第二場『カプティア会戦・前』
一月十五日午前四時、ルージア帝国領ブーク星系。
星系外縁部に浮かぶルージア帝国軍の無人監視ステーションが重力地場の歪みを検知した。
報告は秒を待たずしてブーク星系唯一の有人惑星である第三惑星軌道上に浮かぶ防衛ステーションへと送信される。
「急報!敵艦隊来襲!」
既にヴェーレン帝国からルージア帝国への宣戦布告はされており、敵襲にも驚くことは無い。
「数、およそ五万!」
「五万隻!?」通信士官の報告に防衛司令官は冷や汗が流れ出るのを感じた。
ブーク星系に五万隻の艦隊とやりあえる程の防衛設備は存在しない。防衛ステーション、駐留する防衛艦隊、各地に点在する航空隊を集結させても足止めにしかならないだろう。もっともそれが当然で大抵戦争となれば国境付近の星系は占領されるのが普通である。
「総司令部に緊急連絡!’’敵艦隊五万隻来襲、数およそ五万’’と!」
防衛司令官は自らの務めを理解していた。ここに駐留する防衛軍を結集させて可能な限りの抵抗を行う。その間に後方の星系で待機する主力艦隊が急行してくるだろう。それまでの時間稼ぎが彼の任務だった。
「全ての航空機をこのブークⅢに集結させろ。地上部隊は臨戦態勢で待機。念のため市民はシェルターに移動し、惑星防衛シールドを直ちに起動しろ!」
「はっ、直ちに!」副司令が命令を伝達する。
敵が一個艦隊、一万隻前後なら一週間持ちこたえることはできるだろう。しかし五万隻となれば何日持ちこたえられるか。司令官は胸の前で十字を描き、天に祈るしか無かった。
一方は緊張していたが、一方は余裕の表情である。
星系に侵入したヨハン・フォン・クロイツバッハ大将の第三軍団は四個師団五万三千隻の大兵力を持ち、その中にはおよそ千隻の強襲揚陸艦も含まれている。惑星を守る防衛ステーションや艦隊を排除した後で降下作戦を開始するのだ。
「星系の防衛は各惑星や衛星にある航空基地、及び唯一の居住惑星である第三惑星ブークⅢの防衛ステーション、加えて凡そ三千の防衛艦隊が担っています」第三軍団参謀長グレーブナー少将が説明した。
「敵の主力艦隊がやがて押し寄せる。それまでに点在する基地を全て破壊して決戦に望むぞ。戦闘中に横から小突かれるのは不愉快だからな」
クロイツバッハは今年二十四歳、去年から良く比較されるクラウス・フォン・シューラーに対して身長は二メートル近い堂々たる姿であり、短く切り揃えた黒髪、力強いグレーの瞳、引き締まった体格と宇宙艦隊の提督と言うより陸軍の連隊長にも感じる。
見た目にそぐわず積極攻撃型の指揮官であり、内乱の時はヨッフェンベルク公軍を相手に輝かしい戦果を挙げていた。
「我々はあの白磁の坊やの倍の兵力を持っているんだ。さっさと占領しないと恥をかくぞ」
クロイツバッハにとってやや背が低く、筋肉隆々にも見えない肌の白い五歳年下のクラウスは’’白磁の坊や’’である。もっとも彼自身世間においてはまだ青二才と言うべき年齢だが、その風貌は実年齢より五歳は上に見えた。
「ホリト!ゼーフェルト!」
二人の師団長の姿が旗艦ヨルムンガンドの艦橋スクリーンに現れた。
「貴様らは直接第三惑星に向かい、防衛ステーションを破壊しろ!俺は周辺の惑星を占領してから合流する!」
「はっ!」二人の師団長は敬礼して画面から消えた。
第三軍団は行動を開始したが、そこから数百光年を挟んだカプティア星系においても二万四千隻のヴェーレン帝国軍艦隊が確認されていた。
「有人惑星は第二惑星と第三惑星、第四惑星の軌道上に資源採掘と防衛を兼ねた大型の防衛要塞があるな」立体映像に写し出された星系の概略図を見てクラウスは指摘した。
「要塞は強力な防衛シールドに守られ、一万隻の艦砲射撃でも破るには数日を必要とします」参謀長グナイストが説明する。
