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君がいたから目が覚めた

作者: 若槻風亜


 ふと目が覚めると、僕は草の上に横たわっていた。寝ていたのか、頭はぼんやりとしていて、何故ここにいるのか、眠る前まで何をしていたのか上手く思い出せない。


「あ、起きた?」


 横から明るい声が聞こえる。少し首を動かしてそちらを見ると、隣には黒い長髪を背中に垂らし、ぱっちりした目で僕を見下ろす小柄な女性が座っていた。白い肌と優しい微笑みは、暖かな陽光を反射するようにきらめいている。


「ぐっすりだったね」


 くすくすと楽しそうに『彼女』は笑う。僕は戸惑いながら体を起こし、辺りを見回した。そこはどうやら河川敷に面した土手で、川の向こうには見慣れた町並みが広がっている。河川敷では子供たちが遊んでいて、背後の土手道ではおばあちゃんが犬の散歩をしていて、その隣を自転車に乗った高校生くらいの少年が素早く通り過ぎて行った。特別なことなんて何もない、普通の光景。


「大丈夫? もしかして寝ぼけてる?」


 『彼女』は心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。


「だ、大丈夫! 大丈夫だよ。えっと、君は――?」


 誰。そう問いかけようとして、唐突に僕は「『彼女』は僕の恋人だ」と認識する。何でそんな当たり前なことを忘れてしまっていたんだろう。やっぱり僕は寝ぼけているのかもしれない。軽く頭を振って、僕は心配そうにこっちを見つめる『彼女』に笑いかけた。


「ごめん、ちょっと寝ぼけてたや。今日は買い物に行く予定だったよね。時間遅くなってごめん、行こうか」


 立ち上がろうとすると、それより早くに満面の笑顔の彼女が立ち上がる。


「うん! 行こう」


 細い手を差し出され、僕は笑みを消せないままそれを取った。


「痛っ」


 その途端、突然後頭部に走る強烈な痛みに思わずよろけてしまう。慌てる『彼女』に大丈夫、と返しながら、僕は後頭部をさすった。血も出ていなければたんこぶも出来ていない、普通の状態だ。寝ているときにぶつけるか何かしたのかもしれない。


 恐る恐るもう一度立ち上がる。痛みに警戒したけれど、今度は何も感じなかった。

 一体何だったのか。少し心配になったけれど、僕以上に心配そうな顔をしている『彼女』をこれ以上不安にさせたくなくて、僕は何でもないフリをしてその手を取る。


「お待たせ、じゃあ行こうか」

「……。うん」


 少し間を開けてから、それでもしっかり『彼女』は笑顔を作った。そう、こういうおしとやかなのに芯の強い感じ、やっぱりいいだなぁ。



     *     *     *



 『彼女』に連れてこられたのはまず服屋だった。散々迷った結果、試着室から出てきた『彼女』が着ているのは白いふわふわした長いスカートのワンピースとミントグリーンという色だというカーディガン。


「うん、可愛いよ。すっごくいい」


 手放しに褒めると、彼女は照れたように口元に両手の指先を当てニコニコする。うん、そうそう、控えめな微笑みが凄く理想的。



 次に『彼女』に連れて行かれたのは靴屋。先程買ってそのまま着てきた服に合う、ウェッジヒールパンプスという種類だという靴を買った。先程の服の時に支払おうとしたら「自分で買うからいいよ」と言われ押し問答した結果、半額出したのだが、ここでも同じ流れになる。


「君が買い物する時は絶対私が払うんだからね」


 頬を可愛らしく膨らませて軽く睨まれた。僕は笑って「その時はよろしく」と返す。ううん、人の財布に頼らない買い物、男のメンツも適度に保たせる器量、次は自分が出すと言える気遣い。最高だね。



 その後はアクセサリーショップに行ってよく似合うネックレスとイヤリングを買い、映画を見に行き、食事をして、気が付けばすっかり夜になっていた。最後に僕たちが向かったのは夜景の見える高台の公園。見下ろす景色は人工の光できらびやかに彩られている。自然物ももちろん綺麗だと思うが、人工の光だって負けないくらい綺麗だ。


「綺麗だねぇ」


 僕に寄り添いながら、『彼女』はうっとりと夜景を堪能している。穏やかでロマンティックな雰囲気に、僕もとても気分がいい。やっぱり夜景を見る時はこんな風になるのが一番いい。騒がしくぺちゃくちゃ喋るなんて以ての外だ。


(……あれ?)


