春の海
菜乃が自室のベッドでマンガを読んでいると、LINEが入る。
(はずき、か)
『こんばんは、はずき』
『こんばんは、菜乃ちゃん』
菜乃はベッドに寝っ転がった。
『ちょっとお願いが・・・』
『何?』
『今度の土曜日、菜乃と水族館に行ったことにしてほしいの』
菜乃はベッドに起き上った。
『何、何!?また、コクられたの?相手誰?』
葉梳姫がコクられるのは久々だったので、早とちりした。
『まだコクられてないし・・・』
(ん?)
菜乃は頭の上に?マークが浮かんだ。
『コクられていないのに、デートすんの?』
『デートじゃないし・・・誘われただけ』
『相手は誰?』
『えっとぉ・・・』
『誰?』
『・・・白石さん』
葉梳姫は根負けしたように呟いた。
菜乃は一瞬誰かわからなかった。辻村の顔が浮かんだ時、思い出した。
『ああ、犬の散歩友達の』
『そう』
あれから毎日のように会っていることは聞いていたから、特段驚く要素はなかった。最も、既にキスしたことやデートしたことは葉梳姫が喋ってないので、認識にズレがある。
菜乃は根本的な疑問に気づいた。
『はずき、ちょっと聞いていい?』
『何?』
『コクられていないって言ってたけど』
『うん』
『それでデートすんの?』
そんなパターン、葉梳姫に関して言えば聞いたことなかった。
『だからデートじゃなくて、誘われただけ』
葉梳姫は弁解がましく説明した。
菜乃は少し考えてから葉梳姫に切り出した。
『じゃあ、コクられたらOKってことだよね?』
すぐ返信がなかった。
『おーい、聞いているかぁ?』
『利いてる、利いてる』
あ、動揺してる。変換ミスしてるし。
『で?』
『た、たぶん』
菜乃はスマホを投げ出し、不貞腐れたようにベッドに仰向けになって手足を投げ出した。
(利いてないぞ)
あ、あたしも動揺してる。菜乃はスマホを拾い上げ、文字を打ち始めた。
『何か、はずきと白石さん、急に仲良くなってない?何かあった?』
葉梳姫は観念したように、キスしたこととか、デートしたことを話した。
『何も言ってなくてごめん。なかなか切り出せなくて』
『わかった、わかった。だけど次からはちゃんと状況報告してよ。こっちだって、そう言う話だと、いろいろと前振りとか根回ししないといけないんだから』
『わかった。今度からは気をつける』
『それから』
『それから?』
『早めにコクるか、コクられるかしなさいよ。こうゆうのはけじめよ。ダラダラと今の曖昧な関係はよくない』
『コクるのは、ちょっとムリ』
(じゃあ、方法はひとつじゃない)
『そこでお願いが・・・』
もう一つのお願いを聞き、菜乃は合点がいった。
『要するに、白石さんがコクりやすいよう、服を見立ててほしいと』
『そーいうこと』
勝負服、決定。葉梳姫の自撮りで菜乃は服装チェック。そしてため息を吐く。
『あんた、中2の時より破壊力増してるじゃん』
『破壊力って・・・』
『その服見せるの、白石さんの前だけにしときなさいよ。学校や街中じゃ無差別テロになるから。特に男に』
『む、無差別テロって・・・』
葉梳姫は自覚がないので意味不明だった。
『で、さあ』
菜乃が話題を変えてきた。
『ん?何?』
『ファーストキス、どうだった?』
『ど、どうって、普通?』
『つまんまない、リアクション』
『つまんないって・・・』
『ぶっちゃけ、はずき背が高いし、普通の感覚だと、自分よりも高身長の男の子と付き合うのかなって思ってたのよね』
『相手の背の高さなんて考えたことないし』
『白石さんって身長どれくらい?』
『173センチって言ってた』
『はずきと殆ど変わんないじゃん』
『そ、そうだね。でも・・・いいことも、あるよ』
(何、その含みのある言い方)
菜乃は訝しがった。
『例えば?』
『えっと・・・キスする時に背伸びしなくても普通にできるし』
『リ、リア充死ねぇ!!!』
ボイスで思いっきり叫ばれた。
デートの合間にLINEを見る。一貴から『葉梳姫に告白する』とメッセージが来ていた。
とにかく、『健闘を祈る』と返信していた。
(うまくいくといいが・・・)
辻村は静かに微笑んだ。
「どしたの?」
