第一場『幕前曲』
銀河標準暦一二四六年一月十二日、ヴェーレン帝国領土ロイツァー星系。
ヴェーレン帝国軍第四軍団二万四千隻の兵力がここに展開している。
軍団の旗艦である特一等戦列艦アンドルディースもその中に含まれていた。周囲の一等戦列艦より二周りほど大きな漆黒の九百メートルの船体は厚い装甲と正面二二門と言う破格の主砲火力を持っている。
戦列艦の主砲は被弾率の低下やなるべく狭いスペースに多くの砲を納めたいこと、そもそも長距離砲撃戦を主な役割とする戦列艦が近距離で機動戦を展開する必要は無いなどの理由ですべて正面に固定されている。これが護衛艦のフリゲート等になると旋回砲塔が搭載されていた。
例えば現在のヴェーレン帝国軍の主力一等戦列艦ヘルテン級は正面に二十インチ電子衝撃砲を十四門、側面防護に六インチ電子衝撃砲が片舷十門づつ固定されているが、主力フリゲートのマックス級は旋回砲塔の六インチ連装カノン砲を三基搭載している。フリゲートに電子衝撃砲が搭載されないのは高速での戦闘を旨とするフリゲートに長いエネルギー装填の時間がかかるビームを搭載する必要はないこと、そもそもジャンプドライブ機関の出力がフリゲートは低く、主砲は実体弾の方がエネルギー効率が良いためなどであった。
この辺りの設計思想は各国ともほぼ同じであり、現状においてこの設計が一番堅実であると言うことだろう。
アンドルディースの黒く細長い船体に露出している艦橋には、数人の男たちが集まっていた。
「一体いつになったら約束の援軍が来るんだ!」
激を飛ばしたのはヴェーレン帝国軍第二軍団長クラウス・フォン・シューラー大将である。この階級、この役職、子爵と言う地位にありながら年齢はいまだに十九歳だった。
「本国からの通達からは半月は過ぎていますが、まだ援軍が出発したとの情報はありません」
参謀長エーリヒ・グナイスト准将、三十三歳。理性的な参謀で、クラウスとは先年以来の付き合いである。
「ですが参謀本部の指示では明々後日までには行動を開始せよと」
第四軍団に所属する二人の師団長の一人、カール・ヨアヒム・ネーリング少将が言った。一年半前の内乱で功績を上げて出世した三十四歳の指揮官である。
「すでにクロイツバッハ提督の第三軍団は作戦行動を開始したとのことです」
グナイストはコンソールを操作して星図を呼び出した。彼らの今いるロイツァー星系を中心としてヴェーレン帝国の領土、それに接するルージア帝国の領土が写し出される。
「第三軍団は兵力五万三千、ルージア軍の主力相手にも戦えるでしょう」
「クロイツバッハは五万三千、それでありながら第四軍団は二万五千にも満たない兵力で攻撃しろと言うのか」クラウスは舌打ちした。「バーデン公め、どこまでも私を失脚させたいと見える」
「作戦計画によれば宣戦布告は明後日です。それまでに援軍が到着することは無いでしょう」
もう一人の師団長エルネスト・フォン・ディッケル少将が応じた。二十七歳と今の帝国の中将の中では最も若い。他の第四軍団指揮官たちと同様、一年半前の内乱で出世した提督である。
クラウスは頷いた。「クロイツバッハが私に対する対抗馬だ。そうでもなければ内乱でも大して功績も立ててない奴の方に過分な兵力が与えられることはない」
話が非建設的な方向に進み始め、グナイストは咳払いした。「とにかく出撃しなければならないのは事実です。ですが戦果を上げれば本国も援軍を派遣せざるを得なくなるでしょう」
「エリウスとの戦線には現在八個師団、他の国境にも合計して十一個師団の艦隊がいますが差し引いても本国には四個師団の予備兵力もいます」
ディッケルが同調した。
「二万四千隻とは言え過小な兵力ではありません。第三軍団と協同すれば、我々だけが包囲される心配も無いでしょう」ネーリングが同意する。
クラウスは収まりの悪い銀の髪をかき回した。「仕方無いか。援軍がどのみち期待できないならこの兵力でやるしかない」
一呼吸置いて若い青年提督は表情を改めた。「命令、第四軍団は一月十四日〇時を期して行動を開始する」
クラウス・フォン・シューラーが幼年学校を首席で卒業してから二年後の一二四四年、彼が十七歳の時にヴェーレン帝国皇帝ルートヴィヒ二世が崩御した。
不幸なことにルートヴィヒ二世の皇太子コルネリアスは父に先立つこと三年前にアイゼン王国との戦闘で戦死し、後継者が定められないままルートヴィヒ二世は死去したのである。
結果として発生した皇帝の後継者争いが歴史的に言う「ヴェーレン内乱」「一二四四年の軍乱」であった。
本来非常設の役職でありながら常に置かれるようになっていた執政は皇帝を補佐して政務を担当する役割を持つ。皇帝崩御の時の執政は帝国で二番目の実力を持った門閥貴族フリードリヒ・フォン・バーデン公爵だった。
