両軍の被害の合計はルージア軍が左右に広がったのに対してヴェーレン軍が密集していたのもあってルージア軍の方が大きかったほどである。


 六時五十九分、この時両軍の先鋒が最も接近した瞬間だった。一方は突撃のエネルギーを十分余しており、もう一方は既にめくるめく人工の光の中で宇宙の漆黒に溶け込むかのような弱々しさであった。


 「今だ。中央部隊、後退を開始せよ」旗艦レトヴィザン艦橋でヴィトゲンシュタインは初めて戦局の転換を指示した。


 三十分間猛攻撃を何とか耐えしのいだ中央部隊は一斉に後退する。当然突撃するクロイツバッハ軍はそれを追撃した。速度においては前進するクロイツバッハの方が速く、いくら逃げようが時間がたてばその弱った隊列に切り込むことができるだろう。そうすれば右翼と左翼は容易に分断され、一万隻の数の差も覆すことができるかもしれない。


 そう考えたクロイツバッハの考えは正しいと言えるだろう。とは言えそれはクロイツバッハの視野の中での話であり、ヴィトゲンシュタインには彼の構想がある。


 それが具体的な形として現れたのは七時三十九分のことだった。


 猛々しい牙を剥いてルージア軍を食い荒らさんとしていたヴェーレン軍の目前に一万隻近い艦隊が姿を現したのである。


 「今さら予備兵力を出したところで遅い!まとめて粉砕してくれる!」


 戦場の真ん中であり、周囲は爆発と光と残骸に包まれている状況である。遠くの様子は見えなかったがもし見えていればこのように余裕ではいられなかっただろう。


 とは言えルージア軍の「敗走」の流れは後方から殺到した増援の壁で踏みとどまり、突進するヴェーレン軍相手に苛烈な防御射撃を開始した。流石にまる一時間以上最大火力で突撃を続けやや行き足も鈍っていたクロイツバッハ軍である。陣形も乱れつつあった。とは言えそれはルージア軍も同様であり、この場所に限って言えば相対的には問題となるようなことでも無かっただろう。


 が、とにかくにもこの瞬間ヴェーレン軍は行き足を鈍らせた。それが全てを決したと言っても過言ではないだろう。


 「右、左両側面より敵艦隊多数!」オペレーターが叫んだとき、既にクロイツバッハ軍は前、右、左の三方から輻輳する火線に挟まれていた。


 中央部隊の後退と同時に左右両翼は前に出る。中央が後退するだけ相対的に両翼は突出することになる。それが中央を向けばその場で包囲陣形が完成するのだ。この時陣形は当初のA字形からV字形に変化することとなる。六万五千隻の大艦隊でそれを実行するのは簡単な仕事ではなかった。ヴィトゲンシュタインの豊富な経験がこそ、それを可能としたのだろう。


 観音開きの扉が閉じるように左右両翼のルージア軍がクロイツバッハ軍を挟み込んで猛烈な砲撃を加え、これまでやや劣性に見えた分を利子付きで返済した。


 「隊列を固めろ!」叫ぶクロイツバッハの視界の中で次々と味方の艦隊が重複するビームの光に切り刻まれ、宇宙の原子へと還元していく。


 「閣下!脱出しない限り生存の道はありません!」参謀長が話すと叫ぶの中間の声を上げた。この戦況で平静を保てと言うのが無理難題だろう。


 「全艦隊前へ突進しろ!各個の判断でも構わん、突破するんだ!」


 命令だから、と言うより生き残るためにヴェーレン軍は前へ向けて突撃した。四方八方から降り注ぐ砲火に対抗するように上下左右へと主砲、副砲、魚雷、対空砲まで撃ち放つ。クロイツバッハ軍の周囲は目も眩むほどの爆発の光によって埋め尽くされ、味方に当たることも恐れてむしろ包囲しているルージア軍の方が攻撃を遠慮したほどだった。


 この熱狂的な戦況を見てもヴィトゲンシュタインは庭先に猫が迷い込んだ程度の反応しか示さない。「両翼部隊は敵の背後について攻撃を加えろ。中央部隊は左右に避け、射線から逃れろ」


