思わぬ乱入者
試合を前に、ざわついていた訓練場が静まり返っていく。
俺の近くでは、王子がにやにやしながら様子を伺っているし、訓練場の反対側からは、スノウベルがどこか心配そうな面持ちでこちらを見ている。
辺りはいつしか緊張と期待に満ちた空気が張り詰めて行く。
俺は体がびりびりと震えるような感覚を覚える。たまに味わうこれは、武者震いだと思う。
ふふっと笑みがこぼれた。
この瞬間が俺は嫌いじゃない。
正直、剣をふるのは好きなのだ。
だっと地面を蹴れば、白騎士も動いた。
白く長い髪が大きく揺れ、彼の剣が光をはじく。
俺の頭上に、素早い剣が振りかざされる。
それを避けると、相手の背後に回り込む。
振り降ろせば、ノーティスは攻撃を防いだ。
ガチガチと両者の間で金属が揺れている。
二つの鋼が、互いに太陽の光をはじき、輝いていた。
ノーティスがぐっと俺を見据える。
「はぁっ!」
おっと危ない、俺の頬を剣がよぎった。
辺りにざわめきが起こる。
「っと、危ねえ、なっ!」
ガキン! と強く攻撃を返す。
スノウベルが見てるんだぞ。
誰が負けてやるもんか。
喰い気味に踏み込み、執拗に攻撃を繰り返す。
周りから悲鳴と歓声が聞こえてくる。
だがしかし、ノーティスはすべての攻撃を防いだ。
こいつ、かなり成長してやがる。
俺は一気に決めることにした。
一度距離を取り、剣を構え直す。
思い切り踏み出そうとした、その瞬間。
世界が突如、色を変えた。
比喩ではない。俺達のいた訓練場が、突然灰色の岩山へと姿を変えたのだ。
一体どうなっているんだ。
俺もノーティスも、呆気にとられて動きを止めた。
周りの観客たちも、顔を強張らせて辺りを見回している。
緊張感が、困惑と恐怖へと変わっていった。
さっきまで学園だったここは、ごつごつとした岩肌に囲まれている。
ひゅっと何かの陰が、視界を横切った。
見間違いだろうか。
「待て! 逃がすか!」
頭上から声がする。
はっとして上を見上げれば、高い岩山から、金髪の少年が飛び降りてくるところだった。
昨日会った子だ。もう一体、何が起こっているのか分からない。
ワインレッドのマントが、ひらりと翻った。
少年が何かを叫ぶ。
呪文みたいな響きだ。
俺と白騎士の間に、少年は着地する。
それと同時に、辺りの景色はぐにゃりと姿を変え、元に戻って行った。
高い岩山だと思っていたのは、学園の屋根だ。
岩肌は建物の白い壁に姿を変え、辺りはすっかり、いつもと変わらない訓練場に戻っていた。
少年は膝をついたまま、ちっ、と舌打ちをした。
「逃げられたか……」
意味が分からなかったが、もう試合を続けるのは無理そうだと、それだけは分かった。
静まり返った訓練場で、最初に動いたのは王子だった。
「おいおい、なんだ今のは。せっかくの見世物が台無しじゃないか」
「……あなたは?」
少年は顔をあげる。どうやらこの少年、王子を知らないみたいだ。
アルフレッドは気を悪くした風もなく、食えない表情で口の端を上げた。
「お前、一年生だな? 俺はアルフレッド・クラン。この国の第一王子だ」
少年はぎょっと目を見開き、辺りを見回した。
彼は俺と白騎士が見ているのに気がつき、動揺を見せる。
ここでようやく、自分がどこに来たか悟ったらしい。
そう、俺達は今、大事な試合をしていたのだ。そのちょうど真ん中に、こいつは降りて来てしまったのである。
「……先輩方、申し訳ありません!」
少年は潔く謝った。
「実は怪しい影を見かけまして――後を追っていたんです。あいつ、幻覚の魔法を使ったみたいで……見失ってしまいましたが、きっと魔法科の生徒です」
かなり切羽詰まった様子で言うと、きょろきょろと辺りを見回す。
どうやら、さっきのあれは幻覚の魔法だったらしい。ということは、少年の使ったのは解呪の魔法だったということだろうか。
当の本人はこちらも気にせず、何やらぶつぶつ呟いている。
「魔法科……、幻術……きっとまだ近くに……」
そうして訓練場を見回していたが、やがてひたりとスノウベルに目を留めた。彼女は今、魔法科のノートを抱えている。少年はそれを、食い入るように眺めた。
「…………」
そのまま立ち上がると、スノウベルの方へ歩いて行く。
