第二話「華麗なる陰謀!?(蠣崎波響『夷酋列像』) 」〈3〉
「以前、友だちからアイヌの女の人をかたどった木彫りのペン立てをお土産にもらったことがあります。もちろん、昔から木彫りのペン立てがあったとは思いませんけど、他にも木彫りの熊の置物とかあるじゃないですか? 人のカタチはダメでも、動物をかたどった彫刻とか絵はあったんじゃないんですか?」
と、まどかクン。
それを聞いた美術評論家・神原芳幸が笑った。
「熊が鮭をくわえた木彫りのお土産品ですね。あれは大正13[1924]年に、スイスのお土産品をまねて制作が開始されたそうです。また、アイヌの松井梅太郎[1901~48]が、夢からインスピレーションを得て、熊の像を彫りはじめたなんて話もあります。アイヌの木彫技術を冬期の収入源として活用すべく創始されたものではありますが、江戸のアイヌ文化とは関係ありません」
「そうだったんですか!? すっかりダマされてました」
だれもダマしてはおらんだろう。勝手な思いこみ、云わゆるカンちがいにすぎない。しかし、私も木彫りの熊の歴史がそんなに浅いとは知らなかった。
いみじくも神原芳幸の云うとおり、アイヌにはすばらしい木彫の文化がある。
昔から「アイヌ紋様」と云われるものを、盆や刀の柄などの民具に魔除けとして彫りこんできた。芸術(民芸)的価値も高い。
「動物彫刻も基本的にはタブーとされてきました。しかし、神器とされるパスイ(イクパスイ)にだけは、例外的に立体的な動物彫刻のほどこされているものもあります」
「パスイってなんですか?」
まどかクンが訊ねる。
「それはですね……、おや、現物があるようです」
第一展示室に入った神原芳幸が指をさした。
第一展示室にはアイヌの民具が多数展示されていた。
さほど広くない展示室がふたつしかない小さな美術館だが、それでも展示室を埋めるのに苦労している感じがうかがえなくもない。
しかし、私はここに展覧会企画者の積極的な意図を感じた。
多くの日本人は「アイヌ文化」そのものになじみがない。
『江戸のアイヌ絵展』を、より楽しく観てもらうためには、実際の民具をとおして「アイヌ文化」を理解してもらった方がよいと考えたのだろう。
アイヌ紋様のほどこされた盆や、アイヌ刺繍のあしらわれた筒袖の着物などが多数展示されている。パスイも数点展示されており、写真つきの解説もある。
パスイはヘラのようなもので、その表面にこまやかな彫刻がほどこされている。
紋様が刻まれただけのものも少なくないが、中には神原芳幸が云ったように、鮭や熊、クジラなどが浮き彫りされているものもある。
私も動物の具象彫刻が彫られたパスイの実物を観るのははじめてだった。
「捧酒箸……ですか?」
まどかクンがパスイの和訳を読んで首をかしげた。それを読んだだけでは、なんのコトかわかるまい。
江戸の武士とは異なり、アイヌの男性は立派なひげをたくわえる習わしだった。
アイヌの男性が酒を呑む時、上ひげが盃へ入らぬよう、このパスイで押さえたのだ。
アイヌの世界で酒は常に神へ捧げられる。パスイを使って酒を呑む時、パスイは人の言葉を神へ伝える役割があったそうだ。
昔はそのことを知らなかった和人によって、単に「ひげべら」なんてよばれていた時代もある。
「鮭とかカワイイ~」
まどかクンが嬉しそうに魅入る。
そもそも、アイヌは動物に対する畏敬の念が強い民族である。
たとえば、熊をアイヌ語で「キムンカムイ」、鮭を「カムイチェプ」などとよぶが「カムイ」とは、白土三平のマンガの主人公や、日本人F1レーサーのことではない。
「神さま」の意である。
アイヌにとって「カムイ」とよばれる動物たちは、人間の食料となるために天界より遣わされた「神さま」と考えられていた。
そのため、アイヌは獲物となった動物の魂(=神さまの魂)を丁重にとむらい、おくりかえす儀式をした。
そうすれば、気もちよく天界へ帰った神さま(の魂)は、ふたたび立派なケモノの姿で人間界へやってきて、アイヌ(人間)の命をつなぐ食料になってくれると信じられていた。
「鳥や豚や牛は人間の食料となるべく神さまにつくりだされたものなので、いくら殺してもよい」などとする、傲岸不遜なキリスト教的世界観とは見解を異にする。
また、アルタミラ洞窟の光もとどかぬ深奥の壁面に、大猟を祈念し動物の姿を描いたとされる、太古のヨーロッパ狩猟民とも異なる信仰感覚と云えよう。
4
区立美術館『江戸のアイヌ絵展』第一展示室。
私と松本まどかクンと美術評論家・神原芳幸は、ぐるりの展示ケースを半分以上占める美しいアイヌの民具をながめていた。
「そうだ。まどかクンは北海道が世界最後の秘境だったって知ってる?」
私の問いに、まどかクンのいぶかしげな視線がつきささる。
「世界最後の秘境? また、クダラナイ茶利ですか?」
「クダラナイとはなんだ、クダラナイとは。ホントの話だよ。実は江戸時代に入るまで、世界地図はおろか、日本地図にも北海道は描かれていないんだ」
「ええっ! ……そうなんですか、神原さん?」
コラコラ。そこで神原芳幸に確認するな。どうしてこうまで信用がないかな?
「ザンネンながら、本当です」
神原芳幸がうなづいた。ザンネンながらは余計だわい。
「ただ、世界最後の秘境と云うのは〈コロンブスのアメリカ大陸発見〉くらい語弊があります。アイヌの人たちは、何万年も前から北海道に根を下ろして暮らしてきたのですから。しかし、大航海時代唯一の空白地帯であったことはたしかです」
「少なくとも、江戸時代中頃まで北海道を日本と考える人もいなかったんだよな」
私が口をはさむ。
「え、そうなんですか? あ、でも、北海道には松前藩があったじゃないですか」
「われら、松前三人衆~」
私はトボケた声でつぶやいた。まどかクンはキョトンとしている。神原芳幸が小さく笑った。
「そんな茶利、まどかさんにつうじませんって。アニメ映画『カムイの剣』ですね」
それを知ってる神原芳幸の方がどうかしている。角川アニメ映画のかくれた傑作なのだが(原作はSF小説家・矢野徹の時代伝奇小説)どう云うわけか知る人は少ない。
「竜童組の音楽がメッチャカッコイイんですよね」
「知ってんの!?」
まどかクンのさりげない一言に思わず声が出た。まったく神原芳幸と云い、まどかクンと云い、マニアックと云うかオタク臭いと云うか……。
「そんなコト、友紀さんにだけは思われたくありません」
「同感です」
神原芳幸はまどかクンへうなづきかえすと先の問いに答えた。