頷いてクラウスはスクリーンに写っている二人の師団長の方を向いた。「ディッケル、卿の艦隊は第二、第三惑星の防衛網を排除して航空部隊を殲滅しろ。ネーリング、卿は第四惑星の要塞を包囲し、艦砲射撃を加え続けろ」
「はっ!」二人は同時に頷いた。
「無駄に兵力を消耗するな。敵主力艦隊の襲来まで長くはない。将兵の体力も温存させておけ」
通信が切れるとクラウスは補給参謀の方を向いた。「補給物資はいつまで持つ?」
参謀はデータパッドを操作した。「月末までは持つでしょう。ですが作戦行動がそれより長引く場合、調達か補給が必要になります」
「現地調達はこの際論外だ。この艦隊だけで一千万はいる将兵の食料調達など現実的にできるわけがない。参謀本部に補給を要請しておけ」
一連の命令が終わるとクラウスは指揮官席に座り、動き始めて活気を極める艦橋内の音をBGMに窓の外に写る星の海を眺めた。
艦橋の位置などは船によって差異があるが、戦列艦アンドルディースは上甲板中部の艦上構造物上に艦橋が露出し、戦闘の際は装甲甲板の内部に収納される方式を取っている。そのため通常航行中は直接肉眼で外の風景を見ることができるのだ。
赤、青、白、黄と無数の星々が千差万別の光を放っている。戦闘の時はこれに飛び交う光線と爆発の光が加わるのだろう。その光景もクラウスは好きだった。そこに戦争の善悪は関係無く、本能としてそれを求めている。
戦いは嫌いではない。泥にまみれた地上戦ではなく、宇宙の船乗りとして戦う艦隊戦が、である。万に及ぶ艦隊を指揮し、その進退を決することは十九歳の青年に子供ながらの高揚感を与えるのだった。
軍人と言う存在が何をもって高潔と成すかと言う議論はどれも「戦士としての誇り」に辿り着くことが多い。
誇りと言うその一点においてルージア帝国侯爵アレクサンドル・ヴィトゲンシュタイン元帥は理想的な軍人と言えるだろう。
歳は七十一歳、軍歴は半世紀にも及ぶ。この銀河において幾度となく繰り返される戦争のことごとくに参加し、戦い抜いてきた歴戦の古強者だった。その名声はあまねく銀河に知れ渡り、他国の軍人でさえもその戦歴を見て「頭の古い老いぼれ」などとは冗談でも口にできない。
ルージア帝国戦争省の公式記録によれば過去に参加した戦闘四百十三回、彼自身が全軍を指揮した戦闘における勝率七割以上。戦いの勝利の美酒も敗北の苦味も味わった文字通りの老兵である。
その彼の四百十四回目の戦闘が迫っていた。
「ヴェーレン軍の総数は二つの艦隊を合わせて凡そ八万隻、内三分の二はミストラ星系からブーク星系に、三分の一はロイツァー星系からカプティア星系に侵入しております」
ヴィトゲンシュタイン艦隊参謀長アレクセイ・コヴロフ中将が立体星図を指して言った。
ヴィトゲンシュタイン艦隊旗艦レトヴィザンの艦橋、一月十五日午前十時のことである。
「それぞれの司令官は誰だ?」
ヴィトゲンシュタインの口から重々しい声が出た。七十歳を超えてもその頭脳や肉体は衰えを感じさせない。
「レグニア経由の情報によりますとブーク星系に展開するのはヨハン・フォン・クロイツバッハ提督の第三軍団です」
「その名前は聞いたことがないな。で、もう一方は?」
司令官より四半世紀は年下の参謀長はデータパッドを操作して調べた。「第四軍団、指揮官はクラウス・フォン・シューラー提督です」
「それはどこかで聞いたな。確か去年の内乱で活躍していたと聞く。若いらしいが、年齢は?」
「十九歳だそうです」参謀長の声には驚きの成分が含まれていた。
「十九歳か。儂がまだ士官学校を出たばかりの青二才だった年に大将とはな」ヴィトゲンシュタインの声に嘲笑や侮蔑の要素は無い。