 ある意味でそれはヴェーレン軍にとっても中央部隊にとっても過酷な命令だった。まさに激戦死闘の真っ只中に放り込まれている中央部隊の各艦にまで命令が行き届くはずもなく、行き届いたところで至近距離で艦と艦の格闘戦が開始されたこの激戦の中では退避にも時間がかかるだろう。その不幸な味方も含めて再配置された旧左右両翼部隊合計して四万隻以上が掃射すると言うのである。


 しかしこの時空間辺りのヴェーレン軍とルージア軍の艦艇の数はほぼ四対一であり、後ろを取ったこの瞬間こそ砲撃する絶好の好機であった。


 なるべく味方を狙わないようにはしつつも四万隻以上の艦艇が砲撃を加える。脱出中を後ろから撃たれたヴェーレン軍の艦艇は次々と炎に包まれて轟沈して行った。


 どうにかルージア軍を突破したと言っても今度は後ろから追撃される身である。とても指揮系統を再編成して反転迎撃、と言った芸当ができるわけがない。


 しかし再び戦況は変わった。


 九時四十一分、追撃するルージア軍と追撃されるヴェーレン軍の左側面にジャンプアウト反応が感知される。


 ほぼ無傷のヴェーレン軍第四軍団、二万三千隻であった。


 


 「酷い有り様だ」


 「あれではまるで敗走ですな」クラウスの感想にグナイストが同意する。


 一方的に撃たれ、追い回される醜態は同じヴェーレン帝国軍の人間として見るに耐えない。


 カプティア星系でルージア軍を撃退し、即座に短距離ジャンプを用いてこの星系まで跳んできたのである。追撃するルージア軍も無傷と言うわけではなく、数の差がひっくり返った。


 「ネーリング、ディッケル!戦況は見ての通りだ。我々は敵艦隊左翼に痛撃を加え、第三軍団の撤退を援護する」


 クロイツバッハに対する個人的な印象はもはや気にしている場合ではない。一兵でも、一艦でも多くの味方を救出する必要があった。


 二つの師団が火力陣形を組み、並んでルージア軍の左翼に襲いかかる。十万を超える緑色の光の束が押し寄せ、巻き起こる爆発の光の中でルージア軍艦は次々と消滅した。


 「シューラーと言ったな。実に良いポイントを突く」ヴィトゲンシュタインは彼らしからず賞賛した。しかしそれだけでは終わらず、表情は険しさを増す。「ナヒーモフはどうしたのだ?」


 「まだ報告はありません。戦場全体に長距離通信妨害が行われており、受信自体が不可能です」


 ヴィトゲンシュタインは左翼部隊の艦列を制御して第四軍団に対して応射しつつ、右翼はそのまま第三軍団を追撃させた。


 しかし、ヨハン・フォン・クロイツバッハと言う男はここで引き下がる男ではなかった。


 「援軍が敵を足止めしている!急ぎ反転、直ちに逆襲に移るぞ!」


 追撃の手が止んだ一瞬の時間を利用してクロイツバッハは部隊を再編すると、即座に反転して猛烈な砲撃を開始した。


 配下の師団長の内ホリト少将とレンホーファー中将は戦死していたがその部隊は彼が直接指揮し、反撃に出たのである。


 ルージア軍は半包囲に置かれる形になった。伸びた右翼の戦列をネーリング師団が左側面から痛打を与え、正面からクロイツバッハが砲撃で押し潰す。


 「不利になったな」自軍の不利を悟ってもヴィトゲンシュタインは少しも動じなかった。その岩のごとき堅牢さに影響されたかのようにルージア軍は半包囲されながらも粘り強く踏みとどまっている。とは言えこれ以上戦っても戦況の挽回の余地はなく、双方に犠牲が増大するだけだった。


 「撤退する。損傷の大きな部隊から順に撤退させろ」


 ヴィトゲンシュタインの手腕は撤退戦に置いても発揮された。衰えを見せない砲火で第三と第四、両方の軍団を牽制しつつ糸を引くように部隊が離脱を始め、十三時に至って最後の部隊も急速反転、撤退した。