俺達は何がなんだか分からないまま、置いてきぼりだ。恐らくこの訓練場の全員がそうだろう。
一方のスノウベルはと言うと、少年に鋭い目を向けられ、たじろいでいる。
少年はまっすぐに彼女の元へ近づくと、どこか鋭い声を放った。
「上級生の方ですよね。そのノート、魔法科の方ですか?」
「そ、そうだけど」
「ノートの中身を見せて頂いても?」
スノウベルがわずかに顔を強張らせる。そりゃ、誰だって急にそんなことを言われたらいやだろう。
構わず手を伸ばそうとする少年に、俺は慌てて走り寄った。
「ちょ、ちょっと待てよ。なんだよ急に」
言いながら、二人の間に立ちふさがった。
「何があったか知らないけど、もう少し状況を説明してくれなきゃ困る。それにスノウベルは最初からこの訓練場にいた。誰かを追いかけてるなら、勘違いだ」
「…………」
少年がむっとしたようにこちらを睨んでくる。目力あるなあ、この子。
俺が無言で見下ろしていると、後ろからスノウベルが顔を出した。
彼女は少し落ち着いたらしく、一つ息をつくと少年の前に立った。
「カインの言う通りよ。わたしは確かに魔法科だけど、あなたの探している人物じゃないわ」
「…………」
「まだ疑ってるのね。ほんとに知らないのよ。だって今日は、カインの試合を見に来たんだもの」
その言葉に俺はちょっと嬉しくなったが、余計なことを言うと話がややこしくなりそうなので、黙って様子を見ていることにする。
「幻覚の他に、何か情報はないの? 相手がどんな見た目だったとか。同じ魔法科なら、わたしも協力できるかもしれないわ」
「……見た目は分かりません。人影が見えただけで。ただ、怪しい動きをしていたものですから……」
しゅん、と少年が眉を下げる。
俺はちょっとだけ、呆れてしまった。
彼女を疑う要素なんて、ほとんどないじゃないか。
「……まったく、思い込みで人を疑うのはやめてくれ。確かに魔法科の人間はそんなにいないけど、スノウベルは関係ない」
少年は大きな瞳で、じっとこちらを見上げた。
「……あなたは、この方の恋人ですか?」
スノウベルが目を見開く。
「こっ……」
俺はまじまじと少年を見た。そんな風に言われたのは初めてだ。
だがこれは一歩踏み出すチャンスかもしれない。
勇気を出して、それっぽく彼女の腰に腕を回してみる。
「そうそう、恋び……いたっ」
ぱしんっとスノウベルがノートで俺の腕を叩いた。
「痛いな、叩くことないだろ」
「こっ、恋人なんて……なった覚えないわよ」
「冗談だよ。そこまでムキになることないだろ」
本当は冗談じゃなくて、割と本気でなりたいと思っている。
頑張って勇気を出したのに、そこまで頑なに否定することないじゃないか。
昔はもうちょっと、笑いかけてくれたはずなのに。
ぷいとそっぽを向くスノウベルに、俺はちょっとむっとした。
「あーそうですか。……言っとくけどな、俺はここ最近、君に会えなくて寂しかったんだぞ」
「し、知らないわよ」
「スノウベル、最近冷たいよな。今日だって俺は、君にかっこいいところ見せたいと思って、たくさん練習してきたのに」
少し緊張しながらも、なんとかそう告げる。
腕を組んで視線をやれば、スノウベルがちらりとこちらを見上げた。
「……それ、ほんと?」
「そうだよ。それに練習しておけばいざと言う時、君を……その、守れるだろ」
どうにか真面目に答えると、彼女はノートで口元を隠した。
「そ、そう……」
だんだんと白い頬が赤く染まっていく。
「……それは、気づかなかったわ……ごめんなさい……」
思わずまじまじと見つめると、彼女はさらに赤くなった。
珍しく照れているみたいだ。
うわあ、かわいい。
俺が言葉に詰まっていると、横から不躾な視線が刺さった。
振り向けば、少年が呆れた目を向けている。
彼は大きく息をつき、肩を竦めて見せた。
「すみませんでした。疑った僕が間違いでした」
あ、今馬鹿にしただろ。
俺が口を開こうとした時、また別の声が割って入った。
「……ああいた! マルセル君!」
今日は来客が多いな。
俺が顔をあげれば、やはりというかなんというか、あの見知った少女がやって来るところだった。
ヒロインのリナリアだ。
さてと、俺はどう対応するべきだろう。