「ですが、兵力は二万五千に満たないそうです」
ヴィトゲンシュタインの手持ちの兵力は十万七千隻。ルージア帝国には四十万隻以上の艦隊がいるのだが、当然他の国境や国内の警備、また整備や海賊討伐にも使われるのでその全てを一つの戦線に置くことはできないのである。
「敵の主力はそのクロイツバッハ提督か。こちらも部隊を分けて対応しよう」
机上の理論においては二つの分散している部隊を相手取るには敵の一つに対して我が全軍をぶつけるのが理想だろう。しかし現実では片方の敵を相手取る間にもう一方の敵はルージア領土の奥深く入り込むことも、まさに戦っている我が方の背後を突くこともできる。そのため全軍を一点に集中する、と言う机上の理想は不可能で、もう片方の敵にも備えをしなければならないのだ。
「ナヒーモフ、リシチェンコ両提督は四万の艦隊を率い、カプティア星系に向かえ。残りは私が指揮してブークに急行する」
ナヒーモフ上級大将とリシチェンコ大将の兵力合計四万だけでもカプティアにいるクラウス軍二万五千には十分な数となる。一方でヴィトゲンシュタインの直属軍も六万七千隻の兵力を持ち、クロイツバッハの第三軍団より数が多かった。
「一回の会戦でヴェーレン人を追い返すのだ。長続きさせるメリットは無い」
午後にはルージア軍は二手に分かれ、ヴェーレン軍迎撃へと出撃した。
ナヒーモフ上級大将が率いる兵力は第六、第一二の二個艦隊二万五千隻、リシチェンコ大将の率いる兵力は第九艦隊にロジェフスキー分艦隊を合わせて一万五千隻である。
階級の上では上位にあるナヒーモフ提督が四万隻を統括する立場にあり、それは当然リシチェンコも理解していた。
このウラジミール・リシチェンコ大将は今年四十三歳、ヴィトゲンシュタインほどではないにせよ若い時から最前線で戦い抜いてきた歴戦の提督である。
しかしナヒーモフは皇帝パーヴェル三世に取り入り、自身の才幹ではなく皇帝の権力を利用して今の地位にのし上がった。年齢は三十五歳、リシチェンコより八歳年下である。
「どのような作戦になさるおつもりですか?」カプティアまでの航行の途中でリシチェンコは聞いた。聞くだけではなく彼自身の作戦案も提案している。
数において敵より圧倒的優勢な立場にある以上、小細工を労する必要はない。戦列艦を横陣で固め、正面から圧迫すればヴェーレン軍は撤退せざるを得なくなる…
「芸術性に欠けるな」
リシチェンコは思わず耳を疑った。戦術に芸術性も何もあるものか。
「正面から押すだけでは芸が無さすぎる。それに、こちらがそこまで負けない陣形を組んでしまえば、敵は戦うより前に逃げてしまうではないか」
それならそれで良いではないか。リシチェンコは言い返した。戦略的な目標は十分に達成することができる。
ナヒーモフは綺麗に造形した口髭を自慢するかのように撫で回した。「殲滅することが必要なのだよ。戦術でしか物を語れない君には分からないだろうがね」
ともすれば切れそうな理性の手綱を、リシチェンコは強く握り締めた。
ナヒーモフは大貴族の出身だけに、元から平民出身のリシチェンコに対して侮蔑の意思を隠そうともしない。ナヒーモフにとってリシチェンコは従卒か、それ以下の存在でしかないのだろう。
「では、どうせよと仰るのですか」
「簡単なことだ。君の艦隊が正面から攻める。私は戦場を大きく迂回し、敵の背後に回る。素晴らしく機動的で、芸術的な包囲作戦だ」
リシチェンコは反論する。それでは二つの艦隊が遠く離れすぎる。各個撃破の対象になりかねない。
「心配ない。仮に君の艦隊が全滅しても、敵も無傷ではいられないだろう。私の手持ちの兵力だけであの金髪の若造の兵力を上回っているのだ」
私の艦隊が全滅しても構わないと言うことか。リシチェンコは無言の内にナヒーモフの言葉の意味を察した。
