俺はその子を知っている
午後は座学の授業だった。いわゆる基本的な教養の授業だ。時折スノウベルと同じになることもあるのだが、曜日によって別だ。
この時間、彼女はアルフレッドと同じ教室に分けられている。やっぱりちょっとだけ複雑な気分だ。
放課後になり、訓練場へ向かう途中、長い回廊の先から誰かの走って来る音が聞こえた。
アーチ状の装飾が続く回廊は、天井が高く、足音がよく響く。
廊下の向こうから現れたのは、背が低めの少年だった。マントを翻し、たたたっとこちらへ走って来る。どうやら今年入った一年生らしい。
金髪の髪に、ワインレッドの瞳。どこかで見た顔だ。
少年は俺のすぐ横の柱に、さっと身を隠した。
俺が訝しげに思い、目をやると、視線で何かを合図してくる。どうやら黙っていてくれ、ということらしい。
「マルセル君!!」
廊下の向こうから、女の子の声が聞こえる。
「ねえ戻って来てよ! わたしが悪かったから!!」
入学したばかりだというのに、もう女の子に追いかけられているのか。うらやましい男め。
「近くにいるんでしょ!? 隠れてないで出てきてよ!」
回廊の先に、一瞬、見知らぬ少女の姿が見えた。
いや、その少女を俺は、どこかで見たことがあった。
「おかしいな、こっちに行ったのかな。……ねえ、返事してよ」
ストロベリーブロンドの髪に、グレーの瞳。
あれは――――あの少女は、
「もういいよ。勝手に帰るから……」
少女が消えるのと、俺が口を開いたのは同時だった。
咄嗟に追いかけようとしたが、彼女はもう、見えなくなってしまった。
最後に見えた横顔は、すごくしょんぼりしていた。
俺は仕方なく、少年の方を振り向いた。
柱の陰に隠れ、少年は息をついている。少し鋭さのある、大きなワインレッドの瞳がこちらを見上げた。
「……ありがとうございます」
「いや俺、何もしてないけど」
「それがありがたいんですよ」
少年は肩を竦める。俺は思わず口を開いた。
「君、あの子と知り合いか?」
「いえ。関係ありません」
「関係あるように見えるけど。……ちょっと彼女のことについて聞かせてくれないか? 気になってることがあって。駄目かな」
俺がそう言うと、彼は面倒臭そうに目を細めた。
「彼女が気になるなら、直接聞けばいいでしょう」
どこかうんざりしたように言うと、少年は回廊の反対へ歩き出した。
「それじゃ僕はこれで。あなたも何か、用事があったんでしょう。お騒がせしました」
ワインレッドのマントが翻る。
コツコツと冷たい足音を立て、少年の後ろ姿は遠くなっていく。
やっぱりどこかで見たような子だ。……思い出せない。
いや、それよりも重要なのは、さっきの女の子だ。
あの特徴的な髪の色、見間違えるはずもない。
攻略本とちょっと様子が違うように見えたけど、あれはヒロインだ。
名前は確か――リナリアとか言ったっけ。本当は近づいて話を聞き出したかったけれど、見失ってしまった。
そういえばそろそろ、彼女が入学してくる時期だったのだ。
ヒロインが現れることで、物語が動き出す。
最悪の場合、スノウベルが殺されてしまう。
俺は一つ息をつくと、訓練場に向かって歩き出した。
その日はいつもよりたくさん素振りをした気がするけれど、よく覚えていない。
帰り際にすれ違った生徒たちが、なぜか怯えたような目で俺を見ていた。