 僕はさっきから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 考えていると、『彼女』が声をかけてきた。


「ねえ、もし嫌じゃなかったら、これから先も、ずっと私と一緒にいてくれない?」


 ぎゅうと僕の手を握って見上げてくる『彼女』の顔には、変わらない穏やかな笑みが浮かんでいる。これはもしかして、あれだろうか、その、プロポーズ? 僕から言いたかった、ああでも、今ちゃんと言えば僕からってことになるのかな。


 僕は『彼女』と向き合い、空いていた手で僕の手を握る手を包み込んだ。


「あの、僕と――!」

「あ」


 真剣に言葉を紡ごうとした瞬間、『彼女』は軽く目を見開き僕の声を遮る。視線は僕ではなく僕の背後に向かっていた。あれ、何だ、これは望み通りじゃない――。


 困惑していると、彼女はイタズラな笑みを浮かべて僕を見上げてくる。


「あはは、ごめんね。今のなし。こんな深いところまで入り込める人がいる男の人連れて行けないや」


 何を言っているのか。問いかけようとしたその時、いきなり乱暴に肩を掴まれ思い切り振り向かされた。そこにいたのは僕と身長がそれほど変わらない女性。金色にも見える茶髪は頭頂だけ黒くなりプリン状態で、肌は健康的に焼けている。涙が浮かぶ吊り目は、僕を睨みつけてさらに吊り上がっていた。


「あ――」


 僕は彼女を知っている。


 その名を呼ぼうとした瞬間、彼女は固く握りしめた拳で僕の頬を殴りつけてきた。


「とっとと起きろ! この馬鹿っ!!」


 怒鳴られ殴られた言下、僕の視界と意識は急転する。


 はっと自意識が唐突に浮き上がったのはその直後だ。部屋は真っ暗だが、引かれたカーテンの向こうで電気がうっすらついているようで、全く周りが見えないほどではない。


 自分がベッドに寝ている、と認識した途端、ここがどこだか気が付いた。見慣れない場所だが、知らない場所ではない。ここは、病院だ。


 僕はどうしたのだったか。記憶を手繰(たぐ)り寄せてみる。ええと確か、最後の記憶では僕は会社から帰る途中だったはずだ。道路に面した道を歩いていたら、スマホが鳴って、それに目をやった瞬間、辺りから悲鳴が聞こえた。顔を上げた僕の視界に入って来たのはとんでもない速度で突っ込んできた車と、それに跳ね飛ばされた人たち。僕は――そう、僕はその跳ね飛ばされた人とぶつかったんだ。そこから記憶がない。


 ずきりと後頭部が痛んだ。頭に違和感があるから、もしかしたら包帯が巻かれているのかもしれない。確認しよう、として手を伸ばそうとして、手が止まった。何かに抑えられている、とその時ようやく気付く。


 うまく動かない首を動かし視線をそちらに向けると、僕の手を握って誰かが寝ていた。プリンになっている髪、固く閉ざされた瞼、その周りは泣き腫らした後なのか腫れているようだ。


 僕はすぐに、そこで寝ているのが恋人だと気が付く。ずっといてくれたのだろうか。僕が倒れてから。


 よく分からない涙が浮かんでくる。湧き上がるのは、「君が好き」というどうしようもないくらい強い気持ち。


 君が好きだ。派手な髪色で、外でやるスポーツが好きだから日に焼けていて、豪快で、可愛らしさより男らしさの方が目立って、僕と身長が変わらなくて、ひとりで何でも出来て、自分で勝手に買い物してくるくせに時々いきなり人の財布を自分のものみたいに扱って、照れ隠しが暴力的で、黙っている時がないんじゃないかってくらいお喋りで、僕の理想とは全くかけ離れてる君だけど。


 好きなことを素直に好きと言える君が好きだ。美しさよりも楽しさを優先する君が好きだ。穏やかな接し方よりも踏み込む接し方で誰かを守る君が好きだ。一緒にいようと手を引いてくれる君が好きだ。自分が楽しむ時に周りを上手に巻き込んでみんなで楽しませてくれる君が好きだ。自分をしっかり持っているのに他の誰かの大切を尊重できる君が好きだ。


 事故以来寝ていたせいなのか力が上手く入らない手で、それでも必死に彼女の手を握り締める。すると、閉ざされていた瞼が震え、ゆっくりその下の双眸が姿を現せた。


「お、は……う」


 頑張って笑顔を見せると、一瞬呆けた彼女は、歯を食いしばる。吊り目がもっと吊り上がり、涙が浮かんだようだった。ああなんて素直じゃない泣き顔。それでも、そんな君だから僕は帰ってこられたんだろう。


「遅いんだよ馬鹿ぁ……っ」


 ぼろぼろと涙を零し、彼女は僕の手を両手で握りしめ額を寄せる。ごめんと言った声は届いただろうか。分からないけれど、僕は手元に置かれているらしいナースコールを遠ざけた。


 もう少し、もう少しだけこのままで。目覚めた僕と、目覚めた君の、二人の時間を、もう少しだけ堪能したいから。




カクヨムの3周年企画のお題で書いたものです。



理想と現実が違う好例のひとつってこういうことかな、と思いました。


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