姉の|悪戯《いたずら》
これで何回目なのだろうかと一貴は思った。4月に出逢ってから、二人で犬の散歩をする回数も重ねてきた。最初は挨拶すらままならなかったのに、今日の日を思うと、一貴は深い感慨に浸っていた。
今日も二人で並んでこむぎとそらの散歩をしていた。ちょうど住宅街から「犬の散歩道」に入るところだった。一貴はいきなり後ろから抱きつかれた。
「一貴、捕まえた!」
無邪気な声に一貴はびっくりした。姉の三陽だった。
「危ねえな!」
一瞬固まったこむぎが三陽に気づき大はしゃぎし始めた。
三陽をもう一度注意しようとした時、一貴は今までに感じたことのない悪寒が走った。一貴は恐る恐る振り返った。
(恐っ)
表情のない葉梳姫が立ちはだかっていた。
「・・・誰?」
声にすら感情がなかった。元々、高音でない葉梳姫の声が重低音になっていた。そらがその場で尻餅をついていた。
「い、いや、これは・・・あね」
葉梳姫の目から一粒の涙が零れ落ちた。一貴は思わず言葉を失った。
修羅場を感じ取った三陽が、一貴からリードを奪い取ってこむぎを連れてとんずらをこいた。
「あ、逃げんな・・・」
一貴は三陽を追おうとしたが、泣き始めた葉梳姫を放っておけなかった。
「はずき、あれは俺の実の姉だって」
一貴は葉梳姫に必死に弁明し始めた。葉梳姫を宥めている間、そらに足を何度か噛まれた気がする。一貴としてはそれどころでなかったが・・・。
昔の写真をスマホから引っ張り出し、何とか誤解を解き、葉梳姫を家まで送る。さすがに葉梳姫も悪いと思ったのか謝る。そらも地面で平たくなってる。
「何かあったら連絡して」
一貴は葉梳姫が家に入るまで見守っていた。ドアが閉まった瞬間、今までの疲れがどっと出た。足を引き摺るように自宅に帰るすがら、そう言えば葉梳姫を自宅まで送ったのは初めてだったなと思った。
自宅に帰った葉梳姫はそらの世話をした後、食事も取らず自分の部屋に引き籠ってしまう。服も着替えずベッドにダイブした。一貴の姉を年上の恋人(?)と勘違いした自分が恥ずかしかった。
「恋人でもないのに」
葉梳姫は呟いた。じゃあ、仲のいい友達?違う気がした。気がつかないうちに、自分の心の中で一貴の占める割合が大きくなっていることに気づいてしまった。
「・・・どうしよう」
足を棒のようにしてようやく自宅に帰り着いた一貴は、リビングでこむぎに餌をやっている三陽を見る。三陽は一貴に気づくと視線を逸らした。
「やらかしてくれたね、三陽姉」
一貴はドスの利いた声で言った。
「わ、悪かったって。まさか、あんな修羅場・・・もとい、泣いちゃうなんて思ってなかったんだって」
三陽は言い訳した。一貴は葉梳姫を宥めるのにどれだけ苦労したかを懇々と説明した。その間小さくなっていた三陽だったが、気が付いたように一貴の言葉を遮った。
「って、あの娘、確か永嶺さんの一人娘だよね?」
「そ、それが?」
一貴は急に狼狽えたように問い返した。
「あんたとあの娘、どういう関係?」
三陽が悪そうな笑みを浮かべた。
「た、ただの犬の散歩友達だよ」
一貴は平静を装い手を洗い、冷蔵庫から作り置きの麦茶を出し、コップに注ぎ、一気に飲み干そうとする。
「あの娘、あんたにベタ惚れじゃん」
一貴は麦茶を吹き出しそうなる。何とか堪え、そっぽを向く。
「まだ、付きあってないよ」
(キスはしたけど)
と心の中で呟いた。