彼は自身の権力を維持するため他の大貴族の手が回らない者を皇帝にしようとした。幸いルートヴィヒ二世の先代の皇帝コルネリアス二世の弟ヘルベルト大公の孫と言う何とも複雑な血縁関係であるルートヴィヒ大公が四十二歳だった。
しかし皇帝は自身の皇女エミーリアを帝国で最大の実力を持った門閥貴族マンフレート・フォン・ヨッフェンベルク公爵に嫁がせていた。そしてその間に産まれた子供ヨーゼフが皇位継承の条件を満たしていたのである。
結局ヨッフェンベルク公がその莫大な資金力で裏から手を回し、皇帝選出のための臨時元老院においてヨーゼフ二世の即位が決定された。弱冠九歳の皇帝である。
ヨッフェンベルク公は摂政として巨大な権力を得てバーデン公を執政の座から叩き落とし、自分が執政に就任した。
バーデン公にとっては不本意だったし、一度は金に釣られてヨーゼフ二世を支持した貴族たちもヨッフェンベルク公の専横には不満を抱いた。
バーデン公と裏取引した外務卿ハルダー伯爵が不倶戴天の敵だったアイゼン王国と不可侵条約を締結して対外的な安全を確保した上で一二四四年七月にバーデン公は反乱を起こしたのである。この時中尉でフリゲート艦の艦長であったクラウスもこの戦いに巻き込まれ、バーデン公軍として戦うことになった。
一二四四年の七月に始まった戦いが翌年を迎える頃にはクラウスは中尉から准将まで昇進していた。ミュンヘベルク会戦やヘルテン要塞攻略戦で彼が見せた働きは誰も否定できるものではないだろう。
一二四五年三月、帝都星ブラウメン上空での艦隊戦においてクラウスの献策を用いたバーデン公軍はヨッフェンベルク公軍を敗退させた。帝都は陥落して国璽はバーデン公爵の手に落ち、ヨッフェンベルク公は息子のヨーゼフ二世と共に隣国エリウス王国に逃れたのである。
内乱の結果バーデン公が勝利し、彼は執政に返り咲いて皇帝ルートヴィヒ三世を即位させた。外務卿の役職はバーデン公と裏取引していたハルダー伯爵が続けて務め、軍事卿の座にはバーデン公軍の実質ナンバーツーであったエルシュタイン侯爵が就任、その元でクラウスは中将に昇進して軍事次官となった。
ひとまずヨッフェンベルク公を倒したバーデン公にとって次の脅威は(彼にとっては)クラウスだった。十八歳の若さにして中将、軍事次官の座にある。今は大人しくしているがやがて執政の座を狙うかもしれない。
彼は内戦においてはクラウスに次いだ功績を上げた二四歳のヨハン・フォン・クロイツバッハを中将に昇進させ、参謀本部次長に任じた。若いと言う点でクラウスと同じであり、二人が対立して互いに共倒れになることをバーデン公は画策したのである。
しかし客観的に見ればこれによってバーデン公は自分の首を絞めたと言うべきだろう。露骨な執政の態度に対してクラウスは自分を守るためにより強大な権限を欲するようになったのだから。軍事次官としてヴェーレン軍の改革に取り組むことにしか興味の無かった彼がより高みを目指すようになったのはまさにクロイツバッハと言う外敵の出現だった。
エルシュタイン公の息子で幼年士官学校の同級生だったウォルフガング・フォン・エルシュタイン中佐を参謀本部に入れてクロイツバッハの監視をさせ、そのつてで知り合った当時参謀本部作戦次長のエーリヒ・グナイスト大佐も仲間に引き入れている。
しかしこの程度の策謀は逆に内務省の配下にある警務保安局長ヨーゼフ・フォン・ベック子爵に警戒心を呼び起こすことになった。
その頃ヴェーレン政府はエリウス王国に対して廃位されたヨーゼフ二世とヨッフェンベルク公の身柄を引き渡すよう要求。しかしエリウス政府はこれを拒絶し、一二四五年九月に戦争が始まった。
加えてルージアがヴェーレンに戦争を仕掛ける素振りを見せ、執政バーデン公はこれをクラウスを排除する好機と捉える。
外務卿ハルダー伯爵の提案に乗ったバーデン公はクロイツバッハとクラウスを現職から解任、共に大将に昇進させて対ルージア戦に編成する第三、第四軍団の指揮官に任じた。そしてクロイツバッハには十分な兵力を与え、クラウスにはその二分の一未満の兵力しか派遣しなかったのである。
年が改まった一二四六年一月までには二個軍団合計七万九千隻、将兵二千三百万人が国境に集結していた。
対するルージア帝国軍は歴戦のアレクサンドル・ヴィトゲンシュタイン元帥指揮する十万七千隻、将兵四千二百万人である。
万単位の艦隊を指揮して戦うのはクラウスにとって初めての経験であり、これからの彼の進退がこの戦争に懸かっていた。
次回予告
ヴェーレン帝国軍の二つの軍団はルージア帝国領土に侵入する。これに対しヴィトゲンシュタインは兵力を二分して対抗するが…
次回、第二場「カプティア会戦・前」