第二話「華麗なる陰謀!?(蠣崎波響『夷酋列像』) 」〈2〉
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まどかは激怒した。
……かどうか定かでないが、私はセリヌンティウスの元へ向かうメロスよろしく、まどかクンの待つ美術館へと走っていた。
今日は、まどかクンと区立美術館で『江戸のアイヌ絵展』を観る約束である。
待ち合わせは午前10時。充分、時間の余裕をもって家を出てきたのだが、マヌケなことに電車の降車駅をまちがえた。1駅行きすぎた。
しかも、降車駅をまちがえたことに気づいたのは、しばらく歩いてからだった。以前にも一度まちがえたことがあるので気づくのがおくれた。
このままチンタラ歩いていても40分あれば美術館へ着く。散歩好きの私には苦でもないが、そうすると約束の時間に30分はおくれる。そんなに人を待たせるわけにもいかない。
ケータイやスマホをもっていれば、まどかクンに「おくれる」と連絡することも可能だが、私はそのたぐいを所持していない。
銀座最年少のグッドルッキン画廊主である私の仕事にケータイは必要ないからである。
基本的に仕事以外の電話は苦手だし、ケータイもキライなのだ。
私はケータイほど無礼なアイテムもないと思っている。暗に盗撮を奨励するかのようなカメラ機能つきなど、さらなりコロスケなり。
ケータイの普及で過労死が増えるのは自明だし、ケータイの使用頻度が高い人ほど計画性や思考力がとぼしくなるのも自明である。
おそらく、ケータイを使う子どもは、ケータイを使わない子どもより学力の劣る結果が出ると思う。
そんなケータイのおかげで、マナーや礼儀のない大人が増えた。私はとるにたらない利便性より、他者への礼儀を重んじたい。
とは云え、約束の時間におくれることも、まどかクンへの礼を失する。
閑散とした街には公衆電話も見当たらなければ、タクシーの影すらない。
そんなわけで、私は美術館まで走る羽目となった。がんばれば5分くらいの遅刻で済むだろう。これが私の誠意である。
息もたえだえで美術館へたどり着くと、遠目にまどかクンの姿が見えた。
さぞ怒っているだろうと思ったのだが、意外なことにまどかクンは美術館前のベンチでスーツ姿の男性とほがらかに談笑していた。
スーツ姿の男性は私のドッペルゲンガー……でもないらしい。
汗まみれであえぐ野良犬のような私を先に見つけたのは、まどかクンではなくスーツ姿の男性だった。
「おや、遅刻ですね」
聴き飽きたおだやかなその口調。美術評論家・神原芳幸ではないか。
「あ、友紀さん、10分遅刻っ! 罰金1万円っ!」
まどかクンが云った。……どうでもよいけど、1分遅刻で罰金千円って高くないか?
私はいまだ整わぬ呼吸でなんとか謝った。
「おくれてゴメン。ぜはっ。駅、ひっ、はっ、まちがった」
「となり駅から走ってきたんですか? 4km近くありますよ。酔狂ですねえ」
神原芳幸があきれた。
「人を待たせておいて、のんきにジョギングですか?」
と、まどかクン。
「だから、くはっ、まちがったと、云って、おろうが」
のんきなジョギングでここまで息が切れてたまるか。耳元で心臓の鼓動がバックンバックン聴こえるわい。
「茶利ですってば。そんなムリしなくてもよかったのに」
「ホントにゴメン。マヌケでスマン」
責められないとかえって申しわけない。私はしおらしく頭を垂れた。
「まあ、一休みして下さい」
神原芳幸が私の手に350ml缶の烏龍茶をにぎらせてくれた。目の前の自販機で買ってくれたものである。まったく気の利く男である。
「ありがとう。……ところで、どうして神原がここに?」
烏龍茶への返礼を述べながら、神原芳幸へ訊ねた。ひょっとすると、まどかクンが誘ったのだろうか? 私が〈音声ガイド〉で神原芳幸にかなうはずもないと云うのに。
瞬時に複雑な感情が脳内をかけめぐったが、とどのつまりは偶然だそうだ。
まどかクンは約束の10分前に着いていたと云う。その5分後に神原芳幸が飄々(ひょうひょう)とあらわれたらしい。
まあ、そのおかげでマヌケな私を待つまどかクンの無聊をまぎらわせてくれたのだから、神原芳幸へは感謝の言葉もない。私の申しわけなさも軽減されると云うものだ。
私の心肺機能が落ちついたところで『江戸のアイヌ絵展』展覧会場へ足を踏み入れた。
……ふたりの入館料をおごらされたことは云うまでもない。
3
日曜日と云うこともあって、多少の混雑も予想していたが『江戸のアイヌ絵展』は空いていた。やはり、知名度の低さは否めない。
余談だが、美術の展覧会は早い時期に行った方が空いている。メジャーな美術の展覧会は、会期修了間近に行くと「入館まで数時間待ち」になることも少なくない。
『江戸のアイヌ絵展』のようなマイナーな美術の展覧会で「入館まで数時間待ち」なんてことはないが、図録を買おうと思ったら、早い時期に足を運ばねばならない。
おそらくは、図録の印刷部数も少ないのだろうが、マイナーゆえコアなファンも多く、会期修了間近になると「図録は完売しました」なんて例も少なくない。閑話休題。
「実は私、アイヌ絵って、観るのはじめてなんです」
美術館のエントランスを歩きながら、まどかクンが云った。
さもありなん。私ですら実物を観るのは久しぶりだ。しかも、東京でアイヌ絵をまとめて観る機会なぞほとんどない。ちょっとばかし興奮する。
「この展覧会は『江戸のアイヌ絵展』ですけど、アイヌの人たちは、どのくらい昔から絵を描いていたんですか?」
「アイヌ絵って云うのは、アイヌの人たち|が(、)描いた絵ではなくて、アイヌの人たち|を(、)描いた絵のことなんだ」
まどかクンの問いかけに私が説明した。
元来、アイヌは「人型」の制作を禁忌していた民族である。そのため、現代であればいざ知らず、江戸時代にアイヌ自身がアイヌを描いた絵画はない。
また、純然たる「作品」として描かれたアイヌ絵も決して多くはない。
江戸時代中期の蝦夷地調査の際に、アイヌの風俗や文化を記録したものまでアイヌ絵の範疇にふくまれることもある。