 「追撃ができる状況ではないな」クラウスはスクリーンに去り行く敵のノズル光を眺めてさほどの感慨も見せず呟いた。


 既にクロイツバッハは損傷も含めれば全体の半数近い兵力を喪失し、半ば軍団として壊滅したと言っても良い。クラウスの軍団に損害はほぼ無かったが連戦であり、将兵の疲労はピークに達していた。


 生存者の収用と部隊の再編を指示するとクラウスは椅子に深々と座り込んだ。


 「閣下。ヨルムンガンドから通信です」


 「クロイツバッハの旗艦か。スクリーンに出せ」やや疲労を隠せぬ声でクラウスは応じた。


 スクリーンに現れたクロイツバッハの顔も疲労に満ちていた。だがそのグレーの瞳は強く生気を保っている。


 「貴様に助けられるとはな」


 その声に嫌味がこもっていないことにクラウスはやや驚いた。


 「卿の艦隊の兵力を無益に失わせることはできない。同じヴェーレン軍人として当然の責務だ」


 クロイツバッハは笑おうとしたようだった。が実際には肉体の疲労のせいか口元がぴくぴくと震えただけである。「俺は敗北の将、貴様は勝利の英雄だ。次もその武運が続くと良いな」


 やはり敵、とは言わずとも味方とは思われていないな。クラウスは感じた。もっとも彼の方でもクロイツバッハを味方などとは考えていないが。


 「そうだな。卿が次こそ戦死しないよう、軍神チュールに祈るとしよう」


 通信は切れた。それはクラウスにとって一連の戦いの終結を感じさせた。


 


 ブーク会戦での両軍の被害はヴェーレン軍が損失艦一万八千隻、損傷艦三千二百隻にも上る。一方のルージア軍も損失艦六千三百隻、損傷艦九千七百隻に達し、双方ともに決して楽な戦いではなかった。


 銀河標準暦一二四六年一月十六日から十七日にかけて行われた一連の戦いを後に総称して「カプティア=ブークの戦い」と呼称する。最終的なこの戦いにおける両軍の損害は損失、損傷を合わせてヴェーレン軍二万二千隻、ルージア軍においては二万四千隻になり、両軍合わせて約千八百万人の犠牲を出したのだった。


 結果としては戦術的には引き分け、戦略的にはルージア領土に踏み込んだヴェーレン軍の勝利と言えるだろう。その結果は紛れもなくクラウス・フォン・シューラー大将によってもたらされたものであり、彼の実力は大きく喧伝されることになるはずだ。


 


 以後三日間の間両軍共に再編に努め、今後の作戦行動に備えた。だがどちらも損害は莫大であり、すぐに行動を行える状況になかったこともまた事実である。


 一月二十日、ヴェーレン帝国の帝都ブラウメンから参謀総長カール・フリードリヒ・フォン・ブライト元帥の名前でクラウスの元に指示がもたらされた。


 「第四軍団の内一万隻の艦艇を第三軍団の指揮に入れ、残りは帝都へと帰還せよ。ガリア国境よりエッセン上級大将の第七軍団を対ルージアの増援に派遣する」


 一読してクラウスは傍らにいた情報参謀アンネ・フォン・ホフマン大尉に渡した。


 「帰還せよ、と?」


 「そうらしいですね」


 「しかしこのタイミングで何故?」ホフマンが首をかしげた。


 「俺がこれ以上功績を稼ぐことに嫉妬したか、あるいは実力を見込んで対エリウス戦に派遣する気になったか」


 今は対エリウス方面に派遣されている第二軍団の作戦参謀ウォルフガング・フォン・エルシュタイン大佐からの私信で対エリウス戦の戦況が芳しくないと言う報告をすでにクラウスは受けていた。


 「どちらにせよ次は多少は兵力不足も改善されるでしょうね」


 幼年士官学校での先輩に向けて金髪の青年は告げた。


 


 次回予告


 帝都へと戻ったクラウス。彼に与えられた新たな役目は「対エリウス戦線」の状況改善だった…


 


 次回、第二幕第一場「シューラー軍支隊」

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