真向かいの席から辻村の彼女が不思議そうに聞いてくる。
「いや、何でも・・・」
辻村はスマホをしまう。
彼女がさり気なく、しまったスマホに視線を送る。
大薙駅前で待ち合わせ、電車で隣駅の大薙海岸駅へ行く。初夏にはまだ少し早いけれど、陽射しの照り返しが強かった。葉梳姫は春らしい薄手のロングコートを着ていた。
「風邪でも引いた?」
一貴か心配そうに葉梳姫の顔を覗き込む。
「そ、そういう訳じゃないから大丈夫」
葉梳姫は恥ずかしいに弁明した。
大薙海岸駅を降りると、途端に潮の香りが鼻をくすぐった。
大薙水族館は駅の向かいにあった。
「行こうか?」
「うん」
葉梳姫は頷いた。
チケットを買い、入口から中に入った。中はやや薄暗かったが、すぐ目が慣れた。
入ってすぐ、葉梳姫はもじもじしだした。
「コ、コート脱ぐね」
「ああ」
水族館の中は室温管理がされていて、外よりも暖かかったので、自然な流れだった。でも、葉梳姫がコートを脱いだ途端、一貴は心臓を射抜かれた。体のラインがわかるタイトなニットとミニスカートという出で立ち。雨宿りした時に来ていたのと同系統の服装だけど、露出が前より少し控え目で大人っぽさが段違いだった。通り過ぎる男たちがガン見している。一貴が心配し、葉梳姫を周りの視線から守るように壁になりながら、大丈夫かと尋ねる。
「せ、せっかくのお出掛けだし・・・」
葉梳姫は恥じらいながらも言う。自分のためにおしゃれをしてきてくれた一貴は嬉しく思った。
「手、繋ごうか?せっかくのお出掛けだし」
一貴は手を差し出す。
「うん」
葉梳姫ははにかみながら、自分の手をその手に繋いだ。
水族館は海のパノラマのようだった。上下左右が巨大な水槽に囲まれ、トンネルのような通路は幻想的だったし、ガラス越しに巨大な魚が間近で泳ぐ姿は子供心をくすぐるような演出だった。
トイレ休憩で目を離したスキに、葉梳姫が口説かれていて、一貴が撃退するなハプニングはあったが、水族館デートは概ね順調だった。
壁一面がガラス張りの水槽の前での昼食は格別だった。
水族館を堪能した後、二人は近くの海岸へ繰り出した。葉梳姫はコートを着直し、砂浜に降り立つ。潮風がやや強く、コートの裾をはためかせた。
二人は手を繋ぎ、波打ち際を歩く。この時期は海水浴客もおらず、カップルか家族連れがいるだけ。遠くのテトラポットでのんびりと釣りをしている人の姿も見受けられた。
そのうち、波の緩急についていけず、葉梳姫がサンダルっぽい靴と足首を水に濡らす。
「きゃっ!」
春とは言え、海水は冷たく、葉梳姫は慌てて飛び退き、その拍子に支えようとした一貴の胸に飛び込む。
「ごめん」
「いや・・・」
離れようとした葉梳姫を一貴は離さなかった。見つめる二人。
(あ、また波長が合った)
どちらからともなく、二人はキスをする。海の水が太陽に照らされてきらきらと輝いていた。とても美しい光景だった。
葉梳姫が照れ隠しに、一貴ににーっと笑う。一貴は可愛くて軽くハグする。葉梳姫はびっくりするが、なすがままになる。
「好きだよ」
背中越しに一貴の言葉を聞く。
「私も、好き」
同じように肩越しに葉梳姫は想いを告げた。
しばらくしてほとぼりが冷めてから、一貴は居住まいを正し、コホンと一つ咳払いをした。
「あの・・・」
「ん?」
「えっと・・・下の名前で呼んでいいかな?」
最初葉梳姫は一貴が何を言っているかわからないように首を傾げた。
「その、名字じゃなくて、下の名前で・・・永嶺さんじゃなくてね」
「ああ」
葉梳姫は合点がいったように手を叩いた。
「いいよ」
一貴は一呼吸置いて言った。
「葉梳姫、ちゃん?」
何故疑問符と一貴は自分に突っ込んだ。
「『はずき』でいい」
「じゃあ・・・はずき」
葉梳姫が目線を外し、俯いた。
「ちょっと・・・恥ずい」
そして、少し上目遣いで、
「一貴、さん?」
一貴は思わず顔を背けた。
「?」
葉梳姫が回り込んで見ると、一貴は顔を赤らめていた。
「破壊力、抜群」
葉梳姫も顔を赤らめ、思わず一貴の腕をグーで叩いた。
「は、恥ずい事言わないで」
バカめ・・・・・もとい。バカップルめ。