嵐の後の安寧
彼女の後ろから痛いような生温かいような視線を感じるが、今は頭が回らない。くそ、俺って本当に、どうしようもない。
懸命に涙を拭っていると、奥からアルフレッドの声が聞こえた。大事な話だろう。混ざるべきなのだろうが、完全に俺を置いてけぼりにして話を進める気らしい。
「リナリア。セルリアンにも治療をしてくれ」
「……てっきり見殺しにするのかと」
「それをしたら、俺はこいつと同類になるからな」
「なるほど。それでカインを止めたんだ」
「まあな。――それに、殺したら後が面倒だろうし」
その声に、俺はふとそちらに視線をやる。向こうでは瀕死のセルリアンと、マルセルに捕まったまま、わめいているカトリーヌの姿が見える。マルセルは尚も魔法で彼女を押さえつけているが、アルフレッドが考え込んだ末、それを止めた。自由になった途端逃げるかと思いきや、カトリーヌはセルリアンにすがりつき、兄様兄様と泣いている。
俺はちょっと思うところがあったが、まあ気にしないふりをした。考えても答えは出ないことだ。
スノウベルもまた、考え込む俺に気が付いたのか、ちらりと視線を背後へ移す。けれども冷たく、セルリアンとカトリーヌを一瞥しただけだった。
「いい気味だと、思うかい?」
「残念ながら、そうね」
スノウベルは、ガラスのように美しく笑った。その瞳に宿る悲しみがちらちらと見え隠れしたが、彼女は隠しおおせているつもりらしかった。だから俺は何も言わない。
ただ俺だけには分かるのだ。この子はあの兄妹を赦したくて、けれども絶対に赦せないでいるのだと。
「わたしは魔女よ」
不意に俺に向き直り、彼女は告げた。
「わたしは復讐は望まない。争いも望まない。けれどそれでも、戦いが避けられない時もあるわ。魔女である限り」
「…………」
「わたしを選ぶとは、そういうことよ」
紫の瞳が俺を射抜く。ガラスのように鋭く、悲しみを隠した瞳。その奥に隠れた寂しさを、俺はよく知っている。彼女は今更、チャンスを与えようとしているのだ。そして俺の答えは、もうとっくに決まっていた。
「俺は君の騎士だ」
彼女の白い手を取り、口を開く。
「どこにも行かないよ。――赦してくれるなら、君といたいんだ」
彼女はようやっと、いつものように微笑んだ。細められた瞳は、ただ煌めいて澄み渡っている。日が沈んだ後の、闇が訪れる瞬間の――あの空の色を切り取ったように。そこにきらきらと瞬く星を、俺は見た気がした。寡黙な星は俺を見つけて、嬉しそうに瞬いているのだった。
「リナリア、見てやるな。あれであの男も手いっぱいなんだ」
「……なるほど」
聞こえてきた言葉に、俺はふと正気に戻る。状況を理解して、友人たちを少しばかり睨んだ。こいつらにデリカシーってものはないのか。色々と文句を言いたくなったが、人前で抱きしめていた俺もまあ俺だし、加えてアルフレッドの言葉は事実だ。心臓がうるさいのは今更のことである。
俺はそっとスノウベルの肩に手を置いた。再会の挨拶はもう十分だ。なおも眺めようとする無神経なリナリアの頭を、王様がぐっと、足元に向き直らせるのが見えた。
「いいから手を動かせ。セルリアンには治ってもらわないと困る。父上の死について尋問するんだから」
「え、ちょっと待って、今不穏な言葉が聞こえたんだけど」
「当然だろう。ロディオも酷い目にあった。父上を殺した元凶もすべてこいつらだ」
「まあ正論だけど。マルセル、なんか言ってあげてよ」
「この件に関してだけは、僕も陛下には同感ですね。――リナリア、君利用されたんだよ? 忘れたの」
「その通りだキーニアン。お前には言いたいことが色々とあるが――まあ不問としておこう。代わりに尋問の手伝いを頼もうと思うんだが。どうだ、やる気はあるか?」
「そうですね……言いたいことは僕もありますが、こちらも今回は不問にしておきましょう。その提案、謹んでお受けします」
「いや二人ともこわ」
リナリアが素で引いている。いや普通に怖いわ。俺も引いた。思わずスノウベルの肩をそっと引き寄せると、彼女もこわごわと国王と魔法使いを見ていた。
スノウベルはもともと彼らと敵対するはずだったのだ。俺はその運命を変えることに成功したのだろう。改めてほっとすると同時に、かつての運命に少しぞっとして、俺は腕の中の温かさを愛おしく思った。ちなみにその日、俺とスノウベルが将来を誓い合うとか、そういう方の進展はなかった。