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第一話「タレ耳のオオカミ!?(狛犬談議)」〈5〉

 久隅守景(くすみ もりかげ)や岩佐又兵衛の描いた『四季耕作(しきこうさく)図』。狩野甚丞(かのう じんしょう)帝鑑(ていかん)図』など中国の風景や人物を描いた絵画の中の犬はまごうことなきタレ耳であった。


 海北友松(かいほう ゆうしょう)禅宗祖師(ぜんしゅうそし)図』(六曲一双)には、12図中2図にタレ耳の犬が描かれている。

 

そのうちの一面「猪頭老子(ちょとうろうし)」では、老子の大きな(そで)の中からタレ耳の犬が顔だけのぞかせていて、実にかわいらしい。


「これはまちがいなくタレ耳ですね。カワイー」


 まどかクンも手をたたいてよろこんでいる。


「どうやら、桃山時代(江戸時代初期)から、日本の絵画にもタレ耳の犬が描かれるようになったようです」


 さらに、神原芳幸は桃山時代(江戸時代初期)に描かれた『南蛮屏風(なんばんびょうぶ)』の図版をひらいてみせた。


南蛮屏風(なんばんびょうぶ)』とは、日本の港に南蛮(なんばん)船が入ってくるようすなどの描かれた、異国情緒あふれる屏風(びょうぶ)絵である。


 数種類の『南蛮屏風(なんばんびょうぶ)』すべてに、南蛮(なんばん)人がタレ耳の大きな洋犬をつれている場面がハッキリと描かれている。


 また、同時代に日本の絵師が西洋絵画を模写した『洋人奏楽図』にもタレ耳、あるいは巻き耳(?)の犬が描かれていた。


「これは前から知ってる。あきらかに洋犬だよな」


「そのとおりです。ここではじめて立ち耳の日本犬しか知らなかった日本人がタレ耳の犬を知りました。外国(中国もふくむ)犬=タレ耳の犬、と云う新しい感覚がめばえたのです」


「フツーの熊や白熊、ツキノワグマしか知らなかった人々が、はじめてパンダを知った、と云う感じでしょうか?」


「……わかりやすく云えば、そうでしょうか?」


 まどかクンの比喩(ひゆ)を神原芳幸があいまいに肯定(こうてい)する。そうなの?


 今でこそ、パンダやレッサーパンダを知らない人はいないだろうが、むかしパンダが「白黒熊」と云われていたことを知っている人は少ないにちがいない。


 閑話休題。


「マンガ『動物のお医者さん』で一時代をきづいたシベリアン・ハスキーや、TVコマーシャルで人気のでたチワワみたいな「オシャレな外国犬」として、桃山時代(江戸時代初期)に脚光をあびたのがタレ耳の犬だったのです」


 その証拠として、神原芳幸は室町時代の狩野派(=漢画)の頭領・狩野元信の描いた『花鳥図屏風(びょうぶ)下絵』をあげた。


 麝香(じゃこう)猫と犬とが(つい)になった屏風(びょうぶ)の下絵だが、左隻(させき)に描かれた犬の姿は立ち耳だった。


「また、室町時代に描かれた『四季耕作図』や『禅宗祖師(ぜんしゅうそし)図』にタレ耳の犬が描かれている例は、私の知るかぎりありません」


「ホントかい?」


「私の知るかぎり、ですけど」


 神原芳幸はほほ笑むと話をつづけた。


「桃山時代(江戸時代初期)の『南蛮屏風(なんばんびょうぶ)』以降、まず漢画で外国犬の「記号」としてタレ耳の犬が描かれるようになり、次第に日本の風物を描いた絵画(風俗画(ふうぞくが))にも、異国情緒ただようオシャレな犬として、タレ耳の犬が描かれるようになりました」


 まどかクンが神原芳幸の言葉をメモ帳に書きとめている。勉強熱心だな、この()は。


「『洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)』や『野外遊楽図(花下遊楽図)』はもとより、当世風の人物をクローズアップした『彦根屏風(ひこねびょうぶ)』や『遊楽人物図(縄暖簾(なわのれん)図)』のような風俗画の中にも、タレ耳の犬はめずらしい生き物、ファッショナブルなアイテムのひとつとして描かれるようになりました」


「ファッショナブルなアイテム?」


「浜崎あゆみが何匹もかわいい小型犬を飼っているのがセレブっぽかったりするじゃないですか」


 まどかクンの方が私よりも理解がはやいらしい。


「志村けんは何匹も犬を飼っているのに家へ泥棒に入られたりしたが」


「そーゆー話じゃないでしょ?」


 私の茶利(ちゃり)にまどかクンがあきれた。神原芳幸はノーリアクションで聴きながす。


静嘉堂(せいかどう)美術館所蔵の『四条河原遊楽図』右隻(うせき)一面下には、犬曲芸が描きこまれています」


 神原芳幸のしめした図版を見ると、南蛮(なんばん)服の男が手にした輪っかをくぐる犬や、口に扇子(せんす)をくわえてうしろ足だけで立つ犬が描かれている。


 南蛮(なんばん)服の男は日本人のようだが、犬は2匹ともタレ耳である。


「一方、大名家(武家)の間でも愛玩犬(あいがんけん)とは異なる洋犬ブームがありました。これをご覧ください」


 次に神原芳幸が示したのは『江戸図』だった。寛永10(1633)年12月から翌11年2月の光景を描いたとされる屏風(びょうぶ)絵である。


 その左隻三面、松平大隅守(おおすみのかみ)邸宅(ていたく)前に2匹の大きなタレ耳の洋犬が中間(ちゅうげん)(武家の下男)らしき男にひかれているようすが描かれていた。


