誰も知らない宴会
「これ、いつから隠して……」
「厨房の奥の貯蔵庫からかっぱらって来たんだ。二百年ものだぞ。これぞという時に飲もうと思ってな。とっておいたんだ」
俺は顔を強張らせるが、アルフレッドはひたすら笑っている。
「悪いがついでに、そこからグラスを二つ、いや三つ出してくれ。そろそろロディオも帰って来る頃だ」
彼はあまり、こうして命令することはないのだが、今回は相当お疲れのようだ。
加えて今日はロディオも来るらしい。彼は俺が居る時は、王子の世話を俺に任せているため、互いに会う機会は少ない。
俺が唯一知って居る情報は、彼がいつも俺以上に王子に振り回されているらしいということだけだ。今から頭の中で、お疲れさま、と声を掛けておく。
俺は仕方なく、アルフレッドが言う通りにグラスにワインをついだ。
「なあ」
グラスにそそがれる赤ワインを見ながら、アルフレッドが口を開いた。
「お前、よほど暇なんだな」
「いや、あなたが命令してるんでしょう」
「……カイン」
彼はふと、真面目な声で言った。
「帰ってもいいんだぞ。これは単なる、俺の遊びなんだから、別に怒らない」
俺は三つ目のグラスにワインを注ぎ切ると、静かに瓶を机に置いた。
一瞬帰ろうかと思ったのだが、すぐにそんな考えは消え去った。振り返った先で、王子はとても寂しそうな目をしていたのだ。本来はこんな遊び、よくないと分かっているのだろう。ただ、彼はこうせずにはいられないのだ。
俺は彼を残して、出て行く気になれなかった。
「……今日は特に予定もありませんし、最後までおつきあいしますよ」
俺がそう言って彼を見ると、王子はぱっと笑顔を浮かべた。
その邪気の無い表情に、スノウベルを思い出す。
その時、二人の間にキイイ、と音が響いた。
部屋の扉が開いたのだ。
「王子様……今朝の懸案事項の件ですが……」
顔を出したのは、ロディオ・マックロイこと真っ黒いさんだ。
茶髪の少年は、俺達の間に流れる空気に、不思議そうな顔をした。
「よし、ちょうどいいところに来たな!」
王子が明るい声で言うと、真っ黒いさんは微妙な顔になる。さっそく嫌な予感を覚えたのだろう。
「ロディオ、今から俺達で宴会を行うんだ。お前も参加しろ」
「宴会?」
「見ろ、そこにあるのは二百年ものの赤ワインだ」
アルフレッドが机に視線を向ける。真っ黒いさんは顔を強張らせた。
「ええ……」
「まずお前が飲め。もちろん、拒否権はある。これはただの遊びだからな」
アルフレッドがなぜか堂々と言う。真っ黒いさんは困った目を王子に向け、ついで俺に向ける。
俺はもう飲む覚悟をしていたので、肩を竦めてやった。
彼もこれがおふざけだと分かっているのだろう、嫌なら逃げても王子は怒らない。
真っ黒いさんは迷っていたようだが、結局意を決したらしく、机に向かうと、グラスの一つに口を付けた。
そうして小さく、目を見開いた。
「……これ、」
「どうだ? うまいだろう?」
アルフレッドが意味ありげな目を向ける。
真っ黒いさんはもう一度ワインを飲んだ。俺も気になって、結局グラスに口をつける。
それは――ワインではなく、とってもおいしいジュースだった。
「……なんですか、これ……」
俺が驚いて言うと、王子は椅子から立ち上がり、楽しそうにこちらへやって来る。
「クランベリージュースさ。俺がお前達に、酒の強要などする訳がないだろう。それでは暴君と呼ばれてしまう」
言いながら、彼もグラスに口をつけ、おいしそうにジュースを飲んだ。
俺はどっと肩の力が抜けてしまう。
「……騙されました。やめてくださいよ」
「まあ、それは謝る。だが全部嘘ではないさ。厨房からとってきたと言っただろう。二百年ものではないが、この国でも銘柄のものだ。味わって飲め」
緊張していたらしい真っ黒いさんは、銘柄と聞いて嬉しそうに頬を緩ませた。
図書館で出会った時以来だが、「日頃の苦労が報われる」とかなんとか言っているので、いつもよほど振り回されているのだろうと、俺は少し同情する。
俺も少しずつジュースに口をつけたが、それにしてもこれはおいしかった。
銘柄と言われるだけあるのか、しつこくないまろやかさに、品の良い甘酸っぱさが混じっている。独特の気品のある風味が、口の中いっぱいに広がった。
「一瓶あけてしまおう。お前達、好きなだけ飲むといい」
そう言って、アルフレッドは笑う。
自分は少ししか飲まず、やたらと俺達に注いでくる。
真っ黒いさんは目を輝かせていた。
俺も二人を見て、城に来て初めて、やっと心からの笑みを浮かべた。
俺の顔を見て、アルフレッドもまた笑う。
この王子、ちょっと屈折しているけど、きっと根は良い奴なのだ。
俺がグラスを掲げると、真っ黒いさんも掲げた。
アルフレッドはそれを見ると、意味ありげな笑みを浮かべ、自分もグラスを高く掲げた。
「乾杯!」
そうして俺達の、小さな宴会が始まった。