このまま会話を続けても無意味に終わるだけだろう。実質的に副司令官の立場にある者に端から死んで良いと言い放つ司令官に聞く耳があるとは思えない。
恐らくこの戦いはあの’’金髪の若造’’がよほど無能でもない限り勝利することになるだろう。だが、その敗北のレベルを少しでも下げなければならなかった。
「星系外縁部にジャンプアウト反応!」旗艦アンドルディースのオペレーターが告げたのは一月十六日の午後十七時二十三分である。
「数は?」グナイストが聞いた。
「現在集計中!…凡そ四万隻!」
「四万だと!?」参謀長の目が見開かれた。「我が方の倍近い数か…」
「面白いじゃないか」不敵な言葉が艦橋に響いた。クラウスが紅い瞳を輝かせている。
「三万だろうが四万だろうが関係無い。如何様にだってやり方はあるのさ」
「自信がおありで?」グナイストは尋ねた。一年近い付き合いになるがまだ十歳以上年下の司令官のことが全て分かっているわけではない。倍近い敵を相手に全く動じないクラウスの姿が、グナイストには中々信じがたいものだった。
「当然だ。三倍までなら相手はできる」
「敵艦隊、二手に分かれています!」情報参謀ホフマン大尉が声を上げた。
「二手に…?」クラウスは右手を形のよい顎に当てた。「航海参謀、急ぎ敵の予想行動経路を算出!」
「敵艦隊、偵察衛星の排除、及び通信妨害を開始!」
レーダーや赤外線探知と言ったシステムに対する対抗技術が産み出され、索敵システムが光学に頼らざるを得ない現在、偵察衛星や長距離偵察機と言った目視索敵の重要度、と言うより必要性は高い。クラウスは最初から星系中に偵察網を張り巡らせて情報の伝達システムを整えさせていた。主にそれを担当したのは参謀長グナイスト准将と、情報参謀アンネ・フォン・ホフマン大尉だった。
アンネは今年二十一歳になる。幼年学校ではクラウスの二期先輩で、面識がある人物だった。
「急げ!敵の経路を計測しろ!」
「偵察機発艦用意!」
航海参謀らが慌ただしく動き回り、戦闘を目前にした緊張感に包まれる。
クラウスは通信参謀に呼び掛けた。「ネーリング、ディッケル両師団長に連絡、すぐに合流させろ」
「航路測定完了!予想経路、スクリーンに出します!」
スクリーンに写し出されたのは二つに分かれたルージア軍の経路だった。一隊は正面から星系の中心向けて直進し、もう一隊は遠く迂回しようとしている。
「分進攻撃か」グナイストが呟いた。
「馬鹿な真似を。これでルージア軍は自ら敗北への第一歩を踏み出したようなものだ」
全軍の集結と近隣の偵察部隊に敵艦隊の行動を監視するよう命じ、第四軍団司令部はそれから三十分待機した。
「偵察機DR4Tから入電。接近する敵の総数一四二五〇隻」
「偵察艦ユミルより入電。迂回する敵の総数二五〇二三隻」
「迂回部隊の方が数が多い」アンネが告げた。「どちらを先に叩くの?」
「定石で言えば最も脅威度が高く、同時に少ない敵ですな」グナイストが常識論を述べる。これによってクラウスに思考の選択肢を与えるのだ。
数秒の思考の後、クラウスは席を立ち上がった。「敵もその定石で考えているだろう。各個撃破の対象に自らなりに来る敵だ、我々が主力を直撃するとは考えまい」
「とすると…」
「全軍、敵の迂回部隊に向けて前進!これを撃滅し、その後に接近してくる敵艦隊を叩く!」
命令が発せられた。敵の分散に乗じて各個に撃破すると言うのである。それも数が多い主力部隊の方から。
クラウスの決断が吉と出るか凶と出るか、この時は誰も予測することはできなかった。
次回予告
分散したナヒーモフとリシチェンコ。クラウスはナヒーモフの主力部隊の背後から襲いかかるが…
次回、第一幕第三話「カプティア会戦、後」