 他の画面に描かれている犬とは大きさがまったく異なる。犬と云うよりは馬と云う感じで、とんでもない誇張(こちょう)の仕方である。


「数種類の『南蛮図屏風(なんばんずびょうぶ)』にも描かれているグレイハウンドタイプの大型犬です。実は、徳川家康が慶長17(1612)年に浜名湖付近で大々的な鹿狩りをおこなったさい、輸入した70匹の大きな洋犬(猟犬)を披露(ひろう)して、いならぶ家臣たちを瞠目(どうもく)させました」


 それ以来、グレイハウンドタイプの大型犬を飼うのが、武家の間でひとつのステータスになったそうだ。


「そうだったんですか。ぜんぜん知りませんでした」


 まどかクンの言葉に私もうなづいた。『江戸図』に描かれていると云うことは近所でも有名だったのだろう。


 今であれば、多摩川のイラストにアザラシを描きこんだり、千葉市動物園のガイド誌に二本足で立つレッサーパンダのイラストを描きこむようなものだ。


 しかし、この手の情報はすぐに風化する。私はまどかクンへ訊いてみた。


「まどかクン、立って走るエリマキトカゲのTVコマーシャルは知ってる?」


「いいえ。なんですか、唐突に?」


 こーゆーことである。私と神原芳幸は目をかわすとしずかにうなずきあった。おたがい確実に年をとっている。


「ちょっと、なにをふたりだけで納得しあっているんですか!?」


「……それはさておき、これまでの話をまとめてみると、日本にはむかしから立ち耳の犬しかいなかったが、桃山時代(江戸時代初期)に、外国(中国もふくむ)犬のカタチとしてタレ耳の犬の図像が日本に入ってきたと云うことだね」


「そうです」


 私の総括(そうかつ)に神原芳幸が首肯(しゅこう)する。


「それはそれでおもしろい話だったけど、当初はタレ耳のオオカミなぞ()せん、と云う話をしていたんだよな。結局、なぜオオカミがタレ耳なのかはなぞのままか」


「なに云ってるんですか。私たちはもうすでにタレ耳のオオカミの足元まできているんですよ」


 神原芳幸が意外そうな顔で云いはなったので、


「どゆコト?」


 と私も訊きかえす。


「神社の眷属(けんぞく)(狛犬)としてのオオカミは神犬、神の使いです。特別な存在である以上、ふつうのオオカミや犬と同じであっては困ります。そこで、ふつうのオオカミや犬にはない特徴を付与(ふよ)したと考えられます」


「あ!」


 なるほど、そう云うことか。私とまどかクンは思わず顔を見あわせた。


「もう、お気づきですね。稀少(きしょう)価値が高くオシャレな外国の犬=特別な犬の(あか)しとして、その特徴である「タレ耳」を、眷属(けんぞく)としてのオオカミ像に付与したと考えられるのです。また、伏せ耳のオオカミは、神さまへたいする忠誠・隷属(れいぞく)を表現していたのかもしれません」


 しかし、このような感覚は、時代とともに衰微(すいび)した。犬の図像も、円山・四条派の写実にもとづく日本犬や、丸くてかわいい仔犬が主流となったためである。


「それに、ニホンオオカミが絶滅してしまった今となっては、むしろ、ふつうのオオカミの姿の方が稀少(きしょう)です。大正以降に制作されたオオカミ像に立ち耳のものが多いのは、そう云った複合的な理由があったためでしょう。Q・E・D」


 神原芳幸はティーカップを口へはこぶと、のこっていた紅茶をゆっくりと飲み干した。


「神原さん、スゴーイ」


 まどかクンがすなおに感嘆する。


「タレ耳のオオカミは由緒正しい江戸の名ごりだったわけか。そう思うと今度はタレ耳のオオカミに愛着がわいてくるなあ」


「どうでもよいけど、お腹が空きました。みなで夕食を食べにいきませんか?」


 私の感慨(かんがい)をよそに神原芳幸がきわめて即物的かつ現実的な提案をした。


 いつのまにか時計の針は午后7時をまわっていた。画廊をしめる時間である。たしかに腹も減っている。


「今日はよい勉強をさせてもらったお礼に、おれがふたりに夕食をおごるよ」


「浅草『お多福』にしましょう。おいしいおでんの老舗(しにせ)です」


「おでん!? いきます。よろこんでおともいたします!」


 まどかクンの笑顔がはじけた。私たちも笑った。今夜は楽しい酒が呑めそうだ。



【第一話・おわり】


挿絵(By みてみん)

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